2024.10.21
お互い疑心暗鬼になりがちな、経営企画と事業部の壁 組織に「分断」が生まれる要因と打開策
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ーー2月のログミーBizでの特集が「ビジネスをアップデートする、次世代への権限移譲」というテーマになっております。そちらで掲載する4つの記事のうちの1つとして、本日はお話をうかがえればと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
曽和利光氏(以下、曽和):よろしくお願いします。
ーーこちらのインタビューの企画テーマというか、仮タイトルが「組織における『理想的な権限移譲のあり方』とは?」となっておりまして。そちらについて、いろいろとお聞きしたいです。
曽和:わかりました。おもしろそうですね。
ーー本当ですか! ありがとうございます。
曽和:じゃあ、まず僕から「権限委譲の概要」についてお話しても大丈夫ですか?
ーーもちろんです、よろしくお願いします。
曽和:組織論の観点からすると、権限移譲とはダイバーシティの問題とも似たように、最初は「必要悪」として出てきてるものなんですよね。ダイバーシティも、はじめは「対応しなければいけないもの」として出てきている。そして徐々に「やらなければいけない以上、それを効果的にするにはどうしたらいいか?」という問いの立て方に、徐々になってきています。
そして、後から振り返れば、さも「権限移譲=良いこと」「多様性=良いこと」となってきてる、これは時代の流れだと思うんですけど。
さて、権限移譲が必要となる理由を考えると、もともとのもともとでいうと、それは人間には「認知限界」があるからです。よく、マネジメント・スパン・オブ・コントロールというんですけど。要は「ちゃんとマネジメント、コントロールできる・統制できるスパン(幅)」。何人ぐらいまでなら、1人のマネージャーがきっちりと見られるのか? みたいな研究もあったりして、だいたい「6人プラスマイナス1人」とか言われています。偶数だと多数決の時に困るから、7人とか奇数がいいといった理由で「マジックナンバー7」とかね。
結局、そういったさまざまな過去の研究などに基づいて、例えば軍隊における最小組織もだいたい「6、7人」になっていて、それを「15人」とかのチームにはしないわけです。
だから、人間には「認知限界」「ちゃんと見られる範囲の限界」がある、と。それを仕事で考えると、仮に1チームの最少人数を6〜7人だとしたら、組織の全体メンバー数が13〜14人とかになったら2チームに分けて、チームごとにマネージャーをつけていく。そしてそのマネージャーを、今度はその上の人が管理する。というようにしていかないと、結局、トップの人が「その組織で起こっていること」を見られない・わからない。わかなければ、問題への対処もできない。
だから、中間というか「管理職」というポジションや「マネージャー」を設けて、その人たちにトップの権限の「一部を移譲させる」ことによって、組織を運営していくしかないよね、と。簡単に言うと「人数が増えて全てを見ることができなくなるから、権限移譲しなければいけなくなる」。これがもともとの考えです。
曽和:だからすごく小さいチームだったら、本当なら権限移譲は必要ない。今のようなリモート文化になってしまったら、またちょっと別の話なんですけど。でも、実際はありますよね。いっさい権限移譲せずにやっている、小さい会社さんとかお店とか。ぜんぶ店長が決めて「誰にも1円も触らせない」みたいなお店もあったりする。
でも、そのこと自体が直接的に「ダメ」というか「失敗に導かれる」わけでもないんです。小さくて、経営者が自分で直接見られるんだったら、一応、理屈としては権限移譲なんかしなくても済むと思うんですね。
ただ、一定以上。6〜7人とかが(認知限界の)平均値って言われてるぐらいですから、ちょっとでも大きな企業になってくると、1人の人が全体を見ようと思っても、人間の限界で不可能になってしまう。だから、仕方なく権限移譲があるんです。
ただ、その権限移譲にもいろんなかたちがあります。あるいはもっと言うと、僕は段階があると思ってるんですけど、その段階の進み方を間違うと大変なことになるんですよね。
