指揮者が考える「リーダーシップとマネジメント」

(鈴木氏による演奏〜会場拍手)

鈴木優人氏:みなさんありがとうございます、今日はようこそお越しくださいました。私が早稲田でお話をするのは人生で初めてのことです(笑)。早稲田に向かおうとしたら「いや、会場は早稲田じゃなくて日本橋だ」と言うのでびっくりしたんですけれども......。こんなすてきなキャンパスに、たくさんの方がお越しくださいまして、またZoomでも多くの方が参加してくださり、本当に感謝申し上げたいと思います。

今日は「指揮者のリーダーシップ&マネジメント」。このタイトルは事務局のみなさんが、ぜひこういうテーマで話をしてほしいということでいただいたお題です。私の演奏活動の中で、確かにこの点について考えたり、考えさせられたり、また実社会のさまざまな場面で、リーダーシップやマネジメントのお仕事をされてる方と(接していて)、「こういうつながりやこういう類似点があるかな」と考えることは確かに多数あります。

指揮者をしているからといって、これらについて精通していると言えるのかどうかはまったくわかりませんけれども、今日はみなさんと一緒に考えていく機会が与えられたことを、すごくうれしく思います。

前半は私の自己紹介をしながら、私の活動のさまざまな場面で、リーダーシップやマネジメントについてどのように関わっているかをご紹介していきます。そして途中ではさまざまな、ほかの作曲家や指揮者の仕事ぶり(にも触れたいと思います)。

私がふだん相手にしてるのはバッハなど、だいたいもう亡くなっている作曲家なんですけれども。しかし音楽自体は生きていますから。そういった現場のお仕事の様子......必ずしもみなさんが音楽業界の方ばかりではないとお見受けしていますので、「音楽業界ってこういうことを考えながら仕事してるんだな」ということにも気づいていただいて、そして一緒に音楽の未来も考えられたらうれしいなと思います。

世界的指揮者のキャリアの始まり

ではさっそく、「WHO IS MASATO SUZUKI」ということで。私はオランダで生まれまして、1981年生まれ、現在ピチピチの41歳でございます(笑)。いつのまにか音楽をやってるうちに40代になってしまいました。

この「41」は、実はバッハ(Johann Sebastian Bach)の数字の年なんですね。私の父が41の時に私は14歳だったんですけども、「2+1+3+8=14」ということで、(アルファベットの26音に当てはめると)「B+A+C+H」。これはどうもバッハ自身も意図的にそう思って(14という数字を)使っていたらしいと。

それに「J」「S」を足すと41になるっていうんですね。計算の速い方は「いや42じゃないのか」と思うんですけれども、「J」はラテン語は「I」と一緒なので「I」で数えるという、もはや無理矢理な理屈ですが。

(会場笑)

1と4を入れ替えて、14が41になるということですね。私はその41歳なんですけれども。

音大には行きましたが、中高は広尾にある麻布学園という、男子中高一貫校で過ごしました。進路に迷って、芸大に行こうか東大に行こうか真剣に迷いました。

私の第1志望は作曲科だったんですね。芸大の音楽学部の作曲科は前期日程しか受けられない。これは未だにそうだと思います。音楽学部が前期、美術学部が後期というのが、なぜか芸大でまかり通っています(笑)。そのへんは私にはわかりませんが。

後期に音楽学部の試験はないので、もし作曲科に落ちたら、後期は東大を出願して、がんばって小論文を書いて文系に行こうと考えていました。でも結局、なんとか芸大に入れて、そのまま音大を経て、再び生まれ故郷のオランダに(行きました)。

生まれた時はオランダに3年しかいませんでしたので、自分の故郷がどんな場所なのかちょっと知りたくて、再び勉強に向かうことになりました。そこでオランダの歴史的なオルガンとか、さまざまな風土の違いを体験することになりました。

その時代の楽器で演奏する「バッハ・コレギウム・ジャパン」

さて、現時点で私がどういう仕事をしてるか、順番に映像つきでご紹介していきたいと思います。まずバッハ・コレギウム・ジャパン。バッハを中心とした比較的古い時代の音楽を、「オリジナル楽器」と呼ばれる、その時代時代のスタイルに合わせて調整された楽器で演奏しています。必ずしも「オリジナルの楽器」というわけではありませんが...…。

例えばみなさんよくご存知のヴァイオリン、ストラディヴァリウス。これも昔はバロック時代のヴァイオリン、つまりバロックヴァイオリンだったんですね。こういった名器は時代を追うごとに「ちょっと駒を高くして、弦の張力を増して音量が出るようにしよう」とか「指板をもっと長くして高い音を押さえられるようにしよう」とか、さまざまな"改良"が加えられてきまして、変化が起こりました。

