何もないけど、大切なことはすべてある場所

四角大輔氏(以下、四角):かたや日本はどうかと言うと、物もサービスも過剰にあって、次から次へと便利なものが出てくる。便利って楽だからつい手を出すんだけど。ある程度の便利さはいいことだけど、「これ以上便利じゃなくてもいいんじゃない?」「物がなくてもいいんじゃない?」ということを声を大にして言いたい。

例えばニュージーランドは、世界一便利な日本と比べると物もサービスもぜんぜん足りないし、めちゃめちゃ不便。最初は、「どうしよう」と焦ったけど、だんだん慣れてくる。周りを見ても誰も困ってなくて(笑)。なんなら日本人よりも間違いなく幸せそうだな、と。

喜多桜子氏(以下、喜多):私は今、奄美大島にいて何もないんですけど、みんな「ここは何もないけど、全部あるんだよ」と言っています。身の丈を知る重要性にもつながるかなと思うんですけど。ニュージーランドはまさにそうですよね。

四角:奄美大島もそうだね。奄美大島も大好きで何回か行ってるけど。奄美大島とかニュージーランドの田舎のほうは、本当に「何もないけど、大切なことはすべてある」という感じ。

喜多:わかります。

四角:日本には「すべてがあるけど、大切なものを忘れている」感じがあるよね。

ミニマルに生きるスキルを世の中にシェアする

喜多:それに気づくにはどうすればいいですかね。四角さん自身が「幸せに生きるにはこれが大切なんだ」と思えたのは、やっぱりニュージーランドの生活が大きいですか?

四角:ニュージーランドに行った理由は『超ミニマル主義』にも書いたし、新作『超ミニマル・ライフ』では特に詳しく書いたけど、僕は昔からミニマル志向で。

それを本にするのになんで膨大な時間がかかったかと言うと、自分が本能的にやっていたことの言語化って難しいわけ。例えば、僕はずっと野球やっていたんだけど、ホームランをバンバン打てる天才型が実際にいたわけ。その人に「どうやってホームラン打つの?」と聞いても、「うーん。なんか打てるから説明できない」って。そういうのあるでしょ。

喜多:ありますね。

四角:でも、ミニマルに生きるスキルは、自分がたまたま生まれ持って授かったギフトだから、そのギフトを世の中にシェアしたいという思いがあって。『超ミニマル主義』と 『超ミニマル・ライフ』を書く前に出してきた本は、言葉を研ぎ澄ましてのメッセージ本が多かった。

喜多:そうですね。

四角:それらの本から、強烈なメッセージを受けて「考え方が変わりました」「思い込みが外れました」「生き方が変わりました」「幸せになれました」という人はいたんだけど、「でも、どうしたらいいかわからない」という人もたくさんいて。

過去のベストセラー『自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと』と、講談社文庫の『人生やらなくていいリスト』へのアンサー本として出したのが『超ミニマル主義』と『超ミニマル・ライフ』で。この2冊は完全に技術と科学的根拠にフォーカスした。

喜多:すごくありがたい。

四角:だから膨大な時間がかかっってしまった。

10年間ヒットを出し続けても、消えなかった不安

喜多:四角さんの研ぎ澄ました経験をもとに、実際のデータが書かれているのがいいなと思うんですけど。四角さん自身も、身の丈を知る重要性の中で、自分が幸せに生きるために「昇進などをしない選択」をしたというエピソードがあったと思います。その幸せに生きるための身の丈を知るというお話を聞けたらうれしいです。

四角:僕は常に「これは自分の身の丈を超えているんじゃないか」という恐怖心があった。

プロデューサーとしての最初のヒットはCHEMISTRYで。それ以前の、かけ出しの頃はぜんぜんヒットが出なくて。CHEMISTRYを担当する前は平井堅を担当した時期があったんだけど、ぜんぜん彼を売り出せなくて担当から外され、次の担当者が大ブレークに導いた。

そして、ヒット経験ゼロの状態でCHEMISTRYの担当となり、初のミリオンヒットを経験できた。僕はそのチームの中枢で学びながら、チームをまとめる立場にいたんだけど、自分にはまだヒットのノウハウがなかった時だったから、わーって売れていくことに対して「これは、まったくもって自分の力じゃない」と怖くなった。

喜多:でもそこがすごいですよね。「自分の身の丈を超えた成果は、幸せにつながらないんじゃないか」と思えたということですもんね。

四角:そう。それから10年間はほぼ毎年、大晦日の『NHK紅白歌合戦』に自分が担当するアーティストが出演するようになった。『NHK紅白歌合戦』が終わって、年が明けた真夜中の帰宅途中で毎年、「あー、去年も人と運に恵まれ過ぎた……今年こそ運が尽きるぞ」と自分に言い聞かせてた。

