伝説の書店こと「松丸本舗」とキュレーション

安藤昭子氏(以下、安藤):私もご一緒させていただきながら、お話をうかがっていきたいなと思うんですけれども、今日はありがとうございます。

山口周氏(以下、山口):感無量です。

安藤:いや、とんでもないです。実は先日、私も初めて山口周さんにお会いさせていただきまして。その時に熱心にお話しくださったのが、「松丸本舗」という書店があったことはご存知ですか? 「知ってる!」という方。

(会場挙手)

けっこうご存知ですね。昔、2009年から3年間でしたかね。丸の内の丸善本店の4階に、丸善の「丸」と(編集工学研究所の所長である)松岡正剛の「松」を掛け合わせた、「実験的書店空間」と呼ばれる書店があって、よく「伝説の書店」とか「幻の書店」と言われるんですね。

それで、山口さんと先日お会いした時に「あそこが大好きだった」ということで、松丸本舗の話題で随分と盛り上がりました。その頃から編集工学研究所をご存知でいてくださったということで、ずいぶん通ってくださったんですか?

山口:はい。今でもよく覚えていますけれども、松丸本舗にはかなり行っていました。

僕はもともと大学で美術の研究をしていて、美術そのものというよりは、キュレーションをずっと勉強していたんですね。

ですから、あるコンセプトを立てて、同じようなタクソノミー(分類体系)で揃えることが普通だったわけです。バルビゾン派だったらバルビゾン派とか、印象派だったら印象派とか。あるエリアだと狩野派だったら狩野派というふうに揃えるわけですけれども。

それらにある意味を与えたときに、本来は並ばないものが並べられて、それが並ぶことでまた別の意味が立ち上がってくることが、良いキュレーションなわけです。本も非常にキュレーションしがいがある対象だと、前から思っていたんですよ。

安藤:そうですよね。

「本の並べ方」そのものが、新鮮で知的な驚きを感じさせる書店

山口:それなのに本屋さんに行くと、新書は新書というふうに版型で並ぶわけです。でも例えば、あるテーマに即して勉強したい時は、別に版型で本を選ぶわけじゃないので(笑)。テーマで並んでいたり、表層的なものじゃなくて、もっと深層的な側面で見たときに通底しているものを並べてみると、また違うものができあがってくる。

そして、人が軸になっていた松丸本舗の場合、時期に応じていろいろな本の並べ方をしていました。だから、そこには文庫本があったり、新書があったり、ハードカバーがあったり、文学があり紀行文があり、随筆があり哲学書がありということで、並び方そのものに非常に新鮮な、知的な驚きを感じる。

僕から見ると「なぜこの本がここに?」というものもあるんですけれども、それはパラパラと見てみると「あ、そういうことか」とわかることがあります。逆に、わからないので「この文脈でこれが出てくるんだったら、ちょっと読んだことがないから買ってみようかな」ということもあって、商売としていい仕掛けだったと思います(笑)。

一時期、丸善で松丸本舗をやめるという案内が出て、「いついつまで」というのを見たとき「これはなぜやめるんだ」と思いましたよね。

安藤:ありがとうございます。今日は丸善さんもご覧になっているので、ぜひ(笑)。今「商売上~」と言ってくださいましたけれども、松丸本舗は実は、お客様単価が通常の本屋さんの2倍あったという。

山口:なるほど。

安藤:書店業界ではずいぶん驚かれたんですけれども、その秘密が何かというところは、おそらく今「キュレーション」という目でご覧になられたお話にヒントがありそうです。

山口:今は洋書のコーナーになっちゃいましたから。よくわからないですけど、洋書はそんなに売れるんですかね。

安藤:丸善さんもご覧になっているので、そのへんも(笑)。

「読書は深夜に根を張る」の意味

山口:でも、人が本に求める効用はいろいろですし、やっぱり短期的にとにかく調べたいというケースもあれば、「わかると変わる」ということも、今日話せればなと思っています。

何か思いもよらない……松岡正剛先生の言葉に「読書は深夜に根を張る」とあって、あれはネットワーク、リゾーム(地下茎)のイメージだと思うんですけれども。何かと何かがつながらないと思っていたのが思わずつながったり、「この本で言っているこれと、この本で言っているこれは、実はつながるんだ」という。そのつながりが見える瞬間、わかったという感覚は、読書の悦楽の最大のエッセンスの1つだと思うんですね。

それを普通の人は書を読んだり、よくあるのは本を読んだ時に参考文献をたどりながら、横っ飛びに読んでいくことで、つながりという連続性を把握するわけですけれども。

松丸本舗は、連続性というものをある種、物理化した空間だったと思います。私にとっては、まだBACHの幅允孝さんがブックキュレーションというものを始める前でしたから、非常に新鮮で楽しかったですよね。

