映画をきっかけに知った「こどもの哲学」

岩田拓真氏(以下、岩田):川辺さんは教育関係の仕事をされながら、それ以外の分野の仕事もされています。また、今日聞いてみたいのは、お仕事のことだけでなく、(川辺さんは)お父さんとしてやられていることもすごくおもしろいので、ご家庭のこととか。(仕事と家庭が)つながっている部分もあると思うので、一人の親として聞いてみたいところもあります。

川辺洋平氏(以下、川辺):はい、よろしくお願いします。

岩田:お願いします。じゃあ川辺さん、自己紹介をお願いします。

川辺:今日お呼ばれしました川辺と申します、よろしくお願いします。ちょっとだけ画面を共有して、自己紹介をしたいんですが。

今はおうちピテクスという会社の代表をしています。東京学芸大学を今から14年前に卒業して、広告の業界に6年ぐらいいました。その後、出版社に2年勤めて、それからNPO法人を立ち上げました。「こどもの哲学」というのを日本に普及しようと活動している団体です。

2019年にそのNPO法人の代表を、自分の後輩にあたる方に譲りました。僕自身はもっと教育の勉強をしたいと思って、2017年から横浜国立大学の修士課程で教育学を学んで、今は早稲田大学の教育学の博士後期課程で学んでいるところです。

去年、コロナで多くの子どもが学校が休みになったり、いろんなところに出かける行事が中止になったりしたので、その代わりになるような体験ができればってことで、オンライン学習サービスの会社を始めました。それがおうちピテクスという会社です。

著書としては、こどもの哲学をテーマにして、実際にこども哲学を実践した親子がどんなふうに変化したのかをインタビューで追いかけた書籍を出してます。あとは、子ども哲学に関するテレビ番組や映像を作ったりした実績があります。

さっき岩田さんが言ったように、勉強をするとか哲学を学ぶとかじゃなくて、「おもしろい、これが哲学なんだ」と後で知ればいいぐらいのスタンスで、映像制作をやってました。

今日はどっちかというと、保護者としての参加みたいな感じで捉えてるんで(笑)。こういうスライドをお見せしたほうがいいのかなという気がするんですけども。これはうちの長女です。髪の毛をまとめてる子ですね。まだ4歳とか5歳の頃に、東京大学でこどもの哲学のイベントをやった時の様子です。

僕はこどもの哲学というのを昔から知っていたわけじゃなくて、自分の子どもが3、4歳の頃に映画をきっかけに知って。「これはおもしろい活動だ。外国ではいっぱいやってるけど、日本でやってる人はまだ少ないんだな」というのを知り、自分の子どもと一緒にやるようになったのが、この当時の写真です。

「子どもに哲学をさせている」にしたくない

川辺:子どももすごく喜んで、「父さんとこれをやりたい」と家や旅行先でも言ってきたりして。「これはゲームだと思って、おもしろくやってるんだな」と。まさに今日のテーマにつながるんですけど。

そういう気持ちでやれるものは僕も応援したいし、そういう活動だったら広めやすいなと思ったんです。自分の子どもだけじゃなくて、いろんな子が参加できる。写真だけ見るとフルーツバスケットみたいですけどね。

たとえるなら言葉のキャッチボールです。いろんなことをテーマに、出会ったことのない子ども同士が言葉を交わしていって、なんだかわかんないけど最初に話していたこととぜんぜん違うことを考えるようになったり、そういう不思議な時間を過ごしてもらうというのをやっていました。

ただ、活動が広がり始めるとだんだん自分だけじゃ手に負えなくなって。ちゃんとNPOにして、いちいち講師が行くんじゃなくて、誰でも自宅や学校現場や学童の場所、そういうところでできるようにしたほうがいいだろうと。そのほうが、子どもたちも参加費とか毎回毎回高い金額を払わないで済むので。

具体的にどんなふうに子どもたちが哲学をしていくのかを1年間ドキュメンタリーで追いかけました。今画面に出している、「こども哲学」という名前のYouTube動画にして、公開しました。今ここでは流しませんけど、YouTubeでひらがなで「こども哲学」と検索すると出てきます。

岩田さんのお話の後半にありましたが、NPOの法人名を「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」っていうんですけど、こども哲学だけじゃなくて、おとな哲学にしたのは、やっぱり大人が哲学をしないと、「子どもに哲学をさせている」みたいな感じになるんですよね。子どもが何かおもしろいことを言ったり、言い間違えたりするのを大人が勝手に「いや、深いねえ」とおもしろがったりして。