10年にわたってヒットを出し続けて、「すごいですね」とか「ヒットメーカーですね」と言われても「いやいや人と運に恵まれてるだけ。今年こそ、自分の化けの皮が剥がれる」と毎年、10年間そう思ってたの。

最後の辞める年かな。自分が何かしらがんばったことも、自分にしかできなかった仕事も確かにあったかもしれないって、やっと思えたのがそれぐらいで。常に「身の丈を超える」のが怖かった。

20代で出世コースから降り、30代で部長からの降格を直訴

四角:レコード会社時代の20代の頃、ぜんぜんダメだった僕のことをなぜか気に入ってくれた上司がいて。その人は業界でも有名なヒットメーカーなんだけど、その人に引き上げられて、出世コースに乗せられるんだけど、「自分には絶対無理だ。身の丈を超えている」と、そのコースから降りるわけ。

当時、ソニー・ミュージックエンタテインメントは、直接上司に掛け合って却下されたら、人事に1回だけダイレクトにオファーをして好きな部署に異動できる制度があったの。

喜多:へえ!

四角:それを利用して「僕はもう無理です」とお願いして、新人発掘というノルマがない楽な部署に異動して、1年くらいそこにいて。「ここはいいや」という感じで、大好きな釣りに行きまくってノンビリ働いていたら、結局またその上司から1年後に引き戻されて「お前はやはりプロデューサーになるべきだ」と言われて、担当することになったのがCHEMISTRYだった。

喜多:そこからは本当に、自分自身にしかできない仕事をキーワードにして働いてきたと『超ミニマル・ライフ』にも書かれてました。

四角:そう。まさにCHEMISTRYを担当した時に、CHEMISTRY含めて3組担当することになって、1組は誰もが知るミリオンヒットも出しているビッグアーティストで、どちらかというとそっちをメインでやれと言われたの。

でも僕はCHEMISTRYの歌声に惚れ込んで、ここで「担当はCHEMISTRYだけにしてください」と、ありえない要望を上司に直訴。当時、レコード会社のプロデューサーは、最低でも2~3組、多い時で4~5組も担当するのが常識だった。これはもちろん、非常識で自分勝手な要望なんだけど、「一組だけだと、それで失敗したら終わり」と、実は「他の可能性を手放す」ハイリスクな選択でもある。

上司が「1年だけ。結果が出なければアウト」と条件付きで認めてくれ、CHEMISTRYだけに全精力を注ぐことができ、幸いにも大ヒット。そこからヒットを量産し続けられるようになった。でもその結果、ワーナーミュージック・ジャパンにヘッドハンティングされて、部長職に昇格となるわけ。

喜多:ふーん!

四角:ワーナーで部長を務めた部署にはプロデューサーがたくさんいて、そのプロデューサーが複数のアーティストを担当しているから、数十組のアーティストを俯瞰で見なきゃいけない。明らかに身の丈を超えていて、管理職の仕事はまともにできないし、1年くらいがんばったけどヒットゼロ。これはもう無理だと思って「降格させて欲しい。現場に戻してください」と社長に直訴。

喜多:へえ。

四角:物議をかもしつつも無事に認められたけど、体裁は悪いし「きっと不祥事だ」と悪い噂も立てられた。でも、その後に出会ったのが絢香、さらにその1年後に出会ったのがSuperfly。

無意味な拡大成長主義を手放すことの大切さ

喜多:出世コースから外れたり降格した後に、圧倒的な才能の新人アーティストに出会ったこと、欲張らずに担当の数を増やさなかったことが、ヒットメーカーへの道筋になったと思うんですけど。どんどんヒットが生まれていくことで、一般的には成長・上昇思考になりがちだと思うんですよ。

「次も絶対ヒットを生まなきゃ」というのがデフォルトになって、アドレナリン的に「もっと、もっと」となっていくと思うんですけど、この本には成長・上昇思考を自分で手放していくことも大事だと書かれています。

「もっともっと」となり過ぎるよりは、自分で手放していく。成長・上昇思考も、やり過ぎはちょっと違うよねというところなんですかね?

