36歳で起業に失敗、クラウドワークス吉田氏が語る「人生詰んだ」からの復活劇

起業からわずか3年で東証マザーズ上場、その背景にある学びと努力とは #1/2

特別講義vol.1
に開催

「学びを遊びに」のテーマのもと、さまざまな業界のトップランナーを招き、新たな学習体験を提供する「MOA大学」。2月18日に行われた特別講義では、クラウドワークス代表の吉田浩一郎氏が登壇し、過去の失敗談から起業後わずか3年で東証マザーズ上場に至るまでのストーリーを語りました。

36歳で最初の起業に失敗

吉田浩一郎氏(以下、吉田):本日はお忙しいなか、N.O.B.Uさんのコンサートにお越しいただきまして、ありがとうございました(笑)。ということで、ちょっとみなさん想像していただきたいんですけど、どちらかと言うと、N.O.B.Uさんに比べると、一般の方に意識は近いと思うんですけど。

あの音楽のあとに登壇をする、そしてこのあとはいよいよキングコング西野さんという(笑)。このアウェイ感はハンパないので、ぜひみなさん今日はお力をください。

(会場笑)

私は、神戸の普通のサラリーマンの家に生まれて、そこからここに書いてあるように、上場企業、トヨタやソフトバンク、三菱UFJ銀行と、そこの末席にいるようなかたちで挑戦の機会をいただいたり。

今、日本中で、在宅で、あるいは別に砂浜でもリゾートでもいいんですけど、パソコン1つで働けるようなサービスをやっています。一番稼いでいる人たちは、クラウドワークスだけで2,400万円。パソコン1つで稼げるようになっているんですね。

発注しているクライアントも、先ほど言ったトヨタさんや、パナソニックさん、ホンダさんといった大企業から、政府も9府省、経済産業省、外務省とか、40以上の自治体にもご活用いただいています。

そして、2015年には、安倍首相から直々に、日本ベンチャー大賞で表彰もいただきました。

この話だけを聞くと、一見、なんかすごい人だなというような感じなんですけど、私自身が、36歳で1回目の起業に失敗して、仲間が取引先を持って行って、仲間が全部出て行って、事業がなくなって、マンションで借りていたオフィスで1人ぼっちでですね。そこで、「もう俺、人生詰んだな」というところからここまで来たという話を、今日はさせていただきたいなと思います。

これで少しN.O.B.Uさんの雰囲気が変わりましたかね(笑)。

ということで、私自身は、神戸の片田舎で新興住宅地、東京で言うと多摩ニュータウンみたいな街に生まれました。普通のサラリーマンの家で、一軒家があって犬がいて車が1台あって、というような一般的な中流家庭です。

本当に作られた街なので、街には昔からある商売もなく、本当に家と公園だけあるような街ですね。だから、その当時は起業なんていうことを自分自身がやるとは到底思っていませんでした。

10代は暗黒時代

そのなかで、幼稚園のときに演劇をやって、ヘンゼルとグレーテルのお父さん役で褒められて、それをきっかけに役者になりたいと思って。小学校のときにがんばったら、朗読コンクールで学校の代表になったんですね。これで、私自身は役者になるんだというふうに思ってたんですけど。

でも、私自身は10代は暗黒時代で、中学・高校も、学校の成績も200人中下から10番を抜けたことがない。中学なのに進級会議にもかけられる。この人の学年上げていいのかどうか、というくらい10代は本当に暗黒時代で。

そこから、なにか自分で「勉強以外できないか」というので、同人誌で漫画を描いてみたり、コミケに出してみたり。あるいは、ビリヤードでハスラーになれないかということでやってみたり(笑)。

やったんですけど、まぁ、同人誌、絵の才能がないですね。あと、ビリヤードも雲泥の差ですね。なにをやったって、そんなにうまくいかない。

一応、中学・高校と男子校だったんですけど、演劇を毎年1回やらせてもらえるというので、自分自身は感情を失って、演技はなんとなく不自然なんだけど、演劇をやりたいというので、やるなかで「大学は東京に行きたい」「俺はもう勉強では学校の誰にも勝てないから、もう役者になるために、大学に行かずにやりたい」と。

