2024.12.19
システムの穴を運用でカバーしようとしてミス多発… バグが大量発生、決算が合わない状態から業務効率化を実現するまで
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ソフトバンクのロゴマーク。皆さんの携帯だとか、いろいろなところに「=」サインのロゴマークが出ておりますが、あのロゴマークは、この海援隊の、龍馬の海援隊のあの2本線の旗のしるしから生まれたんですけども。そのぐらい私が坂本龍馬さんに憧れておったと、そういう経緯で決まったロゴマークであります。
今、日本はまさに、当時の幕末の状態ではないかなと思います。この20年間くらい、日本はもうほとんどGDPが成長してない。いろいろな政治的な問題、あるいは経済の問題、国全体が活力を失っているということであります。こういう時にこそ、日本をもう一度よみがえらせる、日本の夜明けをもう一度迎えると。そのためには、龍馬のような高い志、また高い志に多くの若者たちが結集して、この世の中をもう一度活性化させると、そういう想いが大切なんではないかなと思います。
我々ソフトバンクは少なくともそういう想いを持って事業を進めておるところですけども、もちろん我々ソフトバンクだけではありません。日本にはまだまだ素晴らしい人物、そして会社、組織、あることであろうと思います。そういう人たちが奮起して、また皆さんのように若い人たちが一念発起して、日本にもう一度夜明けを迎えさすと、そういう気概で頑張ってほしいもんだと思います。
今日は、新卒の学生の皆さん向けの講演会、会社説明会というのがそもそもの趣旨で、このようなイベントを催しておりますけれども、あわせてUstreamを使って、多くの人々に、ライブ配信で見れるようにということで同時に今流しております。また、それを見ながらTwitterで私が今話している内容が多くの人々に伝播しているという状況であります。ですから今日は学生の皆さんのためだけというよりは、少なくとも、そういう志ということに対して、なにがしか興味のある方々が同時に聴いておられる、見ておられる、という状況だと思います。
今日の一番のメインのテーマは、ソフトバンクの会社案内というよりは、そもそも私は何を思ってこのソフトバンクの事業を興したのかと、どんなことを成したいと思っているのか、どういう志を持っているのか、そのことをメインに話をさせていただきたいと思います。
それがソフトバンクの会社ひとつひとつの事業を細かく説明するよりも、もっとも我々の会社の特徴を説明することになるのではないか、と思うからであります。「志し高く」と、これは私が一番好きな言葉でありまして、もし人からサインを求められたり、「座右の銘は?」というようなことで聞かれたときに、必ず私がサインするのはこの言葉であります。志を高く持って人生を歩んでいきたいということであります。
それじゃあ私自身が、どういうきっかけで、この高い志を持って人生を歩みたいとなったかということですが、1冊の本でありました。15歳のときに読んだ「竜馬がゆく」であります。
司馬遼太郎さんが書いたこの「竜馬がゆく」。この本を読んで衝撃を受けたんですね。それまでどちらかというと、まあ明るい中学生、小学校時代過ごしましたけれども。サッカーとか野球とか、剣道だとか、そういうスポーツをしたり、友達と一緒に、夜まで走り回って遊んで、というような生活を過ごしてきましたけれども。
たまに本を読むといえば、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」とか、なんかちと暗い本でした。そこにそんな本を読むよりはもっと男らしい本を読んだらどうだ! ということを家庭教師の先生に言われて読んだのが、この「竜馬がゆく」でした。それが目からウロコといいますかね、やっぱり1回しかない人生です。
この中で、NHKの「龍馬伝」を見てるという方、ちょっと手を挙げてみていただけます? おお、すごい。7、8割。8割くらいね、みんな手を挙げてます。世の中一般の人々より、ここに来てる皆さんの龍馬伝を見てる視聴率が8割以上あるということは、そういうのが好きな人が、どっちかっていうと集まっているということだと思いますが。この龍馬伝を見てると、皆さん、昨日も私ボロボロ泣きました。