それに対して20世紀に起こったムーブメントの1つで、「古楽」というものがあります。「アーリーミュージック」とか「オリジナル・インストゥルメンツ」とか「ヒストリカリー・インフォームド・パフォーマンス」とかいろんな言い方で言われますけれど、一般的に音楽ファンでご存知の方が多い言葉がおそらく、古い音楽と書いて「古楽」だと思います。

この古楽をやるグループは、私の父が1990年に創設したグループです。

声楽とオーケストラとオリジナル楽器を使って、歌や器楽が一体となった響きというのを理想とする団体です。これは『マタイ受難曲』を私が演奏した時の録音なので、ちょっと見ていただきましょう。YouTubeにあるものですので、いつでもご覧いただけます。サントリーホールだったかな。

(映像再生)

ヴァイオリンの弓の先が全部とんがってます。非常に弓なりの形をしている。こういった楽器がバロックの時代には使われていたんですね。それから弦の種類も違いまして、羊の腸をよったものです。素材の違う弦で弾くのは、ヴァイオリン教育を受けた人にとってもそれほど簡単なことではない。でもその腸のガット弦の引っ掛かりがあることで、ドイツ語の曲と強い一体感がある。

オーボエもぜんぜん違う。具体的にはモダンのオーボエよりも少し圧力が低めで、リコーダーに近いような音色でシンプルな使い。そのぶん音程の調整が非常に難しい。

今日のこの電子チェンバロは永遠に調律が狂うことがない楽器ですけれども、私たちがこういうところで使ってる楽器は、実はいろんな調律法で、それも作品に合わせた調律法を使っています。そういった研究要素も含めてさまざまな活動を行っています。

読売日本交響楽団の指揮者も務める

私のお仕事の一番大事なポイントは、このバッハ・コレギウム・ジャパンの首席指揮者をしていることになりますが、もう1つオーケストラをやっています。読売日本交響楽団という、読売新聞の持っているオーケストラですね。こちらの指揮者/クリエイティヴ・パートナーというのを2020年から務めています。

2020年という、まさにコロナの頃に始まったので、なかなか最初は活動ができなかったんですけれども。その後「アートにエールを!」という、東京都が作ってくれた音楽家支援の助成金の一部で制作した定期演奏会のビデオが、YouTubeにあります。

(映像再生)

演奏してるのはシューベルトの作品(交響曲第4番 「悲劇的」)と、ルチアーノ・ベリオという20世紀の作曲家が、自分の音楽要素をシューベルトの未完で終わった作品に埋め込んだおもしろい作品(ベリオ:レンダリング~シューベルトの未完の断片を用いて~)です。

ここで弾いているヴァイオリンもモダンの楽器で、のちほどお話ししますけれども、オーケストラの形態とはぜんぜん違ったものになります。チェロも先ほどのバッハ・コレギウム・ジャパンではエンドピン(底部にある、床に立てて楽器を支える棒状の部品)がなくて、足で挟んで演奏するんですが、ここでは普通にエンドピンが床に刺さっています。

オーボエもモダンのオーボエで、いっぱい金属がついてますね。キーメカニズムが開発されていまして、これでさまざまな穴を調整しながら、(基本的に)平均律になるよう調整されています。

現代音楽と古楽を融合した「アンサンブル・ジェネシス」

私は指揮棒を使う時も使わない時もありますが、バッハ・コレギウム・ジャパンとやる時はほとんど使いません。読響とやる時はだいたいなにか長めの棒を持ってます。1つにはオーケストラがそれを求めている。オーケストラ側も指揮を見る時に、指揮棒を見ることに慣れている面があります。

また物理的に距離が非常に離れているんです。だいたい指揮者って黒い服を着てますよね。その1つの理由は、指揮棒が白いので、そのコントラストで見やすくなるからです。オペラハウスではオーケストラピットにオーケストラが入ってますよね。そのピットには、みなさんから見えない壁があるんですね。ピットが地下に潜っていて、その壁の部分にはよく白い布が張ってあります。

その白い布の前に黒い服を着た指揮者が立って、その指揮者が白い指揮棒を持っているという、2段階のコントラストが見えるようになってるんです。これはなかなか知らないと思うので、オペラハウスにいらしたら、ぜひピットの内側の壁を覗いていただければなと思います。

もう1つ、指揮の仕事という意味では、アンサンブル・ジェネシス。これは指揮者というよりも、私が2005年にオランダに留学した年に作った、現代音楽と先ほどの古楽を融合した新しいプログラムをやっていこうというアンサンブルで。例えばこういうテレマンの室内楽ですね。

(映像再生)