僕は権限移譲の仕方って、だいたい4段階ぐらいあると思っています。それは、僕が『人事と採用のセオリー 成長企業に共通する組織運営の原理と原則』っていう本でもご紹介したんですけど。グライナーという経営学者が提唱した、1980年ぐらいのすごく古典的な理論「グライナーモデル」というものがあって。
これは、組織に人間が増えてきて権限移譲をせざるを得なくなった時に、どういった順番(段階)で権限移譲していったらいいのかという考えです。
曽和:1つ目の権限移譲段階は何か? というと、例えば社長やトップが「メンバーにやってほしいこと」がありますよね。それを1から10まで行動レベルまで規定して、そのとおりにやらせる。「行動自体をマネジメントする」ということです。
権限移譲はするんだけれども「これをちゃんとやってね」って、行動まできちんと指定した上で権限移譲する。そして「メンバーがその行動をちゃんとできてるかをチェックする係が、君だよ」って、マネージャーに権限移譲してく。これは「社長からマネージャーに」でも「マネージャーからメンバーに」でも、同じ構図です。今は「社長からマネージャーに」の関係でお話していますが、これはすべての関係において当てはまるって考えていただければと思います。
要は、キーワードでいうと「マニュアル化」だったりとか「行動でコントロールする」みたいなことなんです。
ーーそれは、いわゆる「ファーストフード店」みたいなことですか?
曽和:そんな感じですね。「メンバーがその行動どおりきちんとやってくれてたら、あとは回る」というか。権限移譲って言いながらも「自由度はどこにある?」といったら、かなり自由度の量は少ないかもしれないんですけど。
規定されてることをしっかりやってくれさえすれば、あとはそれをどれぐらいのスピードでやるのか? とか「書いてないこと(規定されてないこと)であれば、ある程度は自由である」ぐらいのレベルですよね。
もっと言うと「自由にやらしてもらえる」っていうのは、「書いてあること(規定されていること)をやってる限りにおいては、痛くもない腹を探られない」という権限移譲。
「見ないし、任せる。でも、やること(行動)はこういうふうにやってよ」っていう。この「行動でコントロールする権限移譲」が、一番原始的な「権限移譲の第1ステップ」と言ってもいいと思うんですよね。
曽和:でも、そういう権限移譲をするとメンバーはどうなるか? 当然ながら「自分で物事を考えなくなる」と。最前線の人たち(メンバー)が、マニュアルにないことが発生した時に足が止まってしまう。
これは作り話だと思うんですけど、ファーストフード店でハンバーガーを50個注文したお客さんが居た、と。そのお客さんに対して、店員さんは「お持ち帰りですか? ここで食べていかれますか?」って聞いて「持ち帰るに決まってるだろ!!」みたいな。そんな笑い話ってあるじゃないですか。
ーーありますね(笑)。
曽和:たぶんそれは嘘というか作り話というか(笑)。でも、そういうことになっちゃうわけですよね。「頭で考えない」。
ーー「マニュアル人間」になってしまう、というイメージでしょうか。
曽和:簡単に言うとそういうことですよね。せっかく最前線の人が持ってる知能だったりとか自律性みたいなものを、失わせる権限移譲になってくるので。
曽和:じゃあ、それを解決するための次のステップは何か? ここらへんからが一般的には権限移譲って言われると思うんですけど。
キーワードとしては「自由と自己責任」みたいな言葉が出てきます。上はメンバーに「ゴールは与えるけど、行動はチェックしない」と。要は「このゴールさえ目指してくれるんだったら、手法論・登り方はなんでもいいですよ」という権限移譲です。
自由だけど、その代わり「自己責任」。その自己責任っていう考えの裏側に登場するのが、「インセンティブシステム」です。要は「目標を達成できたらナンボ、できなかったらナンボ」という仕組みです。ボーナスとか賞与みたいなものだったりとか。いろんな人事評価の仕組みとかでやる場合もありますが。
「手法は自由だけれども、目標は変えちゃダメだよ、握ったとおりね」と。時期とかコストとか、目標とかクオリティとか、そういうのは上と握る。でも、それを達成するための考え方「自由と自己責任」です。「みんなで一斉に競争して、より早く辿り着いた人が勝ちだ」というタイプの権限移譲が、次のステップとして現れるわけです。
