本企画、「キャリアをピボットした人の哲学」では、インタビュイーにこれまでの人生を折れ線グラフで振り返っていただき、その人の仕事観や人生観を深掘りしていきます。
今回は、新刊
『ADHD会社員、フリーランスになる。 自分らしく生きるためのお仕事ハック』を上梓されたライターのいしかわゆき氏に、今までの人生を振り返っていただきました。本記事では、いしかわ氏のキャリアの変遷や、未経験採用を突破するポイントを語ります。
『ADHD会社員、フリーランスになる」著者のいしかわゆき氏
——2024年10月に『ADHD会社員、フリーランスになる。 自分らしく生きるためのお仕事ハック』を上梓され、ライターとしてご活躍されているいしかわさんですが、幼少期はどんなお子さんでしたか?
いしかわゆき氏(以下、いしかわ):あんまり友だちと遊ぶのは好きじゃないというか、本を読んだり絵を描いたりとか、ずっと1人遊びをずっとしているような子どもでした。見かねたお母さんが家に友だちを呼ぶけど、本を読み続けるみたいな感じで、「私は生まれた時からコミュ障なんだな」と思いました。
今も人に会うと疲れてしまうので、「しゃべるより書くほうが楽だな」と思っています。
あとは国語の授業の音読がすごく好きな子どもでした。周りが棒読みするのが当たり前な中で、私は気持ちを入れて読むのがうまかったので、すごく褒められていました。そうするともっとやりたくなるから、自分が当たる順番を数えて「この分量の多いところ、当たらないかな」と考えていたくらい(笑)。
それで中1の時に初めて声優という仕事を知って、「音読をずっとやれる仕事なのかな? これ、いいじゃん」と。でも、そこからアメリカに行くことになったので、「日本に帰ったら絶対にオーディションを受けよう」と密かに思っていましたね。
——中学から高校までは、アメリカで過ごされていたんですよね。
いしかわ:はい。父親の転勤で中学2年生からアメリカで暮らしていました。友人もなかなかできない中で、自分の気持ちのはけ口としてブログを書いていましたね。人と話すのは好きじゃないけど、別に独りぼっちになりたいわけでもない。「誰かと関わりたいな」と思って、ブログやアバターコミュニティ、掲示板とかのネットカルチャーにどっぷりハマっていました。
「絶対に声優になれる」と思っていたのに…夢を諦めた経緯
——帰国後、18歳から早稲田大学に通われましたが、同時期に声優オーディションにも合格されたとうかがいました。大学に通いながら、声優を目指されていたんですね。
いしかわ:そうですね。本当は声優の専門学校も検討していたんですけど、親から「大学には行ったほうがいい」と言われ、大学受験と同時に声優のオーディションも受けて、特待生に選ばれたことで土日にレッスンに通っていました。
これは今だから言えるんですけど、レッスンを始める前までは「私は絶対に声優になれる!」と信じていました(笑)。これまでちゃんと教室に通っていたら、ライバルと比べて「あの子のほうがうまい」と失望することもあるかもしれないけど、なんですけど、アメリカでは声優を目指す人も周りにいなかったので、「井の中の蛙」状態だったんです。
そんなものだから、いざレッスンが始まったら、ぜんぜんできない自分にびっくりしました。初めて天才的な人たちを目の当たりにしたし、コツコツ努力することも、地道な練習もあんまり得意じゃないことに気づきました。
ひとりでやっていた自主練とはまた違って、修行のようで…(笑)。結局、どんどん楽なほうに引っ張られていって、「自分は才能もないし、コツコツ練習もできないし、もういいや」と諦めてしまったんですよね。
なので、大学1年生から3年生までは、現実逃避期間です。将来のことは考えずに、ずっと遊び呆けていました。
有給消化率100%のホワイト企業を辞めたわけ
——そこで一度は声優の夢を諦められたんですね。大学の卒業3ヶ月前に内定をもらったとのことですが、就活はいかがでしたか?
いしかわ:私は中1でバチッと「声優になる!」と決めちゃったので、それ以外の仕事はまったく検討していませんでした。いざ就活となった時も、みんなやりたいことが決まっていて、気になる企業のインターンも行っている状態。一方の私はすでに夢破れていてやりたいこともないので、どこを受ければいいのかわからず、出遅れてしまいました。
最終的には「どこでもいいから、ホワイトでゆるそうな企業にしよう」と、有給消化率100パーセント、年間休日120日の雑貨メーカーに入りました。
——なるほど。新卒で入社した職場はすごくホワイトな環境だったと書籍でも拝見しました。いしかわさんはフリーランスになるまで3回仕事を変えられていますが、この時はどんなところをマイナスに感じていたのでしょうか?
