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昭和ベンチャー時代のSONYの雰囲気って?|AIBO育ての親天貝佐登史(全1記事)

「新しいものを作るのは意地みたいなものだった」 ペット型ロボット「AIBO」育ての親が語る、SONYの昭和時代

つよつよチャンネルは、bravesoft CEO&CTOの菅澤英司氏がエンジニア的に「おもしろい話」や「ためになる話」を届けるチャンネルです。今回のゲストはエンタテインメントロボット「AIBO」の育ての親である天貝佐登史氏。天貝氏がSONYに入社したきっかけと、入社後の仕事について話しました。

入社のきっかけは海外留学であらためて感じたSONYのすごさ

菅澤英司氏(以下、菅澤):つよつよエンジニア社長の菅澤です。

池澤あやか氏(以下、池澤):エンジニア兼タレントの池澤あやかです。

菅澤:前回は「AIBO」の話を聞きました。私たちもソフトウェアを開発する時に、どれだけその機能が売れるのという議論でなかなか開発が進まないことがあるじゃないですか。「証拠あるの?」みたいな。

池澤:そうですね。

菅澤:そういうので、けっこう開発が止まっちゃうことも多いのですが、やはり当時のSONYは「犬!? おもしろそうじゃん! 作っちゃお!」みたいなノリがあったと思うんですよね。

前回から引き続き、天貝さんにそのへんの話をちょっと聞いていきたいなと思いますので、今日もよろしくお願いします。

池澤:よろしくお願いします。本日のゲストは、株式会社モフィリア代表取締役で、AIBOの育ての親、天貝佐登史さんです。

菅澤:よろしくお願いします。

天貝佐登史氏(以下、天貝):よろしくお願いします。

菅澤:まず、SONYに入った時の話なんですが、なにかやりたいことがあったんですか?

天貝:今の理系の大学の応募がそうなっているかはわからないのですが、理系の場合は、研究室に直接「どうですか?」と来るんですよね。

たまたま私がいた研究室にSONYから来て、「私、行けます!」と言いました。大学4年の時に今で言うインターンとして、ドイツのハンブルグで人工知能の研究をしていた時に、SONYのショールームを見て、日本では感じなかったんですが、あらためてSONYはすごいんだなと思ったのがSONYに興味を持った最大の理由です。

菅澤:それは何年ぐらいですか?

天貝:1977年ですね。

池澤:「ウォークマン」前ですよね。

天貝:前ですね。

池澤:当時の主力商品はどんなものだったんですか?

天貝:ウォークマンの前も、世界初プロダクトをいっぱい開発していて、カセットデッキとか、小型のテレビとかがありました。

私は音楽少年だったので、「プレスマン」という録音付きの、小さいけど音がいいコンパクトなカセットレコーダーを持って留学しました。

「鉄腕アトム」や「鉄人28号」が作りたくて入った大学でAIに鞍替え

菅澤:その時点でITとかAIだったんですよね。1977年でAIは相当早いですよね。

天貝:「鉄腕アトム」みたいなものが作れるといいなと思っていました。やはりロボットが大好きだったので、自分も「鉄人28号」とか作れればいいなと思って大学に入りました。

鉄腕アトムとか、鉄人28号のメカトロニクスをやりたいなと思っていたのですが、大学にはもう本当に天才的に優秀な人間がいて、こりゃ敵わんと思って、何を思ったか、頭脳のほうだったら敵うんじゃないかと、途中から人工知能に鞍替えしました。

でもまさかそれ(人工知能)をSONYの中でやるとは思っていませんでした。SONYはグローバルでかっこよくて、音楽に関するプロダクトとか、世界で初めてのものを作っているイメージでした。

池澤:今、人工知能はそれこそディープラーニングみたいなイメージがあるのですが、当時はどんなものを専攻されていたんですか?

天貝:ロボットに考えさせるというところはやっていました。例えば大学とか大学院で、それこそ今で言う将棋やチェスをやらせるために、ディープラーニングなんておこがましいですが、ある程度入れたデータから、ロボットが考えてアウトプットを出すということはやっていました。

菅澤:将棋だったらこういうロジックで、みたいなかたちで作り上げていく感じですか。

天貝:そうですね。あとはパターン認識的に言うと、定石みたいなものをかなり入れて、こういう形勢・情勢の時にこういう手を打つんだとか、そういう意味では、ディープラーニングをひたすら入れ込んでいました。

菅澤:ニューラルネットワークという言葉はあったんですか?

天貝:言葉はありましたね。ただ、まだまだそんな深くできませんでした。特にIT機器の性能はまだぜんぜんでしたから。

菅澤:今はAI全盛期じゃないですか。今みたいなことは予想されていましたか?

