「会社から何か与えてもらおう」という考え方だった

ーー今回のテーマは「権限委譲」ということで、「創業社長から2代目社長への権限委譲」についてお話をお伺いしたいと思います。

浅野:私は当事者として社長業を委譲された側でもあり、今はコンサルタントとして後継者向けの事業承継の支援をしていますので、その両面でお話しできたらなと思います。よろしくお願いします。

ーーまず浅野さまのご経歴が大変ユニークですよね。会社に入って1年で取締役に抜擢されて、そこから2代目社長になるわけですが、その経緯をあらためておうかがいできますでしょうか。

浅野:最初の就職先は親のコネで入って、社会に出てからもふらふらしていたんですよ。ただ、どちらかと言うと仕事は一生懸命やっていて、出世意欲や向上心は強いほうだったと思うんです。

一生懸命やっているんだけど、他の人間のほうが評価されるわけですよ。それが気に入らなくて、「俺を評価できないような会社に居続ける必要はない」という独りよがりなところがありました。

ーーそうなんですね(笑)。

浅野:当時は自分も20代〜30代前半で、「会社から何か与えてもらおう」「この会社は俺をどう成長させてくれるんだ」という、ちょっと傲慢な人間だったんです。逆に今の立場からすると「おかしいだろう。給料をもらいながら成長させてくれることなんてあるはずがない」と思ったりもするんですけど、当時はそういう考え方だったんですよ。

マインドを変えたのは「与えたものが得たもの」という教え

浅野:後継社長になる5社目の会社には2006年に入るんですが、その直前にある方から「与えたものが得たもの」と教えていただきました。自分が与えられたもの、つまり「出し惜しみすることなく提供できたことそのものが自分が得たものだ」という意味合いなんだと自分は捉えたんですね。

50人規模の業務システムの開発会社に入って、そこからの1年間は、ビルの閉まっている日以外は年中無休で、土日・祝日関係なしに出勤しました。朝は事務所の鍵を開けて、夜みんなが帰ってから鍵を閉めて帰るという生活を365日続けました。

そこで抜擢されて半年で執行役員、入社から1年経った時に取締役に抜擢していただいたというのが経緯です。

ーー「与えたものが得たもの」という言葉で、受け身の姿勢から自律的に動けるようになったということなんですね。今の時代は365日働き詰めというのはちょっと難しいと思いますが、そのマインドの変化がポイントのように思います。

浅野:そうですね。365日働くのは、社会情勢的にちょっと厳しいですよね。自主的にやるんだったらいいんですけど、今の私の立場で社員にそれを求めてしまうといろんな問題が起きますよね(笑)。

42人抜きの取締役抜擢も、味わった挫折

ーー取締役に抜擢されたあと、2代目社長になるわけですけれども、挫折も味わったと拝見しました。その内容をおうかがいできますでしょうか。

浅野:もちろんです。本来、大企業の役員であれば「経営」と「執行」に分かれるんですが、中小企業だと一緒くたになるんです。なので、いわゆるマネジメントの立場になったのも、その時が初めてだったんですね。

それまではずっと平社員で、社員番号にしたら42人抜きで抜擢してもらったので、多少偉い人になってしまって、ちょっと傲慢なところもありました。それで部下には総スカンを食らいました。

年下の先輩がたくさんいたんです。要は社歴はあちらのほうが長くて、でも私より年下の人間から、たまに「いや、浅野さんは張り切り過ぎだよ」と言われました。今となってみれば、ちょっと空回りをしていたことが多かったかなと思います。

ーーその後に身につけたマネジメントのノウハウを『部下のトリセツ「ついていきたい!」と思われるリーダーの教科書』という書籍にまとめていらっしゃいますが、最初に空回りしてしまったのは、スピード出世だったからという部分があるのでしょうね。

浅野:そうですね。ちょっと勘違いしていた部分が多分にあったのかなと思います。

最初は社長になりたくてしょうがなかった

ーー先代社長から「社長になってくれ」と言われた時、うれしかったのか不安だったのか、どちらでしたか?