いしかわ:私は声優以外の仕事を知らなくて、メーカーが何の仕事かもよくわからなかったんですよ。気づいたら営業になっていたんですけど、実際にやってみると「人と話すのは得意じゃないな」と思いました。
例えば、モノを売るために相手を訪問してみても、まず何を話せばいいのかわからない。マニュアルがあったらできるけど、臨機応変な会話やイレギュラーな対応ができないんです。
電車の乗り換えも苦手なので、アポに1時間遅刻しちゃったり、逆走して辿り着けなかったり…。営業先に行きたくなくて、「何とかメールで受注できないかな」と、勝手にメールマガジンを作って流したりしていました。
——すごいですね。新しいことをする人はすごく重宝されるんじゃないかなと思うんですけど。会社としては、新しいことをやるよりも、伝統的なやり方を守ってほしいという感じだったのでしょうか?
いしかわ:そうですね、「足で稼げ!」がモットーで、日報は手書き、注文もFAXで受けるのが一般的。わたしは1日中パソコンをいじっているようなヲタクなので、そんなアナログなところもちょっと肌に合わないなとは思っていました。手書きが面倒で日報も勝手にデジタルで作ったりしていましたね(笑)。
「会社員=社会の歯車になること」という思い込み
——なるほど。ホワイトな環境だったということで、「もっと成長したい」という気持ちもあったんですか?
いしかわ:いや、それはぜんぜんなくて(笑)。やはり大学時代は仕事の解像度がすごく低かったので、「会社員=社会の歯車になること」「真面目に働かなきゃいけない」というふうに、すごくハードルの高いことだと捉えていました。でも実際に入ってみたら、これはあくまで私の感覚ですけど、「なんか学校みたいだな」と思ったんですね。
同期とワイワイ展示会の準備をしたり、先輩と一緒に営業先に行ったりする中で、仕事と言えば仕事なんだけど、学生時代と大きく変わったかと言われたら、私の中ではあんまり変わってないような気がしたんです。
私はもともと会社員として働く気力が0だったけど、1回会社員として働いてみたことで、「こんな感じだったら、別にここの会社じゃなくてもいいのかも」と思うようになりました。営業もやりたくてやってたわけじゃないので、「だったら、もうちょっと自分の興味のある仕事に就いたほうがいいんじゃないか」と。
未経験でもクリエイティブ職に採用された秘訣
——そして転職され、2社目のサイバーエージェントでネット広告のクリエイティブディレクションの担当になられたんですね。転職活動で成功した要因はありますか?
いしかわ:未経験の仕事だったので、自分でポートフォリオを作って持って行きました。その時からライターの仕事に興味があったので、Webメディアを受けていたのですが、「このサイトにあるような記事を書けばいいんだな」と考えて、テスト記事みたいなものを持って行ってアピールしていました。
——まだいしかわさんがライターとして活動する前ですよね。未経験で仕事の実績がない中で、どうやったらアピールできるかを考えられたんですね。
いしかわ:はい。未経験で「文章を書くのが好きです」と言っても、(雇う側は)好きとかどうでもよくて、たぶんどれだけできるかが知りたいはずだから。
入社後に感じたギャップ、2度目の転職へ
——そこまでやる人は少ないからこそ、面接官の印象に残ったのかなと思いました。そしてサイバーエージェントに入社し、ネット広告のクリエイティブディレクションを担当されていたと。入社前後でギャップを感じたことはありますか?
いしかわ:社風がキラキラしてるイメージでしたが、クリエイティブ部署はそうでもなく(笑)。職人気質の人が多くて、思っていたより激務でしたね。ホワイト企業にいたのも相まって、働き方のギャップがすごくありました。
あとは私が広告のことをちょっと勘違いしておりまして…。もうちょっと世の中に残るものだと思っていたけど、Web広告は日々差し替えられていくものなんです。どんなにクリエイティブにこだわって作っても、デザイナーさんと二人三脚でがんばっても、クリックされなければネットのどこにも残らない。
そこで初めて、自分は残るものが好きなのだと気付きました。中高生のときに書いていたブログは今も見返せる状態ですし、声優のお仕事もアニメや映画として残るもの。雑貨メーカーでも残るものを売ってきたので、「残らないもの」にすごく違和感を覚えてしまったんですね。
それで、やっぱり何か残したいなと思って、広告の仕事をやりながら趣味でブログを始めて、自分の考えや情報を残すようになりました。その時に、「自分はあらゆるクリエイティブの中でも書くことが一番好きなんだな」と、原点に戻った感じがします。
それで、社内の部署や子会社に転職できるポータルサイトでライターを募集しているのを見つけて、(サイバーエージェントグループが運営するメディアサイトの)新R25に応募しました。
——ここで初めて書くことを仕事にされるのですね。次回は、新R25からフリーランスへ転身された経緯をおうかがいできればと思います。