子どもの好奇心の芽を消す、学びに対する「親の介入」

井本陽久氏(以下、井本):この質問いいねついていますね。「子どもは学んでいるつもりはないのに、実は学びながら思考したり思考錯誤を繰り返したりしつつ、学んでいるのが理想だと思います。これを家庭で行うにはどのような方法やコツがありますか?」。

これね、これを家庭で行うのは、やめたほうが絶対にいいです。これを作り出すのは、プロでも難しい。まさにそれはずっと自分が仕事としてやってきたわけだけど、それでも難しい。学校の先生でも難しい。

これ、家庭でやるのはほぼ無理ですね。自分の子どもだと期待や責任が入り込むので、間違ったりするのをもう絶対に見ていられないから。

つまり、こういう方向に行ってほしいという希望があるから、そうじゃない方向に興味を向けた時に、それをそのまま「どういうところに興味を向けるんだろう」と見られなくなる。コントロールしたり、介入したくなるので、介入したとたんにもう好奇心の芽がシューっと消えてしまう。

土屋敦氏(以下、土屋):邪魔をしない。

井本:そう、これは邪魔をしないのが一番ですね。

土屋:もう鑑賞してしまえばいいですよ。鑑賞とは「観る」ほうの鑑賞ね。「あ、おもしろい」とかね。「こんな表情をするんだ」とか、「まったく自分の想定にないものに興味を持っているんだ。すげぇおもしろいな」とか、そういうある種、無責任な視点のほうがむしろいいんじゃないかな。

井本:たぶんそれも相当難しいんだよね。

土屋:難しいよね。

井本:まさにいもいもの授業は、そこじゃない? いかに子どもがやっていることをちゃんと見て取れるかだけど、親だとこれはなかなか難しいので、僕は緊急避難を勧めますね。見ないようにする。

土屋:逆にいなくなってしまう。

井本:そう。いなくなる。本当はね、子どもが今を生きている時は、めっちゃ学んでいる時なので。学んでいる時というか、めっちゃ生きていることが、学んでいること。つまり自分を拠り所にしていろいろやっている。本当はわかっているはずなんだけどね。今を生きているのが、(親は)イライラしてしまうから。

土屋:見て、ドアをそっと閉じて、静かに別の部屋に行くとかそんな感じ。

井本:最近思うんだけど、俺、保護者が学べばいいと思うんだよね。保護者が単純に数学を学ぶとか。

土屋:自分の興味関心でね。

井本:あるいは歴史を学ぶとか、実はそういう場もいもいもで作っていこうかなと思っていて。それは子育て相談に答えるよりも、実はいわゆる子どもが学ぶことを、親がもう1回学ぶって、大人になるとぜんぜんやらないじゃん。

いわゆる「生きる」と「学ぶ」が同じという意味での学びをしていないから、実はもう1回大人が学び直すのが、一番いいのかなと思いますね。他、(質問は)どこでしたっけ。

学校が「自分の世界のすべて」ではない

司会者:「学校の授業中、勉強がわからずずっと宙を見ています」

土屋:あらー。

土屋:俺だ。

司会者:「先生からふだん鼻で笑われている」

井本:「鼻で笑われている。宿題もしなくていい」。これ、「やらなくていい」の意味が違うよね。いやぁ、本当にごめんね。これ、先生も、自信がなくて真面目な人ほど、こうやって生徒を追い込んじゃうんだ。先生も変えられないんだよね。

土屋:小学生かな。中学生かな。

井本:勉強がわからず宙を見ているのは、ぜんぜん悪いことではないんだよね。むしろ宙を見ている時、空を見ながら暇でしょ。

土屋:僕は窓に近い席が多かったから、外を見て空を見ていた。空を見るの、いいですよ。

井本:栄光学園の何個か下の学年に、僕の後輩で日本を代表する数学者がいるんだけれども。彼は栄光時代……栄光って空が広く見えるんだよね。ずっと外を見て、空を見て、雲の形をずっと見ていたそう。