そのときに、父と喧嘩になったんですけど、「生きているうちに、可能性というのはほっといても減っていくから、今は自分で進んで可能性を減らすようなことはするな。これが最後の願いなので、大学だけは行ってくれ」と。

ということで、大学は東京の入れるところならどこでもいいみたいな感じで入って、それで演劇を始めました。

自分は何者でもないと悟る

でもやっぱり、自分自身、感情がうまく表現できないので、なにをやってもあまりうまくいかないんですね。

そこで思い付いたのが劇団だったんです。役者じゃなくて劇団でやれば、感情というものがなくてもできるんじゃないか。感情というものを後天的に学んでもできるんじゃないか、みたいな感じで、どうにかこうにか演劇をやってたんですけど。

4年生のときに、自分で経営している劇団が、契約書のミスで半年準備してた公演ができなくなり、率いていた20人くらいのスタッフにタコ殴りにされて。1人には角材で殴られて、私ここらへん縫ったことがあるんですけど。

それで、200万円の借金を抱えて。やりたいことをやりたいって言っても、「契約やお金ということを勉強しないとこんなに簡単になくなるんだ」ということで。そこから歯を食いしばって、じゃあ俺はビジネスの世界でがんばる。お金と契約のことを勉強してみるというので、サラリーマンになってパイオニアに入社しました。さっきのDJ回してたやつ、あれパイオニアのやつですけど、いちいちちょっとN.O.B.Uさんに絡んでね(笑)。

それで、営業マンになって、そこからビジネスをやってきました。でも実は、私の心の中にそこから10年なにがあったかと言うと、演劇時代にご一緒した方々が、常に頭にあったんですね。

まず1人は、楽器なしで歌うだけ。つまりアカペラですね。アカペラって当時、楽器ができない人がやっているみたいなイメージで。ハモネプっていう番組もなかった頃なので。

それで、私は一緒に演劇をやっていて、彼が歌って、その歌ったあとに私が劇をするみたいなことをやってたんですけど。帰りに、西武新宿線で、「本当、アカペラって売れないんだよな。ぜんぜん誰にも認識されないんだよ」って言って。

それがどうなったかと言うと、ゴスペラーズさんなんですね。やり続けてたら、こんなふうになるんだと。俺は、演劇を辞めてビジネスやってるけど、あれはなんだったんだと。

私、演劇で、照明スタッフのバイトをやってたんですね。下北沢の本多劇場で、舞台の照明のお仕事をいただいて、1ヶ月小屋付きでやってたんですけど。それで、ピンスポットを当てていた役者さんがいるんですけど、その人に一緒に飲みに連れていってもらって。

でも内心、ちょっと失礼な話なんですけど、この役者さんは、なにがモチベーションでやってるんだろうって思ってたら、そこから20年くらい経って、その人は、『あまちゃん』を作った宮藤官九郎さんだったんですよね(笑)。

当時、大人計画って、阿部サダヲさんがいて、やっぱり阿部サダヲさんが絶対おもしろいわけですよ。めちゃくちゃおもしろい。それに対して、宮藤官九郎さんというのは、おそらく脚本の能力は高いんですけど、演技は、わりとナチュラルな感じですよね。

でも、自分のなかで常に敗北感があって、これは非常に浅い話なんですけど(笑)、自分の周囲にいた人が『あまちゃん』を作り、楽器ができないと思っていた人が、ゴスペラーズになり。

じゃあ俺は何者でもないなということで、20代でビジネスマンになって、マネージャーになって、部長にはなったんですけど、お前にはマネージメントは向いてないと言って、マネージャーを降ろされたりしたわけですね。そういうなかで、自分が諦めきれないものが……、「ビジネスのなかで、俺はなんとかがんばりたい」って思えたんです。

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