天貝:ぜんぜん。人工知能とか言っても「ふんっ」みたいな感じでしたから、SONYの中でも人工知能という採用枠はないんですよね。

私は大学院の時にたまたま総合理工学研究科というグループでした。私の1年前にSONYに入った人が、今で言うと経営工学や管理工学の出身でした。

菅澤:入社当時は新卒は何人くらいでしたか?

天貝:僕らのあとからすごく増えましたが、僕らの時は短卒・文系・理系入れて200人ぐらいですかね。

菅澤:新卒で200人。全体、全社員で言うと?

天貝:SONYがまだそんな大きな会社ではなかったので。

菅澤:まだなかったんですか。

天貝:今みたいな存在ではぜんぜんなかったです。ニッチで「光っているぞ!」みたいな会社だったと思いますね。

マーケット、カスタマー分析のツールを自分でプログラミングしていた

菅澤:グローバルブランドで活躍しているところに入って、会社の中はどんな感じだったんですか。

天貝:ほかとの比較がないのですが、まず、すごくフレンドリーで、みんな「さん」付けですね。「さん」付けにしなさいではなくて、自然とみんな「さん」付けでした。

先ほども出ていましたが、「なんかおもしろいからやってみっか!」とか「残業中にやってみっか!」という雰囲気は本当にありましたね。

だから、こういうものかと思っていましたが、今振り返ってもすごく自由にやっていたような気がしますね。

菅澤:最初の頃は、どういうことをやっていたんですか?

天貝:最初はロボットもなくて、コンピューターのソフトウェアができる感じだったので、技術企画と言って、例えば新しい技術がどうやって普及していくかという普及予測を自分でプログラムを作って統計分析をしたり、多変量解析と言うのですが、「ウォークマンのポテンシャルカスタマーはどういう人たちか」みたいな、ターゲットカスタマーを分析するものを自分でプログラムしたりしていました。

菅澤:プログラミングをやっていたんですね。

天貝:プログラミングをやっていたんですよ。

菅澤:当時はプログラマーはぜんぜんいないですよね。

天貝:エンジニアのプログラマーはいましたが、マーケット分析とか、カスタマー分析というところでプログラミングをやる人は、本当に少なかったですね。

池澤:なにかデータを入れて予測するというところは、専攻されていたことと若干近いですね。

天貝:そうですね。既存のプログラムはない時代だったので、何でもかんでも自分でプログラムをしなくてはいけないという意味では、それにすごく違和感があったわけではないですね。

「今頃出しても他社と同じ」という考えは一番軽蔑されていた

菅澤:天貝さんは、どこからいわゆるマネージャー寄りのプレジデントになっていったんでしょう。

天貝:みんないろいろなところで修行して、30代後半ぐらいからは課長とかになっているので、そうするとだんだん管理職みたいにはなっていきますね。

私は技術企画からアメリカに赴任した時に、商品企画マンとしてやっていました。もうちょっと歳をとって、経営企画マンになるところで、日本に帰ってきたらロボットをやるとなりました。

池澤:その後もさまざまなロボットにかかわりを持たれていますよね。

天貝:SONYの中はAIBOがあって、今度は「QRIO」という2足歩行ロボットもあって、ある意味同じグループの中でやっていました。

ロボットの中にあるセンサーの技術や、音声認識・音声合成の認識を車載したり、いわゆるデジタルカメラを入れたりという意味では、ロボットの基礎技術はほかに展開ができますよね。

菅澤:特に2000年前後とか、1990年代のSONYは、CDを作って、MDも作って、プレステ(PlayStation)も作って、AIBOも作って、すごく作っていましたね。

池澤:失敗したプロジェクトはなかったんですか?

天貝:闇から闇に葬ったものはもっと多いですよ。

池澤:本当ですか!?

菅澤:「やってみようぜ」と言っていっぱいやることもすごいですし、シンプルに技術や研究がすごいというのもあったと思うのですが、みんないろいろな研究をしていたんですか?

天貝:上の方がどういうところまで許容して任せてくれるのか、僕らは当時まだぺーぺーだったのであまりわからなかったんですが、上のほうにいってみると、もちろんリスクは考えるのですが、新しいものとか、要するに他社と同じ、真似じゃないものを作るというのは、もう意地みたいなものですよ。

今頃出しても同じじゃないかという考えは、一番軽蔑される感じでした。

菅澤:うちの壁にもSONYの新聞広告を貼ってあるのですが、「SONYはマーケティングをしない。なぜならマーケットを作るから」

天貝:そうですね。

池澤:すごい(笑)。

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