安田剛士先生の「どんな人も絶対に描けない時が来る」という言葉

小笠原圭吾氏(以下、小笠原):Twitterからも事前に質問を募集していまして、かなり多く来ていましたので、質疑応答に移らせていただければと思います。事前に来ていた質問から、全部は紹介できないのでいくつかピックアップさせていただければと思うんですけれども。

これは魚豊さんメインになっちゃうかもしれないんですが、「新人漫画家時代に実践した絵の練習方法とか、ストーリーの作り方の練習方法をお聞かせ願いたい」ということなんですが、いかがですか?

魚豊氏(以下、魚豊):これは、僕はそうだったということなんですけど、やっぱり読み切りぐらいの時までは尖っているというか、絶対にHOW TO本を読まない。「こんなもん読んでいるやつはもう偽物、養殖だ」とか思っていて。

小笠原:(笑)。魚豊さんっぽいですね。

魚豊:そう思って途中まではうまく行けたような気がするんですけど、連載ネームの時に完全に限界が来て、まったく描けない。40ページのものを描く練習をずっとずっと積んできたのに、ここから未知というか、1,000ページか2,000ページか、もうはたまた1万ページかもしれないという。どこでどう描くか、始まりとなる1話を40ページで描くって何? というのがまったくわからなくて。

完全に躓いた時に、それこそ僕は最初マガジンに応募していて、『ひゃくえむ。』の読み切り版が『DAYS』の安田剛士先生の安田先生賞をもらったんです。その授賞式の時に、安田先生がその賞のその回のメンバーに対して「絶対にこれは言いたいけど、絶対にネームが描けなくなる時が来る。どんな人もそう。どんな人も絶対に描けない時が来る」って言ってくれたんですよ。「でも、いけるから」と。

「来る」とだけ言って、どう対応すればいいとかはないんですよ。ただ「来るよ」というのを教えてくれて、それがすごく救いになる言葉で、「今がそれなのかな」と思えたんです。

HOW TO本は、ある時期までは馬鹿にして、ある時期から読んだほうがいい

魚豊:そこで「みんなこれを経験して、その先に行っていたんだな」と、折れずに腐らずにもうちょっとがんばってみようと。ぜんぜん何をすればいいかわからなかったんですけど、HOW TO本を1回読んでみたんです。そしたらめちゃくちゃおもしろくて。

小笠原:(笑)。そうなんですね。

魚豊:単純にエンターテイメントとしてすごくおもしろくて。どういうものを人間がおもしろがるのか。絶対HOW TO本の良し悪しもあると思うんですけど、僕が読んだ本はそれこそ『スクリプトドクターの脚本教室』という一番有名なやつなんですけど。めちゃくちゃ勉強になって、その中級編がすごく良くて。

小笠原:中級編。

魚豊:初級編と中級編があるんですけど、初級編は本当に一から始める人というか、読み切りを描く人用なんですね。中級編が、読み切りは描けるんだけど連載どうしようという人用の本で、まさに僕にぴったり当てはまって。

ああ、なるほどなるほどって、目から鱗なことがいっぱいあって。何段階か自分の人生で「あ、ちょっと成功したかも」と思う瞬間があったんですけど、その『スクリプトドクターの脚本教室』の中級編の緑の本を読んだときは、一番はじめの「これはちょっと行けるようになったかも」というところでした。

『スクリプトドクターの脚本教室・初級篇』(著・三宅隆太/新書館)

『スクリプトドクターの脚本教室・中級篇』(著・三宅隆太/新書館)

物語の練習としては、HOW TO本はある時期までは馬鹿にして、ある時期から読んだほうがいい。

小笠原:(笑)。

魚豊:初めから読んじゃうと完全に影響されるし、やりたいことがわかんなくなっちゃうと思うんです。自分に確固たる何かがあって、その先に技術が付いてくるのかな。僕はマジであれですけど、次がぜんぜん描けない可能性もあるし、今回の作品でうまく描けているかもわからないですけど、自分なりのやり方はそこで見つけたかなという気はします。