脱藩をして、そして家族にも迷惑がかかるかもしれない。でも乙女姉やんが、「龍馬、行ってこい。おまえは土佐に収まりきれる男じゃない、もっとなにやらでっかいことをやる、そのためなら自分たちのことは構わん。行って来い!」と、こうやって送り出した。もうあのシーンのところで涙がボロボロボロと出てしまいましたが。あのシーンで僕がボロボロに泣いたのは、あの自分の人生にちょっと重なってるところがありまして。
そのときに、僕は1人アメリカに行くと。もうむちゃくちゃに言われました、親戚からも。「親が病気して倒れて入院してるときに、なんでお前はそんな1人、アメリカに行くなんてことを言えるんだ! 冷たいヤツだな」と言われました。担任の先生からも校長先生からもクラスメイトからも、「まだ高校1年生の1学期で、なんでそんな状況でアメリカに退学して行くんだ?」というようなことを言われましたけども、まあ、私は決意して、アメリカに行ったわけ。僕にとっての脱藩に相当するのが、病気の父親をおいてアメリカに行ってしまう、ということだったんです。
僕はそのとき言いました。お袋に、泣きながらしがみつくお袋に、「お袋、病院の先生に聞いたら、親父は死にはせん、と言うてる。血を吐いたけど、死にはせんと言うてる。ここ何年かの家庭のことを思えば、家にいて学校で勉強して、家族のために、それはそれで大事なことかもしれん。でも、これから何十年のことを思ったら、家族のためにも、そして家族をさらに超えて、自分が何か事を成すと、このことのために人生を捧げたい。だからわしゃ行ってくる!」ということで涙を振り切って行きました。
つまり私にとっての志、それにちょっと芽生えてしまったということ、あの本を読んで。志って何だ? そのときは何を成したいか、というところまでは、はっきり見えていませんでした。しかし何かでっかいことをやって、何か多くの人を助けたい、自分の、あるいは自分の家族のそういう私利私欲とかそういうことではなくて、何かもっとでっかい、人生を燃えたぎらせたいと、ひきちぎれるほど頑張ってみたいと。それを成したいと、その想いだけは強烈にめばえてしまったんですね。それがこの、私にとっての志。
多くの人、百万の人々を助けたい。百万千万の人々を助けたい。人々に貢献したい。そういう何かでっかいことを、これを成したいと。金銭欲とかじゃありません。そんなことではなくて、何か本当に多くの人々に、あいつがいてよかったと思われるようなことをしてみたい、ということで決心したわけです。私にとって人生、5つの大きな勝負がありました。第1回目の人生にとっての勝負、それがこちらであります。
志を立てて、渡米、ということであります。15歳の時にアメリカに渡りました。
15歳の夏に、アメリカに1ヶ月間だけ夏休みの英語の研修ということで行きました。もう目からウロコ。本当にもうアメリカの広い、世界で一番大きな国、一番文明が発達してて、力があって、輝くばかりのアメリカ。龍馬が「海外に行ってみたい、アメリカを見てみたい、ヨーロッパを見てみたい」と、でも行けない。吉田松陰先生が「わしゃ、アメリカに行く、外国に行くんじゃーっ!」と言って、船に密航しようとして、見つかって、切腹させられましたね。あれほど命を賭けて見てみたいという人々が行けなかった外国を、自分は見ることができる。
そんなチャンスがあるから、見てみたい、ということで見てみたら、なんとびっくり。やっぱり日本とは比べ物にならんぐらい、何やらすごい、ということを感じて、これはもう居ても立ってもおられんと、「脱藩じゃーっ!」ということで、もうバシッと退学届けを出して、高校1年生の1学期で、もう退学届けですよ。
校長先生も担任の先生も、せめて休学にしたらどうだと。せめてアメリカに行くというのなら大学に行ってからでもいいじゃないかと。大学卒業してからでもいいじゃないかと。せめて、今どうしても行きたいというなら、休学にしたらどうだと。で、1、2年行って、様子みて帰ってくる、と。その辺でどうだ、手を打たんか……と、そういうような話でした。
で、私は校長先生に言いました。「先生! 僕は弱い男です。アメリカに行って、英語がようわからん。1人で行ってどんな生活になるかわからん。困難にぶちあたったら、くじけて、弱い気持ちになって、戻ってくる古巣があれば、そこに戻ってくるかもしれない。それじゃ腹が据わらん。退路を断たないと。退路を断たないと、困難に立ち向かえん。だから休学届けじゃなく、退学届けにさせてください。私はこの高校をすばらしいと思います。先生方も生徒も、僕には何も不満はない。だから不満があって退学するんじゃないんだ。皆すばらしい友達で、皆すばらしい先生で、こんなに一生懸命止めてくれる校長先生も、担任の先生も、僕は本当すばらしいと思う。だから嫌いで行くんじゃないんです。チャレンジのために行って、くじけて帰ってきたら、ええこと何もない。だから、退路を断つんだ」、ということで勝負してアメリカに行ったわけです。
