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第11回ホワイト企業への道を共に学ぶ 「京屋染物店に学ぶ、組織が変容した“あの2時間の会議”~自発的に動き結果を出し続ける風土は、どのように醸成されたのか?~」(全4記事)

社長はいつも不在、残業続きで疲弊する社員、募る不満…… 創業100年の老舗で、4代目社長がぶつかった“壁”

第7回ホワイト企業大賞を受賞した、岩手県一関市にある株式会社京屋染物店。創業100年を目前としながら、染物産業は衰退産業のひとつとなり、一関市も人口の減少が続いて消滅可能性都市に指定されるようになった2015年。社員の中では行き先への不安・不満が募り、それが一気に爆発した結果、社員が社長を囲んで「2時間の会議」を行いました。かつてのブラック企業がリーダーシップのあり方を変えることで、社員が主体性と個性を発揮し、10年で業績6倍という成果も生み出しました。今回のイベントでは、そんな企業の舞台裏を探ります。本記事では、4代目に就任した蜂谷悠介氏が事業継承後の葛藤を語っています。

「2時間の会議」が組織を変容させた、老舗染物店

山田博氏(以下、山田):今日は、ホワイト企業対象を受賞されている京屋染物店の社長の蜂谷さんと、庄子さおりさんのお二人にお越しいただきました。根掘り葉掘りお話をお聞かせいただく中で、いろんなエッセンスが詰まっていると思いますので、みなさんに持ち帰っていただく時間になるといいなと思っています。委員の米澤さんと私、山田博でお届けします。よろしくお願いします。

蜂谷悠介氏(以下、蜂谷):よろしくお願いします。

山田:「みんなが勝手に動いちゃって、結果が出続ける会社になった。会社を変容させたあの2時間の会議」という、今日はすごくおもしろい(イベント)タイトルが付いたと思います。

米澤晋也氏(以下、米澤):そうですね。

蜂谷:(笑)。

山田:なかなかないんじゃないかという、非常に長いタイトルの付いたセミナーです。なんでこのタイトルが付いたかというと、事前に打ち合わせをしたらあまりにも生々しくて、「もうこのまま話していただきたい」という感じになっちゃって。

その中でも、確信をえぐるような「2時間の会議」があったんですが、この時間が濃密だったということで、この(イベント)タイトルになったんです。

前半で会社紹介をしていただいた後に、これまでの会社の歴史や、2時間の会議をクライマックスにしたビフォー・アフターをお二人にインタビューします。聞かれているみなさんの心の中でリアルに描いていただけるように、対話をしてみたいなと思います。

米澤さんは、ずっと京屋染物店さんに関わっていらっしゃるので、その目線からどんなふうに見えていたのか、エピソードを複合的にお話しいただきます。その後、みなさんにはグループに分かれて感想を話していただいたり、質疑応答もたっぷり時間を取りたいと思います。よろしくお願いします。

蜂谷:よろしくお願いします。

庄子さおり氏(以下、庄子):お願いします。

人口減少、衰退産業……染物店が置かれた厳しい状況

山田:もう、本当に今から楽しみです。打ち合わせはしたものの、行き当たりばったりでやっていきたいと思います。

蜂谷:完全に丸裸にされる感じですね。

山田:(笑)。大丈夫です。内容に入っていく前に、簡単でいいのでどんな会社さんなのかをご紹介いただけますか? どんなことをされているか、どんな歴史があるかとか。

蜂谷:みなさん、こんにちは。京屋染物店の代表をしております、蜂谷悠介と申します。

庄子:「en・nichi(エン・ニチ)」という自社ブランドがあるんですが、そちらのディレクターをしています、庄子さおりと申します。よろしくお願いします。

蜂谷:よろしくお願いします。

山田:お願いします。

蜂谷:弊社は大正7年創業で、主に印染を中心にやっています。印染というのは、私たちが着ているような印ものの半纏や手ぬぐい、お祭りで使うような浴衣(に用いられています)。あと、東北の岩手県は伝統芸能や民俗芸能がすごく盛んな地域で、民俗芸能の衣装など(の製作を)を主にやっている会社です。

印染業界の会社や工房は、大正7年の創業当時は1万4,000社ほど全国にあったんですが、現在は数がぐんと減って、300社を下回るような業界なんですよね。つまり、私たちが関わっている業界は、衰退産業と言わざるをえないような業界です。