四角:そう。ちなみに、「無益な成長・上昇思考を手放しましょう」というメッセージは、ニュージーランドや北欧といった小さな国、途上国ではわざわざ言わなくていい。

喜多:やらないんだ。

四角:それは日本人限定のメッセージで、日本人は極端なくらいに、成長・拡大し続けなきゃいけないと思い込み、永遠の右肩上がりというファンタジーを信じ込んでいる。

喜多:うーん、確かに。それを卒業すべきだと、山口周さんの本にも出てきていましたね。

四角:周さんは、今の日本は充分に豊かな「高原社会」だと評し、「脱成長」という言葉は斎藤幸平さんのメインキーワード。僕が提案したいのは、経済停滞だと悲観するのでもなく、無意味な拡大成長主義に陥るのでもない、「自分の身の丈」に合う考え方と人生術を身につけること。

決して幸せにつながらない、むしろ苦しいだけの無限の成長主義から卒業するという考え方は「毎年、化けの皮が剥がれると思っていた」というところにつながるんだけど。日本にはこの拡大成長病を患い苦しむ人がすごく多い。

喜多:確かに。

まず時間の余白を作る

四角:身の丈を知らない、自分の確固たる美意識を持っていないということでもある。

僕は出世コースや昇格を手放したことで、本来の自分を取り戻せた。世間体やプライド、収入や人脈を手放して得たものは、圧倒的な自由時間だった。時間の余白なしに心のゆとりを維持するのは不可能で、まず時間の余白を作らない限り、心のゆとりは持てない。

喜多:まず、時間。

四角:そう。時間の余白ができると生活習慣が整って健康になり、心のゆとりが生まれて、どんどん自分を取り戻せるようになった。すると自然に、心身のパフォーマンスと創造性やアイデア力が高まっていった。

逆に、出世コースを外れる直前は、見習いプロデューサーとして6組も担当していて、当然のごとく激務。体調は悪いしメンタルは不調、パフォーマンスもアイデアも枯渇していたわけ。若いから「やります。がんばります。気合いで乗り越えます」と言っていた僕に一番の責任がある。

喜多:あるあるですよね。オーディエンスのみんなもめちゃくちゃ頷いている(笑)。やりがち。

四角:当時は20代で「これはチャンス」「これもチャンス」と思っちゃう。それでしんどくなって、自分への期待と社内からの期待といった重荷を手放した結果、自由時間を最大化できた。

喜多:ここまでのお話を聞いて、「やり過ぎて初めて自分の身の丈を知る」というのが最初の一歩なのかなと思います。そうやって身の丈を知ったあと、自分の中での余白を作っていく感じですか?

四角:そうかもしれない。最初の「シンプルとミニマルの違い」に話を戻すと、削ぎ落とし続けた結果、特徴がなくなるのがシンプル。ミニマルは、削ぎ落とした結果「あることが際立つ」ことなのね。

例えば、僕が大好きなApple製品のiPhoneやiPad、Mac。みなさんもパッと思い浮かぶように、必ず裏側のリンゴマークに目がいくでしょ。あれこそ、リンゴマークを際立せるためのミニマルデザインなんです。このAppleマークがなければ、ただ簡素なだけのシンプルデザインとなってしまう。

喜多:なるほど。わかりやすい。

四角:Appleが最大化したかったのはリンゴマークで、僕の場合は、自由時間と心の余裕、自分自身を取り戻すことで、パフォーマンスと幸福度を最大化することができた。Appleはそのために他の全要素を削ぎ落とし、僕は他のすべてを手放した。

地位も名声も信頼も高収入も手放して、手にしたもの

四角:担当を「CHEMISTRYだけに絞らせてください」というのは、社内で非難轟々だったり、同僚から総スカン食らったり、失ったものはかなり多かった。でもその結果、CHEMISTRYだけに費やせる時間とエネルギーが最大化した。

もちろんどんなヒットもチームプレイの結果であり、僕だけの力じゃない。けれど、CHEMISTRYだけに専念できたことで、他のメンバーの取りこぼしに気づけてそれを完璧に拾えるし、不調なメンバーのバックアップもできる。

喜多:なるほど!

四角:そういう無数の細かい仕事を通して、多様で高度なスキルを身につけられた。複数のアーティストをやっていたら、多忙な上に、自分の責任感が分散するから「自分がフォローする」じゃなく「誰かがやってくれるだろう」ってなって、そこまでやりきれなかったはず。

部長になって「降格させてほしい」と直談判した時には、地位も名声も信頼も手放した。さらに、出世コースからの離脱時と同様に高収入も諦めた。多くを削ぎ落とした結果、「超ミニマル・ライフ原則1」の「脳と心と体への負担」が圧倒的に減り「パフォーマンスが最大化」したわけ。

必然的に、原則2の「超時短して自由時間を最大化する」も実践できて、心のゆとりができて、本来のピュアな感性を取り戻した後に絢香のデモ音源と出会い、その1年後にSuperflyに出会った。あのまま部長を続けていたら、間違いなく体が壊れ、感性もダメになっていたはず。当然、絢香とSuperflyの存在にも気づけなかったはず。