リコーダーを吹いてるのはバーゼル出身のアンドレアス・ベーレン。ヴァイオリンを弾いているのは今ケルンにいて(バッハ・コレギウム・ジャパンのコンサート・マスターでもある)山口幸恵さん。バロックの奏法ですとか、その時代のしゃべり方に精通したメンバーです。一方でこれは小出稚子さんという、20世紀生まれの現代を生きる女性の作曲家の曲です。

この演奏会ではリアルタイムでアート作品を映像で作っています。アートが合わさっていくような実験的な公演をやりました。これは横浜の創造都市センターという所で、ふだんはカフェテリアです。めちゃくちゃ音響が良くて、そこをお借りしました。

天才作曲家・新垣隆とともに創作活動を行う

このアンサンブル・ジェネシスのレジデント・コンポーザーを務めていらっしゃる方が、おそらくみなさんご存知の作曲家で、新垣隆さんという人です(笑)。彼の作品は本当におもしろいんですよ。この公演でも出てくるのでちょっとお見せしますね。

新垣さんの作品に、大西景太さんのAdobeのFlashを使ったアートを(重ねました)。これは音に反応して絵が出るようになっています。

新垣さんの曲はだいたい最初に紙をいっぱい渡されるんです。どれをどういう順番で読むのかわからないような楽譜がくるんですね。リハーサルで新垣さんがいろいろ説明してくれて、「一体どうなってるんだ」ってみんなが混乱していると、そこに音符の形のシールを貼っていったりして、ますますわけがわからなくなるという(笑)。それが新垣さんの作風なんです。

リハーサルの時間は作曲家も来てほしいのに、新垣さんは忙しくてぜんぜん来られないんです。「2日目にはなんとか」とか言って、何に忙しいのかなと思っていたら、そういうことだったっていうのがあとからわかりました(笑)。

私も先日演奏しましたが、本当に彼は天才作曲家で、フリージャズのような自由なスタイルの音楽から、シンフォニックでリズミカルでメロディックな曲まで。私も彼と本当に長い間創作活動をしてきて、一時(の出来事には)びっくりしましたが、未だに音楽的な共感は非常に強い。

和音楽器の演奏者としての「リーダーシップ」

このアンサンブル・ジェネシスは、非常にクリエイティブな活動をする場として大事なプラットフォームです。そしてほかにどういう仕事をしてるかというと、例えばチェンバロ奏者としては、先日もBLUE NOTE TOKYOでライブをしたりしました。

(映像再生)

これはバッハの『半音階的幻想曲とフーガ』。鍵盤はちょっと映ってませんが、白と黒が逆なんです。白い部分には象牙が貼ってあります。今はワシントン条約でなかなか付けられませんけれども、当時も象牙は高級品でした。黒い側のほうが面積が小さい。鍵盤(の素材)は黒檀ですね。

こういうチェンバロ奏者としてのお仕事や、あとオルガン奏者のお仕事(もあります)。これはオーケストラアンサンブル金沢というところで客演した時の映像です。

(映像再生)

これはポジティブ・オルガンという、ちっちゃなパイプオルガン。先ほどのチェンバロとオルガンは18世紀終わりまでは通奏低音(低音部のパートを見ながら即興で伴奏をつける演奏方法)でした。和音楽器といって、非常に重要な役割を果たします。

したがってオルガン奏者とチェンバロ奏者はほぼ同義語で、どちらかしか弾かないという人はほとんどいませんでした。あと作曲家もほぼ同義語。オルガン奏者も作曲していました。

書かれているソロの音符(を見て)、楽譜を弾くことだけではなく、通奏低音の中で即興演奏しながら楽団を支える。これもまた1つのリーダーシップです。オーケストラ全員が弾いている中で、和声を担って目立っている人が、実は一番舵取りをしている。

ピアニスト、作曲家としても精力的に活動

そしてピアニストとしても、ピアノのソロを演奏します。これもYouTubeにあるんですが、19世紀のフォルテピアノですね。

(映像再生)

本当にすばらしい楽器とともに演奏してみると、例えばシューベルトがどういう思いでその音を書いて、彼自身がどう伴奏しながら自分で歌ったのかという状況を想像することが、より簡単にできる。和音の残り方とか、あるいは速い音符の軽いタッチとか、そういうのは非常に楽に実現できるんです。

(この映像では)フォルテピアノが現代のピアノと何が違うかを語っています。少し(タッチが)柔らかかったですけれども、この楽器はまさにシューベルトが生きていた頃の本物の楽器です。その楽器でシューベルトの『冬の旅』という歌曲を伴奏することによって、楽曲と楽器の一致した心地よさが非常に大きく得られるわけです。

あと私の仕事としては、作曲家としていくつかの楽譜を出版していたり、いろんな編曲をしていたりします。先日もNHK交響楽団のためにバッハの『パッサカリアとフーガ』というオルガン曲を編曲しました。

