登壇者が複業の第一歩を踏み出した瞬間に迫る

加来幸樹氏(以下、加来):自分の人選を自画自賛したいわけではないのですが、ただ実際、見事に今日のテーマでもある複業で、働き方や生き方をクリエイティブにアップデートされているお三方が揃ったのではないかなと思っています。

というわけで、このお三方にいろいろと話を聞いていきましょうか……と普通のイベントだとよくなるのですが、今日はスタイルを変えてみようと思います。

みなさん、お三方の自己紹介を聞いて、やっぱり登壇者がすごい人たちに見えたのではないでしょうか。僕からしてもすごい人たちに見えますし。

僕も複業家として登壇側になることも多いので、けっこう実感するのですが、この状態から質問をしていっても、登壇者が話していることがすごく遠くの人のことのように聞こえちゃうかなと。

ここにいる方の87.5パーセントは、今日はまだ複業を実際に行動に移されていないという方だと思うので、すでにアップデート後の状態のお三方の姿だけを見ながら発表とか質問をしていっても、ここから本当に一歩踏み出すヒントは、なかなか得られないのではないかなと思っています。

そこで、今日はみなさんのアップデートした後の姿だけじゃなくて、アップデートをしようとした瞬間に、会場のみなさんと一緒にさかのぼっていくことで、みなさんが第一歩を踏み出すヒントを見つけていく時間にしていきたいと思っています。

そのために、ちょっと申し訳ないのですが、もう1回自己紹介を、ある方法でやり直してもらおうかなと思っています。この方たちが歩んできたリアルなストーリーの中にこそ、アップデートする瞬間とか、なんでアップデートできたのかとか、どういうことがきっかけだったかが、すごく隠れているはずだと思いますので、今回はそれらを見ていけるような方法を選択しました。

“よくある”離婚家庭の子どもとして育つ

加来:「crono(クロノ)」という、自分の生きてきた過程をタイムライン風のストーリーで記すことができるサービスが出ています。事前に、さっきの自己紹介とは別でみなさんに作ってきてもらっているので、これを見ながらやっていこうかなと思います。

平田麻莉氏(以下、平田):そういえば、先ほどのコトクロの「クロ」って何ですか?

三次由梨香氏(以下、三次):KOTOCLOのCLOは、さっきの母乳育児推進の文字を取った感じ。

由来はね……ちょっと待ってください。なんだろうね。帰りまでにはちょっと……。

(会場笑)

加来:(スライドを指して)さて、ではこれが西村創一朗さんの生まれてからのストーリーになっていますので、みんなで一緒に、まずは1988年6月30日にさかのぼりながら、ストーリーを追いかけていこうかなと思います。では僕がスクロールしますので、ちょっと説明していってもらえたらと思います。

平田:1人何分ぐらいでやったらいいですか?

加来:1人3分ぐらいでお願いします。

西村創一朗氏(以下、西村):3分ぐらいか。だいぶ駆け足でいきます。子どものころは、普通にサッカーやったり、小6の時に両親が離婚とか。まぁまぁ、普通の人生ですね。普通の感じなんですけども。

(会場笑)

西村:まぁ普通のよくある離婚する家庭の子どもみたいになっていって、そして神奈川から国分寺に行きました。12歳のときに、シングルマザーの母親がうつ病で倒れて、生活保護になって。まぁまぁ、普通の人生なんですけど。

(会場笑)

原体験は学校のドロップアウトとネットとの出会い

西村:もともとサッカーをずっとやってきて、けっこう家庭環境がきつかった中で、サッカーしてる時だけはそういうのを忘れられた。だけど、サッカーをやりすぎて半月板損傷みたいにケガしちゃって。

それから「もう学校に行く意味ねぇな」みたいな感じでした。競馬が好きだったんで、毎日ひたすらもうダビスタをやりまくって。

朝起きたら12時とかで、「ゲーセンでも行くか」っていってゲーセン行って、なんかサラリーマンのおっちゃんたちとひたすらメダルの競馬ゲームに勤しむみたいな日々があったんですけど。

けっこうここの時に僕の原体験があって。インターネット回線が家に引かれてて、ひたすら東芝のDynabookで自分のホームページを作ったんですよね。

その当時14歳で、村上春樹にどハマりしていて、村上春樹の『海辺のカフカ』っていうのが出たところだったんですよね。それに感化されて、完全に丸パクリみたいなインターネット小説を、BBSっていう掲示板の機能を使って連載してたら、なんか固定読者が100人ぐらいついて。ちょっと更新サボると、本当に長文のメールでお叱りの連絡が来るみたいな。

(会場笑)

西村:それが僕のインターネットの出会いや原点で。今本当にインターネットが大好きなんですけど、これが実は複業への伏線にもなってるということで、ちょっとご紹介しました。

2兎を追って2兎を得られる世の中を作る

西村:その他にもいろいろあって。妻と出会ったりとか、あとバイトしたり。ここらへんは普通ですよね。妻と学校で同じクラスになって付き合うとかです。で、大学行って19歳になって。これは僕の人生の転機その1ですね。

まぁ普通に大学に入って、なんか就職して、いい安定した人生を送ろうかなと思っている矢先に、人生初めての大学の夏休みの最後の日に、妻の妊娠が……。ここの段階では付き合ってた彼女の妊娠が発覚し、結婚を即決します。向こうのご両親に土下座しに行くみたいなところが、僕の中の大きな転機になっていて。人生に本気で向き合わざるを得ない転機だったかなと思っています。

