製造業におけるソフトウェア開発の今

及川卓也氏(以下、及川):こんばんは。デンソーの技術顧問を務めております、及川と申します。ソフトウェアがさまざまな産業に対して非常に多くのインパクトを持つようになってきたので、私からは、そういったハイレベルなお話をさせていただきたいと思います。

実は、10月10日にこんな本を出しました。

お読みいただいた方はいらっしゃいますか?

(会場挙手)

どうもありがとうございます。今回の本には『ソフトウェア・ファースト』とタイトルを付けさせていただきました。

ソフトウェア・ファースト あらゆるビジネスを一変させる最強戦略

その背景には、ここ5年10年を見るとITがないと成り立たないものが、たくさん増えてきているという現状があります。まさに世界はソフトウェアによって変わっているわけです。

例えば2011年には、元Netscapeの創業者で現在はベンチャーキャピタルを経営しているマーク・アンドリーセンが「Why Software Is Eating the World」と言っています。つまり「世界はソフトウェアによって食べられている」「すべての産業・セクターはソフトウェアによってできている」という言い方をしているのですが、果たしてそこまで言えるのかなとも思うわけです。

実際、ネットで完結する以外のリアルとの融合が必要なサービスは苦戦していることも伝えられています。限界費用という考えが通用しない領域においては、ソフトウェアがすべてであるというのはやや言い過ぎかなと思っています。

ソフトウェア・ファーストという考え方

「〇〇ファースト」という言葉はIT業界の中でいくつも使われています。

1つはモバイル・ファーストという言葉です。スマートフォンが出始めた2008年頃を境に、デスクトップのパソコンやMacからのインターネットのトラフィックよりも、携帯デバイスからのトラフィックのほうが増えはじめました。

Web事業者は、従来のデスクトップ向けのサイトをモバイルでも見られるようにしていたところを、モバイルからのアクセスが多いのであれば、逆にモバイルですべて完結するようにしようと考えたのがモバイル・ファーストです。つまり、モバイルから考えるということです。

AIファーストという言葉はここ数年Googleがよく使っている言葉ですが、Googleに限らずAIは非常に重要になってきています。

ですが、例えばデータ活用においては、AIを使ったシステムであってもディープラーニングを使っている箇所は実は少なく、それ以外に、例えば、どうやってデータを集めるか、どうやってそれをAIに食わせるために前処理をするかが非常に大変です。

センサーなどのIoT機器からデータを大量に集めたとしても、実際に使うのはわずかだったりします。しかし、そのわずかであっても本当に価値を生み出すデータを見つけることができ、そこでAIを活用するまでをやり遂げた事業が、現在非常に多くの価値を生み出すようになってきています。そこで考えられることは、使われる量としては実はわずかかもしれないけれども、データ活用を最初から考えておかない限りは、活用できないということなんですね。

AIファーストという言葉は、そのわずかかもしれない部分のデータの活用も最初からちゃんとやらなければいけないという意味なのです。ソフトウェア・ファーストも同じように考えてみます。ソフトウェアがすべてではないと申し上げましたが、それでもソフトウェアは破壊的なインパクトを生み出す、そんな可能性を秘めています。

その活用を最初から考慮しておかないと、活用さえできないわけです。ソフトウェアは得手不得手が当然あります。さらに現状のソフトウェアは、多くの場合はデジタル処理しかできませんから、アナログの世界に対して必ずしもそのままの状態で優位に働くわけではありません。

どんなところで使えるのかという得手不得手も含めて、ソフトウェアの価値を最初から考えておかなければいけません。それをちゃんと自分の武器にしましょう、ということが『ソフトウェア・ファースト』の背景にあります。

日本と世界の「ソフトウェア」に対する考え方

残念ながら、近年の日本には失われた10年、20年、30年という非常に不名誉な言葉がありますが、その背景には何があるかを考えてみると、IT産業力の国際的な低下が挙げられるのではないかと思います。