そのほか来年にも、先ほど私が指揮者を務めているとご紹介した読響さんのために、曲を委嘱されて書くことになっています。こういったさまざまな音楽の演奏や作曲の仕事をしております。

ライフワークとしての「調布国際音楽祭」

そしてそのほかに、プロデュースをするというところでは、調布市の外郭団体である調布市文化・コミュニティ振興財団が主催している「調布国際音楽祭」。2013年から始まった音楽祭なんですけれども、つい先日第10回目のシーズンを大盛況で終えることができました。

この音楽祭は調布市の街の音楽祭で、街のみんなと一緒に演奏したり、あるいはNHK交響楽団が来てくれて、ここでも先ほど言ったバッハの編曲を演奏したり、モーツァルトの『ジュピター』を演奏したり。本格的な音楽を、街のみなさんにどうやって親しんでもらうか、届けていくかということをやっています。

年に1回、6月の第4週あたりに開かれてる音楽祭です。この音楽祭の場合は予算のところから、どういったコンテンツを作っていくか、そして実際に遂行するところまで、すべて私が絵を描いてやっていまして、だいたい今の時期は準備段階ですので、月1回ぐらいで長いミーティングをしています。時期が近づいてくるとかなりの時間を割いて、これに従事しています。

この間は第10回目ということで、コロナもだいぶルールが緩くなったので、市長さんと一緒に調布の酒蔵の澤乃井で、鏡開きという、クラシック音楽らしからぬことをしました(笑)。

(会場笑)

市長さんも大変お喜びで「これは毎年やりたいね!」って言ってくださいました。その次の日に6選目が決まりました(笑)。本当に音楽に理解のある市長さんがいらっしゃるのはありがたいことです。

この音楽祭は私にとってもはやライフワークになっています。ちなみにここでうれしそうにしてるのは私の父です(笑)。

会社の取締役副社長としての業務

そしてあまりふだんオープンに話すことはないんですが、バッハ・コレギウム・ジャパンを制作している、有限会社バッハ・コレギウム・ジャパンという会社の取締役副社長ということで、こちらも毎日のようにお仕事してます。左(の写真のような、人前に出る)仕事をしてるかと思うと、むしろこっちっぽい仕事(デスクワーク)ばっかりしてますよ、という意味で2枚載せてみました。

ということで、私の今やっている仕事をざっくりと紹介させていただきました。

たぶんこの会場にいらっしゃる中で一番のマジョリティとしては、いろんな会社でさまざまな職務に就かれる方が多いかと思いますので、この会社(有限会社バッハ・コレギウム・ジャパン)の仕事の話からしておきます。

実質的には制作会社で、コンサートの制作をしてチケットを販売して、それでコンサートの運営をしております。長期的な計画を練ったりしていて、例えば11月にはヨーロッパツアーを企画してるんですけれども、これ自体は3〜4年前から準備されています。コロナがあってどうなるんだという議論もしながら、さまざまな雑多な制作業務が多数あります。

会社の規模は非常に小さくて、10名弱の社員です。まさに今話題のインボイス制度にドンピシャなんですけれども、バッハ・コレギウム・ジャパンのメンバー、いわゆる演奏家というのは、曲ごとに、例えば先ほどの『マタイ受難曲』でしたら『マタイ受難曲』にふさわしい編成の人を1人ずつに依頼を出すんです。

で、1人ずつその1回の、あるいは数回の(コンサートからなる)1プロジェクトの契約書を結びます。そういうスタイルで、フリーランスの音楽家のみなさんと毎回契約を結んでるんですね。契約書の本数という意味ではかなりの数になります。それが先ほどの読売日本交響楽団のような「社員として演奏家を雇っている」スタイルとは違うところです。

音楽とバッハへの愛に溢れるメンバーに囲まれて

もちろん毎回プレイヤーが変わることはあり得るんですけれども、やはり長い歴史がありまして、1990年からずっとやってきてる楽団です。ずっと基本的な、音楽的な中心的存在というプレイヤーがたくさんいらっしゃいます。

そういった方々とのやりとりですとか、ツアーの関係とか、常にスーパーマンが必要な会社なんですね。なんでもできる人です。

人当たりも良くて営業もできて、数字が読めて、英語がもちろんツアー随行できるくらいできて、いろんな人の顔と名前を間違えないで、楽器のことがわかっていて、バッハの曲に詳しくて……。

(会場笑)

そういう方がいらっしゃいましたら、ぜひお待ちしています(笑)。もちろんそんな人はなかなかいないんですけれども、結果的にこの会社で働いてくれてる一人ひとりのメンバーは、みんな本当に音楽とバッハへの愛に満ちています。このすばらしい人材に助けられて、日々仕事をしています。