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電通のトップコピーライター×コミュトレ「”言葉”は最高のビジネススキルである」(全5記事)

たった1つのシステムで、数万人が瞬時に失業するデジタル社会 「就社」「就職」ではなく、「就自」で考えるこれからのキャリア

ビジネスコミュニケーションスクール「コミュトレ」を運営している株式会社アイソルートが、株式会社電通のコピーライター・勝浦雅彦氏をゲストに招き、「仕事で自分の気持ちを的確に伝えるための姿勢」「言葉を使いこなす方法」「伝えるための準備の仕方」など、「伝える」をテーマにしたイベントを開催しました。本記事では、勝浦氏が独自に考えた「就自」というキャリアの考え方を解説しています、

仕事を探す時は、自分の「コア」にあるものを考える

勝浦雅彦氏(以下、勝浦):僕は大学に入ってすぐ、新聞記者・作家になりたかったんです。ここはぜひ、みなさんにも考えていただきたいんですが、なぜ新聞記者・作家になりたかったのかというと、根底にあるのは「文章を書くことを仕事にしたい」と決めていたからなんですね。

「文章を書くことを仕事にしていきたい。じゃあ、とりあえず作家になってみたい」「なりたいんだけど、いきなり作家になるのは難しそうだから新聞記者かな」と、安易に思って大学に入ったら、「電通クリエーティブ塾」というものがあって。

これは今のインターンにあたるんですが、30名ぐらいの大学生を試験で選抜して、当時の電通のトップクリエイターが教えてくれて、最終コンペで1位を取ると電通に入社できるという塾に通っていたんです。

僕はここに通って、「コピーライターになるしかない」と思いました。「文章を書く」というコアが決まっていたから、新聞記者じゃなくてコピーライターでもいいんじゃないか? というか、コピーライターをやりたいと思いました。みなさん、ここが大事なんです。

いろんな仕事をやっている過程、あるいは志望していく過程で、「いろんなことをやってみたい」と思ったり、あるいは「ずっとこれをやりたい」と思ったりすると思います。そのコアにあるものは何なのかを考えたほうがいいと思います。

僕は高校時代から、「文章を書く」というのを自分の生き方の中心に決めていたので、そんなにブレることなくコピーライターという職業を志望して、幸運ですが、結果的に現在もやれています。もちろん、これがいつまで続けられるかはわかりませんが、やれる限りはやり続けたいなと思っています。

大学の新校舎の名称が、公募1,300件の中から選ばれた

勝浦:電通クリエーティブ塾でコピーライティングの基礎を学んだので、「今すぐ形にしたいな」と思っていたら、3年生の時にたまたま大学の校舎の名称の公募があって。これは在校生だけじゃなくて、OBや父兄とか誰でも応募できたんですが、1,300件の中から選ばれて「ボアソナードタワー」という名前がつきました。

別に自分が校舎を建てるわけじゃないけれども、そこに自分で価値をつけて、名前をつけて、ずっと残っていくコピーライターという仕事はすばらしいなぁと思い、「絶対にこれをやりたいな」と思いました。

芳村:ボアソナード・タワー、すごいですね。すみません、私は大学が東京じゃなかったのもあって知らなかったんですけれども。

ただ、うちのインストラクターに「今回、勝浦さんとイベントをやるんです。法政大学のボアソナード・タワーを名づけた方で」なんて話をしたら、「え!? あのボアソナード・タワーを!?」って、うちのインストラクターがすごくびっくりして。「みんなやっぱり知ってるんですね」と言っていました。

勝浦:ネーミングをつけた時には、早稲田の大隈講堂と明治のリバティタワーがあって。それで、法政のボアソナード・タワーは(象徴的な)3つのタワーとして呼ばれる未来を思い描いていました。今呼ばれてるかどうかは知りませんが、おそらくシンボル校舎の扱いになってるとは思います。

芳村:ボアソナードは何の単語ですか?

勝浦:実はボアソナードは人の名前で、法政大学に関係した博士の名前です。なので、おそらく「ボアソナード」という名前がついたネーミングはたくさん来たんじゃないかと思うんですが、「タワー」が一緒についてるのが僕のネーミングだったんです。

芳村:それはやっぱり、法政大学の歴史を勉強して名前をつけられたということですよね。

勝浦:そのとおりです。

歴史を掘り起こして学ぶことも、勉強方法の1つ

芳村:ルーツが明確にあるものをネーミングとしてつけるのは、電通の塾でもいろいろノウハウを勉強したんですか?