さらに私たちの会社がある岩手県一関市は、岩手県のちょうど最南端にある市町村なんですが、平成の大合併があって、合併直後は10万人以上いる市町村です。そしたら日経新聞で、「10万人以上いる都市の中で人口減少率がワースト2位です」と、消滅可能性都市に指定されているという。国からも太鼓判をいただきました(笑)。

山田:(笑)。

蜂谷:私たちの孫子の代には、この町が消えてなくなってしまうかもしれない。そういう市町村で商売をさせていただいております。

コロナ禍でお祭りがなくなり、浴衣や半纏の売上激減

蜂谷:今の話だけを聞くと、「衰退産業で人も減っていて商売をするのに不向きだな」とか、お祭りに携わる人口もどんどん減っているので、「下火になるような会社なのではないか?」と、たぶんみなさんも思ったと思います。そんな中で、今からお話しするような取り組みを経て、業績的には本当に順調に良くなっております。このコロナ禍で、すっかり祭りはなくなってますよね。

山田:そうですね。

蜂谷:(コロナ禍では)祭りも中止になってると思います。私たちの商売は、お祭りの半纏や浴衣を受注生産するのが8割から9割ぐらいと売上の大半を占めてるんですが、それがこの2年間はまったくないわけです。

でも実は、2019年よりも2020年のほうが業績が向上してるんです。これも今からお話しするんですが、いろんな葛藤があって、そういう組織に生まれ変わったのではないかなと思います。そのあたりを根掘り葉掘り、山田さんと米澤さんにほっくり返してもらうような状態になると思いますので、みなさん、ひとつよろしくお願いいたします。

山田:今の前フリだけで「どうしてそうなったの?」と、聞きたいことがありますよね。たぶん、それ(お祭り衣装)に成り代わる新事業や新商品ができて、売上が上がったというのは予測がつくと思うんですが、(一番気になるのは)「この期間にどうしてそういうことが起こせたのか?」というあたりですよね。

(ホワイト企業大賞に)応募いただいた時や、実際に一関の会社に行かせていただいた時にさまざまなドラマがあったことに驚いたんですが、そのあたりを話すと長くなるので折り込みながら聞きたいと思います。

3代目の父が余命宣告を受け、突然4代目社長に

山田:今日はせっかくお二人に来ていただいているので、社長の目線と、それから庄子さんという社員の目線を分けて聞いてみたいと思います。お互い、忖度なしで答えていただけると思いますので(笑)。「あの時どう思ってたの?」と話を聞いていくと、「ぜんぜんすれ違ってんな」とか、いろんなことが露わになるかもしれませんので、そんなこともお聞きしてみたいと思います。

(イベントタイトルにもなっている)「2時間の会議」にたどり着くまではドラマがあったんですね。2時間の会議を経ていろんなことが変わっていって、会社がどんどん良くなっていったというビフォー・アフターがあるわけです。アフターの中にももうひと山葛藤があったと、さっきの打ち合わせで初めて聞きました。

蜂谷:(笑)。

山田:「ちょっと今日は(全部は)掘れないな」という感じもありますが、とりあえず2時間の会議をマックスにしてビフォー・アフターまでいってみたいと思いますので、よろしくお願いします。

まずは社長から聞きたいんですが、蜂谷さんが社長になられたのはいつでしたかね? 社長になった経緯をお話しいただけますか。

蜂谷:私が4代目なんですが、先代である3代目の父が膵臓がんで他界したんですね。それが2010年の6月9日でした。膵臓がんだとわかってから、余命宣告で「3ヶ月です」と言われ、半年永らえた状態で2010年に引き継いだんです。

それまでは私も、「親父のすねをかじってりゃそれでいい」と思ってたので、経営のことも勉強してないですし。ましてや、なんとなく工場に入ってたけど、技術をすべて習得しようなんて気もなかったんですよ。親父がずっといるもんだと思ってたので。

しかも父が入院でずっと病院にいて、だいたい3ヶ月ぐらいしか時間がなかったので、中途半端な引き継ぎだったんですよね。今は私の弟も専務なんですが、専務の弟と一緒に2010年に引き継いで、今に至るわけです。

