40代が考える「中年エンジンの見つけ方」

野水克也氏(以下、野水):幕張の地にお集まりの中年男女のみなさま、こんにちは! サイボウズ株式会社の野水です。久々にリアルでしゃべることができました。1年間ずっとリモートで、暗い画面に向かって1人でしゃべり続けて、ウケているのかいないのかもよくわからない状況だったんですけど、「人前でしゃべれるってこんなにうれしいことなんですね」ということを今、噛み締めております。

せっかくの機会なので、できればみなさんにはオーバーアクションで反応していただけるとうれしいなと思います。共感するところは「うん、うん」という感じで、共感しないところは「うーん」みたいに。ただ寝るのだけはやめてねという感じです。

では、「中年エンジンの見つけ方」を進めてまいります。

40歳といえば、別名で「不惑」と言いますね。辞書を見ると「惑わされないこと、心が乱れたり悩んだりしないこと」とあります。昔は40歳になるとそうだったみたいですよ。

みなさん、どうですか? 迷いはないですか? なかったら、こんなところに来ていないですよね。もう本当に「惑惑」ですよという感じで、惑いっぱなしになってきます。まさしくカオスなわけですね。昔みたいにキャリアが一直線で伸びていく時代ではなくて、本当にいろんな道があるし、上りもあれば下りもあるという中で悩んでいる。

実はこのセッション、今年で4回目になります。4年連続です。ずっと来ていらっしゃる方と今年からいらっしゃった方というのは、両方いらっしゃると思うんですけど、一応今までのおさらいを少しさせていただきたいと思います。

一応このセッションは、なぜかわからないけど、セッション自体の参加者も多いのですがそのあとに「ログミー」というメディアに記事が出ると、だいたい1位をずっと取り続けるという歴史がありまして、人気になっておりますけれども。それぐらい悩める中年が多いのかなと思います。

有名ハリウッド俳優もかかる「中年の危機」

野水:「ミッドライフクライシス」ですね。そもそも何で40歳はアレなのかということなんですが、昔、マネージャー合宿でうちの当時副社長の山田がこういう図を書きまして。

真ん中(に線)をパッと引いて、「ここの頂上でだいたい40歳くらいだ」と。僕が15年ほど前に初めてこの図を見た時に、「ええ!? もうちょっとしたら俺の給料下がるの?」という衝撃を受けました。給料どうこうというのはともかくとして、体力とか、いろんなものの景色が変わってくるわけですよ。

30歳の頃はいろんな記事やネットの情報を見ても、「こうやったら成長できる」とか、「こうやったらあなたは成功する」とか延々聞かされて、40歳になった途端にいきなり「中年のなんたら」とか「こんなのが憂鬱」とか、「この先リストラされないためにはどうしたらいいか」とか、「親の介護問題が降り掛かってきました」ということになって、「ええ!? こんなに景色が変わるの!?」ということを味わってしまうわけですね。

「ミッドライフクライシス」というのは、日本では「中年の危機」と言うんですけど、アメリカでは有名な言葉らしいです。キアヌ・リーブスが公園でボーッとしている写真が一時有名になったことがありますけど、あの時を振り返って「あの時はミッドライフクライシスだったんだ」と彼が吐露しています。

みなさん心配しないでください。あのキアヌ・リーブスでさえこの危機にかかるんです。我々がかかっても、ぜんぜんおかしくないじゃないですか? 

40代ビジネスパーソンに訪れる、体力以外の2つのリスク

野水:ただ、ビジネス社会に生きていると、いろいろと難しいことがありまして。1つは「ビジネスモデル」、もう1つは「支援者」という、体力の他に2つのリスクが訪れます。

1つ目の「ビジネスモデルが変わってゆく」というのは、例えばIT業界の場合、僕が(入社した)20年前はオンプレミス全盛の頃でした。

だから、新規の顧客を取ってそこでお金を立てる。1回目でお金をガーンと取るのが一番の栄光だったわけですよ。ところが今はサブスクリプションですから、初月これだけ。下手したら3ヶ月無料とかになってきます。