キャラクターの参考書があることのメリット

小笠原:最初どんなに尖ったとしても、HOW TO本は読んだほうがいいよと(笑)。

魚豊:最終的に。でもやっぱり尖る時期は絶対に必要だと思います。尖ってHOW TO本を馬鹿にしつつ、でも単純におもしろいので、馬鹿にしながら読んだほうがいいと思います。

小笠原:(笑)。

魚豊:「そんなん興味ねーよ」と言いつつ、「あれ、何か深くない?」みたいな瞬間があるので。それこそその流れでいくと、アリストテレスの『詩学』とかって、一番最初の創作のHOW TO本ですけど、もうべらぼうにおもしろいので、マジでいろんな方が読んだほうがいいと思いますね。 

あと、テオプラストスの『人さまざま』という本があって。彼はアリストテレスの弟子なんですけど、『人さまざま』という本は、それこそギリシャにいたいろんな人物のスケッチとか分類を分けていくんです。おしゃべりな人とか嘘つきの人とか人気者とか、すんごい細かく分類されています。

それが完全なるキャラクター関係が創作の役に立つというか。キャラって組み合わせなのである時期に尽きちゃうと思うんですけど、そういう参考書みたいなのがあると前に進めるというか、おもしろく続けられるんじゃないかなと思いますね。

読み切りと連載の間にある「壁」

小笠原:『ひゃくえむ。』も『チ。』もそうですけど、ストーリーが苦手だとは本当に感じないんですよね。むしろ時系列もけっこう飛んだりする中で、ストーリーの組み立てが非常に上手だなと思うんですけど、それもHOW TO本がきっかけで変わったんですか?

『チ。―地球の運動について― 』第1集(BIG SPIRITS COMICS/小学館)

『ひゃくえむ。』第1巻(KCデラックス/講談社)

魚豊:読み切りの時は、読み切りの中の枠でこういう感じにやったらいいかなと自分の中であったんですけど、連載がぜんぜん想像できなくて。言うほどでもないんですけど、けっこう考え方が違うところだったのでめっちゃ悩みましたね。今も悩んでますけど。

長編って「どこからどこまでどういうふうに」というのが、かなり数字でも出ていると思います。(読み切りで)賞を取ったことある人はめっちゃいるけど、そこから連載につながらないという。

小笠原:そこに壁があるんですね。

魚豊:「これ、どうすればいいんだろう?」というのが最難関だと思うので、いろんなものを駆使してやっても楽しいんじゃないかなとは思いますね。

物語は「何を恐れて何を克服するのか」の繰り返し

小笠原:何かストーリーを転がす上でのコツとかがあれば。

魚豊:それこそ『スクリプトドクターの脚本教室』で一番勉強になったのは「恐怖」です。何を恐れているか。そういうセリフが直接出てきていたわけじゃないですけど、僕なりに解釈した時に、「何を恐れて何を克服するのか」というところがものすごくでっかくて。それを小さい範囲とか大きい範囲で繰り返していけばいいんじゃない? と。

言うだけなら簡単でやるのは難しいんですけどね。それこそお笑い芸人さんのネタで「フリオチ」というのが細かい段階で進むし、4分で見たら大きい段階で進んでいる。

そこからは実践という感じでしたけど、その意識もぜんぜんわからなかったので、その本を読んでから「大きな筋を1個作るんだ」というところに対する自信みたいな、信頼みたいなものができたんですよね。

どこからどこに行けばいいのかすっごい迷っていたんですけど、「1話でもここからここまで、全体でもここからここまでと決めちゃえ」という感じで決めたら、迷わないで進めるんですよね。そこはけっこう勉強になりましたね。

小笠原:なるほど。ぜひ参考にしていただければと思います。

最初におもしろがってくれる「編集者」の役割

小笠原:千代田さんからも逆に新人漫画家さんに向けて、こういう絵の練習方法とかストーリーの作り方、参考になるものとかあればお聞かせ願いたいんですが。

千代田修平氏(以下、千代田):僕は絵に関して正直ほとんどわからなくて。よく「模写するといいよね」という話を聞くんですけど、そこは責任取れないので、もっと適任な人に聞いていただくとして。