社長に就任して9ヶ月後、東日本大震災が発生

蜂谷:その間にも、みなさんの記憶に新しい東日本大震災が2011年に(発生しました)。

山田:そうですよね。

蜂谷:代を引き継いでから9ヶ月後のできごとだったんですが、その時もコロナと同じような状況で全国が自粛ムードになって、祭りがすべて中止になっていたんですよね。本当に右も左もわからない中、必死になってかき集めた注文もすべてキャンセルになって。「あ、俺って世の中から必要とされてないんだ」とか、すごく葛藤の中にいた時期もありました。

でも、「なんとか経営をもり立てなきゃならない」と、当時から本当に必死でした。あの手この手でいろんなことをやって、死にものぐるいでがんばった自負だけはあったわけです。父から代を引き継いで、父の時には個人事業主だったものを私の代で法人化して、初めて社員を雇い始めました。

(自分の中の)社長像というと、すごく威厳があって、すごく立派な口ひげを生やした、すごく風格のある人が社長だと思っていました。

山田:なるほどね(笑)。

蜂谷:とにかく社員たちに泣き言1つ言わないで、「舐められちゃいかん」みたいな。そういうのが立派な社長像だと思いながらずっと必死になって、なんとか経営を軌道に乗せようとがんばっていたのが当初の私ですね。

山田:今聞いてるだけでもすごく環境のビハインドがあって、盛り立てようと思って必死じゃないですか。そしてその「威厳」というのも、すごく力が入ってる感じがしますよね。むちゃくちゃ力んでるというか。

蜂谷:当時を振り返ると、たぶんめちゃくちゃ鼻の穴は広がってただろうし、とにかくずっと握りこぶしだったと思いますよ。

山田:2010年に引き継がれてから、けっこうな期間はその状態でずっと走っていたんですか?

蜂谷:2016年まではその状態でずっと走り続けていましたし、5年間はずっとそうやって走ってきました。

「俺ばっかりがんばってる」社員に対して募る不満

山田:なるほど。庄子さんは、力が入った蜂谷社長のどのあたりで(京屋染物店に)入ってきたんですか?

庄子:そうですね。私が入社したのは2018年で、コロナ前に入社しました。

蜂谷:まだ、力みが完全に抜けきれてない。

山田:抜けきれていない。たしか、打ち合わせか取材に行った時にも聞いたんですが、力んでた頃に米澤さんの指示なしの経営を学ばれたんでしたよね。

蜂谷:そうですね。ちょうど「指示ゼロ」にかぶれていたあたりに入ってきたと思います。

山田:指示ゼロ(笑)。指示ゼロ経営を学んだ時に、蜂谷さんの目線からはどんなスタイルで経営されていたんですか?

蜂谷:米澤さんと初めてお会いした時に「指示ゼロ経営」と(提唱していて)、「リーダーが何もしないでもうまくいくってすげーな」と思いました。今まで俺はすごくがんばって力んでたけど、ここはもう指示ゼロ経営で(行こうと思いました)。

「俺ばっかりがんばってる」「なんでこいつら怠けてんだ」と、みんながぜんぜん主体的に動いてくれなかったわけですよ。こんなに一生懸命指示出してるのにさっぱり動かないし、上の空だったり、やるって言ってるのにのにやらないし。もう、本当になんなんだと。

ほとんど会社にいない社長、残業続きで疲弊する社員

蜂谷:でも今度は、「私がああだこうだ指示を出してたから、実はみんなが動かないんだ」と思って、ある日突然指示を出さなくなったんですよ。

山田:指示を突然やめたんですか?

蜂谷:突然やめました。とにかく「俺が会社にいなくてもいいんじゃね?」ぐらいの勢いで、会社には行かない。「社長、どうしたらいいんですか?」と聞かれても、「え、ちょっとわかんない」ということをずっと言い始めた時期がありました。当時、社員たちからは「社長が急に無能になった」と思われたと思います(笑)。

山田:予想するに、社長の思惑とは別に、会社の中にいる方々にとっては迷惑な話だったんじゃないかと思いますが(笑)。庄子さんは2018年(入社)だと、おそらく指示ゼロ経営をかたち上取り入れたあたりに入ったんじゃないですか?

庄子:そうですね。2018年に入社しました。基本、社長は(会社に)いないんですよ。

山田:いなかったんですか?

