「ファッション」と「恥」の関係性

司会者:みなさん、お待たせいたしました。ただ今より、ディスカヴァー・トゥエンティワンプレゼンツ、『いくつになっても恥をかける人になる』刊行記念連続トークイベント、「恥の話をしようじゃないか -私の恥との向き合い方-」、第3回は「ファッションと恥」について、これから1時間お話をしていただきます。

本日のゲストは軍地彩弓さんです。株式会社gumi-gumi代表取締役、編集者、ファッション・クリエイティブ・ディレクターでいらっしゃいます。本日のホストは中川諒さんです。コピーライター、PRアーキテクトでいらっしゃいます。中川さんの著書『いくつになっても恥をかける人になる』出版記念の連続トークイベント、本日は第3回目となります。

本日、1時間ほど話をしてまいりますけれども、感想やご質問がありましたら、ハッシュタグ「#恥をかける人」に、Twitter等でコメントをいただければ、リアルタイムで拾ってまいります。それでは、さっそくお二人にマイクを譲りたいと思います。よろしくお願いします。

中川諒氏(以下、中川):よろしくお願いします。

軍地彩弓氏(以下、軍地):よろしくお願いします。

中川:今日は「恥の話をしようじゃないか」ということで、軍地さんにお越しいただきまして。

軍地:ありがとうございます。

中川:以前、「『ファッションと恥』って、けっこう密接に絡み合っているんじゃないか」という話をしていて、今日対談が実現しました。

軍地:もう随分前に話しましたよね。

中川:はい(笑)。

軍地:こうやって本になって、本当にすばらしいです。

中川:ありがとうございます。この本です。フリップに「これまでの2人」とありますが、簡単に説明させていただきます。

軍地:なんかすごくワケあり感がありますよね(笑)。

中川:(笑)。確かに、ここ(フリップ)だけ見ると。

(一同笑)

中川:「これまでの2人」ということで簡単にふり返ってみたいと思います。

『ViVi』からファッションの世界へ

中川:あらためて軍地さんのプロフィールを見ると、学生時代リクルートでマーケティングをされていて、フリーのライターになる。そこから『ViVi』のライターになって、ファッションの世界に入っていかれると。

軍地:そうですね。リクルートでマーケティングというか、学生時代フリーペーパーの編集のバイトをしていたんです。それで1980年代後半からフリーライターの仕事をしています。

中川:そうですよね。その後に雑誌『GLAMOROUS』の立ち上げをされて、『VOGUE GIRL』の創刊に携わるという。

軍地:はい。

中川:そこから雑誌のお仕事だけじゃなくて、ドラマや映画のファッション監修みたいなことまでされて。

軍地:そうですね。今ちょうど放送されているフジテレビの『彼女はキレイだった』というドラマの、一応編集部監修をやっています。

中川:お仕事の領域がファッションとひとくくりに言っても、どんどん拡張されている感じがするので。

軍地:勝手にね(笑)。

中川:今日はそのへんのお話も聞きたいなと思っております。

軍地:はい。

自分の行動を制限しているのは「恥」という感情

中川:それで、ちょっと自己紹介になるんですけれども、あらためまして、僕は中川諒と申します。電通でコピーライターという仕事をしています。電通に入ったんですけれども、最初の7年間は希望の部署に配属されなかったという。

軍地:(笑)。

中川:暗黒時代と呼んでいるんですけれども、そんな時代があり、8年目でようやくコピーライターになりました。その後、海外で仕事をする機会に恵まれて。そのなかで、「自分の行動を制限しているのは『恥』という感情なんじゃないかな」と思い始めて、これが本を書くきっかけとなりました。

では早速ここから「そもそも恥とは何か?」という話からしていければと思います。フリップに「SNSが生んだ恥をかきにくい時代」とありますが、SNSが生まれたことで、いろんなメリットもあるけれど、けっこう恥ずかしいことが増えたな、と最近思っていて。

そもそもこの本を書こうと思ったのは、人生これから働く期間が長くなっていった時に、新しいことをやらなきゃいけない瞬間って、どんな人にもあると思って。その時に、恥への免疫があると、もっとポジティブに新しいことに取り組めるんじゃないかと思うんです。ただ、SNSがチャンスを生む一方で、周りの目が可視化されたことによって恥を生みやすいのかな、と思うんです。

