人や企業の関係も「経済的な生態系」と捉えることができる

山崎亮氏(以下、山崎):ちょっと真面目な話に戻って。一番最後ですね。「生態という言葉に注意せよ」と、「適応という言葉に注意せよ」と2つ書きましたが、話を聞いてここが大事なところかなと思いました。

1つは、もうみなさんは気付いているかもしれません。太刀川さんが言う「生態」は、2種類ぐらいの意味があって、本質的には1種類になるはずなんですが、でも表面上見ると2種類ありますね。

つまり、みなさんがこれからやる事業が、直接生態系との関係どうなっているかと考えるのが大事ですよという話もありますが、もう一方では、ライバルだったりとか同業他社だったり、あるいは仕入先であったり、販路、流通であったり、そっちの意味での生態系。いわゆる「経済的な生態系」も、相当意識しようとしていると。

太刀川英輔氏(以下、太刀川):んだんだ。

山崎:だから、いわゆる「生態系」と、それから経済連関の意味での「生態系」と2種類使っているので、「いやぁ、うちの事業でいきなり地球環境とか生態とか言われてもちょっと遠いね」と思わず、まず人間関係でもいいから、人と人とか企業と企業の関係も生態系だと捉えて、そこをチェックしていくのが、「解剖」に対する生態という意味での「生態」だと思います。

それから、最後のほうに言ってくれた、「生態系」を意識しないビジネスはもうありえないというのと、ありえないと同時に、そこを意識している企業が少ないからこそニッチなので狙おうぜという意味での「生態系」と、2種類あるので。太刀川さんが「生態」と言っている時、どっちの意味かを整理しながら聞いたほうがいいんじゃないかというのが1つですね。

「進化」と「創造」の違いは、「融合」があるかどうか

山崎:もう1つの「適応」は、さっきの系統図を書いてみて気付いたんですけど、「進化」の系統図において「適応」していく時、要するに分かれて行くものは、分かれたっきりつながることがないんですよね。

サイと象が分かれたけど、象とサイがもう1回ひっつきましたという遺伝子の回路はないんですよね。もうそれは分かれるしかないし、どっちかが生き残るしかないわけですよね。その間の子が生き残ったとしても、これはひっついたとは呼べなくて、それが生き残ったというだけの話なんです。

一方でアイデアは、「適応」をチェックするはずなのに、チェックする時に「融合」することがありますね。これとこれがひっつくはずないのに、生き残るかなとチェックしていたら、「いや、ちょっと待てよ。適応的にいうと、こう変化させておいたほうがよりよくならないか?」と言って、「適応」を考えているのに「変異」になっている時があるという。

それが「進化」と「創造」で大きく違うところかなと思いました。「適応」で環境からぶった切られているときに、「自らの意思でなにかとなにかがひっつきました」とやるのは、これは生物学者のリチャード・ドーキンスが誤読された時と一緒です。彼は遺伝子にあたかも意思があるかのように語ってしまったので、ミームの話にいく前につまづいたんですね。

「君は遺伝子に脳があると言うのか」みたいに、すげぇ否定されちゃったんですけど、あの時期にすごく大きな誤解がありましたね。でもそれは、あたかも意思があるように語ってしまったから。逆にいうと、そう語ったから読まれるようになって、ベストセラーになったわけですけれども。

「カレー+うどん」のような融合は、生物でも起きる?

山崎:実際の「進化」の過程では、「適応」をやっている時に、そいつが「融合」することは起き得ないという考え方なんだけど、「創造」は起きますね。やっててわかりました。起きるわ。

太刀川:起きる。

山崎:太刀川さんの本の中にも書いてありましたよね。

太刀川:そして、実は生物でもそれが起きる。

山崎:あ、起きる!?

太刀川:起きる。起きるから、遺伝子編集ができる。

山崎:おお!

太刀川:だけど、生物だと安全装置があって起きにくいんですよね。

山崎:ああ、確かに。

太刀川:だからおっしゃるとおり、「融合」って創造性においてすごく重要なんですよ。カレーうどんって、できちゃいますから。

山崎:(笑)。そうね、生物よりは起きやすいですよね。

太刀川:起きやすいですね。

山崎:ちょっと長くなっちゃいましたが、そんなことを感じておりました。

司会者:めちゃめちゃ解説していただきましたね。ありがとうございます。

太刀川:すごくおもしろいわ。しかもめちゃめちゃ実践してくれているのがうれしいですね。

司会者:すごかったですね。

太刀川:すごいっすね。俺も亮さんの作品なにか欲しいな(笑)。

山崎:もちろん、いつかプレゼントしますよ。

太刀川:いいんですか? やったー!