庄子:そうですね。出張や営業に行っていて、いなくて。(入社から)半年は、私もそんなに会ったことがなかったぐらいなんです。

蜂谷:(笑)。

山田:入社してもね。

蜂谷:出社拒否みたいな感じで、会社にほとんどいなかったんですよ。「お前らがやってみろ」ぐらいのほうが、会社がうまくいくとずっと思い込んでいたので。

庄子:(社長は)“天然記念物”みたいな感じだった(笑)。例えば、なにかを決める時に社長がいないから決められないということがけっこうあったりして。「なんで社長はいっつもいないの?」「仕事が進まないじゃん」とか。

2018年は祭りがまだあった時期だったので、7月、8月はすごく繁忙期で、工場の染色のメンバーやデザイン業務をやっていたデザイナーが残業してけっこう疲弊していて。なのに社長はいないし、助けてもくれないし(笑)。「社長、何やってんだ」と。

蜂谷:(笑)。

がんばっても給料が上がらないため、売上の不正利用を疑うように

庄子:「社長はどこ行ってんの?」と、すごく(社内で不満が出ていた)。

山田:社員の間でも、そんな会話が繰り広げられていたんですか?

庄子:もう、盛んに(笑)。

蜂谷:私としては、「私がいないほうがみんなが主体的に話せるし、そのほうがいいでしょ?」と(思っていたんですよね)。

山田:まあ、そう思ってたんでしょうね(笑)。

蜂谷:私は思っていたんです。

庄子:ちょっとイライラが蘇ってきた(笑)。

蜂谷:(笑)。

山田:蜂谷さんね、少し引いといてもらって。

蜂谷:はい、すいません(笑)。

山田:庄子さんにフォーカスを当てちゃいますね。残業がすごく多くて疲弊して、納品も迫ってるし大変じゃないですか。(社長に)判断を仰げないのにやっていかなきゃいけないのって、(イライラが)溜まってくるじゃないですか。「当時はこんなこともあった」とか思い出せる限りでいいんですが、どんな状態になっていたんですか?

庄子:なんで(会社に社長が)いないのかもわからないし、すごく仕事をがんばってるのに給料は上がらないし、ボーナスもない。「こんなにがんばってるのに、なんで利益が出ないんだろう?」っていうのがあって。「もしかして、社長は変なことに(お金を)使ってるんじゃないか?」というのは、みんな思ってました(笑)。

蜂谷:(笑)。

よかれと思った「指示ゼロ」が、社員の不満を増長させた

山田:なるほど。みんなががんばって、ある程度売上は上がってたんですね。

庄子:そうですね。私も見積もりを作ったりしているので、ある程度の売上がどのぐらいかはわかってたんです。みんなすごく忙しくて残業して、働いてるのにも関わらず。

山田:給料が上がんない。

庄子:給料も上がんないし、ボーナスも少ないし(笑)。

山田:「社長、ポケット(マネー)に入れてんじゃねえか?」とか。

庄子:「なんかやってるだろう」と思ってました。

山田:本当に思ってたんですね。

庄子:本当に思ってました。ある日、経理の部屋に忍び込みまして、通帳を勝手に見ました。

山田:通帳を見た!

庄子:見ました(笑)。

蜂谷:ひどくないですか?(笑)。勝手に会社の(通帳を見るのは)。

山田:どうだったんですか?

庄子:(通帳を)コピーして「これって何に使われてるんですかね?」と、入社して半年で上長に相談したんですよね。

山田:おお。それをやらざるを得ないぐらい、不満が溜まっちゃってたんですかね。

蜂谷:だんだん(庄子さんが)熱くなってきた。

庄子:そうなんです。みんながんばってるのに社長はいないし、利益も出てないし。

山田:僕も(京屋染物店へ)取材に行った時に、別の方の口から同じような話を聞いて。「どうしてくれるんですか?」という、怒りと不満のエネルギーを浴びたんです。蜂谷さんとしては、「指示ゼロ経営で指示しないほうがうまくいくんじゃないか」と、よかれと思ってやったことと、社員の方の気持ちはぜんぜん違いましたね。

蜂谷:違いましたね(笑)。

山田:別に、今は反省しなくていいんですが(笑)。違ってましたね。

蜂谷:その時は、私の指示がないほうが絶対にいいと思ってたし、さらに言えば後ろめたいことも何もなかったんですよ。通帳を見たって不正利用してることもないし、そういうふうに使おうともしてないし。

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