管理のための本棚ではなく、読み手のための本棚を取り戻す

安藤:ありがとうございます。うち(編集工学研究所)の松岡が、「かつて図書館は読み手のための本の並びだったんだけれども、いつからか管理のための並びになったというところが大きな変化だ」ということを言っていまして。おそらく松丸本舗も、そのあたりを取り戻すという実験だったんだろうなと思います。

今日は山口さんに、「本の力」についていろいろと自由にお話しいただくということで、今「わかると変わる」というキーワードも出していただきましたけれども、このあたりからもう山口周節で、だーっと言っていただくのがいいかなと。

山口:私は前から「編集工学研究所は憧れの場所で」という話もしていたので、今の日本を代表する知的怪物であられる松岡正剛先生の本拠地でもって、本について語るとは何事かという(笑)。忸怩たる思いが今でも心の中に湧き上がっているんですが。

今日は結婚式の挨拶みたいな感じで、ご指名でございますので(笑)。ちょっと僭越ではございますが、身を小さくしてお話しさせていただきたいと思います。

今日は、本というものがどういう力になっていくのかということに加えて、本についての個人的な思い出や考えも、いろいろとお話しできればいいかなと思っています。僕は本というものを「独学」というものに接続して考えるわけですけれども、一番最初に、今の世の中における本について話したいと思います。

そのあとは、本についてのいろいろなトピックがありますよね。例えば、Kindleなのかどうなのかとか、Amazonなのか本屋なのか。そのあたりで自分なりに、50歳までそれなりにずっと読書をして生きてきた中で、自分の読書のやり方について、ちょっと共有できればいいかなと思っています。

「独学」の最初の手がかりは本

山口:それで、「独学」というものについて、一番最初に話をしたくてですね。独学しようと思うとやっぱり、本になるわけですよね。僕はもともとやっていたのは美術の研究で、広告やマーケティングのゼミでもなかったんですけれども、初めは広告会社に入りました。

それで広告会社から、アメリカのコンサルティング会社に入りました。いわゆるビジネススクールで普通に勉強して入ってくるようなリテラシーもまったくない状態で、相当に乱暴なキャリアを歩んでいるんですね。もう常にド素人で飛び込む。そして、ド素人なりになんとかしなくちゃいけないということでやってきました。

本について言うと非常に、「悦楽のために読む」ということが今はかなり基本になってしまっているので。「楽しけりゃいいんじゃないですか」という話をするつもりでいたんですけれども、30分前ぐらいに「これではやっぱり済ませられないのではないか」と思ってですね(笑)。急きょ、取って付けたように役に立つ話をしたいと思っています(笑)。

ド素人が複雑な問題に直面した時にどうするか?

山口:独学は大量のインプットをするわけですけれども、非常にわかりやすい例えで言うと、みなさんが人事の担当者で仕事をされていて、ある日、社長に呼ばれるわけです。「いや、ちょっと山口くん、困ってるんだよ。最近うちの会社の退職率が上がってる」と。

退職する人が増えていて、いろいろなアンケートを見てみると愛社精神も下がっているし、「ずっとここで働きたい」という、組織論の専門の用語で言うところの「組織ロイヤルティ」や「エンゲージメント」のスコアも下がっていると。

全般的に下がっているようなので、「ちょっとキミを特命プロジェクトのリーダーにするから、役員会で3ヶ月後にどういうことをやったらいいかという提案をしてほしい」と。

これが仮に人事の専門家だったら、いろいろと考えるわけですが、ド素人でぜんぜん関係ない仕事をやっていたとか、人事に来て日が浅くて「そんなことぜんぜんわからないよ」ということになったら、「何を調べますか?」という話なんですね。もっとダイレクトに聞くと、まさに「丸善オアゾに行って、どこの棚に向かいますか」という話なんです。

僕がビジネススクールで教える時や、企業の研修などでこういう質問をすると、だいたい1階の入口から入って右側のスペースですよね。みなさん、「経営学や組織論が並んでいる棚に行って、まずエンゲージメント経営や組織論を読んで勉強します」という答えなんですね。あとよくありがちなのは、インターネットで「人が辞めない」というキーワードを入れて何か事例を調査するということなんですけれども。

僕も実際、実務でずっと組織の仕事をやってきたのでわかるんですけど、答えはまずないんですね。ないんですよ、答えは。「世の中で起こる非常に複雑な問題に対する、そのものズバリの答え」というのは、どの本にも書いてないわけですよね。

