「わからないこと」をエンターテイメントにするという挑戦

たられば氏(以下、たられば):もう1点、編集者としてすごく興味深いことを聞いてもいいですか。おかざき先生は、先ほど「わからないものをわからないまま描こう」とおっしゃっていましたが、普通、編集者は作家に「わかるように描いてくれ」と言うんですよ。

おそらく「わからないまま描く」というのは、担当編集者もびっくりしたというか、相当チャレンジングなことだと思うんですよね。作家がわからないまま……。「作家がわからなきゃ読者もわからないじゃないか!」と言いたくなるんですけれども。

ただ、確かに大きすぎるテーマだと、「簡単にわかられても困るな」と1人の読者として思います。作家に対して「わかった気になっているんじゃねーよ!」と言ったら、もう読めなくなっちゃうのでね。

わからないものをわからなく描く、しかもエンターテイメントにするって、ものすごく難しいと思うんですけど、そこら辺の葛藤などはあったんでしょうか?

楽しみながら、あえてわからないほうに行く

おかざき真里氏(以下、おかざき):どうでしょう。私の担当さんがどういう葛藤があるのかわからないんですけれども、たぶん楽しんで一緒に作ってもらえていると思うんですが……。

たられば:おお、なるほど、そうか。担当者はわかっているんですかね?

おかざき:いや、お互いに「わからないよねぇー」って言いながら(笑)。

たられば:(笑)。

おかざき:「わからないから、そっちの道に入ってみよう」というところはあります。

たられば:わー、なるほど。そうか……。

おかざき:悪い癖かもしれないです。

たられば:いやいや。

おかざき:漫画論になっちゃいますけれど、もうちょっとちゃんと会得して、かみ砕いて出すタイプの作家さんもいらっしゃって、多くの方に届くのはそういった作家さんだと思うんです。私の場合は、ちょっとわからないほうについつい足が向いてしまうタイプで。

あ! ここで。

たられば:承知しました。北海道(市原氏)の音がOKになったという話なんですけど、ヤンデル先生、大丈夫ですか? 聞こえる? 

なるほど。こちらの声は届いているけど、彼の音声が届かない状態ですね。わかりました、ちょっと1個飛ばします。ヤンデル先生の出番は後です。

病院で葬儀の手配のサポートが受けられる

たられば:先ほど「死」の話が出ましたので、飛鷹和尚にちょっとお伺いしたいんですけれど。日本で人が亡くなると、たいていの場合は仏教のお坊さんを呼びます。持ち場なんですね。先ほどのおかざき先生もそうだったんですが、私も数年前に母を亡くしました。

そのときに病院からパンフレットをもらいまして、そこに葬儀屋さんとお坊さんのリストがあったんですね。それで、「宗派は何ですか?」と聞かれて、宗派ごとに値段も書いてあったんです。

おかざき:(笑)。

たられば:葬儀一式。それで「何人呼ぶとお香典で取り返せますよ」ということまで書いてあって、「あぁ、コンビニエンスだなあ」と思ったんです。

おかざき:でも、ありがたいですね。

たられば:そう、わかりやすいですよね。

おかざき:けっこう動転している家族の方もいらっしゃいますから。

たられば:そうですね。

おかざき:笑っちゃいけないやつ。とってもありがたいですね。

死をきっかけとして生そのものをどう充実させるか

たられば:本当にそうですね。そこで飛鷹和尚に伺いたいんですけれども、仏教では、あるいは真言宗では、「死」というものをどう語っているのかをお聞かせ願えればなと思っているんです。いかがでしょうか?

