「個人向けの遺伝子解析サービス」を提供する、株式会社ジーンクエスト
高橋祥子氏(以下、高橋):初めまして。ジーンクエストの高橋と申します。今日は平日の夜に、こんなにたくさんの方にお越しいただいて、本当にありがとうございます。
今日は私どもが取り組んでおりますパーソナルゲノム、遺伝子関連のお話です。立ち上げのころから、今取り組んでいること、あとは、今の世界がどうなっているかという市場環境も含めて、みなさんにゲノムについてのお話を持ち帰っていただければと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
改めまして簡単に自己紹介をさせていただきます。私はもともと大阪出身で、大学は京都大学の農学部、大学院は東京大学の農学生命科学研究科の応用生命化学というところで修士課程と博士課程に行っております。
博士課程の在籍中に株式会社ジーンクエストという会社を立ち上げまして、そのあとジーンクエストが2017年にユーグレナのグループに入ったことで、2018年からはユーグレナの執行役員も務めております。
ジーンクエストという会社は、6年前の2013年に私を含む東大の研究者のメンバーで立ち上げた会社となっております。2014年に、日本で初めて個人向けの大規模なゲノムの解析サービスを提供開始しました。日本で初めてこの取り組みを始めたということで、今では安倍総理に賞をいただいたり、バイオベンチャー大賞をいただいたりと、評価していただくような場面が出てまいりました。
今は何をやっているかというお話を簡単にいたしますと、「個人向けの遺伝子解析サービス」を提供しておりまして、その遺伝子解析サービスの提供を通じてデータを蓄積しております。遺伝子データだけではなくて、その方のいろいろなデータを匿名化して、新しい科学の研究に応用します。研究でわかったことをまた個人向けのサービスにフィードバックしていくという、主にBtoCのサービスと、BtoBの研究の事業を行っております。
なぜ病気になるのか、病気になる前になにかできないか?
最初に、そもそもなぜこういうサービスを始めたのかというお話を、みなさんにシェアしたいと思います。先ほど申しましたとおり、私は農学部の応用生命化学というところで生命科学の研究をしておりました。この生命科学の研究をしようと思ったのは、もともと私の家系は医者が多かったというのもあります。私の父親は医者なんですけれども、姉も医者で、いとこも、おじも、おじいさんも、そのまたおじいさんも全員医者だという家系で育ちました。
高校のころに私と姉で一緒に父親の病院に見学に行ったのですが、そのときに思ったんです。病院に行ったことのある方はおわかりになると思うんですけれども、当然、病院は病気の人か怪我をした人しかこないんですね。
私は「病気になった方を治すのも非常にすばらしいことなんだけれど、そもそも病気になる前になんとかできないのかな」と、すごく違和感を覚えました。そもそもなんで病気になるのかというのをもう少し幅広い視点で、治療だけじゃなくて幅広い視点で研究したいと思って、この分子生物学の道に行ったんですね。
そのとき一緒に見学に行った姉は、「やっぱり医者ってすばらしい」ということで医者になって、活躍しています。私は「より幅広い視点で生命科学を見たい」ということで、農学部の分子生物学に行きました。
農学部っていうと「農業をやっているんですか?」と言われることもあるんですが、農学部は農業の研究をやっている人もいれば、農業経済をやっている人がいたり、土壌や水産や微生物、私のように分子生物学をやっている人もいます。非常に幅広いことをやっている学部なので選んだんですね。
実際に東京大学の研究室に来て、すごく研究にハマることになります。恩師に恵まれたということもあるんですけれども、大学の4年間と大学院の5年間と研究員を2年間やっているので、合わせて11年大学にいます。
「勉強」と「研究」の違い
「勉強が好きなんですか?」と聞かれますが、勉強と研究ってぜんぜん違います。勉強は他の人が発見したことを学んでいくことなんですけど、研究は自分で発見していくことなんですね。
研究は自分で仮説を立て、仮説検証のサイクルを回し、新しいことを発見して、それを世界に発信していきます。その一連の行動がすごく楽しくて、ずっと研究室に住んでいるような大学院時代を過ごしていました。
東大の研究室で恩師に恵まれたという話をしたんですが、左の指導教員、教授ですね。この教授は本当によくしてくださったんですけど、「指導教員」ですが「こうしなさい」と指示をされたことはあまりありませんでした。ただ、私が絶対にチャレンジしたいことに対して「ノー」と言わず、必ず応援してくださる先生でした。
例えば「あそこの大学の研究室の技術を使って、持ってきて研究したい」と言うと、「じゃあ、交通費くらいは出してあげるから行ってきなさい」と言って行かせていただきましたし、「ゼミのやり方をこういうふうに改革すべきだ」というのも、「やってみよう」という人でした。あと「国際学会のこういうところで発表したい」ということも、すべてチャレンジさせてくれる人でした。こうしてどんどん新しいことに挑戦させてもらえる環境の中で、すごく研究の楽しさを知りました。
もう一人の恩師は研究室の先輩で、実は一緒にジーンクエストを立ち上げたメンバーで、今もジーンクエストの役員として在籍しています。彼はもともと10代のころから自分でビジネスもやりながら、研究もずっと続けている人です。私の直属の先輩で、年齢はひと回り上なんですけど、直接私に研究のことを教えてくれた人です。この人とずっとディスカッションをしていたんですね。