SNSのある時代を生きることは、「恥」がデフォルトであるということ

中川:軍地さんはどう思われますか? 「SNSと恥」みたいなことで言うと。

軍地:私は、SNSのない時代から生きているので余計思うんだけど、圧倒的に他者が増えましたよね。前は「他者」というと、家族だったり友だちだったり学校の周辺だったり、たかが知れてて何百人くらいの中での自分だったんですよね。それがTwitterとかになると、いきなり1億人くらいが自分にとっての他者という状態になるので。

だから、自分の投げた玉がたまたま何かでバズった時に、いいリアクションも来るし、マイナスのリアクションも来るということ。私Twitterでものを書く時に、いつも向こうに悪口を書く人たちが100万人いると思って、「この言葉言っていいかな」と考えながら投げるようになったので。SNSがない時代には、何百人、何万人という人に言葉を発するなんてことを思わなかったじゃないですか。

そうすると、何万人の人の価値観を受け止めなきゃいけなくなっちゃう。そういう意味で、いろんな価値観の差が恥になりやすいと思う。よく落合陽一くんが言っている、「みんな違って、みんなどうでもいい」という感じになればいいのに。

中川:(笑)。

軍地:みんな自分の価値観と違うことに対して、ものすごく攻撃的になったので。それを恥と考えるか、それとも差異と考えるかで、大きく変わる。

中川:単純な違いなのかそれとも恥なのかということですよね。

軍地:みんなと価値観が違う人たちを攻撃してしまうから、単純な考え方の違いだけで炎上してしまう。なので「すごく生きづらいな」という。中川くんと私、やっぱり年齢も違うので、SNSのある時代を生きるって「恥ということがデフォルトである世代なんだ」というのを思ったんですよ。

SNS世代は、最初の1歩を踏み出す勇気が出しにくい世代

軍地:中川くんたち、まだ30代じゃないですか。いじめ世代とも言われる世代かな。私たちは、この本で言うと、もうちょっと成熟期というか、円熟期に入っているので、「そっか、そんな恥を気にしながら、生きなきゃいけなかった時代があったのか」みたいなことを、この本を読んで気付かされました。

中川:なるほど、なるほど。そうやってある種、忘れていける部分もあるということなんですかね。

軍地:もう、ちょっと記憶力がなくなっているのかもしれないけど。

中川:(笑)。

軍地:やっぱり、おばさんって恥をかきやすくなると思う。大阪のおばちゃんもそうなんだけど。恥をかいてきた歴史があるから、それでも生きてこられたという、ある種の経験則がある。だから今、恥をかいても立ち上がる力が出てきているんだけど。

若いうちからSNSがある世代というのは、立ち上がり方がわからないのに、後ろから背中をばんと押されているようで、大変だなと思った。

中川:ほんとそうですよね。最初の1歩を踏み出す勇気が出しにくい。

軍地:そういう意味では、「恥」という考え方の、世代的な捉え方の違いみたいなのを感じました。この本を読ませていただいて、「恥」という言葉についてこんなに長く考えたことはなかったなと思って。

中川:(笑)。

バブル期は​​「恥のかき捨てが格好よかった時代」

軍地:というのは、お気楽だったんだと思うんですよ。

中川:なるほど、なるほど(笑)。

軍地:そう。だから、バブルとかやっていられて。

(一同笑)

軍地:私はジュリ扇は持っていないけど、「赤いジャケット持っていたな」とか「肩パッド入っていたな」と思うと。

中川:確かに今の子、着られないかもしれないですよね。

軍地:そう。今でこそ、「それって格好よくないですか?」みたいなことを言ってくれるけど、「いや、当時よくあれ着て西麻布とか歩いていたな」と思うと、恥のかき捨てが格好よかった時代なんですよ。

中川:(笑)。確かに。

軍地:だけど、今はたぶん服1着にしても、「あ、これ誰かに『格好悪いよ』って言われたら、傷付くかも」とか。

中川:何か言われるんじゃないかとか。

軍地:「そんなばかみたいな格好して」と言われたりするのを怖がるというのが、大変な時代だと思いました。

中川:そうですよね。やっぱり恥をかきにくい時代だなって。

恥を生むのは「理想の自分と今の自分のギャップ」

中川:それで、「そもそも『恥』とは」ということで、これは僕なりの定義なんですけれども、「理想の自分と今の自分のギャップ」というところに、「恥」が潜んでいるんじゃないかなと思っていて。