「いかに続けてもらうか」というビジネス展開がまず違っていて、商売のやり方がぜんぜん変わってくるところで、ついて行けないというリスクが1個。まだこれはいいんです。

もう1つは「支援者」。こっちのほうが課題なんですよね。「支援者が消えていく」というのは、40歳になるまではなんやかんや言って上の人が引っ張り上げてくれたわけですよ。「こいつはあばかい(手に負えない)けど優秀なやつで」と言ってくれたり、「あなたに仕事をあげたいんだけど」と言って育ててあげるという感じだったんです。

でも40歳を過ぎて、「育ててあげる」と言ってくれる人は誰もいません。ほんまにいません。スキルで勝負しなきゃいけない時になって、気付くと自分に仕事をくれる人がいなくなっちゃうという問題があるわけですね。特に年功序列の日本の会社の場合は、こっち(支援者)のほうのリスクがあります。

ところが40歳を過ぎて、例えば45歳だとしても、70歳まで働くとしたら、まだ真ん中なんですよね。この先何も武器がないところでどうしましょうというところで、悩みますよねということです。

これからのチームの中心は「理想」になる

野水:そこで2年前に、「チームを作らなきゃいけないね」という話をさせていただきました。普通の会社の中のチームは、はっきり言えばお金で結ばれています。会社組織のヒエラルキーは、収益をどう最適に分配するかです。その「分配の法則」を表したのがこちらになるわけですね。

ところが、40歳で放り出されてラインからも外されるとなると、自分のチームがないわけですよ。その場合に自分のチームを作ろうと思っても、そもそもお金がないから分配するものがないと。じゃあその時に何を持ってやるんですかというところで、今度は「理想がいるよね」という話になるわけです。

だから、中年になってから自分でチームを作ろうという人は、お金で人を寄せるんじゃなくて、自分自身の理想を持って人を集めるようにしなきゃいけないということで、(理想は)大事だと言われている。これ、難しいですよね。理想で結ばれると言ってもなかなか難しいよね、という話になってくるわけなんですけれども。

価値基準が変わるんです。理想の「良し悪し」と「好き嫌い」というこの2つ(の基準)があって、「好き嫌い」が大事だよと。今までは「好き嫌いするな」と言われるんです。ところが「良し悪し」には善と悪があって、会社の中だと、会社の価値観で良し悪しが決まるんです。

ところが、好き嫌いというのは、例えば「メロンソーダとイチゴソーダ、どっちがいい?」「どっちでもええやろ」みたいに、「こっちが好きです」というのは、人それぞれになるわけですよ。この「好き嫌いという軸を作るのが難しいね」という話をしておりました。

3つのエゴを融合させて、「愛されるエゴ」をつくろう

野水:その「好き嫌い」が何で必要なのかというと、好奇心を作るために必要なんですね。

好奇心というのは、大きさに幅があります。好奇心がすごくある時とない時とあるんですけど、好奇心がなぜできるかというと、「予想と現実の不整合さ」。要するに、自分の予想をちょっと超えたところに未知のものがあると、すごく興味を惹かれるわけです。

ところが、自分のぜんぜん手の届かないところに行った瞬間に、ぜんぜん興味がなくなるんですね。これが知らず知らずのうちに(好奇心の幅を)縮めてしまうんです。なぜかというと、自分の枠がはまってしまうんですよ。いろいろお金とか家庭とか、いろんな枠にはまるじゃないですか。

そうすると、自分の手の届くところがどんどんどんどん小さくなっていく。小さくなると同時に、その先の好奇心の山が減っていくんです。これが好奇心が減っていく原因だというところまで説明しました。だから「好きなことをやってもっと好奇心を伸ばそうよ」というのが去年のお話です。

ところが、好きなことをやっているオッさんはいっぱいいますね。でも中には、イタいことやっているオッさんもたくさんいるわけなんですよ。これは自分の画なんですけど(笑)。僕もイタいことをたくさんやっていると思うんです。

去年のテーマは「イタいことをやらないようにするためにはどうすればいいか」。そこで(の答えは)「愛されるエゴ」を作らなきゃいけない(ということでした)。去年の(サイボウズデイズの)テーマが「エゴ&ピース」でしたので。

「愛されるエゴ」というのは、チームのエゴと、中年の我々のエゴと、社会のエゴ(という3つ)をうまく融合させて、マネジメントしなきゃいけないね、というところまでをやってきたわけですね。「エゴをアジャストしましょうよ」と言いましたというところで、(今年の話に移ります)。