勝浦:そうですね。冒頭でお伝えしたように、調べて準備をするのがすごく大事なんです。

芳村:法政の学生さんがボアソナード博士をどれだけ知っていたかといったら……。

勝浦:そうですね、あんまり知らないと思います。

芳村:たぶん、知らなかったんでしょうね。

勝浦:おそらく日本の大学生の多くは、自分の大学の歴史ってあんまり興味がないんですよね。講義に行くたびに思うんですが、「あなたの大学の歴史を知っていますか?」と聞いても、あんまり知らないんです。

芳村:本当に有名大学だったら「誰が作ったか」はわかりますが、正直、私も自分の学校は誰が作ったか知らないですね。

勝浦:例えば早稲田ぐらい有名だったら、野球の応援でも歌うから校歌も知ってますけどね。僕も自分の大学の校歌は知ってますが、この前九州の大学で講義をした時に、「新しい校歌を作ろう」という講義をやってみたんですが、自分の大学に校歌があることすら知らない子がほとんどでした。

芳村:それは大学ですか? 

勝浦:大学ですね。

芳村:申し訳ないです、うちの大学もそもそも知らない……(笑)。

勝浦:ほとんどの大学(に校歌)があるんですよ。

芳村:中学、高校までじゃないんですね。

勝浦:「新しい大学の校歌を作詞してごらん」という課題を出すと、学校の歴史を調べざるを得ないんです。調べたら、「意外とうちの大学にはこういうルーツがあったんだ」「ちょっと好きになりました」「こういう大学に通っていたと気づけてよかったです」という感想が生徒から出てきました。

ある種「掘り起こす」というか、ちゃんと調べることによって好きになっていくことも、1つの学び方かなと思います。

芳村:なるほど。

クリエーティブを志望するも、最初はあっさり営業配属に

勝浦:広告会社に入社して、あっさりと営業配属になりました。

芳村:なんか「あるある」な感じですね。

勝浦:よくある話です。ここで聞いてらっしゃる方の中にも、本来、自分がやりたかった仕事じゃない業務をしている人がけっこう多いんじゃないかと思っていて。というか、世の中って大抵そうなんですよね。

僕も営業配属になった時には、本当に悲嘆に暮れたわけなんですね。「クリエーティブをやるために会社に入ったのに、なぜ営業をやらなければならないのか?」と。

実はこの本(『​​つながるための言葉~「伝わらない」は当たり前~』)にも載っているんですが、「これは何の写真でしょう?」というクイズが入っているんです。みなさん、いつか本も買ってください(笑)。

芳村:(笑)。背表紙にもあるんですね。

勝浦:読まれた方は知ってらっしゃると思うので言ってしまうと、これは新入社員だった僕が営業配属されて思いつめて、当時入った会社の専務にクリエーティブへの異動を直談判しているところです。

当時は試験の制度もなかったので、先輩に「僕はクリエーティブをやりたくてこの会社に入ったので制作の部署に異動したいのですが、どうしたらいいのでしょうか」と言ったら、「偉い人がいいって言えばいいんじゃない?」と言われて。「偉い人って誰ですか?」と聞いたら、「専務かな?」とそそのかされて、後に社長になられる営業担当の専務にそのまま……。

芳村:直談判。

勝浦:そう、行ってしまったと。専務に「勝浦と申しますが」と言ったら、「あー知ってるよ。そこに座りなさい」と、話を聞いてくれて。「よしわかった。じゃあ、3年勉強したらクリエイティブに出してやるからがんばんなさい」と言って、本当にそのとおりに異動させてくれたんですね。

なのでこれは、おもしろがってこっそり跡をつけてきた先輩が撮った写真で、会社を辞めた時に餞別として写真をくれました。ちょっといい話でした。

自分のやりたいことが「職業」として用意されているとは限らない

勝浦:これは『サプリ』という有名な漫画の一節なんですが、多くの人が「やりたい仕事がその会社にある」と思って会社に入ると思います。それはある程度当たってるはずなんだけど、「やりたいことがあること」と「自分がやれること」はけっこう一致しないんですよ。

そもそも、自分が本当にやりたいことが、あらかじめ社会に「職業」として用意されてるわけないと思います。そのとおりですよね。仕事をされているみなさんはよくわかってらっしゃると思うんですが、仮にようやく自分のやりたい仕事のステージに行けたとしても、本当にやりたいことができるかどうかは、また戦いなので。