わかりやすい例だと、例えば「打ち合わせや仕事場でわからないことを質問できない」みたいなことも、やっぱり「頭がいい人だと思われたい」という自分の理想と、「それに対して満足する質問が思い浮かばない」という今の自分のギャップに、「恥」が潜んでいると思っていて。

だから、「人からどう見られるか」そして「自分がどうありたいか」という理想と現実の自分の間のギャップが、「恥」を生むのではないかと。

軍地:本当ですね、まさに。本当に生きづらいですね。

(一同笑)

中川:考え出すと本当に生きづらい。僕も、本を書きながら「なんか大変な時代に生きているな」と思って。

軍地:そうですよね、質問すら空気を読むとか。だって「空気を読む」という言葉も、ここ最近すごく言われているなと思っていて。「みんなが傷付かないように生きる」というのが前提になっているじゃないですか。私たちは「傷付いても成長すればいい」と思って生きてきたんですよ。だから、「最初から傷付かないように生きる」とは「恥を避ける」ということで。やっぱり理想の自分がみんな高いなと思って。

だから後輩とかに怒ると、みんなけっこう思った以上にしぼんじゃう。きゅうってなって。「え、そんな、最初はだめに決まっているじゃん」「いや、きゅうってしなくていいんだよ」みたいな。「そこはすぐスポンジみたいに戻っちゃっていいんだよ」って思うんだけど、やっぱりそれが生きづらさの時代というか。

若い世代が抱く「何者かにならなきゃいけない」という強迫概念

軍地:最近の子たちはみんな、大学出て、もしくは大学時代から「何者かにならなきゃいけない」という思いがすごく強くて。講演会をやったりすると、「どうやったら何者かになれるか」という質問がだいたい最後に来るんです。

中川:それはなかなかつらい。

軍地:それはやっぱり、なりたい理想が否応なしに高くなっている時代背景もあるのかな、とちょっと思いました。

中川:そうですね。「何者かにならなきゃいけない」という強迫観念みたいなものはありますものね、きっと。

軍地:うん。なんでですかね。やっぱり成功者が可視化されやすいからかな。目立つ人がSNSでバズりやすくて、もしくは何でもない人が、TikTokでいきなりスーパースターになっちゃうとか、そういうことがあるからだと思うんだけど。なので、ざっくり言うと、私は「なんか理想高くない?」みたいに思っちゃうんです。

「恥」によって、トライするパワー、トライする一歩を失っちゃう人がやっぱり多いんだろうなと思いました。その本の中に出てくる、先輩に何か一つの質問ができないことでこもっちゃう人とかも。じゃあそれをどう克服するか。この本には、すごく具体的にその克服の仕方が書いてあって、わかりやすかったなと思う。

ファッションにおける「外的恥」と「内的恥」

中川:ありがとうございます。この「人からどう見られるか」というのと「自分がどうありたいか」というのが、恥の大きな原因になっていると思っていて。なので、僕は恥を大きく、2つに大別しているんですけれども。「外的恥」と「内的恥」というものです。

軍地:すごくわかりやすかったです。

中川:ありがとうございます。「外的恥」というのは、いわゆる「周りからこう見られたい」という、理想の自分から外れた時に感じる恥で、「内的恥」は「自分はこうあるべき」という、自分の美学から外れた時に感じる恥かなと思っています。

これをファッションに置き換えると、「みんなが欲しいものが欲しい」というのは「みんなと違うのが恥ずかしい」という感情。一方、「自分らしいものが欲しい」というのは逆に「みんなと同じであることが恥ずかしい」という感情を含んでいると思います。

それでけっこう、その「内的恥」「外的恥」というのは、タイプによって「どっちを感じやすい」みたいな、比重はある気はしています。それも生きている間にちょっとずつ、その比重が変わってきたりするのかなと思っているんですよね。

特にファッションだと、若い時ってけっこう、みんなと同じものが欲しかったりするじゃないですか。例えば、「みんなが持っているあのハイプなスニーカーが欲しいぜ」みたいな。でも、そればっかり買っていると、「あれ、自分はこれあまり好きじゃないかも」という。

(一同笑)

中川:ある日、靴箱開けて気付くみたいな。そうすると、結局「みんなと違うものが欲しいな」となっていって。それは結局、「みんなと同じが恥ずかしい」という気持ちから、そうなっていたりする。ファッションは特に感じている「恥」が表に出る。

軍地:そうですね。

中川:わかりやすい部分なのかなと思っていたりするんですけど。

最初のファッションは「恥」を克服するところから始まった

軍地:内的・外的とおっしゃっていましたけれども、それ、ファッションで言うと究極の言葉なんですよ。よく「コード」と「モード」という言い方をするんです。

中川:「コード」と「モード」?