さきほども言いましたけど、自分がやったことだけじゃなくて、他の親子が家で哲学対話に関わるようになって、1年や2年経つとどんなふうになったのかを追いかけたのが、こちらの本(『自信をもてる子が育つ こども哲学』)です。

本の帯に「わが子を叱りすぎたら読みたい」と書かれた理由

川辺:気になるのは下の帯のほうで、わが子を叱りすぎたら読みたいとか、NHKのEテレで大反響とか、そっちのほうがいろいろ気になるかなと思うんですけども。このこどもの哲学をテーマにしたEテレの『Q〜こどものための哲学』という番組の制作が2014年に始まって。

本当に偶然といえば偶然なんですが、私たちがNPOにした年から「ぜひ番組の監修をしてほしい」と声をかけていただいて、今もずっと再放送されている感じです。15分ぐらいで、いろいろな日常の中のテーマについて、ペットの人形が動いたり、おもしろおかしくアニメを使って歌にしたりして考えていくEテレの番組ですね。

あとは、どんなに優しく子どもに接してても、お母さんやお父さんをやってたら叱らなくちゃいけないシーンってあって。その時に、親はいきすぎちゃったなと、子どもが寝た後とかに「あ~悪かったな」と思ったりする。

こどもの哲学はわりと、子どもとの向き合い方とかしゃべり方とかをルールにしているので、かなりヒントになるんじゃないかということで、こういった帯の書かれ方をしています。

また『こども哲学 ハンドブック』という本もあります。『こども哲学』は親子が、自分の子どもも含めて哲学対話をしてみて、どんなふうに変わったかという本なんですけど。ハンドブックは、「どうやってやるのか」(を書いた本)なので。

アーダコーダの講座に参加できない方、勉強会に出られない遠方の方でも、この本を買えば講座で言うこととか見せている資料がだいたい載っている。もしご興味があれば手に取って、パラパラとめくっていただくといいかなと思います。

2割増しぐらいの「ちょっと難しいこと」にチャレンジさせる

川辺:これもうちの長女です。これは今から3年前の2018年に、僕が遊びで作った作品ですけど。うちの子どもが雲の研究を夏休みにすると言ったまま、積読になってた雲に関する書籍が何冊も自宅にあって、僕がそれを読んで雲マスターになろうと思って、雲について研究してたんです。

そのうち、雲を自分で作るアーティストがオランダにいることまでたどり着いて、「それをやりたい」と思って、実際に自分たちの部屋の中に雲を出現させて、子どもと一緒に記念撮影をするという遊びをしました。こういうのは本当に親子でやっています。

この写真は次女なんですけど。思い出にもなるし、遠くの世界で知らないアーティストがやったことを自分の父親が数ヶ月ちょっと、機材を買って遊ぶとできるというのが、けっこう大事なことかなと思っていて。こういう写真を残したりもして、遊んでいます。

遊びから学びに、2割増しぐらいのちょっと難しいことにチャレンジさせるみたいな岩田さんの考え方は、僕は言語化してませんけど、すごく大切なことだなと。「そんなの家でできるんだ」みたいなことですね。

僕も自己紹介が長くなって申しわけないんですけど、基本的に父親としていつもほしいものを作っている人間でございます。よろしくお願いします。

岩田:よろしくお願いします。すごいな。ご家庭での探究実践は、川辺さん自身の興味関心を爆発させていて、いつ聞いてもおもしろいと思っています。後でぜひ、おうちでできる親としての話を、もうちょっと深堀りさせてください。

いくつか触れていただいていましたが、私が書いた本に対して率直に、読んでみてどう思ったかとか、もしよかったらお聞きしてもいいですか?

川辺:そうですね、いっぱい付箋も貼ってきているんですけど(笑)。

岩田:ありがとうございます(笑)。

川辺:触れたほうがいいことが多いので、順を追っていくような話し方でもいいですかね。

岩田:ぜんぜんいいですよ。

興味関心を持ち、試行錯誤しながら進むことで、人生は豊かになる

川辺:この書籍は、全部で4章に分かれていて、第1章はどちらかというとあり方というか。こういうことがトレンドとして大事と言われていて、例えばエイスクールだとこういう工夫をしていますよという、事例に入る前の考え方みたいなところかなと思うんですけど。

コロナの時期を経て出た本なので、そこについても触れられてはいるんですけど。やっぱり外せないのは、20ページにドンとありますけど、「探究」が今大事だということかな。人によって定義が違うのですが、探究という言葉をどう捉えるかが大事だなと思っています。

