海底ではなく、「空」を起因とする津波

ステファン・チン氏:全世界の人口のうち半数近くが、海岸から100キロメートル以内の地域に暮らしています。この30億人にとって、津波は深刻な脅威です。

ありがたいことに、科学の発達により信頼性の高い早期警報システムが開発され、巨大津波が沿岸部を襲う前に、住人を避難させることができるようになっています。

しかし現行のシステムが検知できるのは地震によって引き起こされる津波だけであり、津波の原因は地震だけではありません。なんと、大気が原因で引き起こされる津波があるのです。この津波は、現在のテクノロジーではきわめて検知が困難ですが、そのメカニズムを解析することで、津波被害から沿岸の人々を守ることができるかもしれません。

さて一般に津波は、物理的な外力が大量の海水を移動させて起こるものを指します。地震による津波は、海底地震によって地球の地殻が変動し、大量の海水を移動させるものです。

水がいっぱいに入ったバケツをレンガのテラスに置いて、突然レンガが1つ浮き上がったら、バケツは傾いて中の水は大きな波となって溢れるでしょう。これが海中で起こると、波の高さは数センチでは済まず、建物数階分の高さとなります。

これとは別に「気象津波」という津波があります。これは、地殻変動ではなく大気圧により発生します。再びバケツを例にしますと、落ち葉ブロワー(掃除機)でバケツの水に空気を吹き付けて、水が端から勢いよく飛び出すさまに似ています。

どちらも地殻変動やじょう乱(大気が乱れる現象)などにより波が引き起こされて発生しますが、気象津波の特徴は、原因が海の底ではなく空にある点です。気象津波は、雷雲やスコール、気象の前線など、激しく移動する大気じょう乱により発生します。

日本でも発生し、犠牲者の出た「気象津波」

「気象津波」という言葉をあまり耳にしないのは、この津波の規模があまり大きくないためです。津波は大規模なものとは限らず、外部からの圧力で移動する波全般を指し、気象津波はほとんどが小規模です。暴風雨などの圧力で押される海水は、地震などに比べて遥かに少量です。

地震による津波が、海洋の広大な沿岸一帯に到着するのに対し、気象津波は暴風雨周辺の局地的な被害をもたらします。また、最大津波高は2メートル程度です。つまり規模が小さいために「被害」とみなされないのです。

しかし気象津波は、一定の条件下で牙を剥くこともあります。1954年の例では、高さ3メートルの波がシカゴ沿岸を襲い、8名の犠牲者が出ました。1979年、日本の長崎湾では高さ5メートルの波が数名の犠牲者を出し(注;長崎湾固有の気象津波「あびき」を指す)、2013年には米国ニュージャージー州で遊泳していた2人が波にさらわれ負傷しました。

幸いなことに、大規模な気象津波は稀であり、被害も地震による津波より小さい傾向にあります。とはいえ気象津波による被害は発生するため、科学者たちは大きく危険な波が発生するメカニズムとその予測方法を探っています。

“空の津波”が発生しやすい条件

気象津波の1つの重要な要件として、地理的条件があります。細長い地形の港湾部は、開けた沿岸部よりも気象津波が発生しやすい状況にあります。

これは、陸と波の相互作用によるものと考えられます。

陸で反転した波は、海側から打ち寄せる波と相互に作用し合います。

これが一定条件下で、強力な波になります。

反転した波のピークが打ち寄せる波のそれと重なる場合、これらの波が共鳴して1つの大きな波となります。これは波の「干渉」と呼ばれる現象で、複数の波が重なるごとに力を増幅します。

このような波の干渉が発生するには、波の速度や角度、海岸線の地形など複数の条件がありますが、これらの条件が特に整いやすい場所が存在します。

挙げられるのは、細い水路や入口が狭い湾です。沿岸で反転した波がぶつかり合い、波の干渉が起こりやすくなるのです。結果として「気象津波が発生しやすい場所」となります。日本の長崎湾やアドリア海東部、地中海西部などは、すべてこうした狭い海域です。

条件がすべて整った環境下であっても、大きな気象津波が発生するとは限りません。波の角度や暴風雨の位置などの要素が絶妙に合致して発生するのが気象津波であり、それゆえに予測が困難なのです。しかし、成果は上がりつつあります。

米国五大湖で発生する気象津波を観測している研究者グループが2020年に発表した論文によると、既存の気象予報モデルを活用すれば、気象津波の発生要件である大気の状態を予測できることがわかりました。

つまり、晴れや雨などの天気予報に使われているコンピュータモデルを津波予測に転用できるのです。しかしこれはあくまで天気予報のコンピュータモデルであり、万全な津波予測はできません。つまり、現状ではまだ津波予測はできません。しかし研究の方向性は正しいはずですし、いつしか天気予報で“空の津波”から人命を守る日が来るかもしれません。