途中で肺炎になっても、肺炎になったことがわからないぐらい、風邪でゴホゴホ、ゼーゼー、頭ガンガンして、その状態でも一切休まずに、一度も授業を休まずに、いつも前列のど真ん中で座って、食い入るように先生を見て勉強して、トイレに行くときも絶対に教科書から手を離さない、読みながらトイレに入る。道歩く時も教科書を読む、運転する時もイヤホンで授業の内容をテープでもう一度復習しながら。もう寝る時間だけ、寝る時間も最小限の時間、朦朧としながら、寝てる時間以外はすべて勉強する。英語がようわからん、そんなこと、わしゃ言い訳に使いたくない、と。
それまで日本にいて、高校1年まではイヤイヤ勉強してましたよ。イヤイヤ勉強してるからいろいろな言い訳いうとった。したくないものをしてるから。何のために俺は勉強せにゃいかんのや、と。こうやって言ってましたから。「こんなもの世の中に出て役立つんかー!」とか言ってましたから。たいがい手抜きの勉強でしたよ。でもアメリカに行って、それこそ血を吐いてる父親を置いて、泣く母親を振り切って、アメリカに行ったわけですから。そういう状況の中で、わしがここで言い訳言って勉強さぼってどうすんや! と。
学生のわしにとっては勉強は本業や。本業中の本業に命燃やして、ちぎれるほど勉強しなくて罰が当たると思ってやったんですね。ですからここにいる皆さんより、少なくとも勉強の絶対時間では、一日当たりの勉強の時間数では、わしに勝つやつは誰もおらん。少なくとも同じくらいやってるやつはおるかもしれない。でも物理的な限界を超えるぐらい、僕は勉強した。そのくらい燃やして燃やして燃やしまくって、やった。退路を断ってアメリカに行ったからには。でもそれは僕にとっては人生の大きな勝負どころ、転機だったわけ。
アメリカで高校1年生に入った。1週間で校長先生にかけあって、「もうこりゃいい、2年生に変えてくれ」と。それで2年生に変えてもらった。教科書を全部取り寄せて、3日たったらまた、全部2年生の教科書は全教科読んで、斜め読みして、もう1回校長先生に言いに行って、「もう2年生もいらん! 3年生の教科書を全部くれ」言うて、3年生に変えてもらって、また3日で3年生の教科書を全部読んで、「もうこれもいい、わしゃ高校はいらん! そのまま大学に行きます。先生さようなら」と言って、そのまま大学に行ってしまった。
だから高校生は、日本で1年生の1学期の3か月間、アメリカで合計2週間。それで高校はもう終わりということで、そのまま大学に行ったんですね。大学では、今言ったように死ぬほど勉強しました。その大学の3年生の時、出会いは突然訪れました。19歳の時でしたね。
初めてマイクロコンピューターのチップの写真を見たんです。生まれたばかりのマイクロコンピューターのチップ。それを科学雑誌のところに1ページ写真が載っていた。これを見て、ガーンと衝撃を受けたんですね。車を降りて、道で読みながら歩いてた。そしたら何やら未来都市のようなね、未来の都市の設計図のような、カラーの写真があって、なんだろうな、不思議な写真だなあ、初めて見る写真だなと思って次のページをめくったら、これがなんとマイクロコンピューターのチップの拡大写真だということを知った。それが人差し指のさきっちょにちょんと乗ってるぐらいの大きさです。これを見て、もうボロボロボローッと涙が出たんです。全身の両手両足の指先がじーんとしびれて止まらない。
人類はなんちゅうすごいことをしたのか。人類が初めて自らの脳の働きを超えるかもしれないものを作った、発明した。このことのすごさを、このことの感激に、私はショックを受けた、感動したということですね。このことによって、20世紀の終わり、21世紀、どう人類社会が発展するんだということを想像し始めたら、もう恐ろしい衝撃で、感銘を受けたわけですね。その結果、それを使って発明に結びついていったということなんですけども。
皆さん食事する時、たいがい両目でお皿見て食べるでしょ。僕はね、そんな贅沢はなかったんですよ。そんなことはできない。必ず、食事する時も教科書をにらみながら、視野の端っこにボーッっと見える皿にフォークを突き刺して、とりあえず刺さったものを食べる。時々こしょうみたいなのがそのまま入って「あーっ」と叫んだりすることも。それくらいの状態でね、勉強してました。