そういった意味でも、長い目で見るというか。あんまり狭い目で見ないで、幅広く、今やっていることを次に活かす気持ちでやるといいんじゃないかなと思います。

これはよくいろんなところで話をするんですが、デジタル化した世の中では、1つの技術革新で数万人が瞬時に失業してしまいますよね。

1900年頃のアメリカでは、ニューヨーク5番街を馬車が走っていました。ところが約10年後には、自動車が走っている。今は10年なんかとんでもなくて、半年や数ヶ月でこういう変化が起きかねない世の中になっていますよね。

終身雇用が幸せとされていた「就社」の時代

勝浦:『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画がすごく好きなんですが、ピエール瀧さんが最初は氷屋さんをやってるんです。若い方は知らないかもしれないんですが、戦後の貧しかった頃には冷蔵庫がなくて、「三種の神器」なんて言われるちょっと前だったので、氷屋さんが氷を売って(各家庭で)食べ物を冷やしてたんですね。

ところが、冷蔵庫がばーっと普及した途端に氷屋さんが失業したわけです。この人は何になったかというと、2作目ではアイスキャンディー屋になってるんです。つまり、僕がさっき言ってた「文章を書く」でいうと、「氷」というコアコンピタンスがあって、「俺は氷を扱うんだ」ということで、彼はアイスキャンディーを売っている。

ところが、アイスキャンディー屋さんもだんだんいなくなりましたよね。今はコンビニでも買えちゃうし。『ALWAYS 三丁目の夕日'64』という作品では、コーラの自動販売機を扱っているベンダーになっているんですね。こういうふうに、職業もどんどん変わっていくんです。

特定のことは言わないようにしてますが、GAFAのどこかが「○○を無料にします」というシステムを世に開放した途端に、数万人が失業するんです。

かつて日本では「就社」と言われていました。例えばうちの父親は団塊の世代ですが、終身雇用制があったからこそ、それぐらいまでは「この会社で一生を勤めあげることが幸せである」という世代だった。

その頃から「就職」という言葉はありましたが、ほぼ「就社」だった。その後、本当の意味の就職になり、自分は何のプロフェッショナルで生きるのか? という時代になってきたと。僕ぐらいまでは就職でした。ところが、今では「職」すらなくなる可能性があるんです。

「自分を最大限生かすこと」を、職業選択の第一義にしていく

勝浦:よくいろんなセミナーで言っているのは「就自」で、これは僕が勝手に作った言葉です。つまり、自分がやりたいと思っている職業がその会社にある場合は就職すればいいし、なければ起業するとか。今はコロナで大変かもしれませんが、海外でチャレンジするとか、一度就職して路線変更するとか。

とにかく「自分を最大限生かすこと」を職業選択の第一義にしていくということです。「自分は何がやりたいのか」「自分は何が好きで、何をやってると一番幸せなのか」を考えながら、ぜひ仕事をやっていってほしいと思います。

僕は今でも文章を書くのが好きです。なんだかんだ大変なことのほうが多いんですが、自分が作ったものが世に出た時の反応とか、褒められたりすることを喜びとしてやっているので。

まだ僕は「この仕事がいいな」と思っていますが、1年後か2年後かで急に言ってることが変わるかもしれません。それはそれで、そういう世の中だということなのだと思います。それは、「この人がいきなり変節した」ということじゃなくて、より良く変化していったと考えてもらえれば、みなさん自身もそういう過程にあるということです。

芳村:「就自」は勝浦さんが作られた言葉という話ですが、例えば「エンジニアでありながらにしてプレゼンが武器である」「コピーライターでありながらにして○○ができる」とか、できること・やれることを増やすことによって仕事の幅が増えたりとか、選べる側の人になれますので。

コミュトレではヒューマンスキルに特化して、武器を増やしたい方向けにやってるわけですけれども、ぜひみなさんも、マネジメントスキル、プレゼン力、セールススキルといった武器を増やしていっていただけるといいなと思います。

勝浦:(視聴者コメントで)チャットで、ボアソナード博士に対して補足してくれてますね。そのとおりです。いわゆる民法の基礎を作った方で、法政大学がまだ黎明期の発展に尽力されたフランス人の博士です。

芳村:やっぱり、そういうのを調べていくのはおもしろいですね。

勝浦:そうですね。

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