どうすれば最先端の研究結果を社会に活かせるか
何のディスカッションをしていたかと言うと、2つです。1点目は「どうしたら今ある研究成果をもっと世に発信できるか」「もっと社会に役に立てられるか」ということですね。
これは今、例えば遺伝子検査の会社だと中国の企業が日本に入ってきていますが、何をやっているかと言うと「あなたの遺伝子であなたの才能が全部わかりますよ」「美的感覚とか音楽的センスとか社交性とかも全部わかりますよ」って言っているんです。だけど、それは科学的根拠がないものなんですね。
科学を捻じ曲げて使ってしまうものが広まってしまうと、結局、何のために国の税金を使って研究者が研究しているのかわからない。そうではなくて、今ある最先端の研究成果をもっときちんとした形で社会にフィードバックして役立てられないのかということをずっとディスカッションしていました。
もう1点は、「どうしたらもっと研究自体を加速できるか」ということですね。ヒトの遺伝子だけではなくて、生命の仕組みそのものがまだまだ多くの謎に満ちています。私が生きているうちに生命の仕組みの全貌を解明できるかどうかもわからないくらい、まだまだ謎に満ちています。
例えば、ヒトの遺伝子の研究を加速しようと思うと、たくさんの人を巻き込まないといけないんですね。当然、私1人の遺伝子を研究していてもダメなんです。
そうしたときに今ある研究成果をきちんと社会に届けながら、結果的に研究自体も進んでサイクルが回るという仕組みを作らなきゃいけないという結論になったんですね。
それが今のモデルです。今ある研究成果を遺伝子解析サービスという形で社会に発信する。病気予防のために役立てていただく。そのサービスが広まれば広まるほど結果的にデータも蓄積して、研究自体が加速していくということです。
研究を進めて世の中に活かすうえでベストな手段が起業だった
実際に今、立ち上げる前より非常にたくさんの研究プロジェクトができ、論文も出て、学会発表もたくさん行っている。これで解明されたことを、またサービスとしてフィードバックすることを始めています。
「サービスと研究のシナジーを大きく回すような仕組みを作らなきゃいけない」という使命感に掻き立てられたわけですが、それが大学の中だけではできないということで、手段として株式会社を作ろうということになったんですね。
ちなみに起業そのものがしたかったわけではないんです。ロジカルに考えて、手段として最適だから起業という手段を選んだんですね。なので、起業の準備をしていたわけでもないですし、ビジネスの勉強をしていたわけではないんです。実現したいことのために、起業してしまったというような状況です。
(スライドの写真を指しながら)私が最初に借りたオフィスです。これは東大の正門の信号を渡ってちょうど目の前にあるマンションの1室ですね。本当に何もないんですけど、もともと出版社さんのオフィスで、そこを貸していただいたんです。机だけ置いてくれて、机だけ1個あるというような状況でスタートしました。この何もない状態で最初の採用面接をして、なんと入社を決めてくれた方がいまして、社員の第1号です。今も社員として在籍しております。
遺伝子解析サービスに対する、世の中の思わぬ反応
先ほどのとおり、起業を目指して動いてきたわけではなかったので、起業してからがすごく大変でした。財務も、経理も、採用も、サービスづくりも、人事も、営業も、最初はすべて自分でやらないといけないので、できないことの連続でした。ただ一緒に立ち上げた先輩もそうですし、いま取締役として在籍している人もそうですが、周りのビジネス経験のある方からたくさん学びながら実践して、なんとかやってきたというような状況です。
このとき私は「社会のためにいいことしよう」と思って起業したわけなので、そんなにたくさんの問題にぶち当たると思っていなかったんですね。最初のメディア露出で、2013年11月30日土曜日の『朝日新聞』全国紙の一面にサービスリリースに関する記事が載りました。これがジーンクエストとして初めてのメディアへの露出で、社会に対してデビューしたということなんですね。
このときにニュースになっていろいろな方々の反応がありました。それは私が想像していたものとは非常に異なるものでした。私は「社会のためにいいことをしたい」と思って、本当に苦労して立ち上げたんですけれども、世の中の反応は「よくわからないから怖い」とか、「そんなのは危ない」とか、「遺伝子なんて、調べていいものではない」というような反応が非常に多かったですね。
私は社会経験がなく会社を立ち上げたので、一般の方がこんなに遺伝子のことを知らないということを知らなかったんです。社会とコミュニケーションするのはこういうことなんだな、ということを実感としてすごく学びました。
最初は「なんでわかってくれないんだろう」と思っていたんですけれども、それでは他責的なので自責で考えるようになり「どう行動すればいいんだろう?」と考えました。いろいろなところでメディアに出て説明をしたり、会社でも一般の方に向けてのセミナーを開催したり、私も本を書いたりしました。
いろいろなところで丁寧にコミュニケーションを取りながらやってきて、6年経った今では、「遺伝子を調べるなんて危ない」と反射的に反対される方はかなり減ってきたのかなと思っています。