LIGHT UP NIPPON – 東北を、日本を、花火で、元気に。

タカハシケンジ氏(以下、タカハシ):さあ、続いて高田さんです。もうね、俺は泣きました。高田さんが何をやっていたのか、みなさんに見ていただきましょうか。会えてすごくうれしいです。

もう泣きそう……俺(笑)。

すごい! 本当にすばらしいと思います! みなさん、拍手を! もうすばらしいんですよ。

これって、まさに強いつながりの中に思いっきり真っ裸で入って行ったわけじゃないですか。真っ裸って変かなぁ。突入していったというような。今のを含めて簡単に自己紹介を(お願いします)。

高田佳岳氏(以下、高田):改めまして、高田と申します。ご紹介いただいた肩書きが内閣府のなんちゃらかんちゃらなので、ちょっと小難しくなっていますが……僕は経歴から話していくと、本当に「なんのこっちゃ」ってなるんですけど。

もともと海がすごく好きで、東京水産大学というところを出ました。そこから大学院に進んで学籍ロンダリングをかけまして(笑)、博報堂というちょっと変わった会社に入ります。

しばらく広告代理店に勤めているときに、この震災が起きました。2011年の震災があったときに、僕はクライアントのところに行くか行かないかで打ち合わせの間の時間を過ごしていたんです。

被災地で笑って遊ぶ、子どもの姿を見て思ったこと

大学院のときに、もともと東京の大学院に入ったつもりだったんですが、先生から「研究室が岩手にあるから岩手に来てね」って言われて。実は東京水産大学ってすごく特殊な大学で、女性が20パーセントしかいないんですよ。

男子校を出ている僕は、大学のキラキラした生活を夢見て東京の大学に行ったのに、「合コン」という言葉もまったく出てこない不思議な環境に入りまして。海が好きだったからギリギリ平気だったんですけど。

そこまでチャラチャラしなくていいけど、大学院はせめて、もうちょっと東京の大学で楽しいキャンパスライフができるのかなと思ったら、岩手に来いと。それで岩手に行くんですけど、寒いし、その当時はぜんぜん好きだとも思えなくて。ただそのときに、お世話になった寮母さんや周りの漁師さんたちがずっといたんですね。

それが岩手県の大槌町というところで、被災があったときに「壊滅」という。(出てくる情報は)テキスト(だけ)ですよ。「大槌町、壊滅状態」、以上。それ以上、もうなんの情報も出てこないんですね。これは町長や三役のみなさんがすべて亡くなってしまって、情報を出せる機能もすべて止まってしまったから、という理由だったんですけど。

そういうことがあって、僕は当時広告代理店にいて、「寄付する」「炊き出しを手伝う」「瓦礫撤去を手伝う」という、いろんなボランティアの選択肢があったときに、それって僕よりも得意な人が世の中にはたくさんいて。「広告代理店でエンターテインメントに関わっている人間として、ここで自分が提供できることって何があるんだろう?」って悶々と考えていたんです。

結局、みんなができることは自分もできるし、やれるんだけど、僕にしかできないことってなんだろうって考えていました。その当時は毎日のように東北のテレビがやっていたと思うんですけど、わざと悲しい人ばっかり撮るんですよね。そうやって悲しい人を撮っている脇の裏で、子どもたちがめっちゃ笑って縄跳びを飛んでいる映像を見たんですね。

それを見たときに「あ、これだ!」ってひらめいて。子どもたちに笑ってもらえるもの……子どもたちが「危ないから外に出ちゃダメよ」と言われたものを外に出して、子どもたちが思いっきり楽しめる時間を少しでもいいから作りたいと。

子どもたちのために夏に花火を上げませんか?

大人はそんなことを言っている場合じゃないですよ。本当に明日どうやって生きていこうとか思ってますし、その子どもを守るのも大人の責任だったりもする。でもあの当時、子どもにそれをやれって言うのは、僕は正直酷かなと思っていました。

「この子たちに楽しんでもらえるもの」っていうふうに考え始めて探したら、たまたま東京湾の花火大会が7月開催なのに3月に中止しますっていうのをパッと言ってくれたので、「だったらこの花火は……」と、今度は広告代理店の脳みそになって。7月開催の花火大会が3ヶ月前に中止っていうことは、予算も含めて、(花火が)全部余っているんですよ。絶対に全部準備していますから。

そう考えたときに、「これ、余っていますよね?」って中央区にすぐ電話して。「余ってませんか?」「それ全部ください」「お金も花火の玉もすべてください」というようなことを言ったのが実はきっかけで。

その結果、蓋を開けたら「予算は予算で別に使うところがあるので」と断られて。花火の玉も玉で、なんだかんだ言って別に余っているものではなくて。花火ってけっこう消費期限が長かったりするんですよね。だからなにも余っていなかったんですけど、「花火!」って思いついちゃったので「じゃあ花火だ!」と言って走り始めます。

でも、そのときは大槌町の僕の付き合っていた人たちは、誰も生きているかどうかもわからない状態で。本当におっしゃったとおり、すごくローカルな小さなコミュニティで、かつみんながなんとか命からがら生き残ったっていう、最も強固な場所にあるような絆の中に突然よそ者が入っていって。瓦礫撤去の手伝いをするわけでもなく、いきなり行って「子どもたちのために夏に花火を上げませんか?」って言っていったのが最初のきっかけでした。