いくつか理由があるのですが、1つの要因として、日本がソフトウェアをどう捉えているかというところで大きな違いがあります。これはMITのビジネススクール(スローン・スクール・オブ・マネジメント)にいらっしゃるマイケル・A. クスマノ先生が言われているのですが、「欧州はソフトウェアを科学と捉えていて、米国はビジネスと捉えている」と。

例えば、欧州は標準化が得意なところもあり、ソフトウェアを学問と捉えているわけですし、MicrosoftやOracleを90年代に見てきた米国は、ソフトウェアは金になることを知っているので、ビジネスの源泉と考えているんですね。それに対して日本は、ソフトウェアのことを製造であると捉えているところがあります。

これは製造業のフローを非常にシンプルに書いたものです。研究開発があり、最初に企画があり、試作品を作るような先行開発がある。そこから量産設計をして製造、いわゆる工場があり、その工場を支えるのが、今日の主役である生産技術の話ですね。あとはいろいろな部品を調達したり外部に外注委託をする。その結果、販売に至ります。

このモデルで日本の製造業は非常にうまくいっているわけですが、これとソフトウェアを同じ考えでやるのは無理があるんですね。

例えば、ソフトウェアに製造はありません。なぜかと言うと、ソフトウェアはリアルのものが存在しない世界です。製造で言ったら設計図を基に実際に手に取れるものを作るという工程が発生しますが、それがないわけです。

しかし、日本はソフトウェアの開発をそれと同じように考えてしまっている。ソフトウェア開発を少しでもやったことがある方はお分かりになるように、設計と開発は表裏一体です。設計が終わったらあとは開発に任すということはできず、開発をしっかり分かった人間でなければ設計はできません。

ソフトウェア開発には、コントロールされた状況下において手戻りが発生することを良しとするような、アジャイルな考え方があるわけです。さらに、開発が終わったものを販売するというモデルではなく、実際に運用しながら、今でいうとDevOpsという考え方を取り入れながら、フィードバックを取り入れてより良いものにしていく考え方がある。

このように、製造とソフトウェア開発はまったく違うかたちであるにも関わらず、それを1つに捉えてしまっているところに、日本のIT力が低下した背景の1つがあるのではないかと思います。

手の内化がもたらすもの

では、どんなことをやっていく必要があるのかということで、本の中ではいろいろな手法を説明しているのですが、ザックリ言うと「『手の内化』を図りましょう」と言ってます。

この「手の内化」という言葉は、私がデンソーでお手伝いをするようになってからトヨタグループで使われている言葉として学んだものですが、要するに「この技術は絶対自分の武器にしなければいけない」というもの。それをトヨタグループの中では「手の内化をする」という言い方をしています。

これこそがまさに、多くの日本企業がITに対してやらなければいけないことではないかと思っています。そして手の内化に必要なのは、本日のテーマである「内製化」です。

日本の事業会社では、本当の上流の一部しかやらずにあとは他社に任せるというかたちの分業化が進んでいます。しかし、設計・実装といわれているところを、本当に他社に任せていいのだろうか?

本来であれば、すべてのフェーズにおいて自分で100パーセントやるほうが理想かもしれません。しかし、各フェーズにおいて専業でやっている方々もいるし、事業会社によって得手不得手もあるということを考えたときに、全部を100パーセントやるということは現実的ではありません。海外のIT専業会社ですら、そんなことはやっていないわけです。

なので、100パーセントじゃなくてもいいんです。そこに対してちゃんと戦略的に意思決定をしていくことが、今後のソフトウェアの活用において重要になるのではないかと考えています。

それが「手の内化」という言葉に秘められているものです。ITの中の特にコアであるソフトウェアを、自分の武器にしましょう。そして、工場という製造業の本当にコアな部分に関しても、このようなソフトウェアを手の内化するという考え方が必要になっているのではないか、というところが本日のテーマになります。

(会場拍手)