その中でいうと、自分が「楽しい」と思ったことをどんどん勝手に勉強するのが探究だと、どっかに書かれていたなと思ってて。それがエイスクールの探究の捉え方だし、もっと言うとエイスクールは探究という言葉にはとらわれてなくて。

自分が興味があるからどんどん学んじゃうほうがコアかな。それを例として言うならば、「探究」なんかもそう言っていいと思うみたいな。どっちかというと探究は後かなと感じます。

なので、「学びの再編成」という言葉も、さっき岩田さんの口から出ていたと思うんですけど、やっぱり遊びと学びがお鍋の中でグツグツ混ざっちゃってるような、どっちとも言えない活動が、この本の2章で大事なことかなと思いました。

岩田:ありがとうございます。おっしゃっていただいたように、僕は8年前ぐらいに会社を始めて、助走期間も含めると学びの活動をどっぷり10年ぐらいやっているんですけど。

10年ぐらい前って、探究って言葉をみなさんがそんなに知らなかったんですよね。学術的には探究って学びはずっと昔からあったんですけど、一般的に広がっているワードでは全然なくて。ここ数年で学習指導要領が改訂されて、一気に広がってきています。

おっしゃるとおり、僕たちは探究という言葉からスタートしていません。僕自身が夢中になりやすいタイプというか、夢中になったり没頭する学びのおもしろさが、自分の人生のコアな部分にあって。

自分が興味関心を持ってやって、失敗したことも壁にぶつかったこともあるけど、試行錯誤して進んできたことで自分の人生が豊かになっている。自分にとって(遊ぶように学ぶということが)とても大事なものだったのでこういう事業を始めました。結果的に今、探究って言葉が比較的ぴったり合うなと思っています。そのとおりだなと思って聞いていました。

親の「探求させよう」に、子どもは気づく

川辺:なので、本の感想を今しゃべっているんですけど、探究させようとするのも違うかなと思って。

岩田:そうですね。

川辺:そうそう。探究という言葉を、僕は今まで使わないように動いてきたんですけど。「探究」の名前がつく活動に参加する親が、探究させようとしていることを子どもも感じちゃうというか。「パパはこういうことに夢中になっていると喜ぶんだろうな」みたいな(笑)。それはすごくもったいないことで。

僕自身、「これおもしろい」「これ知っといたほうがいいな」とその時々に思うものをガーッと調べて、それをなんとなく作品や記念写真として残したりするんですけど。探究している人間からすると、ずーっと同じものを探究するほうがちょっとおかしいんですよ。

岩田:そうですね。

川辺:何か1個のものを突き詰めていくと、違う扉が開いて、「あれ、川辺これに興味あったんだよね?」と言われる。

でも他人に探究させる人って、最初に決めたものを職人のように突き詰めさせる。「そのままそれが研究できる大学のナントカ学部に行け」みたいな。

岩田:なるほどなあ。両方が探究ですよね。ずーっと1つのことを極めて、それこそ藤井聡太くんとか、若くして1つの分野を極めた人って、すごく探究していると思います。探究って1つを深掘りしたイメージがあると思うんですけど、そういう探究もあるし、いろんなところに広がってくのも両方ありますよね。

川辺:そうそうそう。なので、僕は遊びのほうに今日は重きを置いて、捉えていきたくて。遊びって途中でルールが変わったり、飽きたり、自分に不利だと思ったら違うことを始めるじゃないですか。この書籍はあの感覚で読んでいくのがいいかなと思っています。

「探究させよう」になるのは、受験への意識が原因

川辺:第1章の一番最後ですけど、大学受験が変わるという話があって。非認知能力とか自己表現とか、どういうパッションがあってその大学に自分は入りたいのかというエッセイが書けるとか。大学受験が変わると、それに合わせた方向に保護者は関心を向けてしまうと思うんですけど。

それと遊びは、ちょっと違うと思っていて。そこも第2章に入る上で、すごく大事なポイントかなと。

何かが身につくからエイスクールに通うとかもいいんだけど、その一方で子どもが「楽しい」と思ってくれれば、それはもうエイスクールに行っている価値が120パーセント出ているというか。何が身につくかなんて、心配しなくても大丈夫というのが、僕が本を読んで思ったところですね。