軍地:「モード」っていわゆるファッションの最先端のこと。ちょうど今「東コレ(東京コレクション2021)」中ですけれども、そういう最先端で他の人が作らない、オリジナリティを作ることが「モード」ですよね。時代性とか流行性ということで。それに対抗する「コード」って、いわゆるユニフォームなんです。みんなとユニ、つまり1個、同じものを着る。今。

中川:なるほど。

軍地:だからオリンピックなどの入場式ではみんなユニフォームとか同じものを着る。それが「コード」と言われていて。ファッションには「コード」と「モード」の概念があるんです。

中川:おもしろい。

軍地:「じゃあ、なんで私たちは衣服を着るか」って、ファッションをすごくさかのぼって言うと、アダムとイヴになるじゃないですか。

中川:ああ。

軍地:原罪を知ったアダムとイヴが、自分たちが裸であることを「恥ずかしい」と思って。

中川:恥でしたよね、あれは。

軍地:だから、チンパンジーとか猿とか、もちろん動物は恥ずかしいと思わないで、生まれたままでいられるけれども。生まれたままでいることが恥ずかしいと思うのは、原罪を知ってから。パンドラの箱を開けて、彼らも恥に気付くんだけど。その時に、そこにあったイチジクの葉っぱを股間に付ける。

中川:なるほど、それが最初のファッションだと。

軍地:それがファッションなんです。

中川:なるほど、おもしろい。

軍地:ファッションって、要は「恥」を克服するところから始まっているんですよね、隠すところから。そうやって始まったファッションで。

ファッションの「コード」と「モード」の歴史

軍地:それこそ日本で言うと縄文時代とかって、もう私たちは想像するしかないけど、貫頭衣というんですか。生地を編んでかぶるだけのもの。それは体を外敵から守る機能としてあったものが……。話が飛びますけれど私、ちょうど昨日、「聖徳太子展」に行ったんですよ。

中川:はい(笑)。

軍地:聖徳太子は何をやったかって、「和をもって貴しとなす」という憲法十七条を作ったじゃない。あれで冠位というものを作ったんですよ。冠位十二階か。

中川:冠位十二階でしたっけね。僕もあまり詳しくないけど(笑)。

軍地:十二の冠位を、作ったんですね。それで、その天皇を頂点とした位を作った時に、色分けしていったんですよ。一番位の高い人は紫とか。その時の自然染料で希少性の高いものほど高い位で。

中川:作りにくいものは、やっぱりレア度が高いからランクが上がっていく。

軍地:そうそう、レア度が高いほど位も高いと。それによって、ユニフォームが作られていくんですよ。それは、「この人はこういう役割の人だ」「この人は位が高いんだ」と外から見てわかるように。そこからファッションになっていくんですが奈良時代はものすごい装束なわけですよ、昔の織物技術とか。

中川:すごい技術の詰まった。

軍地:そう、シルクロードから来た。贅を尽くしていくのが、ファッションの最初だったと思うんです。

モードのかっこよさは「恥」の先にある

軍地:最初はユニフォームとしてのスタイルだったんだけど、今度はオリジナリティを発揮するものがファッションになっていくわけですよね。

ヨーロッパで言うと、例えばイギリスの階級社会の中で、まずフロックコートなど位に合わせた衣装が出てくる。フランスだと18世紀のフランス王国時代は男性貴族の服装は位が高くなればなるほど、どんどん肩章が増えていくとか。一方でそれを脱しようとマリー・アントワネットの王宮スタイルは新しい装飾を身に付けるようになってきた。