今回のテーマは、中年の「やる気」をどうやって出せるか

野水:今までのところで、なんとなく理屈としては理解できました。なぜ僕が脱皮できないかという理由はわかったんですけど、もう1つ、問題が残っています。

新しいところに踏み出そうと思ってもやる気が出ない。体力というところもあるんです。昔みたいにワクワクしなかったり、やる気が出なかったりすることがたくさんありまして。なので今年は「やる気をどうやって出せるか」という、やる気を出す方法を、ややロジカルに、やや感情的にディスカッションしていければと思っております。

というわけで、今年のゲストは誰にしようかなと考えていた時に、おもしろいnoteを見つけました。元気なオッさんを見つけたんですね。「大企業でしか働いたことのない40歳オッさんがスタートアップに行った話」というnoteの記事がすんげぇバズりまして、1,833スキも付いているんですよね。

僕は25スキくらいが最高で(笑)、1,800も付いたことない。この人はどんなやろと思って調べてみたら、(別の記事のタイトルが)「40代オッさん『中年の危機』の正体と乗り越え方を見つけた(と思う)」。見つけたの? ほんま? みたいな。「(と思う)」と書いてあるのが若干自信なさげなんですけども(笑)、この方を呼んでお話をしようと思いました。

ということで、ゲストをお呼びしたいと思います。元ワークスモバイルジャパンの執行役員の萩原雅裕さんです。どうぞ。

萩原雅裕氏(以下、萩原):こんにちは。はじめまして。萩原雅裕と申します。よろしくお願いします。

(会場拍手)

野水:ようこそお越しいただきました。

萩原:よろしくお願いします。

「ポスト会社員の働き方を模索する40代オッさん」が登壇

野水:「オッさんオッさん」と連呼して大変申し訳ないです。

萩原:朝から運営のみなさんに「オッさんオッさん」呼ばれていて、いい感じでカオスだなと思いました。テーマに沿った感じで肩書きを付けてよかったです。

野水:裏メッセンジャーで、講師の方が到着すると連絡が来るようになっているんですね。他の方は例えば「なんたらエバンジェリストのなんたらさん」と言うんですけど、ここの場合、今回の肩書で「ポスト40代オッさんの、萩原さんがいらっしゃいました」と言ってみんなで大爆笑する感じになっております。どうぞお掛けください。

しかし(萩原さんの)経歴は輝かしいですよね。慶応大学を卒業して。

萩原:ちょっとね、いけ好かない感じのプロフィールになっていますけれども。

野水:いけ好かない(笑)。思ってても言えませんでした(笑)。

萩原:あらためて自己紹介させていただきます。萩原雅裕と申します。本当につい今年の頭まで、ずっとサラリーマンをやっておりましたけれども、この4月に独立をしました。今は個人事業主としてやっているので、肩書きがあまりないんですね。

今回のセッションは(「ポスト会社員の働き方を模索する40代オッさん」という肩書きを)付けさせていただきましたけれども、実際には経営アドバイザーですとか、ITツールの導入のご支援ですとか、個人向けのメンターや情報発信などをやっております。

野水:今更ながら、元LINE WORKSということは実はライバルだったんですね。

萩原:うーん。でも連携してくださっているベンダーさんもいらっしゃいますし、連携するといいこともあるので。

野水:(笑)。ありがとうございます。

40歳から、あと「40年」働くことはできるのか?

野水:一番興味を持ったのは、そもそもこの輝かしい経歴って、普通はもっと今より上に行けるじゃないですか。独立する必要もない。もっと大きな会社の社長や役員になれると思うんですけど。

まだ人生半分行くか行かないかというところで、なぜ独立したんですか? 一節には「45歳定年制」とか言われていて、逆に言うと、今が一番独立しちゃいけない時なんじゃないかと思う時もあるんですけど(笑)。

萩原:なるほど。このセッションのテーマが「40年間楽しめますか」じゃないですか。これは23歳からだと(定年まで)40年なんですけど、僕の中での「40年」は、40歳から80歳の40年なんですよ。