土屋:同じものを見ていたのに(笑)。

井本:片や数学者。片やいもいも(笑)。

土屋:でもね、鼻で笑われたりとか。

井本:宿題をしなくていいって、これは嫌だよね。いもいもにおいで。

土屋:うん。本当に。

井本:でも、これ本当にけっこういもいもにおいでというのは、ふざけて言っているけどけっこう本当で、君を認めてくれる場所なんて、他にたくさんあるんだよね。

土屋:学校が自分の世界のすべてみたいなね。それは違うから。

井本:ぜんぜんそんなことない。その先生もたまたまそういう先生だし、同じ学校の先生でもそんなふうに見ていない人だってたくさんいるし。

土屋:先生も絶対の存在ではないし、「その人はこうなんだな」という以上のことではないよね。たまたまその人のことだけで。

今苦しいからこその「出会い」もある

司会者:その関連で言いますと、「昔と比べて今の学校は」から入る質問が来ているんですけれども。

井本:昔と比べて。あった。1時47分。

司会者:はい、そうです。「昔と比べて今の学校のルールは増え、暇はなくなり、子ども・先生・親、みんな窮屈で息苦しそうに感じます。ただ別の選択肢として『いもいも教室』のような場所が通える範囲にありません。」ということで、通える範囲でない方もいらっしゃるかなと思うんですけれども、この本には大人が出てこないことが印象的だったのですが、贅沢を言うならこの本でいう学びに乗ってくれる大人、先輩に出会いたい場合、何ができるかことはありますか。

井本:我々も、本当に1人でも多くの子どもに、その子がありのままで生きていけるような場所、学び場を用意してあげたい思いもある。

土屋:でも出会いは大事だよね。学校以外の外の世界は、やはり大事ですよね。縁は偶然なんだよね。

井本:そうそう。

土屋:閉じないことが大事。

井本:ある意味、さっきの子も苦しいだろうけど、今苦しいからこそ出会いのセンサーがすごく鋭くなって、キャッチできるものもあるから、今苦しいのはそんなに悪いことではない。でもきついよね。

1つ言えるのは、いもいもに来ている子たちも、別にみんな必ずしもハッピーな子たちではないじゃん。でも、(いもいもに来るのが)週に1回でもぜんぜん違うし、そこでできる絆の深さもすごいでしょ。もっと言うと、季節ごとに来てくれる子とかもいるじゃない。変な話、普段は学校を一生懸命我慢してきて。夏の学校、春の学校とかに毎回来て。

土屋:遠くから来てくれたりね。

井本:もちろんいもいも以外でもいいんだけど、森の教室も月1で日曜日にやるから、そういう場所に実際アクティブに動いてみる。さっき言ったテレビとかYouTubeもいいんだけど、そうではなくて。

土屋:絶対生身の人がいいよね。

学校が窮屈なら、逆に世界が広がる契機になり得る

井本:(質問をくれたのは)お母さんかお父さんかな。実はこれ、本当に本質をついていて、どんな大人に出会うかという出会いは本当に大きい。だからもしいもいもがなかなか通える範囲にないんだったら、センサーを常に働かせて、人と会うのは間違いなく大事。

土屋:学校で閉じないのが、すごく大事ですね。

井本:本当にたった1回の機会でも、人との出会いでぜんぜん変わるので。

土屋:いもいもの子でも、話を聞くと、学校で先生にめっちゃひどいことを言われたりしていた子もいるけど、「おかげでいもいもに出会えたからいい」みたいなね。

井本:そうそう。今まで憎んでいた先生も、「でも俺、今感謝している」「どうして?」と言ったら、「いもいもに出会えたから」。泣けることを言ってくれるよね。

土屋:ある意味、今の学校は厳しくて窮屈なのが、逆に世界が広がる契機になりうるので、そこを嘆くよりはやはり世界を閉じないことが大事だと思います。

井本:今はつらいかもしれないけど、ふんばってほしいね。本当にね。

親はどうしても子どもを「コントロールできる」と思ってしまう

司会者:ありがとうございます。時間的にこたえれられる質問はあと1、2問くらいかなと思うんですけれども。

井本:「小6受験生の親です。本人が先生方みたいな自由を得られる学校に入りたいのですが、勉強したいけどyoutubeをダラダラ見るなどあと半年の我慢ができない場合どうしたらいいか」。これは、やる気に関して言うと、まずベースは、やる気が見えた時にそれを見て取る。

見て取ったら邪魔しないでいることもできるし、「もしかしたらここでちょっと背中を押したらもっとやる気でるかな」みたいな、そこはめちゃめちゃ慎重になるんだけど、そういう寄り添い方ができる。やる気が出た時に出ているもの、あるいはフッと関心が向いたところをちゃんと見て取ることが、結果的にその子のやる気につながる。

だけど、やる気がないものをやる気にさせるのは、相当無理があるんですよね。要はやる気がないのではなくて、そのことに関心がないのに関心を持つって、誰でも難しいでしょ? 例えば、僕が今いきなり「シンクロナイズドスイミングをがんばれ」と言われたって、それはがんばれないですよ。

