夫の顔を忘れても、初恋の人との思い出を覚えているおばあさん

衛藤信之氏(以下、衛藤):「安直に得られるものは安直に失うことが多い」という意味では、みなさんどうでしょう? 今、現代社会は電気が煌々としていて、病気になると抗生物質を飲んだら即座に治ります。

僕は博多、大阪、名古屋、東京に教室があった頃、週1回はそこを移動していたわけですね。これがもし、弥次さん喜多さんの『弥次喜多道中膝栗毛』の時代だったら、「次回の九州講演は3ヶ月後です」みたいなことになります。僕が一番しないといけないのは、足腰を鍛えることですよね。

でも不思議なことに、今は九州で講演をしている。夕方には北海道で講演会がある。江戸時代にそれをやれた時のように「すごいことやったな」とホテルで感動を覚えているかというと、「疲れたな。とりあえず今日もよくがんばりました」くらいの感動しかないわけですよね。

みなさんはどうでしょう? そういう意味ではデートもそうです。昔は人目があるところで、手を握り合うことはそんなになかったと思うんですね。その頃の人との出会いには、おそらくすごく感動があると思うんですね。

老人ホームに行くと、おばあさんが初恋の人との話をするんですね。「今から日本を守るために、太平洋戦線に旅立ちます。最後にお願いしたいことがあります」「何でしょうか?」「最後に手を握ってもいいですか?」と言って、白い手袋を外して......零戦で旅立つ人の手を初めて握った。

時折、記憶がまだらになっていても、僕にそれを熱く語るおばあさんがいるわけですよね。その方は、残念ながらご主人の顔を忘れているんですよ(笑)。子どもさんがいるので、ご主人とはそれ以上に濃厚な触れ合いはしているはずです。でも、1回だけ手を握った時の、あの手の温もりが、ずっとこのおばあさんの中で脈々と語られる。

老人ホームにカウンセラーとして、利用者の方たちのカウンセリングというか悩み相談に行った時に、たまたまそういうお話を聞かせてもらう。

不自由で、手に入らなかったことで感じた幸せ

確かに僕たちは、今は週1回くらいデートして、「今日は何をする? 映画を見に行く? 何を食べる?」とか「過去の恋愛遍歴は、6人くらい別れたかしら」みたいに、恋も恋愛もいっぱいしているし、毎日おいしいものを食べている。

じゃあ、それに見合った幸せの分量を味わっているかというと、聴講されているみなさんも僕もそうですけど、どうも現代社会では味わっていないだろうと思います。

千利休の「夏はいかにも涼しきように、冬はいかにもあたたかなるように」という精神は、今は冷暖房のサーモスタットで「〇度」と設定したら、暑さ寒さを常に安定した状態にできます。この教室の舞台も、僕らは非常に空調が安定した中にいるわけですよね。そう考えると、千利休が目指した世界はここで叶っています。

例えば、「もっと世界が近ければ」「遠い海の世界はどうなんだろう?」と思えば、今は世界中の情報が入ってきます。僕らの時代には、『兼高かおる世界の旅』という番組があって、それを見て「へぇ~、世界はそうなっているのか」と憧れていましたが、アメリカで生活したり海外に行ってそれが日常になってくると、「こんなもんだ」「そんな感じか」となってしまいます。

コロンブスが「あの海の先には何があるんだろう?」と言って、まだ見えなかった時のほうが、今日のテーマである「幸せ」をもっと見いだせ、想像の中で、「きっとそういう世界があるんだろうな」と思えた。

でも今は、「世界紛争があって、世界が苦しい状況なんだよ」と情報によって見せられて、「日本はこれから高度経済成長どころか、どんどん経済が下がってきて、おそらく中国や韓国に比べると、どんどんダメになっていくよ」と、子どもでもわかっていることを教えられます。

そして、今の社会問題でいえば、分断社会です。例えば僕が子どもの時は、テレビという1つのマスメディアの形態しかなかったので、家族全員でテレビを見ていました。だから流行りが同じですね。僕は父親が聴く昭和の演歌とか、OLさんが嫌でも歌わされる石原裕次郎の『銀座の恋の物語』とかを、「早く山口百恵とか西城秀樹を聞きたいなと」思いながら見ていました。

うちの子どもたちは、山口百恵とか松田聖子が出ていると、「誰この人?」となるわけです。「おもしろくないしチャンネル変えてもいい?」「もういいや」と言って、自分の部屋で見る。

そうすると、共通の思い出というか世代間ギャップというか、世代の中で「あの時ああいうのが流行っていたよね」という記憶が、それぞれが分断してわかり合えない。だから、親子でも会話で嚙み合わない部分が出てくるんだと思いますね。