曽和:実はこのタイプの権限移譲が、先ほどの「行動でコントロールする権限移譲」をスキップして、先に来る場合がよくあります。権限移譲する側のトップの人って「こういう行動をやってね」っていう行動リストを作るのが苦手なんですよね。経営者やマネージャーが「自分がやってきたことを代行してもらう」のが権限移譲だと思うんですけど、デキる人って「自分が何やってるか」が自分でわからなかったり、形式化できなかったりすることも多いんです。
そして、そもそも「次のステップ(第2ステップ)」であるはずの「自由と自己責任」が好きな社長・経営者が多いんですよね。だから「お前ら(メンバー)もそうだろ?」っていうことで、第1ステップの「行動でコントロールする権限移譲」を飛ばして、第2ステップの「自由と自己責任の権限委譲」から始めちゃう人が多いんですけど。ここにまず、第1の失敗が待ってます。
人間は「ゴールさえ与えて自由にしておけば、自発性やクリエイティビティを発揮して、いろいろ動くか?」っていうと、プロやベテランだったらそうなることもありますが、若い人であればあるほど「自由にやっていいよ」って言われると足が止まるだけなんですよね。
エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』ではありませんが、「自由って怖いもの」っていうか。社会的には「自由のほうがいい、自律的なほうがいい、自由な社風がいい」って言ったりするんでしょうけれど。本当に自由になってみると、問題が起きることもあります。なんなら会社で多い文句っていうのは、「うちの会社には理念がない」とか「方針を示してくれない」とか「ビジョンが足りない」とか。
要は、言い換えれば、権限移譲どころか「自分を導いてくれ」っていう文句が、社員の中で一番多いんですよね。それぐらい、人間って矛盾した存在で。「権限移譲してくれ」「自由にしてくれ」って言いながらも、自由にしてあげたら文句を言う。
ーー(笑)。
曽和:例えば「ビジョンがあいまい」って、すごく良いことだと思うんですよね。逆に「ビジョンが明確」っていうのは、究極な話、マニュアルまみれになったらどうするの? という話で。ビジョンがめちゃくちゃ具体的に「こういうこと!」って明確に定義されてるとしたら、このとおりに行動しないといけない。
でも例えば、リクルートのビジョンって「新しい価値の創造」とかなんです。「えっ、それだけ!?」みたいな。でも、それだったらいろいろ自由にできるわけですよね。
「うちのビジョンは、あいまいだ」という不安な気持ちの心理の裏には何があるかっていったら、やっぱり自由に対する恐怖ですよね。
曽和:そんなことがあるので、実は第2ステップの「自由と自己責任型の権限移譲」「ゴールだけ設定して、手法はなんでもいい方式」と、第1ステップの「手法・行動まで規定して、いちいち指示しない方式の権限移譲」を比べると、第2ステップのほうが良さそうに思われながら、本当はその前に第1ステップがないと良くない。
「型がないのは型なし」であって、いきなり自分の型を自由に作るのではなく「守破離」というように、最初は師匠に与えられた型を守って、徐々にそれを破り、離れて、自分を型を作るのがよいのでしょう。歌舞伎とかで言ったりしますけど。
結局、みんな嫌かもしれないし、社会的には望ましくないかもしれないのですがやっぱり、第1ステップの「行動を1から10まで指示された上で、あとはもう勝手にやって」を経験せずに、第2ステップに早くいきすぎると、足が止まるだけで権限委譲が機能しない。ただ単に「無茶振りをしただけで終わる」っていう状況が訪れたりするんですよね。
これは“ベンチャー企業あるある”なんですけど。成長企業でマネジメントが進化していく過程において、人数が増えて認知限界を超えそうになった時、最初にいきなり「ゴール設定とインセンティブシステムだけで、自由と自己責任」の第2ステップの権限委譲から始めると、足が止まって動かない。
だからもう1回、マニュアル型の第1ステップをやり直して、それでいったん「型」にはめてから、次の第2ステップの「自由と自己責任型」に移っていくというのが、ベンチャー企業のあるあるなんですよね。
ーーそれは、最初に型にはめてあげることによって、自由になった時に「自分に与えられた自由の領域」がわかりやすくなる、ということなんですか?