やっぱり初日はかなり心が折れて、「これ以上はダメなんじゃないか」と思う瞬間はやっぱりあったんですけど。(あの状況で「花火を上げませんか」なんて)言えないですよね。「不謹慎」って言われるし。僕なんか、「殴られて水をかけられて追い返されるだろうな」と思って行っているんですけど、それ以上にもっとすごい現実があそこにはあったので。

でもそうこうしてたら、「やりましょうよ」って言ってくれたおじちゃんがいて。「子どもたちのためにやるべきだ」と言う人たちがパパパッと出てきたときに、自分の気持ちが一気に強くなって、「進めていかなきゃ」っていうふうになったんですね。

最悪、コンビニで買い占めた花火を打ち上げればなんとかなる

そのときの自分はほぼトランス状態で、「やらなきゃ」って勝手に思っているんですよね。それをやったあとになにが起こるかとか、やることによってどうなるかなんて細かいゴールまでは考えていなくて。かつお金も1円もない中で、「お金のこと、どうするんだ?」って必ず聞かれるんですよ。「なんとかします」って。できるかどうかわからないですよ。

でも1個だけ、ちょっとまた代理店の脳みそでずるいところがあって、「花火を上げます」って言っていて、「花火大会をやる」とは言っていないんです。「花火大会」って聞くと、みなさんは1万発とか花火が上がるような感じがしません? でも「花火を上げる」って言ったら、1発でもいいわけでしょ?

(会場笑)

上がるか上がらないか。僕、最後の最後は、本当にダメだったら、「コンビニで花火を全部買い占めて、あれを全部自分で火をつけて上げよう」って、本気で思っていたんですね。実際にやっていくといい動きが始まっていって、流れができていったら、なんとか最後は成功にいくんですけど。

一番強かったのは、僕が「やりたい」っていう気持ちはもちろんあるんですけど、これって本当にきっかけで、花火で言うと導火線にパチッてやるライターなんですよね。そこに導火線があるかないかわからないところでパチパチ、パチパチやっていたら、実はすごくいっぱい導火線がそこにはあって。

地域で「やりたい」という人たちがすごくたくさんいて。それを「子どもたちのためなんだ」って理解している大人たちもいっぱいいて。結局はテレビで抜かれているのって、編集されて作られているものだったので、大人たちも子どもたちを外で思いっきり遊ばせたかった。でも、それをやる環境(を提供したい)っていうのは、今自分が言うと街の中でどうなるかわからない。要は「村八分にされるんじゃないか」とか、余計な考えが入ってくる。

でも、「よそ者が来て、勝手に『やりたい』って言っているんだよね」というように、僕のせいにできた。あれがたぶん今回花火を上げるなかで一番うまくいったきっかけなんじゃないかなと思って。

そこからぐるっと回って、今実は離島の仕事をしていて。

その土地にしがらみのない“よそ者”だからできること

タカハシ:離島ですか! 

高田:そうなんですよ(笑)。ずいぶん回って。2011年から花火は今も上げ続けて、まだ毎年花火大会はやっているんですけど。僕もそのあと会社を辞めたりして、自分がまさか「コンサル」と名の付く仕事に就くとは思っていなかったんですけど、コンサル業みたいな仕事が始まって。

今は日本の地域の国境にある、10年で人口が半分とかになってしまっているような島の盛り上げをしてほしいということで、国と一緒に協働してやっているアドバイザー業務というのがありまして、島に行き始めたんです。

島は震災こそないんですけど、状況としてはあまり変わらなくて。やっぱりあのときの「東北に花火を上げましょう」と言っているのと同じ感覚なんですよね。「この島を盛り上げましょう」と言って入っているので。

「『この島を盛り上げましょう』って言うけど、お前は外から来て、なんもわかんないじゃん」というようなこと(を言われること)は多々あるんですが、その中で、「地域のコミュニティというところとどうやっていけばいいのか」っていうことについて話をしていこうと思ったときに、僕が東北からずっと受け継いで、いまだに頭の中にあるのは、「僕、よそ者なんです」って思いっきり開き直る。

究極に薄っぺらいんですけど、それが彼らの一番の言い訳になるっていうのは経験していたので、「僕を使ってください。僕を言い訳に、俺のせいにして、やりたいことを全部一緒に実現しましょうよ。でも最後になにかあって困ったら、僕のせいにしていいよ、どうせよそ者だし」というような。

タカハシ:確かに、僕がすごく共感したのは、「よそ者だからできたんだろうな」っていう部分がすごく大きいなと思うんですよね。やっぱり「地域で生まれて育って」というと、どうしても親の代からのしがらみもあったりして、やっぱりやりづらいところってあると思うんですよね。地元だからっていう、いわゆる強固なコミュニティですよね。強いつながりっていうところで。

でも外からやっていくと、悪い言い方をするとそのせいにできますもんね。「だって外の人がやりたいって言っているから」って。万が一なにかあったときもね。だからそういうエネルギーってすごいなって。しかもまた離島で同じエネルギーでやっているんですもんね! ずっと交渉しながらみたいな。

いや~すばらしい。実和子さん、どうですか?