話作りも、編集者がいろいろノウハウを持っているので、担当編集の人にとにかくネームを出しまくってフィードバックをもらいまくってくださいというのに尽きるかなと思いますね。

小笠原:とにかく数を出していただく。

千代田:そうですね。HOW TO本や一般論には、ある程度個別具体的なケースに対応できることが書いてあるとは思うんですけど、最終的には本当に「このネームの問題点が何ですか?」とか「今の考えている物語の問題点は何ですか?」という、本当に個別具体的な話になってくると思うので。そこは担当編集さんの話を聞いてやっていくかたちしかないかなとは思いますけどね。

小笠原:なるほど。魚豊さんみたいに本当に描きたいものが決まっていて、それをどう表現していくかという作家さんもいらっしゃいますけど。編集さんと相談しながら一緒に作り上げていくやり方でも大丈夫なんですね。

千代田:そうですね。自分が何を描きたいのかわからないという人もいると思うので、そこらへんはもしかしたら編集者と、編集と作家というよりも普通に対人間としてしゃべっているうちに「僕はこういうことをやりたいのかもしれない」と思うことはぜんぜんあると思いますね。

もしくは、「こういうこと好きなんですけどね」「こういう趣味持っているんですけどね」と言っている時に編集者がそれをおもしろがるという。「それは絶対おもしろいよ」みたいなこともすごくよくあると思うので。

おもしろがってくれることを描けばいいと思うし、最初におもしろがってくれる人は誰ですかというとそれは編集者なので。編集者といろいろ話をして、編集者がそれを見出してくれるというパターンもあると思います。

小笠原:ストーリー作りで迷われている方は、編集さんと相談しながら作り上げることもできるので、ぜひそういうかたちで対応していただければいいんじゃないかなと思います。ありがとうございます。

「迷い」が一番のエンターテイメントになる

小笠原:次、ちょっとこれは抽象的な質問になってしまうんですけど、もしかしたら魚豊さんが哲学的なことが好きなので、これも好きなんじゃないかなと思うんですけど、「迷いをどう扱うか」という質問が来ていまして。質問文はこれだけですね。おうかがいしても大丈夫ですか?

魚豊:「迷い」が一番のエンターテイメントだと思うんですよね。こっち行ったりあっち行ったり、どっちが正しいんだろうという状態が、一番僕は見てておもしろい状態だし、すごくスリリングな状態だし、緊張感もある。

「あれ、こいつこっちに行くかもしれないし、あっちに行くかもしれない」。そこがかなりおいしいポイントだとまず捉えて、むしろ物語ってそこしかなくて。最後決断するというのはカタルシスですけど、それは一瞬で終わるんです。

決断したあとの行動は、言ってしまえば「オチている」というか。よく言われるのは、ロッキーは戦うかどうか迷って、戦うと決めたらその瞬間からあの映画はクライマックスで、戦うところはおまけみたいな。そこも素晴らしいんですけど。

そういう感じで、「どうしようか」という逡巡に、一番の人間の醍醐味とか物語の醍醐味があると思うので、どう扱うかという質問に対しては、それを丁寧に扱って物語にするのが一番最高だと思いますね。

小笠原:それで言うと、『チ。―地球の運動について―』も、けっこうラファウ(主人公の一人)も葛藤がすごくあって、それがいわゆる「迷い」ですよね。そういう部分を丁寧に描かれた。

魚豊:そうですね。僕がおもしろいと思う良さなんですけど、コンフリクトとセッションって、「葛藤」と「恐怖観念」が物語を絶対におもしろくする2つの要素だと思っていて、僕が好きな作品ってだいたいそれが入っているなと思って。

強迫観念が故に葛藤するし、葛藤の中で強迫観念が生まれてくるし、ループしている関係なんですけど。そこがおもしろい要素なので、そこに潜ってみて描きたいなと思っています。僕が描けるかわかんないけど(笑)。