土屋:ちょっとがんばってみてほしいです(笑)。

井本:いやいや(笑)。だからちょっとこれ、難しいね。

土屋:やはり親は、赤ちゃんの時から自分の子どもを知っているから、どうしてもうまくコントロールできてしまうのではないかって、1対1の人間として見ないじゃないですか。小6も小さいし。でも、やはり1人の人間として見るというか、自分の仕事の取引相手に何か希望があっても「勉強しなさい」とは言わないわけですよね。

そこがある種、親はどうしても傲慢になって、子どもをきちんと対等な人として見ていない。そういうところ が見えると、けっこう子ども的には嫌だったり、やる気をなくしたりしますね。

大人がよかれと思って評価してあげた「内申点」が招いたこと

井本:これ、また無理矢理、「あと半年だ」って仮にガーッとやらせたとして、たぶんかなりの確率でその先が見えるんだけど、中学に入った途端、もうまったく勉強をやるのが嫌になる。まったくしなくなってしまうことがあるから、基本的には無理しない。

前に土屋が言っていた、そんなにがんばらなくても入れる学校に行ったほうがいい。

土屋:そうそう。自由で難なく入れる学校はあるので。

井本:いい学校、たくさんあるよね。

土屋:一貫校でもあるし、そうすると高校受験もしなくていいし、いいと思いますけどね。やはり偏差値の高いところに拘りを持ってしまうと、難しいところが出てきますけど、いい先生、いい仲間がいる。特に東京には、普通に受験勉強しなくても難なく入れる学校って、ありますよ。うちの子たちもそういうところに行っています。

井本:そうだよね。あと1問くらい。

司会者:そうですね。あと1問くらい。

井本:どれにいきますか? 一番大きいのは。

土屋:「いいね」がついているやつ。

井本:「いいね」どれだ。

土屋:「中2の息子のこと。高校受験で内申点が必要になるので、宿題が辛そうでも、親としてやらなくていいんじゃない?とは言えません。夏休みも夏期講習に通い、家で塾の宿題をしています。せっかくの夏休みなので、もっと夏休みにしかできないことをと思いますが、このまま塾など続けさせていいものかと思っています。」

内申点だよね。そうだよね。内申点があるからやらなくていいんじゃないというのは、確かにそうだね。内申で高校受験コントロールできるんだよね。

井本:昔はいい意味で、評価されるのが勉強だけだったのに、今、大人がよかれと思ってあらゆる面を評価して「あげよう」とした結果だよね。

土屋:平常点ね。

井本:今はもういろんな態度、意欲、関心、あるいは部活での実績とか。

土屋:いいところを拾おうと思って始めたことが、逆に作用している。

親が子どものためにしてあげられることは「葛藤し続ける」こと

井本:子どもからするとあらゆるところで、とにかくできるできない、優劣をつけられている。これは大人がよかれと思ってやったことが、息苦しい。あらゆるところを評価されることで、今の子どもは本当に自分でなくなってしまっている。生きているのに生きていない状況になっている原因なんだけど、本当にこれは難しいですね。

学びを通して、子どもたちをどんどん生きなくさせている。これは大人の不安に子どもをつき合わせている感じがあるね。

だからある意味、僕らは、そこをとにかくなんとかしたいという思いで、今までずっといもいもをやってきているから。この質問に答えを返すことは、とてもできない。本当にそのとおりだと思う。やらなくていいんじゃないって言えない。

土屋:(今までの話は)わりと小学生を想定して「やらなくていいよ」と言っていたけど、本当に難しいですね。

井本:難しい。ただ、1つだけ自分もすごく戒めているけど、「これでいいんだ」「しないといけないからしょうがないんだ」みたいに、迷いなく思おうとしない。今ここで保護者の方が悩まれているように、葛藤し続ける。それがある意味、子どものためにしてあげられることなのかな。

僕らも葛藤し続けている。教員は葛藤しなくなったら終わりだと思っているので、それかな。がんばってほしいね。何かいいきっかけができるといいなと思いますね。

土屋:でも今、そうやって疑問とかモヤモヤを持ちながらされているので、それを持ったままやる。一番今苦しいけれども、それしかないのかなと思いますね。あと何かありますか?

司会者:ありがとうございます。質問はまだまだたくさん来てはいるんですけれども、お時間は来てしまったので、いったんここでお時間とさせていただければと思います。全部にお答えできずに申し訳ございません。

今日は夏休み期間ということで、私自身親としても、教育に携わる立場としても、学びについて考えさせられました。井本先生、土屋先生、ありがとうございました。

井本:ありがとうございました。

土屋:ありがとうございました。