曽和:そういうこともありますし、まず、型があるからそれを改良したりできる。要は「0→1が難しい」ってことなんですよね。
例えば営業のやり方も、型があるからこそ「自分の性格からするとこうだな」とか「自分の能力からすると、このやり方のほうがいいのにな」っていう、それ(型)に対しての意見が出たり、文句があったり、改善がしたい気持ちが生まれたりするっていうことだと思うんですね。だから、いきなり第2ステップの「自由と自己責任型」に持っていく権限移譲は、「権限移譲じゃなくて無茶振り」だと思っています。
でも、普通のマネージャーとかも同じだと思いますよ。「俺は権限移譲するから」って言って、ゴールと達成基準みたいなものだけ与えて、あとは自由。それで「どう? できてる?」みたいな感じの課長っているじゃないですか。
でも、それはやっぱりダメなのです。権限委譲された側のメンバーの能力がすごく高くて、それでできそうなんだったら一気にやってもいいんですけど。そうじゃなかったと気づいたら、今度は「1から10まで指示してあげる段階(第1ステップ)」に下りて、もう1回やり直さなきゃいけないと思うんですよね。
ここらへんが、すごくよくある「権限移譲における問題、その1」っていうんですかね。
ーー要は「飛ばしちゃう」ということですよね。
曽和:そう。飛ばしちゃって、そのメンバーの能力を見極めずに権限委譲してしまう。(能力的に)自由と自己責任なんかで権限委譲したって、できもしないものをやって。結局、できなかったら「お前、自己責任ね」みたいなことを言っている「上司の無責任」。そういったことがあるんじゃないかなと。これが2ステップ目だと思います。
曽和:そして第2ステップで「自由と自己責任型」がうまくいったとしましょう。でも、そこでもやっぱり問題が起きるわけです。第1ステップの「マニュアル型の権限移譲」「マニュアル書いてあるからマネジメントしないよ」っていう権限移譲の問題点は、自律性の問題点ですよね。自発性とか、自分の頭でものを考える力が損なわれるのが問題点でした。
じゃあ、第2ステップの「自由と自己責任」「自分の手段で考えていいから、いろいろやっていいよ」の問題点は、「全体最適を失う」ってことなんです。
例えば「このゴールを目指すためには何やったっていいよ」って言ったら、メンバー全員が「自分にとって一番やりやすい方向(部分最適)」だけでゴールを目指していく。それは「協調性の少ない社会」と言ってもいいかもしれません。
要は「ゴールさえ目指してくれたら自由にやっていい」とみんなが言い始めたら「全体最適を目指そうとする人が減ってくる」わけです。そうなると今度は、組織全体で見た時に「メンバー個々人の力が最大発揮されている」っていうことにはつながらなくなってくるんですね。
お互いに足を引っ張り合ったりとか。あるいは例えば、営業職だとしたときに、ターゲット顧客とかをリストアップしますよね。で、自分ではもう回りきれない・アプローチしきれないぐらいのアタックリストがあったら、本当は隣の人に回せばよかったりするじゃないですか。でもインセンティブシステムから考えると、それって自分のライバルを作るようなものなんです。すると「隠し持っとこう」みたいな感じになってしまう。
だから、いろんな「自由と自己責任」で“大競争時代”みたいな権限移譲をしていると、アダム・スミスの「神の見えざる手」みたいに自然に全体最適化されるか? っていうと、組織内ではそういうことにはならないわけです。
曽和:だから、その次の段階(第3ステップ)の権限移譲が「計画を出させる」という仕組みですね。それはつまり「自由にやっていいけど『何をやろうとしてるか?』という計画・プランを、実行する前に出しなさい」と。「やってもいいけど、いったんチェックさせろ型」の権限移譲ですよね。
そうすることで、最初に(いろんな部署から出された)計画が揃ってくるじゃないですか。そのタイミングで全体最適でいったんならして「君はこのリソースを自分の部署で使おうと思ってるかもしれないけど、ごめん。こっちに回すね」とか。