「主人公の選択」がシーンの良さを左右する

小笠原:すごいですね。千代田さんはいがかですか。作家さんでもいろんな修正の指示出しとかして、結果迷ってしまう方とかもいらっしゃると思うんですけれども。

千代田:そうですね。どこのポイントで迷うんだろうな。

魚豊:「迷う」ってそういう意味か。

千代田:「迷う」の取り方によるんですけど。「迷う」に関して、質問の答えになっていないかもしれないですけど、僕が思ったのは、さっき魚豊さんが言ったことにすごくつながるんですけど、例えばネームとか出てきて、主人公が何かしらの選択をするという時に、よくあるいいシーンって主人公が僕ら読者が思いもつかないような「え、そっちに行くんだ」という選択をするんですね。

小笠原:なるほど。意外性ですね。

千代田:例えば『チ。―地球の運動について―』だったら、ラファウくんが「いや、僕は地動説に行きます」というシーン。「えー!」ってなると思うんですけど、それがたまにうまくいっていない時は、読者的にも「それは当然そうするよね」みたいな。すごく迷って決断したみたいになっているけど、実は「普通に考えたらそっち行くよね」みたいな時がたまにあって。

その時にもっと、僕らでさえ「それはどっちにするか決められないな」みたいな、お母さんを助けるか恋人を助けるかみたいな状態まで持っていったほうがいいんじゃないですか? という提案はしますね。

主人公のキャラクターを表した『HUNTER×HUNTER』の第3話

千代田『HUNTER×HUNTER』の第3話で、ドキドキ2択クイズというのがあって。それこそゴンたちがハンター試験に行く時に、突然謎掛けババアみたいなキャラが出てきて、母を助けるか恋人を助けるかという2択のクイズを出してくるんです。レオリオが「何だこいつ」と思って、クラピカが「ううっ」みたいな。

その時に、その中でゴンのすごさを出すために、レオリオは直情的だから「そんなの答えられるわけねーだろ!」と言ってキレて殴りかかろうとして、クラピカは頭がいいキャラなので、「これは沈黙なんだ。答えなんかない。沈黙が正解なんだ」と言う。

その後にゴンが「うーん」とか言ってて、「どうしたんだ。ゴン」と言ったら、「けど本当にこういうことが起こったら、僕は決められないな」と。「クイズは終わったんだからいいんだよ」と言っても、「本当にこういうことが起こったらどうする?」「俺は答えが出せないんだよね」ということを言っていて。

このクイズの本当の趣旨は、これから先ハンターになったあと、みんなが戦っている時に、本当に決められない選択肢が生まれてくるから、その心構えを準備させるためのクイズなんだというのが最終的に答えなんですけど。そういう時にゴンは「第3の選択肢」を取れるんです。悩み続けるという選択肢を取ることが、主人公の資質を示しているというエピソードだと思うんですけど。

そもそもこの2択クイズが、「それだったら当然お母さんを助けるでしょ」みたいなクイズだったりしたらすごくしょうもない。そこに何も主人公のキャラが出てこないと思うので。ちゃんと主人公が葛藤する価値が生まれる問いを突きつけられるかどうか。ちゃんと迷わせられる状況を作れているかどうかというのは、ネームを見る時に気を付けるところだなと思いました。

小笠原:なるほど。迷いを意図的に作るというか。

千代田:そうですね。

オチを考えてからフリを作る重要性

小笠原:『ひゃくえむ。』や『チ。―地球の運動について―』もそうなんですけど、魚豊さんってすごくフリを作るのがうまいなと思っていて。もしかしたらそれはお笑いが好きだからというのもあるかもしれないんですけども、そういうところは注意して描かれてますか?

魚豊:オチから考えてフリを作るので、むしろどんなことでも意外になれる感じですね。それは作る側の利点というか、優位なアドバンテージなんですけど。作り手は最後を知っていて、でも読者は順番に読んでいくから、ここがフリだったんだと意外に見せられることが簡単にできるような気がします。

だから、どこかの時点でそれを落とすというのを決めておいて、「これをフリにしよう」と先に入れておく。それはどんな単位でもよくて、「このセリフを回収するんだ」というのはやりやすいし、けっこう威力もあるというか、コスパの高い技なのかなという気がします。

小笠原:なるほど。オチやゴールが決まっているのがすごく良いんですね。

魚豊:そうですね。僕的には重要な気がします。

小笠原:ありがとうございます。