ロココ時代は創造性の塊だった。バロックからロココ時代の転換はまさにモードの時代でした

中川:別のベクトルにいくわけですよね。

軍地:マリー・アントワネットみたいに「人より早く新しいトレンドを着たい」と言うファッションリーダーが現れた。例えば頭に船を載せたようなヘアスタイルが生まれたり。船を頭に乗っけたら、「格好悪い」と思うのが普通じゃないですか。「え、恥ず!」って思うけど、恥ずかしいのを超越したところが格好いいというのが、ファッションの原動力になっていたんですよね。

中川:なるほど。モードのかっこよさは恥の先にあるんですね。

軍地:ちょうど今日、「ドルチェ&ガッバーナ」がヴェネツィアで、「アルタモーダ」っていうすごいファッションショーをやっているんです。後で調べていただくとおもしろいと思うんですけれども、もう王侯貴族みたいな衣装ですよ。

今、いろんなブランドが「どうやって独創性を出すか」としのぎを削っているのは、ある種「恥」を超えた先にある独創性、クリエイティビティですね。

だけど、最初はみんなに笑われることもある。だから、みんなが裸の時にイチジクを付けていたアダムとイヴも、たぶん最初は笑われていたと思うんですが、それが「モード」になっていく。そういう「コード」と「モード」を繰り返すのがファッションなので。

中川:超おもしろい。なるほど。

軍地:私自身も子どもの時、コンプレックスの塊だったので、おしゃれな子より自分は劣っていると思っていて、すごく恥ずかしいから、お洋服を買いに東京まで行ったりしていたました。そういう恥がコンプレックスになり、コンプレックスを超えるところにファッションがあるというのは、綿々と続いている流れだと思います。

「トレンド」とは、誰かが肯定し始めた時に起こるうねり

中川:それ、めちゃくちゃおもしろいですね。「創造性は恥の先にある」って僕も思っていて。

軍地:そうですよね。

中川:広告の仕事の打ち合わせでも、みんなが「えっ」ってなるアイデアのほうがおもしろかったり。でも、それはみんなが今までたどってきたロジックを超えた、ちょっと違うベクトルにあるからそういうアイデアを出すのはやっぱり恥ずかしいんですよね。でもそれを出さないと、永遠に同じロジックの中だけの会話しか行われないという。だから軍地さんのお話よくわかります。

軍地:逸脱した時にやっぱり10人中9人くらいが、「いや、それ格好悪いよ」とか「え、そんなの今までに前例がない」と言う。でもその時に、ファーストペンギンというかぴょんと飛んだペンギンを、誰かが肯定し始めた時に起こるうねりみたいなのが、トレンドなんですよね。

結局ファーストペンギンがいない、ただの常識が継続していく社会の中では、やっぱり発展性とか新しいオリジナリティは生まれて来ないから、クリエイティビティは「恥」前提だと思うのね。ただ、かつて恥を恥とも思わずいけた時代があって、今はSNSがあって叩かれるから何もしない、はじけられないというのでは、時代性が逆行しているなと思っていて。

“原宿の白T男子”から感じる日本の閉塞感

軍地:今日もずっと原宿あたりをぐるぐるしていたんだけど、ちょっと前はきゃりーぱみゅぱみゅちゃんとか出てきたり、ゴスロリの子がいたりとか、原宿といえばもう、独創的な、奇抜な子たちがいる場所でしたよね。まあ、今はコロナ禍ということもあると思うんですけれど、ぱっと見ても男の子だいたいTシャツですよ。白Tだらけだと。

(一同笑)

軍地:ラーメンの行列を見ると、ほぼTシャツですよ。今、女の子もけっこうユニクロやGUがメインになってきちゃってるから。

中川:Instagramとか、そういうアカウントも多いですしね。

軍地:そうですね。ユニクロをおしゃれに着るほうがモテたりするから、そのへんがちょっと怖いなと思うんですよね。恥を乗り越えることを怖がるが故に、オーソドックスなものを「いいんだ」とか、「これでいいんだ」という枠を前提に生きちゃうことのほうが、トータルの流れ的に、私はつまらないなと思っちゃうので。

その背景に「恥」というものを持っているとしたら、何か「恥」を超えることをやらないと、日本全体の閉塞感にもなってくるなと、ちょっと思ったりしました。ちょっと話がすっとんじゃった。

中川:確かに、そうですね。いや、ありがとうございます。おもしろかった。