浅野:これはうれしくなかったというか、継ぎたくなかったんですね。私が後継社長になるまでの経緯として、実は2009年に別の役員の方がいったん社長に就任しているんですよ。

創業者は会長に上がって、創業メンバーの役員の方が社長に就任したんですが、それから2年半経った時に「やっぱり駄目だ」という話になってしまって、社長が辞任するかたちになり、会長が社長に戻ったんです。

私はどういう状況だったかと言うと、2007年に取締役になってから、4年ほどは平取でした。その頃、私自身は社長になりたくてなりたくてしょうがなかったんです。

ーー最初は社長になりたかったんですね。

浅野:中小企業は結果として同族会社みたいなものなので、私自身は最初は「社長にはなれない」と思って入社していたわけですよ。

ただ、役員のみなさんが自分の親族を(会社に)入れないという申し送りをしていて、別にオーナーの息子がそこにいるわけでもなかったので、「もしかしたら自分が社長になれるかもしれない」というチャンスを多少なりとも感じていたんです。

最初は「社長にはなれない」と思って入って、だんだん「社長になれるかもしれない」と思いながら、取締役になりました。取締役になった時は、「いずれ社長になる」「この会社でもしチャンスがあれば」と思っていました。

「社長をやる意味はないかもしれない」と感じた背景

浅野:取締役っていわゆる「経営陣」じゃないですか。だから、影響力も含めて「だいぶ自分の権限も広がるんだろうな」と思っていたんです。でも、実際に自分が経営陣の一員になった時に「やっぱり中小企業って社長そのものなんだ」と思うようになったんです。

何が言いたいかと言うと、取締役と社長との権限や影響力の差を感じて、「取締役といっても新入社員の影響力とそんなに変わらないな」という実感を受けてしまったんですよ。

そんな中で2009年に別の方が社長になり、2011年の途中に辞められました。会長がまた社長に戻って「会長兼社長」になり、社長をやられていた方は平取になるという状況でした。やっぱり初代の社長がオーナーであり、2代目の社長は実質解任されたようなかたちなんです。

その代わりに、私が次の社長候補として2011年に専務になりました。オーナーかつ社長という影響力をすごく感じていたので、私は(前の方と)同じように会長に気を遣い、自分のしたいことができないのであれば継ぎたくないと思っていました。

実際には、2014年の1月から後継社長を引き受けるんですけどね。その1年前の2013年から「そろそろお前だ」という話があるわけです。会長兼社長と毎月1回サシで飲みに行って、「そろそろどうや」「そろそろどうや」と言われていました。

でも私は、前の人のようにはなりたくない。だから、失礼ながら創業者に「元気なうちはずっとやったらどうですか」と言っていたんです。あれだけ社長になりたかったのに。

社長になっても自分の好きなことができないのであれば、社長をやる意味はないのかなとも思って、独立も考えていました。でも、次の年からは新社長としての戦略を立てたりビジョンを描く必要があるので、お盆前後が私が受けるか受けないかのタイムリミットだったんです。

創業者から頭を下げられて考えた「なぜ自分が社長に選ばれたのか」

浅野:今でも忘れないんですけど、2013年8月12日、お互いに出張で夜は会えないので、朝7時に待ち合わせして喫茶店に入り、最後は創業者から頭を下げられたんです。「頼む。お前しかいないから」って。

頭を下げられた時に、私はすごく情けない気持ちになったんですね。ふらふらしていた自分を取締役にまで抜擢してくれて、それなりに仕事ができるような状況にしてくれた恩人に頭を下げさせるとは何事だと思ったんです。

その時に申し訳なさと、もう一方で「なぜ自分が社長に選ばれたのか」を考え直したんです。社員は50人近くいて、営業のスペシャリスト、コンサルのスペシャリスト、システム開発のスペシャリストはそれぞれいたんです。

私よりそれぞれの分野のスペシャリストはたくさんいましたが、私以上にオーナー兼会長兼社長の想いなり方向性を理解している人間がいないのかもしれない。それで、「行き着く先が同じであれば、やり方は違ってもいいのかな」と思えたんです。その時初めて「2代目社長を引き受けよう」と思いました。