ネットの中にはない「幸せの鍵」

僕は別に現代社会を批判したいわけではないんです。今日は「どうやったら幸せになれますか?」という問いかけだと思うのですが、その幸せの方向性を間違うと、僕らは永遠にハツカネズミがカラカラカラと(回し車を走るみたいに)、「もっと幸せになりたい、もっと幸せになりたい、でも疲れた」みたいになってしまう。

おそらく「死にたい」ではなくて、「人生を降りたいです」が希死念慮だと思うんですね。「死にたい」という積極的なことではなく、「疲れた」とか「あ〜あ」とか「世界が終わればいいのに」という人たちのカウンセリングをすると、やっぱりどこかで疲れているんだなぁという気がするんです。

だから僕は、今後は感受性のトレーニングを外に開発するよりも、内側の心の開発を考えたほうがいいのではないかと考えています。

じゃあ、「幸せを見つけるにはどうしたらいいか」ですよね。幸せを見つける方法で僕が一番に言えるのは、幸せな人のそばにつくことです。

成功哲学系の本を読めば書いてありますが、カーネギーとかマーフィーとかナポレオン・ヒルの言っていることの共通点は、人は気分が乗っていない時、だいたい部屋の中にいて、あれこれネットで考えているんですね。

ネットを手放せない人、ネット中毒みたいな人が多いです。ネットの中に本当の幸せの鍵が落ちていると思っている人が多いんですよね。でも正直言うと、ネットの中には幸せの鍵は落ちていません。

僕はよく水泳に例えるんですけど、水泳するのに本を買って、「クロールはこういうかたちでかいて、その瞬間、水の中に入れている口からは息を吐いて、顔を上げた瞬間に勝手に空気が入ってきて、抜ける時にはこうするんだな」と覚えるより、「水の中に飛び込め」という話です。

要するに、飛び込まないで知識だけでわかってしまうと何も得られない。これが僕の1つの考え方です。

幸せと不幸せを分けるポイント

じゃあ、どういう人が幸せになるのか? たぶん東京メンタルヘルス・スクエアさんでも、今一番話題になっている心理療法で、アルバート・エリス博士の論理療法がありますよね。幸せな人は「出来事をどうとるか」です。

例えば僕は両親が離婚しています。そして、おふくろが自殺しています。これだけとれば、普通は「最悪ですよね」と結果が導かれるんですけれども、これって「そういう家庭環境で育てば最悪になるに違いない」という「A=C」の単純な論法だと思うんです。

認知行動療法とか論理療法は、実はそうではなくて、要はここ(出来事と感情の間)に「スキーマ」とか「ビリーフ」とかがあって、セラピーによって言い方は違うんですが、アルバート・エリス博士風にいうと、「受け取り方だけの問題なんだよ」ということですね。

例えば先ほど言ったように、昔食べられない経験をしている人のほうが、おいしいものを食べた時に、「あぁ、ありがたいわね。こんなおいしいものが毎日食べられるなんて」とか。おばあさんとかおじいさんとか、「電気の傘にバスタオルをかけて、小さな灯にしてB-29を避けなくていいね」と。

そういう中で生きてきた人たちにとっては、この日常は最高の幸せです。言わば、スルメを味わうくらい、ちょっとしたことを咀嚼して味わう能力に長けていると思うんですね。

例えば、僕が「両親が離婚しておふくろが自殺している」と言った時に、アメリカの先生に言われました。

「ノブはそういう家庭だったからカウンセラーを目指したんじゃないか」「ノブはそういう家庭で育ってきて、お父さん、お母さんの会話の中での行き違いとかズレを発見するのを子どもの時からトレーニングしているから、人の心の機微とか物の言い方のミス、コミュニケーションミスが把握できるんじゃないのか?」「そういう意味では、カウンセラーを目指す時に理想的な家庭環境だったんだよね」と。

どこかで僕は、「両親はやさしく、いい夫婦でなければならない」とか「両親は子どもを中心に人生を過ごすべきである」とか「理想的な家族は参観とか運動会に来なければならない」とか思っていました。

僕がそれにとらわれている時には、本当に家族が最悪だと思っていたんですね。ところが、そうやってビリーフを変えてもらうことで、「あ、そういう考え方があるのか」と気づきました。

例えば雨が降った時には、「傘を差さないといけない」とか「髪の毛がまとまりが悪い」と思うと苛立つけれども、逆に言えば、「田んぼに水が貯まる」とか「日本は雨が多くて湿気が多いからこそ、肌がきれいなんだよね」とか「花粉が飛ばない」とか。