岩田:受験とか意識しちゃうと、やっぱり「探究させよう」になっちゃいがちですよね。「探究する学びが大事だ」という思いは一緒でも、態度が違ってくるというか。

川辺:遊びきった人が成しうるアチーブメントって、面接とかエッセイで書いたら、大学の教授って探究者なので嗅ぎ取る。「この子はそこ行っちゃったか」「この子やばいな、これはおもしろいぞ」みたいに。

文章のテクニックを磨くことは前提だけど、そこよりも遊びきってるかどうかみたいな。親として見ている上で、そういう気持ちが僕は大事かな。

岩田:ありがとうございます。子どものうちは本当に遊び尽くしたほうがいいですよね。

川辺:その遊びは、サッカーを習っていた子がいていいし、岩田さんが言ったみたいに将棋の子もいていい。勉強が好きな子にとっては、学習塾だっていいわけです。それは何でもいいんだけど、やりきることが大事な気がしますね。

第2章は、こういうのやったとか、これをやってみたいとか、そういう具体例ですね。そういえば、カラフルなかわいらしい表紙もあいまってか、10歳のうちの子が僕が読んでいたこの書籍を横取りして、「これやりたい」と言ってきたクイズがあったんですよ。今日どんなことがあったでしょうかクイズ、みたいなのが、どこかに載ってますよね。

岩田:載ってます。

川辺:あれをすごくおもしろいと言って、寝る前に布団でそのゲームを僕に仕掛けてきたんですよ。

岩田:へえー、おもしろい。

川辺:自分がやりたいと思ってゲームをやるのと、お父さんやお母さんにやってみようと言われたゲームだと、捉え方が違う気がするので、両方のベクトルで楽しめる構成になっているのがすごくいいなと思いました。

保護者想定の本を子どもが読むという、うれしい誤算

岩田:知り合いのお父さん・お母さんで、本を買ったら子どもに取られてまだ読めていませんとか、結構あって(笑)。著者として、保護者の方にどう読んでもらうかを必死に考えて作ったんですけど、子どもに取られることは全然想定していなかったんですよ。想定していた読み手は、保護者の方でした。

でも、2章の比率がかなり多いので、結果的に意外と子どもでも読めるんだと思って。(そういう話を聞いて)保護者の方が読んだ後に部屋のすみに置いておいて、子どもがふと気になって自分で読み始めるみたいになるのが理想的かもなと思いました。予想外の気づきですごくおもしろかったです。

川辺:そうですよね。第2章は1個1個あげていくと話しきれないので、今日は割愛しますけど。お母さんからゲームを教えてもらうのもうれしいし、自分がこのゲームをお父さんにやってみたり、うまくいってお父さんをしめしめとやっつけられたらいいですね。あと、実際にうちの子がやったんですけど、この書籍に載っているゲームを学校で広めてくとか。

岩田:へえー、おもしろい。いや、うれしいですね。

川辺:第2章はこの本のコアなところだから、いいもの(ゲームの具体例)がいっぱいあるなと思いました。あとは、第2章の各ゲームが「こういうふうにしなきゃいけない」と決めきっていないのがよくて。1個1個、応用ゲームとかも載ってるじゃないですか。そのことによって、どういうゲームか思い出せない時に、「なんとなくこんな感じだった」みたいにもできるんですよね。

岩田:確かに。うろ覚えでいいってことですよね。

川辺:そうそう。なんか、浮かせて沈めるゲームだったな、みたいなうろ覚えでいい。「これ油だとどうなんだろう」とか、「お風呂の中を水じゃなくてお湯にしたら変わるか」とか。そういうふうに書いてないけど「浮かすんだったな」ぐらいでいいというか(笑)。

岩田:なるほどなあ。決めきらないで書こうというのはすごくありました。「ガチガチにこのとおりにやらないといけない」とか、遊びってそういう感じじゃないじゃないですか。その場でやりやすい感じでやっていい。遊ぶメンバーによってアレンジしたり、やってるうちに楽しくなって進化したりしてもいいし。

遊びって、少し曖昧だったり、変化していく生き物みたいな存在だったりすると思うので、ゆるやかに書きたいなと思って。けど、ヒントがなさすぎるとやりづらいので、そのへんの比重を調整しながら書いたんです。ちょろっとだけ覚えて、(細かいところは)忘れてるけどなんとなくでやって楽しめるみたいなことがあるのは本当おもしろいですね。子ども視点だとそうなんだろうな。

川辺:そのへんの塩梅が、家族にいい影響を与えていると感じたので、「さすが」という気持ちで読んでましたね。

岩田:いやー、想定以上に(笑)。