それは「人・物・金」全て。例えば「トップ営業マンは今いるチームじゃなく、火を吹いてる最前線の別のチームに移すよ」とか。よく「横断的資源管理」みたいな言い方をしたりするんですけど。
その「人・物・金」の仕事をしていくリソースみたいなものを、計画を見て、本当に全体最適になるように分担させていったり。あるいは、方針自体の修正みたいなのも、ちょっとずつ行うわけですよね。で、ある程度は全体最適になってるのがわかったら「あとは自由にやっていいよ」っていう、1回チェックを入れるようなシステムが、その次の第3ステップとして来ることが多いですよね。「計画による管理」って言ってもいいですけど。
だから、第1ステップ「行動による管理」、第2ステップ「結果による管理」、第3ステップ「計画による管理」。権限移譲っていうのは、裏側に管理が必ずついています。なぜか? というと、矛盾するようですけど「勝手にやっていいよ」っていうのは、権限移譲じゃないんです。権限を移譲したら、必ずモニタリングシステムが必要なので。「ちゃんと実行してるかどうかを、管理者が見ない」ってことはないわけですね。
世の中には「本当に自由にやっていいよ」っていう権限移譲はない。というか、それは権限移譲という言葉じゃなくて、例えば「独立」みたいな話なので。組織の中にはそういう権限移譲はないですよね。
ーーなるほど。
曽和:つまりは、それぞれのステップごとの「行動」「結果」「計画」によって、どうやってモニタリングするのかが違うっていうことなんです。だから第3ステップの「計画」の場合は、今お話したみたいな流れになります。
曽和:でもそうすると、また問題が発生してしまうんです。それはなにかというと、よく「計画が独り歩きする」っていう言い方をしたりするんですけど。予算管理のことを考えていただくと、たぶん一番わかりやすいですね。
例えば、いったん承認を得た計画っていうのは、社内でOKが出された「正義」なんです。でも、予算が下りた後に「実際、こんなに使わないわ」ってなる時もあるじゃないですか。だけど、それで「使わなかったので」ってお金を返したりすると、次の予算を減らされたりしますよね。だったら「1回承認された計画は、その後にどんな変化があったとしてもやりきる・使い切る」みたいな。
そういった「計画が独り歩きしてしまう」という問題点が、今度は起こるわけです。もちろん、いったんチェックを受けて全体最適化された計画なわけだから、悪いわけではないと思うんですよ。しかも、その計画自体は自分たちで立てたもので、修正は多少加わったけれども、別にコミットできないものではない。
そうすると、いったん計画を立ててちゃんと承認をもらっておけば、全体最適を保ちながらみんなが自由にやりたいこともできる状態が作れるものの、最大の問題点は「計画が独り歩きして、柔軟性が失われる」っていうことなんですよね。変化に対応する能力が減っていく。予算なんかはわかりやすくて、どんなことがあっても「計画自体を実現すること」が目的化していく。
だから例えば、なぜ3月や9月にテレビCMがやたら多いのか? といったら、明らかに企業の予算消化のためですよね。そのように、計画がものすごくパワーを持っていて、柔軟性を失っていくことがあります。
曽和:じゃあ、最終的にはどんな権限移譲が良いのか? それは「文化による管理」ではないかと言われています。つまり価値観だったり、ビジョン・ミッション・バリュー、「VMV経営」とか「理念経営」みたいな言い方をしますよね。そういった理念によるマネジメント、文化によるマネジメントです。
「緩く縛る」という言い方をしたりもすることもありますが。「俺たちってこういう方向性だよね」「こういうことを目指しているよね」「こういう価値観だよね」みたいな感じで、抽象度はすごく高いんだけれども言っていることは明確だし、何を目指す・目指さないとかも明確だし、OBラインもわかる。