ゼロから問いを立てるためのプロセス

山口:それで、僕がコンサルティング時代も、広告の時代もずっとやっていたことは、「人が辞めていく、あるいはその組織に長くいない、コミットメントが下がる」と考えたときに、逆に言うと「入ったら人がなかなか辞めない組織って、どういう組織だろうな」と考えるわけですね。経営学の知識がないので、ゼロからそういう問いを立てないといけない。

そうすると、人がなかなか辞めない組織で、明らかに辞めたほうがいいにも関わらず辞めない、周りが辞めさせたくても辞めてくれない。そういう組織を調べると、たぶん一番なんらかのエッセンスがあるはずだと考えると、これは「カルト教団」になるわけですね。ちょっと宗教の話はアレですけど(笑)、ある種のカルト宗教というものは、なかなか辞めさせられないわけですね。

「どうして辞めないような状態になるんだろう」と、そこにエッセンスがあるかもしれないと考えると、それは丸善オアゾで言うと1階ではなくて3階になるわけですね。3階のエレベーターを上がって、右の奥のコーナーになるわけです(笑)。

そこに行って、例えばいろいろなカルト教団のかつてのイニシエーションのやり方を並べて読んでみると、ある種の共通項が出てくるわけですよね。新興宗教やカルト宗教、あとは本当に殉教してしまうような高いコミット。それは非常に抽象度が高いエッセンスなんですけれども、抽象度が高いがゆえに、時代を越えて適用できるわけです。

物事を抽象化することで見えてくるもの

それで、こちらに少しコンサルチックなスライドが出ていますけれども、「リベラルアーツ」と書いてあります。これは「非ビジネス」ということですね。ノンビジネスのカテゴリーのコンテンツ、あとはビジネスカテゴリーのコンテンツ。

例えば具体的な情報が入ってくるとします。「アリ塚にはー定の割合で、必ず働かないアリがいる」と。僕は生物学の本がすごく好きで、よく読むんですけれども、どのアリ塚にも必ず一定の割合で働かないアリがいるんですね。

それだけ知ると、コンサルの世界では「So what?」と言われるわけですよ(笑)。いや、「おもしろいんだ」と、「そういう知識を学んだ」ということを抽象化すると、本来組織は100パーセントとか90パーセントとか、稼働率が高いほうが生産性が高いと言われるんですけれども。それが稼働率が60パーセントとか70パーセントで止まっているということは、稼働率が高すぎる生物は滅びたということなんですね。

今いる組織が全部そうだということは、稼働率が高い組織、少なくともアリのコミュニティであるアリ塚は滅びたということなわけです。抽象化すると「滅びたんじゃないか」という仮説が導かれると。

これをビジネスの世界に転用してみると、稼働率や生産性とあまりに言い過ぎると「これってもしかしたら良くないのかもれないな」ということから、もしかしたら「直接の利益が見込めない」とか「これって遊んでるんじゃないの?」ということにも、ある程度投入したほうがいいのかもしれない、ということが出てくるわけです。

これは右回りなんですね。要するにいろいろなところで勉強というか、「読みます、インプットがあります」と。それで、この左の端っこの塊に情報が残っているとスタンドアローンになってしまうんですけれども、一旦抽象化してあげると、いろいろなものとつながるんですね。

答えが見つからない時は、問題の本質に立ち返ってみる

僕は一応本職でビジネスコンサルタントをやっていたので、これをビジネスの世界に転用すると、逆回しもできるわけです。逆回しというのはさっきの話で、経営学の知識があれば「ビジネススクールではこう考える」ということができるんですけれども、当時の僕にはそれがなかったので。でも、コンサルタントのところにはいろいろな問題が来るわけですよ(笑)。

「じゃあ、その問題をどうやって解くのか?」と考えたときに、そのものズバリの問題に対する答えを知っていれば楽なんですけど、ないんです。「これってどういう問題なんだろう」と。本質的には、経済合理性を超えた企業への愛着や忠誠は、どうやって形成されるのかということに対するエッセンスが知りたい。

合理的に考えれば明らかに抜けた方が良い組織なのに、なぜ抜けないのか。そこで、「これはカルト教団だな」と思って、それについて調べてみると「名前を変える」とか「場所を変えさせる」とか、「過去に持っていた人間関係を一旦断ち切らせる」ということをやるわけですよね。

だから、『千と千尋の神隠し』の中でも、湯婆婆は人の名前を変えることでその人を支配するんだということが出てきますけれども、名前を変えさせられると。これはさっきと真逆で、今度は逆時計回りなんですね。