だから5分間、自分に勉強以外の時間を与えるということは、どれほどの贅沢か、と。学校の勉強以外の時間を僕に5分間与える、こりゃ大変な贅沢だ、と。その贅沢なこの時間を、1日1つ、何か発明をしようということにあてた。1日1つ何か発明して、その中から1つ1年間かけて選んで、その発明でひと山あてようと、そう思ったわけです。
でも僕は真剣でした。「そんなムシのいい話は発明ぐらいしかないぞ。あの松下幸之助さんですら、小さな発明から会社を興した。わしもなんか発明してみよう」ということで、自分に与えたレジャーの時間、つまり発明の時間。そこで1日1つ発明しよう、と。できました。完成しました。250、発明しました。
最近、僕はTwitterで「できました」というリストをいろいろ出してますが、まさに「できました!」と。1年間で250、発明をしました。1日5分間ずつやって。なかにはしょうもない発明もいっぱいありますけど。まあでも、そのうちの1つが、世界初のフルキーボードのポケットコンピューター。マイクロコンピューターを使った、世界初のポケットコンピューター。今でいうiPhoneのハシリのようなものを19歳の時に発明して。
自分1人じゃモノは完成しないんで、仲間を集めなきゃいけない。僕を手伝ってくれる助手を集めなきゃいけないので、世界的に有名な大学の教授とか研究員、5、6名集めて、それでプロジェクトチームを起こした。僕は学生だから1日5分しか時間がないので、先生手伝ってくれと、先生に給料払うと。先生に、空いてる時間で僕のためにアルバイトしてくれと。1時間いくら、先生に払います、と教授を雇った。ネゴをするのは嫌だから、「先生、1時間いくらかは先生が自分で決めてくれ。先生が欲しい金額を出します」ということで、「なんちゅーことを言う学生だ」という話でしたが、ただし、1つだけ先生に「条件がある」と伝えました。
それは、「先生が書いたとおり信じます。できあがったら全額払います、先生の申告どおり全額払います。だけど僕には今、お金がない。できあがって完成して特許が売れたら、売れた金額から先生に全額払う。だからうまくいかなかったら先生はただ働きです。うまくいったら先生方の申告どおり満額出します。そういう条件でどうですか?」と。笑い出してね、先生たちがね。「おまえ、面白いいこと言う学生だ。わけわからん話だけど、やってみるか」。ということで僕の発明を実現するプロジェクトチームができました。
その時の研究員、左側にいる毛むくじゃらのおじちゃん、彼が僕のプロジェクトチームのメンバーの1人。他は世界的に有名な大学の教授とか、そんなんばっかりでした。彼らが僕に毎日「ボス、次何をやればいいんだ? 」と、僕から指示を仰いでいる。なんか摩訶不思議な関係だったんですね。そんときに僕は人生50ヵ年計画を立てた。19歳でした。
20代で名乗りを上げる。自分の事業を興す。自分の業界に名乗りを上げる。30代で軍資金を貯める。軍資金は1000億、2000億と数える規模でなきゃいけない。40代でひと勝負をかける。1兆円、2兆円と数える規模の勝負をする。50代である程度、その事業をビジネスモデルを完成させる。自分のライフプランとしてのモデルを50代で完成させる。60代で次の経営陣にバトンタッチをする。僕の次の経営陣というと、ちょうど今から10数年、皆さんの世代の人たち。皆さんの世代の人たちから、次の経営陣が出てくるということになろうかと思います。
そういう大まかに分けて5つのステージ、20代・30代・40代・50代・60代、この5つのステージのライフプランを作った。一度も変えてません。この19歳の時に立てた、僕自身のライフプラン。1回も変えてない。そのときはお金は1円もないですよ。1円もないけども、まず発明のアイディアを思いついて、設計図を書いて、特許にまで出した。設計図を書いて特許にまで出す、そこまでは僕がやった。特許に出した設計図で具体的に試作機を完成させるのはさっきの教授陣のチームで一緒にやったということですけども。
お金はない。でも、志だけはもうはっきりしていた。何かでっかいことをして、何百万、何千万の人々に役に立つ。そういうことをしたい。もしそのときに自分が持ってる技術、知識、情熱、そういうものが役に立てばいいなあ、ということで、20代で名乗りを上げました。それが、ソフトバンクの設立であります。
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