2代目社長は「煩わしさ」と同じ量の「恵まれている点」もある

ーーいろいろな葛藤があったんですね。

浅野:ありました。継いだ後も、「しがらみが多いな」と思ったんですよね。私を含めて取引先も社員も全員、先代社長が決めた人間じゃないですか。言い方が失礼ですけど、中小企業なんて社長と社員の関係性そのものかなと思う部分もあります。

私が社長に就任した後、先代は会長になられたんですが、やはりそこにいる社員は会長との関係性が強いわけですよね。その難しさや煩わしさを感じながらやっていたというのが正直なところでした。

でも逆に、自分がいざ独立するというタイミングで「ものすごく後継者は恵まれているな」と気づかされました。与えられたものなので、きっと煩わしさのほうが先に立つんですよね。

ーー受け取り側の気持ちとしては、「恵まれてるな」より「やりにくいな」が先なんでしょうね。

浅野:でも、後継者はものすごく恵まれています。資金繰りも、安定した事業も、そこから生まれるキャッシュもある。いろいろ文句を言いたいところはあるでしょうけど、社員もすでに揃っているし、ゼロから立ち上げるよりもやりやすい面が多いんですね。辞めてからは「煩わしさと同じ量の恵まれている点もあるんだな」と思いました。

入社後、常に考えていた「自分が社長だったらどういう判断をするか」

ーー浅野さまが社長に就任され、赤字経営から一転して5期連続増収を達成されました。それまでに準備したことがあればぜひ教えていただきたいです。どうしてこの5期連続増収を達成できたのでしょうか?

浅野:これは社長になってからに限らずですが、私は前の会社に入った時から「自分が社長だったらどういう判断をするか」を常に考えていました。

「自分が社長の立場だった時にどういう判断をするか」を常にイメージしながら、意思決定する前の社長に自分の意見を必ずぶつけていましたね。社員の時も平取の時も、専務になってからもずっと心がけていました。

ーーご自身がどんな立場の時でも「社長の目線」で考えるんですね。

浅野:そうですね。あくまでも仮想ではあるんですけど、イメージトレーニングを重ねることで、社長になった時の「意思決定のプレッシャー」に対する心構えができるんです。イメージしていた時の比じゃなかったと社長になってから知るんですけど、いかにそれを疑似体験しておくかがすごく大事かなと思います。

私はうちの社員にも、「(社長としての)意思決定は当然するし、役員や管理職が意思決定する場面では、最終的な判断にはしっかり従ってほしい」と言うんです。

でも無条件に従うのと、自分の考えを持って従うのは違う。「上司はどう判断するか、社長ならどう判断するか」を(想像して)自分の考えと最終的な上司の判断の違いを明確にしながら事を運んでいくと、自分が意思決定する立場になった時に役に立つんです。

意思決定のための「視座を高めるトレーニング」

浅野:意思決定するってけっこう勇気が要るんですよ。「間違っていたらどうしよう」というプレッシャーもあるし、(意思決定のトレーニングをしていくと)そのプレッシャーに負けなくなるんじゃないのかなとも思います。

結果としてそれは疑似トレーニングなんですけど、私自身はそれをやっておいたおかげで、良くも悪くもスピーディな意思決定ができたんじゃないかなと思います。

ーーそれは社長に限らない話ですね。プレイヤーからマネジメント側になる時にも、その目線を揃える疑似トレーニングがすごく大事になると感じました。自分の考えと重ねることで、一方的な「やらされ感」がなくなりますよね。

浅野:おっしゃる通りです。自分の仕事を「自分だったらどうやるのか」と考える。もちろん指示・命令に従わなければ組織になりませんので、自分の考えと指示・命令が仮に違ったとしても、実行しなきゃいけないことはあると思うんですけど。

やはり自分ごととして捉えるトレーニングや、視座を高めるトレーニングはものすごく重要だと思います。コンサルタントとしてお話しする場面でも、常に伝えていることではありますね。

ーー自分自身で視座を高めながら、先代の想いを受け継いでこられたことが、2代目社長としてのご活躍につながったんですね。