野水:今までは助走。

萩原:ここに来ていらっしゃるみなさんももしかしたらそうかもしれないですけど、私もそうだったんですが、40歳や45歳くらいになって、ここからどうするかなと考えた時に、65歳でもまあまあ長いんです。

でも僕らの世代は、70歳、75歳、場合によっては80歳くらいまで現役で働くんじゃないかなと思うと……。

野水:あまり考えたくないですよね(笑)。

萩原:さっきの野水さんのお話にもありましたけど、ここから40年働くには、今までと同じことをやっていたら無理だろうなと思いました。これが大きな流れというか、大きな考えの1つでしたね。

野水:ということは、要するに後半戦じゃなくて、助走が終わって今からが本番だという。

萩原:助走とも思っていなかったですけど。

野水:(笑)。

萩原:気付いてみたら、ここから相当長いぞと。今までの走ってきた余力で走り切るのは無理だなと思いましたね。

プロの経営者を目指すも「幸せじゃないかも」と気づいた

野水:例えばその道で行くと、普通はプロ経営者の道を歩むようなラインを思い描くんですけど、なぜ違う道を選ぼうと思ったんですか? 特に不思議だったのがこの肩書きですよね。「フリーのゼネラリスト」って何ですか? という(笑)。

萩原:カオス感ありますよね。

野水:(笑)。カオスですよね。

萩原:このテーマに合わせたわけじゃないんですけど、若い時はやはりそれこそ「プロ経営者」に憧れていましたし、ぶっちゃけ目指していました。そういうキャリアを歩んでいましたし、「そうなったらいいな」というのはあったんですけど、途中で気付いたんですね。「このまま行っても、ちょっと自分幸せじゃないかも」というか、「ワクワクしないかも」と。

野水:プロ経営者になっても幸せじゃない。

萩原:語弊を恐れずに言うと、若い時は無邪気にそういう格好よさに憧れるじゃないですか。どこに格好よさを求めるかは人それぞれだと思うんですけど、私はプロ経営者を見て「ああ、格好いいな」と思っていたんです。でも途中で、経営者をやってみたら「つらいぞ」と。

野水:(笑)。けっこうつらかった。

萩原:そのつらさは経営者としてのつらさというよりも、自分の大事にしていることとの相容れなさでした。思ったよりも(そのつらさが)大きいことがわかって。「違う道かもしれないな」と。

尖ったところがないからこそ付いた「フリーのゼネラリスト」の肩書き

萩原:最初の頃はそれがわからなかったんですよね。ずっと自分の中ではいい感じだと思っていた。

野水:(noteにも)書かれていますよね。

萩原:先ほどご紹介いただいたnoteでも、自分のキャリアはさっきのいけ好かないキャリアなわけですよ。プロ経営者みたいに見えるんだけど、ちょっと違うらしい。でも、自分が本当はどっちに向いているかがよくわからない。そういう時期が何年かあったんですよね。

ちゃんと自分の本心というか、「自分がこういう状態だとワクワク仕事ができるんだ」というものに気付くのがけっこう大変でしたね。

野水:なるほど。そこをちゃんと深く考えた末に「フリーのゼネラリスト」になっていった。

萩原:隣のセッションに登壇している髪の長いおじさん(澤円氏)は僕の先輩なんですけど……。

野水:(笑)。神さまみたいな人ですね(笑)。

萩原:独立するとなると(ああいう風に)だいぶ尖ったところがないとダメなのかな、どうしたらいいんだろうと思っていたんです。でも、ないものはないんです。私の場合はないなと。

じゃあどうしたらいいんだろうと思って自分を深掘ってみると、なんかいろんなことをやってきたなと。幅広いことをやってきて、バランスを取ることをやってきたなと。じゃあそれかなと。(それで「ゼネラリスト」と)言ってみたという感じですね。

ベンチャー企業に行ってわかった、大企業で働く人のすごさ

野水:「ゼネラリスト」と「スペシャリスト」ですよね。僕は1つのことを突き詰めるのが好きなので、どちらかというとスペシャリスト肌だと思うんです。

例えばみなさんが40歳まできて、この先どこに行くのかという時に、どっちを選ぶのかという問題に必ずぶち当たると思うんですよね。

大企業ではどうにでもなるんですよ。どっちでも行けるというか、3年ごとに部署が移るから、ゼネラリストになることもできるし、逆に3年同じ部署にいればスペシャリストにもなれる。僕は(今まで勤めていた会社の中で)サイボウズが一番でかい企業なので、大企業に勤務した経験が(なくて)よくわからないです。そんな感じなんですか?