自然界にも産業界にも「境目」は存在していない

山崎:このあと、どう進めます?

司会者:今の山崎さんの話を受けて、太刀川さんからなにか「ここはポイントなんだよ」とか、「もうちょっとここについて語りたい」とかあったりしますか?

太刀川:めっちゃいいまとめでうれしいなと思って聞いていました。「生態という言葉は2つあるよね」というのは、そのとおりなんです。

もうちょっと解説すると、今までは確かに、例えば「マーケティングで見なきゃいけない人の範囲はこうでした」というものの中に、同じぐらい重要で、かつ取りこぼしている顧客がいたとしたら……というのに、2つ目の広い意味での「生態系」が近い話なんですよ。そういう時代にもうなっていると。

当然そこを追うのがニッチではあるんだけど、ある種、隣なんですよね。芦屋と神戸的な感じで、隣にあって完全につながっているんだけど、でも「神戸市」というと神戸のことだけになるのと一緒で。実際にその2つの生態系の境目は自然界に存在していないし、実際は産業界にも存在していないんですよ。

でもこれって、捨てられた瞬間にゴミ収集の仕事になるだけなんです。だから「分かれているというのは幻想である」と思うとすると、その少し隣の部分に、実はありましたよねと。生態系的に読み解いていくほうが、実は本質に近いんじゃないかということなんです。

今までみたいに、バリューチェーンの中だけが自分たちのバリューを発揮しているところだ考えちゃうと取りこぼすけど、生態系の観察では全部つながっている前提で見ていくじゃないですか。

「神戸市はここまで」となっていたとしても(笑)、いやいやと。普通にどこが市境だったかわからないで、通過してしまっていたりするから。

生態系的に見ると、1つの単位は市じゃなくて、河川だったりするかもしれないし、「そうつながっているよね」と観察すると、「隣の業界だったつもりがぜんぜん隣じゃないんですね」ということにもなる。

おもしろいビジネスチャンスは、だいたいエッジ(縁)にあるんですよ。そういうことで、「生態」は1つの言葉として使いたいというのがあるんです。

山崎さんのおっしゃるとおり、今は2つの意味として社会が使っている言葉でも、1つの言葉として考えると、僕らはもうちょっと配慮できるかなと思います。

関係ないと思われがちな「生態系」にこそ、ビジネスチャンスが広がっている

山崎:まさにそうだと思いますね。最初に、「本質的には1つなんだけど」と言ったのがまさにそこで。今はその本質が伝わりにくいんですよね。

太刀川:そうなんですよね。

山崎:だから太刀川さんが言っている時の「生態」という言葉を、今、どっちのことを言っているのかを考えながら聞いて、ずっと考えているとそのうち1つになるんですよね。

太刀川:「わかんないなぁ」ぐらいがいいなと思いますけど。

(一同笑)

山崎:「今、どっちなのかがわからないんだよな」みたいなね。

太刀川:そうそう。

山崎:そうやって考えられるようになると、相当クリエイティブな聞き方になっているんじゃないかなと思いますね。むしろ、「わかんないから自分は考えない」となるタイプが多くて。

つまり、バリューチェーンも含めて、自分たちはここを考えているんだと。「生態系」と言われた。もう1つの言葉が出てきた。でも「ちょっとうちは今関係ないんで」みたいになっちゃうのがすごくもったいない。

太刀川:そうそう。

山崎:つながっていると考えたほうが、そこにビジネスチャンスがめちゃくちゃ広がっていることになるという気がしますね。

太刀川:んだんだ。

山崎:その「んだんだ」ってなんですか?(笑)。いや、いいんですよ(笑)。

廃藩置県制度からみる「境界」の考え方

山崎:「生態」を考える時に、例えばさっき「神戸市と」と言っていたのはすごくわかりやすくて。廃藩置県によって、東京新政府が制御しやすいように区切った。兵庫県なんて5つの国からできていた県ですよね。

基本的には藩は隆起生態系によって区切っていたし、藩の中の国や村についても、川の流れを軸として「ここで区切るべきだよね」と作っていましたし。別に生態系なんて意識していなかったけれども。