そのように、うまく生きている人は、受け取り方が、うまく生きるような見方をしているんですね。乗っている人とか楽しそうな人は、自動的にそういう受け取り方をしている率が、高いはずです。

「出来事」ではなく「受け取り方」を変える

そういう意味では、みなさん、ここ(A)を変えようとするんですね。「金持ちになったら」とか「最高のパートナーに出会ったら」とか「子どもがいい子だったら」とか、Aという「出来事」を変えようとする。

交流分析のエリック・バーン博士の有名なセリフに、「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」とありますが、そうですよね。他人を変えようと思ったり、過去を変えようと思ったって無理です。

僕は両親の離婚とか自殺があったから、カウンセラーになった。そのため、僕はネタが多いし、それを題材に話すツールを子どもの時からすごくいっぱいもらっている。そう思えば、理想的な崩壊家庭ですよね。

それを言ったのはアメリカの先生です。「僕は両親が離婚しておふくろが自殺しているんです」と言ったら、アメリカの博士に「Congratulation(拍手)。理想的な崩壊家庭だ」と言われたことがあって。

すごくショックで、僕は「何が理想的な崩壊家庭だ!」と思ったんですけど、「ノブ、だからお前はここに来て、俺はお前のお父さん、お母さんに感謝している」と言われたんですね。「そういう家庭だったからお前と出会えたし、お前を俺の弟子として受け入れることができたんだ」と言われた時に、「あ、そっか」と思いました。

そして、「お前はたぶん誰と結婚してもきっとうまくいくだろう」と言われたんですね。なぜかというと、最悪の中で育ってきたので、確かに僕は人の顔色を見る能力はずば抜けているんですね。

やりにくい家庭環境で鍛えられた、顔色を見る能力

例えば講演中でもそうですけど、「あ、今この人乗ってきてないな」とか「あ、この人、僕の話に入ってきたな」とか、何百人会場に入っていてもだいたい見えます。それはやっぱり、顔色を見る能力があるからです。

中学とか高校に怖いヤンキーの先輩がいるじゃないですか。僕がそういう人たちにすごく好かれていたのは、その人たちとのコミュニケーションがすごくうまかったからです。

それがうまくなったのは、父親がその人たちの100倍くらいやりにくい人だったからです。すぐキレる人だったので、そのへんの中学・高校のヤンキーくらいだったら、赤子の手をひねるようなものです。

もしもお父さん、お母さんがいい人で、「何食べたい? 〇〇ちゃんはどうしたいの?」と聞いてくれる人だったら、おそらく僕は、「これ、あれ」みたいな感じになっていたと思います。

こういう子は逆に社会に出た時に、人に何かしてもらっても「うっす」「何? 今ありがとうって言ったの? どうもって言ったの?」「そうっす」みたいなね(笑)。

僕の場合は、まず鉄拳が飛んできたから、「ありがとうございます。助かりました」と言えるし、「あ、ちょっと今の言い方は変でしたよね。誤解されると困るんですけど、こういうことです」とか、ある意味、殴られる前にまずフォローする技術を身に着けたんです。

営業する時も、「あ、この人ニーズが上がってきたな」とか「そろそろ契約書に書いてくれるな」と分かるのは、やっぱり相手の空気を読み取る能力です。この能力は、正直言うと、僕はやりにくい家庭環境で鍛えられると思っているんです。

必要なのは、未来をサポートする心理学

それを、「そんな家庭に育ったらトラウマになるわよ」という心理学は、僕からすればそれを信じ込ませてしまうので、暗示がかかる。

暗示がかかると、「そうだよね。私、そういう家庭環境で育ったから、人の幸せを喜べないのよね」とか「人の顔色をすごくうかがうし、人が怒られていると、私が責められたようで自信がなくなっちゃうのよね」と思う。

そういう「HSP(Highly Sensitive Person)」が流行ると、「それだわ。きっと親のせいよ」と考える。そういうふうに物事をとらえてしまうと、全部他人のせいにできるんですよね。これは、成長が止まった人の特徴だと思います。

「それはトラウマだよ」とか「それはそうなるよね」と言ってサポートしているのが心理学ですね。その知識が必要なのは、自分が親になった時です。「そういう可能性があるから、そこは気をつけましょうね」と言うのなら、未来をサポートする心理学だからいいんです。

でも、過ぎ去った過去に色付けして、「それはトラウマよ」とか「それは親が最悪よね」と言って、「そうですよね。私は問題なかったですよね」とお墨付きをもらうのは、僕はちょっと違うのではないかと思います。