そこを強く握ることによって、自由度も増す。創造性も阻害しない。一定の方向性は合っている。全体最適や協調性も失わないし、計画の独り歩きもない。
今までの「行動による管理」「結果による管理」「計画による管理」。そして最後が「文化による管理」だとすると、その前の段階の権限移譲の仕方が、それぞれ持っていたマイナスポイントみたいなものを解決しているのが「文化による管理・マネジメント」。つまり「文化さえ守っていれば、あとは任せるよ」ということですね。
第1ステップの「この行動さえしてくれれば、もうチェックはしないよ」というのが、一番原始的な権限移譲。そして「ゴール・結果さえ守ってくれれば、あとは任せるよ」というのが、第2ステップ。さらに第3ステップが「計画を教えてくれれば、調整するけどあとは任せるよ」。そして最後が「文化を守ってくれさえすれば、あとは任せるよ」。こういう段階で、権限移譲は進化していくんじゃないかと思っていて。
曽和:もっと言うと「じゃあ最初から『文化による管理』でいいじゃん!」という気もするんですけど、これは飛ばしていくことはできないものだと思っています。一番わかりやすいのが、最初のステップ(行動による管理)を飛ばして、「自由と自己責任でやる」(結果による管理)ところで、躓いている会社が異様に多いんですけれども。
結局、それぞれのステップの権限移譲を通じてメンバーや組織が育っていって、高度化したら次のステップができるようになってくるものだと思うんですよね。
例えば、2段飛ばしで「計画による管理」からスタートした場合。実は2ステップ目の「自由と自己責任」(結果による管理)の良さというのも、やっぱりあって。これには「個人の限界を最大限引き出す」というメリットがありますよね。
でも、そういった組織のポテンシャルがわからないまま、いきなり第3ステップの「計画による管理」からスタートしたら、立てられた計画を粛々と実行するだけになってしまう。そして第1ステップの「行動による管理」を飛ばすと、今度はもともとの「型」がないことの弱さだったり、育成のスピードが遅くなったりとかいろんな問題が起こる。
第3ステップの「計画」なしに、いきなり「文化」といった場合。要は「文化に沿った計画を立てたら、承認なしにやっていいですよ」という話なわけですけれども、やっぱり計画を立てる能力がないままに「文化によるマネジメント」にいっちゃったりすると、それは単なる“お花畑の世界”というか。理想的ではあるけれども、本当に複雑な仕事が実行できる組織になっているか? って、やっぱり難しいと思うんですよね。
そういった流れを、超速で進んでもいいとは思うんですけど、あまり飛ばすのは難しいんじゃないかなと、僕は見ていて思うんですよね。だからいつも人事コンサルティングをやらせていただく時には「この会社はどのあたりのマネジメントステップ・ステージにあるのかな? 権限移譲のステージにあるのかな?」みたいなところを感じているというか。
やはり「文化・価値観・ビジョン・理念だけを守ってくれてたらいいよ」というのは、かなり成熟したメンバーがいなければ難しいと思うんですよね。本当にいろんなものが自由になっていくので。だから、そこはあまり早く行き過ぎても難しいかな。
もちろん、きれいにステップごとに進むことについても、そもそもこれは概念上の話なので、「全部を同時にやっている」という感じかもしれないです。文化を守ることも最初からやっているし、計画の縛りも、ゴールの縛りも、行動の縛りもやるわけですよね。
それが、会社の中で権限移譲する側の成熟度であったり、携わっている仕事の状況によって、「どこらへんが強いか?」が変わってくるというのが実態だと思います。というのが権限移譲の進化の仕方、全体像ではないかなと思っています。
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