飛鷹全法氏(以下、飛鷹):そうですね……そのような大命題に、そもそも私は答えられるような者ではないとは思うんですが……たぶん、さっきおかざき先生がおっしゃったように、もともと人間がこの生を受けたこととセットで、避けられない宿命として死というものがあるんだと思うんです。

たられば:なるほど。

飛鷹:ただ難しいのが、実は我々は「自分の死」を経験することはできないってことなんです。つまり「他人の死」というものを見て、死を恐れたり怖がったりしているだけで、死そのものを直接経験することはできない。経験できないものは、本来語り得ないわけですから、おかざき先生が引用された「死に死に死に死んで、死の終わりに冥し」という弘法大師のお言葉は、そう言うより他はないようなところがあると思うんですね。

たられば:そうですね。

飛鷹:一方、歴史を振り返ると、大きな飢饉や疫病の流行があったりして、人々は自身の近くにある死を見つめて、自分の生を儚んだり苦しんだりしてきたのも事実です。

ですから仏教では「生・老・病・死」を「四苦」と言って、人間という存在の根源的な苦しみだと認識したわけです。そしてその苦しみからの「解脱」が仏教の究極的な目的である、というのがオーソドックスな見解としてあると思います。

ただ、弘法大師のお言葉からは、「死」そのものを強く恐れてたじろぐような態度は、あまり見受けられない印象を持っています。 むしろ、我々そのものを生み出した根源的な存在、それを「仏」と言っても、「大日如来」と言ってもいいんでしょうけれども、そういった存在そのものと1つになって、今いただいている命をどう活かし切るか、ということを一番大事にされているような気がします。

この生命を真正面から受け止めることによって、死そのもののネガティブな要素を積極的に乗り越えていこうというような姿勢を、非常に強く感じるんですね。

ですから、「死とは何か」と問うのではなくて、死と生は表裏一体なのだと認識して、「死をきっかけとして生そのものをどう充実させるか」という方向にベクトルを向けるところに、真言密教の一番の根本的な態度があるのではないかと感じております。

東日本大震災があった2011年に得度

たられば:なるほど。これも、ぜひちょっとお伺いしたいんですけれども、飛鷹和尚は東京大学のご出身でございます。非常にエリートで、それから高野山に入られて、お坊さんになられたわけです。

例えばお坊さんといっても当然、子どもの頃があり、学生時代があり、修行中の身があり、今があると思うんですが、そうした成長のなかで、あるいは「宗教者としての修行」のなかで、自分が死ぬことに対する思いは変わっていくものなのでしょうか?

飛鷹:そうですね。それは、「お坊さんになったから変わった」というわけではないかもしれません。身内の死や大きな天変地異のような、言わば私たちの日常性の中に突如として差し込まれる、自身の実存を脅かす契機のようなものが、「自分の生とは何か」「死とは何か」を深く考えるきっかけになると思うんですね。

それが「自分がいただいた命を多くの人々のために使おう」という1つの積極的な覚悟に転換されるのが、「発菩提心(ほつぼだいしん)」と言われる、「仏道に生きるという覚悟」の意味なんじゃないかと思うのです。

私自身がそういうことができているかというと、それはなかなか難しいです。ただ、自分がちょうど得度したのが、2011年の東日本大震災のときだったんですね。

おかざき:へぇー。

飛鷹:ですから、多くの方々が傷ついたり亡くなったりするタイミングで、たまたまいろいろなご縁があって、私はこの高野山のお寺に入ることになり、お寺を継ぐという役割を担うことになったんです。「それが自分の役割かもしれないな」と思い、僧侶としての道を歩き始めた。そういう感じです。

「生老病死」の苦しみは議論しても仕方ない?

たられば:なるほど。おかざき先生、今のお話を聞いていかがですか?

おかざき:私は本当にいろいろわからなくて、私自身が特に仏教のどこかの宗派に帰依しているわけではないし……。

ただ、わからないなりにずっと仏教に関する文献を読んでいると、先ほど飛鷹和尚様もおっしゃいましたけど、いわゆる「四苦八苦」の「四苦」が「生老病死」のことなんですけれど、生老病死に関してはちょっと「もう、しょうがないじゃないか」と言われているような気がするんですよね。

※注:四苦八苦:仏教の用語で、あらゆる苦しみの意。生老病死の四苦に、愛別離苦(親愛な者との別れの苦しみ)、怨憎会苦(恨み憎む者に会う苦しみ)、求不得苦(求めているものが得られない苦しみ)、五蘊盛苦(心身を形成する五つの要素から生じる苦しみ)を加えたもの。