「隆起生態系」という隆起にある遺伝子は、基本的には分水嶺のところで区切れているわけですよね。雨が降った時にこっち側に水が流れるか、あっち側に水流れるかという単位で、長い間、昆虫を含めた動植物が生きていたわけですから、そこに濃い遺伝子があって。植物を反対側に持っていくだけでも、「遺伝子撹乱だ」という人がいるぐらいですよね。

自然にできたところの中に人間も集まって暮らしていたはずなのに、集水域じゃないところに道路をズバンと通して。しかも本当はまとめておいたほうが村も国も強かったはずなのに、東京新政府は播磨国に力があったら困るので、権力を弱めるためにそうしたんです。

伊藤博文だって兵庫県知事だったはずなのに、東京に行った時は、「あいつらも」と言って県境を変えていくわけですよね。力をどんどん弱めていこうとして、変なところで切っていくわけですが、僕らがその境界線に惑わされる必要は、ぜんぜんないじゃないのという気がしますね。

だから「生態」といった時には、今言ったような領域感でずっと広げていくことに、みなさんのビジネスチャンスだったり、今の仕切りに惑わされないような事業計画だったりが作られるんじゃないかなと思いますね。またしゃべり過ぎたんですけど。

「適応」を探求すると、自分の主観を超えた「声」が手に入る

太刀川:めっちゃおもしろいな。僕なりに、“山崎亮”を適応的に観察するとどうかという話なんですけど。この短パン赤シャツのおじさんが、すごい説得力を持っているじゃないですか。猛烈な説得力の中に少しだけ、今まで観察した適応的な探求が垣間見えるわけですよね。

行政と付き合うからこそ、行政の歴史についてのバックグラウンドがあって。今自分は適当なことを言っているようでありながら、「こんなふうに適応的な観点で考えているからこうなんですよ」ということがわかる。これがすげぇ説得力につながっているって、みなさんわかります? これを身につけてほしいというのが、要するにこの本なんですよ。

山崎:なるほど。

太刀川:適応的に探求すると、自分の主観を超えた「声」が手に入るんですよね。解剖的な技術についての話もそうだったと思うんです。その適応に秘められた「声」によって、実は山崎亮さんが向かっているダイレクション(方向)に対して応援する流れというのがあって、それを借りてくることができると思います。

「適応」の探求をすると、この範囲が行ける領域だなと見えてくるのでけっこう自由にもなりますね。そう思って話を聞いていました。

山崎:すごい。進化思考家に解析していただいた。ありがたい。

太刀川:さすがですね。

山崎:いえいえ。

打てば響くディスカッションにも「変異」と「適応」がある

司会者:二人の間で「変異」と「適応」がグルグル回っている感じですよね。

山崎:それもそうですね。こういうディスカッションやる時に、楽しかったなと思う時、そういう感覚がありますね。言ったことに対して、「そうですよね」みたいに同意ばかりされてしまっても、自分がわかっていることしかしゃべらなかったという感じもあるじゃないですか。

一方で、いろいろ言ったのに全部自分の方向にだけ話を持っていくやつもいて。すいません、ちょっと僕がそれになりがちですけど。でも「それもお前、自分のほうに持っていくのかよ」みたいなやつも、変異の方向が少なすぎて、つまんないですよね。

いろいろ言って、違う話をしているつもりが変異の方向が少ないと「全部落ちるのはそこか」みたいになるけど、やはり打てば響くディスカッションというのは、いろいろ言った時に「こっちもこっちもこっちもあるよね」みたいに言ってくれる。次に僕は「適応」して選び取ることができるんですよ。

「太刀川さんが3つくらい言ってくれたけど、これについて話します」と言って、こっちでまた膨らますと、太刀川さんがまた選んでくれる、という話し合いの時の楽しさみたいなものがありますね。

自分たちの事務所や会社の中で、新しいアイデアを出していこうと思う時に、玉入れなのかキャッチボールなのか、そのタイプができる人がいてくれると、アイデアどんどん膨らませたり、あるいはまとめていったりすることができるような気がしますね。

その意味では、「変異」と「適応」はディスカッションをしていく時にもすごく大事な要素だなと思います。

太刀川:んだんだ(笑)。

山崎:わかった。まずは「んだんだ」と言うのが大事なんだな。

太刀川:んだんだ。