萩原:私は社会人になって20年ぐらいはずっと大企業で働いていて、その後ベンチャーに行ったんですけど。ベンチャーに行ってみてあらためて思ったのは、大企業で一緒に働いていた人たちって、めちゃめちゃプロだったなと気付いたんです。

ベンチャーに行くと人がいないので、1人で何役もやらなきゃいけない状況になります。そうすると、頼る部署とか頼る人とか「拠り所」があまりないので、「そういえば前の会社のあの部署のなんとかさんって、こんなことやっていたよな」と思い出しながら仕事をししていたんです。あらためて考えると、あの人たちってめっちゃプロだったなと。

あの人たちの真似をして、その人の7掛けくらいの仕事をするだけでも、そこそこかたちになったから、取り敢えずいいんじゃないかなと。そんなことを繰り返していたんですよね。

仕事の仕方は「プロデューサー」と「職人」の2つのタイプに分類できる

野水:なるほど。ここでゼネラリストとスペシャリスト。自分がどっちが向いているのかというのを考える時に、僕がよく思い浮かぶのが「プロデューサー」と「職人」というところなんですね。

これは“野水論”なんですけど、人間、労働者として自分を見た場合に、2タイプのうちどちらかに分類されるんです。1つがプロデューサーで、1つが職人です。

プロデューサーというのは、何かをしようと思う時に、「これはあの人に頼もう」と先に思い付く人。職人というのは、それを自分でやってしまう人です。僕は典型的な職人タイプで、自分で何でもやっちゃうほうなんですけど。

衝撃的だったことが、大学に入って係を決める時に「僕やります」と言って(手を挙げた人がいて)、やってくれるのかと思ったら、「じゃあこれはあんたやって、これはあんたやって」と振り始めたんです。「なんだこの人は!?」と衝撃を受けたんですけど、(その人は)典型的なプロデューサータイプなんですね。

僕は「僕やります」と言ったら、自分で全部の計画書を書くところから、一からやります。これは僕の本来的な性分だと思うんですよ。

萩原:今の話を聞くと、僕も職人タイプですね。プロデューサーではないです。

野水:ゼネラリストだけど職人。

萩原:そう。自分で手を動かしたくなってしまうので、あっち行ってもこっち行っても、自分で手を動かしてきましたね。

野水:その辺にプロ経営者にならなかった秘密が隠されている感じですね。

萩原:そうかも。言われてみると間違いない。

野水:そこで人に仕事を振るのはストレスたまりそうですね。

萩原:ストレスまでいくかどうかわからないですけど、「どっちが自分が働いていて楽しいか」と考えた時には、まさに今のお話のとおりです。プロデューサータイプの人は、いろいろな人に振って、そこがうまく回っていくと楽しいわけじゃないですか。だから私の場合は、本当に職人だなぁ。

野水:(笑)。

萩原:自分で手を動かして、できないことができるようになるのが楽しいんですよね。そこに楽しみを見出しちゃう人なので。

「自分の範囲」で考える、スキルマップの捉え方

野水:自分の特性がどっちかと考えながら(選択するんですが)、これはどっちにもなれるんですよね。この間思ったんですけど、スキルマップって野球のグランド守備範囲のようなもので。

要するにファースト、セカンド、サードを、そこそこ全部守れますという人もいれば、レフトの深いところは守れるけど、ライトになったら行けないからファースト止まりという人もいて。自分の範囲の中でどこに行けるかな、というところがあるんじゃないかなと思います。

スキルの棚卸しをする時に、スペシャリストになるのかゼネラリストになるのかというよりも、自分のスキルマップを作ってみて、ここは深いところまで行けるけど、ここはちょっと浅いかもしれないという認識をした上で行くのがいいのかなと思います。

僕は複業していて思いますね。時々変な仕事がいっぱい来てしまったりするので(笑)。キャリアの選択はそういうふうにしていくと(いいと思います)。