ただ、生老病死にまつわる苦しみのほうを、「人はその苦しみから逃れたいよね」とか、「それ(四苦八苦のうちの四苦)にまつわる苦しみだけが、人を苦しめるよね」と言われているような気がずっとしています。

「生老病死そのものを議論したり語ったりしても、それはもうしょうがないものじゃないか」と言われている気がちょっとします。でもそれで「わかっちゃった」はだめ(笑)。

たられば:わかっちゃった(笑)。

(スタッフに)『阿・吽』のコマを出していただけますか? おかざき先生の作品は、たくさんの死の描写があります。

そうですね、これは私が選ばせていただきました。最澄が非常に印象的で……。

おかざき:はい、こちらは最澄さんですね。

たられば:ねじ切れるように(口に)出す「生とは苦である」という話と……。もう1つ、私が大好きなにうつ様。にうつ様は、なんというか、生死を超越した妖精みたいなキャラクターなんですけれども、そのにうつ様が、空海に「死とは何ですか」と聞くんですよ。にうつ様ですらわからない。おかざきさんがわからないまま、わからないことを出していらっしゃるんだなというのが非常によくわかります。

「身近な人の死」を受け入れる装置としての仏教

たられば:飛鷹和尚にも、もうちょっと伺いたいなと思います。母の葬儀のときにお坊さんにお経をあげてもらったんですが、このときのお坊さん、ものすごく豪華な袈裟を着て、「それではご入場いただきます」と言って、ばさーっと入ってくるわけですよ。

それで木魚を叩きながらお経をあげるんですけれども、もう朗々と非常にメロディアスな声で、それがお堂に響くんですね。それを聞いていたらなんとなく……。母の葬儀ですから、さすがに悲しかったんですけど、なんだか耳で聞いて目で見て、そこに実際にいると、なんとなく気持ちが和らいできたんですよね。

そのときに思ったのは、もしかしたらそもそも「葬儀」というものは、お坊さんによる(「死者に向けたもの」ではなく、「遺族≒生者」に向けた)、身内や近しい人の死を受け入れる装置・演出なのかなということです。

お坊さんのありがたいお経ですけど、何を言っているのかわからないんですよ。わからないんですけど、聞いているとふわーっとしてきたんですね。いい具合な気分になってくるんですよね。それは狙ってやっているんですか、ということを聞きたいです。

おかざき:(笑)。

たられば:飛鷹和尚、どうですか?

飛鷹:狙ってやっているというより歴史的に要請されて成立したものだと考えてみてはいかがでしょうか。例えば、普通に淡々と読むお経もありますけれど、非常にメロディアスに読むお経もあるんです。

それを「声明(しょうみょう)」と言いますが、高野山ではいろいろな儀式や法会で唱えられるもので、非常に音楽的です。日本の演歌の源流になったとも言われています。

自分が唱えたお経によって、本当に人々の心は救われているのか

飛鷹:その他にも、法会では繞(にょう)や鉢(はち)という鳴り物も使いますし、身につける法衣も非常に煌びやかで五感に訴えるようなものになっています。

おそらく最初期の弘法大師の頃からすると、だいぶ変化しているんですね。儀式がどういう機能を果たすのかにもよりますが、そうした様式は時間の経過とともに変わってくるのだと思います。

ですから今の葬儀も、おそらく長い時間をかけて、日本人が「故人と別れる」という時の安心というか、感情的な落ち着きを取り戻すような、ある種の導線の役割を果たすものとして成立して来たのではないでしょうか。

そういう意味では、一人の個人というよりも、多くの人々の創意工夫によって徐々に形成されてきたと言えると思います。

たられば:なるほど。

飛鷹:ただそうしたこととは別に、「供養するというのは本来どういうことなのか」といった問いは残りますよね。私自身、「自分が唱えたお経によって、本当に亡くなられた方や、残された方々の心が救われているんだろうか」という自問自答は止むことはありません。ですので、供養の機能的な側面と本質の問題は、やはりちょっと分けて考えたほうがいいのかなという気もしますね。

たられば:なるほど、そうか。わかったような、わからないような(笑)。

おかざき:(笑)。

たられば:いやいや、非常にありがたいお話です。