それで妻の実家でマスオさん生活がスタートして。そこから5年間ぐらいはマスオさん生活が続くんですけれども。公務員になろうと思って行政学のゼミに入ったものの、まぁ公務員の人があまりにもイケてなさすぎて、民間へ行こうってなりまして。

公務員になりたかったから法学部の法学部生だったんですけど、パソコンが好きだったので、パソコンのテクニカルアドバイザーという仕事のアルバイトをやったりしました。

そして長男が生まれますね。これが僕19歳の時です。まだ若い。だいぶ太りましたけども。この時にファザーリングジャパンというNPOに出会って、そこにジョインしたことが僕の人生の1つの転機になっていますね。

ここのNPO時代には、子会社の社長とかやりながらPTA会長とかもやって、朝5時に起きて、子どもの弁当作るみたいな。

僕が立ち上げたHARESという会社の社名は、「2兎を追って2兎を得られる世の中を作る」と言っています。仕事も全力で成果を出すんだけれども、家族とも本気で向き合って、仕事と子育てを両立しているっていう人が何人もいたんですよね。「あっ、こういう生き方っていいな」って思って、「僕もそれに行きたいな」というところが、今の僕の生き方の原点になってるなと思います。

きっかけは、自分が望むキャリアを実現するため

西村:他にも学生団体を立ち上げたりとか、いろいろやって、リクルートという会社に入社しました。その間、震災などもいろいろありながら、まぁ普通に営業として、大好きなインターネット業界を担当するお仕事をさせていただいていたんですけれども。

僕はもともと営業がやりたかったわけではなく、新規事業を作る仕事がしたかったんです。でも、営業の仕事を淡々とやってそこでナンバーワンになったとしても、その次に待ってるのは営業リーダーとか営業部長とか、そういうキャリアしかないと気づいたんです。

その中で「新規事業の仕事に行く」ことを考えると、営業として成果を出すだけじゃなくて、新しいものを掛け算しなきゃダメだなというふうに思って。中2から大好きでやっていたインターネットで発信をするということを、自分の複業として、社会人3年目の時に立ち上げて、それが結果として今の自分を作ったところがあります。

結果的にこのブログがなんかけっこうバズって、月間10万〜20万PVぐらいいって、社内でもかなりファンがいると。「ブログの更新、楽しみにしてるよ」みたいなことを、ぜんぜん知らない人に言われたりもしました。

新規事業を担当している役員に「営業部門に西村っていう頭おかしい人がいるぞ」ということで、「ランチ行こう」とか「飲みに行こう」とか誘っていただきましたね。

そのブログを立ち上げた翌4月、入社4年目の4月には、念願の新規事業部への異動が実現していたということがあるので、僕にとって複業というよりは、自分が望むキャリアを実現するための手段でしかなかったと。当時はお金を稼ぐとかは1ミリも考えてなくて。

複業を始めた時、最初の月は100時間ぐらいたぶん使ってたと思うんですけど……それは言い過ぎかな? 50時間ぐらいか。初月は63円っていうアドセンスの収入があっただけで、「やった、ガリガリ君が買える!」みたいな。

(会場笑)

西村:その次の月は350円。「あっ、やった、ハーゲンダッツ!」みたいなところからスタートしています。

三次:アイスが好きなの?

西村:そうですね、アイスが好きなんです(笑)。

(会場笑)

「決めた、起業しよう! 兼業起業家!」

西村:そこから新規事業を作る仕事をいろいろやりながら……。これは事件なんですけど、ブログを書くとか自己発信することが多かった中で、当時新規事業を一緒に作っていた直属の上司が部長になっちゃったんですよね。部長になったことによって、これまでのコミュニケーションが10分の1になりましたと。その部長が、僕を知るのはFacebookを通じての僕なんですよね。

そうすると、Facebookでは当然、複業の発信ばっかりしてるので、部長からすると、「こいつ、なんか複業ばっかやって、本業はぜんぜんやってないんじゃない?」みたいなふうになって。長文のFacebookメッセンジャーのメッセージがボーンと来て、一言で言うと、「このままだとお前、新規事業のプロデューサーとしてクソになるぞ」みたいなことが書いてあって、めちゃくちゃ怒られて、超ムカついたんですよ。

で、ムカついた結果、深夜24時16分にしたつぶやきがこれで。「決めた。起業しよう。兼業起業家」。このつぶやきに対して、ブログを通じて出会ったfreeeっていうクラウド会計のPRをやってた前村菜緒っていう同じ88年生まれの子が、「起業! しましょう!! freeeと供に!!」っていう謎のリプライを数分後にくれて。

その時のfreeeってクラウド会計のソフトの会社だったのが、ちょうど「会社設立freee」っていう、会社設立に必要な書類作成がオープンでできますっていう事業を立ち上げますみたいになってて。それのモニターをやってくれと言われたので、なんかノリで言って、別に本気で起業するつもりじゃなかったのに、起業をする羽目になってしまったみたいな。

(会場笑)

西村:というわけで会社を設立してるので、まぁ、人生何があるかわからなということですね。

加来:意外と、言うほど「ひょん」じゃなかった感じもしますね。

西村:ひょんじゃないですね。

(会場笑)

西村:これ(年表)書いちゃって、いろいろややこしかったんで、ひょんにしてるんですけど。freeeのTシャツ着ながら設立したりという感じで、今に至ります。

加来:いや〜、すごくおもしろいですね。ちょっと3分だと申し訳ないので、5分ぐらいでいきましょう。西村さんもけっこう日々外でしゃべることが多いと思いますけど、また違った一面というか、そういう部分も含めて感じられる内容だったのではないかと思います。