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2025.02.18
AIが「嘘のデータ」を返してしまう アルペンが生成AI導入で味わった失敗と、その教訓
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平岡利規氏(以下、平岡):さっそく、本編を進めていきたいと思います。
本日のアジェンダですが、まず私たちの自己紹介を行い、プロジェクトマネージャーをしている木村さんの歴史と、歴史を通して伝えたいことという流れで行います。
私たちの自己紹介を説明する前に、簡単に組織の説明を行いたいと思います。本日は、サービス&テクノロジー本部の技術統括部の中のDevOps推進部でPMをやっている木村さんの話です。
私たちSHIFTはけっこう幅広く組織があり、別の部に興味を持っている方は、ここのPMの話があまり被らないかもしれないので、それをちょっと念頭に置いて話を聞いてもらえればと思います。
ではさっそく、自己紹介をしようと思います。
私は平岡利規と申します。大阪に住んでいるスクラムマスターです。前職は製造業のSEで、アジャイルに感銘を受けて、もっとアジャイルになりたくてSHIFTに入社しました。SHIFT歴はほぼ1年で、今はクライアント先のアジャイル化の支援を行っています。本日はよろしくお願いします。
では、本日のメインの木村さん、よろしくお願いします。
木村直樹氏(以下、木村):木村直樹といいます。42歳で社会人歴は18年です。製造業のSEを2社と、間にフリーランスを含めて、今SHIFT1年目で半年ぐらい経ったところです。今はテスト自動化のPMとして若いエンジニアの方々と仕事をしています。本日はよろしくお願いします。
平岡:よろしくお願いします。本日はこの2名でキャリアトークを進めていければと思っています。
さっそく、木村さんの歴史に入っていきたいなと思います。
(スライドを示して)デデンッ。ということで、木村さんが新卒で入社してからの仕事・キャリアに対して、うれしかったことを黒い棒の上、悲しかったことを黒い棒の下で表しています。
木村さんが歴史から学んだことや、現在の仕事に活かされることをちょっと深掘りしていければなと思います。
さっそく、新卒のところから行きましょうか。2004年、「新卒で会社員として製造業のSEでキャリアスタート」とありますが、キャリアをスタートした時、木村さんはどういう感じでしたか?
木村:(勤務場所を)近畿圏内で探していました。もともと自分の父親が転勤族で困ったという経緯があったので、将来自分の子どもたちが友だち同士ワイワイできるように、基本的に転勤がなくてSEとして仕事ができるところを探して入ったのが、1社目の製造業です。
平岡:どちらかというと、けっこう地盤がしっかりした会社で働きたいとキャリアをスタートされたということですね。
平岡:2004年から働き始めてからけっこう上り調子で、ここで1つ目のイベントがあります。
(スライドを示して)デデンッ。「アメリカ駐在」ですね。安定していたいと言っていたのにいきなり遠方ですが、これはどういう経緯でしょうか?
木村:転勤がないところを選んでいたんですが、たまたまアメリカのソフト会社を買って、そこで一緒にやろうということになり、すったもんだあって、「じゃあ、お前が行ってこい」と言われたんですね。
特に手を挙げたわけではなくて、成り行きというか、いろいろやっていった中で、「行ってもらうしかないな」みたいになったので、これも経験ということもあって、その時は、任期もそんなに長くなかったので、じゃあ行ってみようかなと、軽いノリで行った感じです。
平岡:アメリカに行ったことで上がっていたんですが、急にガクッと下がったのがここ、1つ目の谷ですかね。「会社に希望をなくす」と、けっこう大きめなんですが、これは何があったのでしょうか?
木村:アメリカの転勤等々は、結果的によかったんですが、その前に社長が替わったりお家騒動があったりと、いろいろ会社の中が揉めたのと、人間関係で揉めたので、ここでちょっともうこの会社でやっていくのは厳しいのかなと落ちていった感じですね。
平岡:お家騒動とか、アメリカに駐在していると日本の会社となかなかコミュニケーションも取れないこともありそうなので、そういうところから会社に希望をなくすようになったかなと思います。
平岡:ここでドンと、わりと底のほうに落ちていたのですが、急に上がりました。(スライドを示して)こちらの「フリーランスとして再始動」のところですね。
木村:「会社を辞めないと」と思いながら、転職はやはりハードル高いよなという気持ちがあったのですが、たまたまアメリカで一緒にやっていたメンバーが「一緒にやらないか?」と声をかけてくれました。そこに残るという選択肢はなかったので、「日本に戻ってフリーランス、個人事業主として契約するならいいよ」という話をしたら、快諾してくれたので、延長線上みたいなかたちで、じゃあちょっと続けようかとやり始めたというのが、ここになります。
平岡:フリーランスで完全に新しいところというわけではなくて、安定した前の業務をそのまま引き継いでやるというのは、最初にあった安定志向が影響しているのかな? という感じですね。
木村:そうですね。
平岡:その中で、ちょっとずつ下がっているんですが、ここでいきなりまたガクンと大きく下がるようなエピソードがあります。ここはなんか人生で最も低いところで、「請求未払いで契約解除」とありますね。
木村:毎月、請求書を送ってお金をもらうんですが、最初から1ヶ月ぐらい遅れたんですね。仕方ないかなみたいなのはちょっとあったし、結局1ヶ月順繰り回ってお金が入ってきていたので問題はありませんでした。
だけど、2年目ぐらいから、半年ぐらい結局仕事はしたけれどお金が入らなくなりました。朝方に電話がかかってきて、「ちょっともうお金を払えないので、ごめんなさいね」みたいなことをバサッと言われて、やはりかなりドラスティックだなと思いました。
平岡:日本の会社ではなかなかないようなことも、ここに来て経験して、けっこう響いた感じ、どん底ですね。半年間収入がないというのはあまりない状況だと思うので、かなり響いたのかなと思います。
平岡:ここでどん底に落ちましたが、再度浮上するエピソードがあります。「会社員にカムバック。製造業大手のグループ会社へ」ということですが、これはどうなったんですか?
木村:なんだかんだでフリーランスは楽しかったんですが、私はもともと会社員でいいやと思っていたし、フリーランスは安定はしていないし、いろいろな恩恵が受けられないんですね。
家族もできていたこともあって、やはりきちんとした会社で働こうと思って、それまでフリーランスでやっていたものを活かして次の会社に行けたので、うまいこと入れたかなと思います。初めて、ちゃんとした転職をした感じですね。
平岡:(スライドを示して)新卒でけっこう安定した会社から、再度試していこうと転職活動をここでされたんですね。ここで働いてかなり(棒グラフが)上がっています。「請負案件を拡大させる」というところですかね。
木村:請負で仕事をさせてもらっていて、いろいろな場所に行ったり、自分で(仕事を)取ってきたりと、それなりに楽しく仕事をさせてもらっていました。
そういう意味ではチャレンジングだし、ちょっと得意なかたちにはなっていました。自分が満足できる領域にどんどん行っていたところもあって、けっこう楽しく仕事をしていたのがそのぐらいまでの時期ですね。
(次回へつづく)
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