
2025.02.12
職員一人あたり52時間の残業削減に成功 kintone導入がもたらした富士吉田市の自治体DX“変革”ハウツー
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浅見義治氏(以下、浅見):では、「心理的安全性の核心 極限を越える医療・航空のチーム論」を始めさせていただきたいと思います。まず、本日ご登壇いただいた𠮷岡さま、小林さまより簡単に自己紹介をいただいてから始めたいと思います。𠮷岡さまからよろしいでしょうか。
𠮷岡秀人氏(以下、𠮷岡):よろしくお願いします。𠮷岡です。国家免許は医者しかないので、医者なんですね。特に子どもの小児外科医が専門なのですが、1995年にミャンマーに行きまして、そこで医療を始めたのが最初です。今年で27年目になります。その後、カンボジアやラオスなど、主に5歳以下の乳幼児死亡率が高い3ヶ国を中心に医療をやっています。
それと別に、ジャパンハートというNPOを作ってやっています。それ以外の活動もたくさんしていますが、カンボジアに小児病院を作りました。カンボジアでどんどん亡くなっていく子ども、特に小児がんの治療を中心に治療を展開しているというのが僕の経歴になります。よろしくお願いします。
浅見:ありがとうございます。続きまして小林さま、自己紹介をよろしくお願いいたします。
小林宏之氏(以下、小林):みなさま、こんにちは。ご紹介いただきました、小林宏之でございます。若干訂正させていただきたいと思いますが、たぶんみなさま方のご案内には私のことが「グレートキャプテン」と書いてあったのではないかと思います。
これはマスコミがそのように報道していただいているだけであって、私はラストフライトまで新人機長として1便1便飛んできただけのことですので、ここは訂正させていただきたいと思います。
そういうわけで、約40年間航空会社でパイロットとして働いてきました。南極以外はほぼくまなく、高度1万メートルから地球を眺め続けてきた唯一の日本人だと思います。
小林:ぜひ紹介したいと思うんですが、特に2000年前後から、地球温暖化によって地球の姿がかなり変わってきております。それから、今までなかったような異常気象が起こってきております。それは、私も本当にびっくりいたしました。
それから1つだけ。これは今までテレビやラジオでメッセージを送ってきたんですが、地球を眺めていてジオンリーワンアース、かけがえのない地球で「かけがえのない」という言葉を大事にしましょう、といったメッセージを送ってきました。
「かけがえのない」という言葉を大事にしていただきますと、今日の1つのテーマである「安全」も十分確保できるのではないかと思います。
現在は危機管理リスクマネジメントの専門家、そして航空評論家として、飛行機で何かがあった場合に新聞などでコメントしております。今日は、いただいたテーマである「心理的安全性」について、組織運営のみなさま方に少しでも参考になればと思っております。
心理的安全性というのは、ある意味では組織風土。植物で言いますと、私たち人間は自然界からいろんなことを学べると思うんですが、植物を立派に育てようとする前に、まずはしっかり立派な土壌にしていくことが大事だと思うんです。
そういった意味でも、組織運営で安全かつ質の高い業務を実現していくためには、一人ひとりが安心して物が言える・アドバイスできる組織風土、心理的な安全性を構築していくことが大事だと思います。
こういったことについて、これから𠮷岡先生と一緒にディスカッションしてまいりますので、参考にしていただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
浅見:どうもありがとうございます。今回のセッションは、みなさまのご想像に難くないかと思いますが、医療・航空は人の命を預かる非常にセンシティブなお仕事かなと思っております。
センシティブなお仕事の中で、目に見えない不安をどうやって乗り越えていくのか。ミスが許されないプレッシャーが掛かる中で、どうやってチームを形成していくのかというところが、ビジネスをやってらっしゃる方にとってもヒントになるのではないかと思っております。本日は1時間なんですけれども、1つでも多くのヒントをお持ち帰りいただけたらなと思っております。
まずはこちらのスライドを補助線にお話しできたらと思いますので、スライドを投影いただけますでしょうか。こちらの上の図は、横軸がチームの関係性、縦軸が仕事の要求レベルというかたちで、チームの状態を4分類させていただいた図です。
この中で、本日は右上の「自律成長チーム」に至るために、左上の「支配的なチーム」と、右下の「家庭的なチーム」に関して、それぞれお二方にお話をうかがっていきたいなと思います。よろしくお願いいたします。
冒頭でもお伝えしましたとおり、質問も受け付けておりますので、コメントを打ち込んでいただいたら拝見させていただきます。よろしくお願いいたします。
では、さっそくお話をおうかがいしていきたいなと思うんですが、まずは第1問目です。仕事への要求レベルは高いが関係性は悪い「支配的なチーム」。ちょっと話を戻させていただきますが、左上の紫色のチームに関して、医療・航空の現場であった場合にはどのような影響がありますでしょうか?
「支配的なチーム」になっていることで実際に起こった悪影響であるとか、その時に乗り越えたこと、「『支配的なチーム』になっているよ」と困っている方へのアドバイスや、その雰囲気や風土はどこから来たのか? ということに関して、お答えいただけたらなと思います。
浅見:では、𠮷岡さんからおうかがいしてもよろしいでしょうか。
𠮷岡:僕は日本の医者の中でも、非常に特殊な環境の中で生きてきた人間なんですね。海外で30年以上医者をやっているんですが、海外で医療を始めた頃は、「海外へ行く」というのはアメリカに行くこと、先進国に行くことだったんです。
その時代にお金を握りしめて途上国へ入って行って、医療活動を立ち上げたんです。ですから、非常に特殊な環境の中で、たった1人で始めた事業だったんです。言っても30歳そこそこですから、想像に難くないと思うんですけど、今から比べて大した実力があったわけではない。
ミャンマーから(医療活動を)始めたんですが、当時ミャンマーは乳幼児死亡率が非常に高くて、平均寿命が50歳くらいです。50歳ちょっとと言ったら、日本で言うと80年前の戦前くらいの話ですよ。たくさんの5歳以下の子どもが死ぬと、平均寿命が落ちる。
農業の人が多いので、1日の収入が100円に満たない50〜60円、しかも保険がない、医療もぜんぜんない。人口は日本の半分くらいいるんですが、軍事政権で経済封鎖になっていましたから、その中で国家予算は日本の数十分の1しかなかった。そのくらい困っていたんですね。
日本の人口の半分もいるのに、数十分の1の国家予算の中で、医療に使われていたのはわずか1パーセントだったんです。いかに医療がめちゃくちゃかと。僕が最初に働いた町は(人口が)32万人いたんですが、医者はたった1人。東京都で当てはめると、東京都の中に40人しか医者がいないという状況です。これが、ミャンマーの現実だったんですね。
その中で、毎日医療にかかるには高額な費用がかかりますから、ちょっとした手術でも日本円で数万円取られる額です。だから、当然医療なんか受けられないと。僕はその中で医療を始めなければならなかったんですね。
𠮷岡:最初に手術を始めた時、なんと僕は自分の家を改造して始めたんです。毎日毎日「手術してくれ」と患者が来るもんですから、最初は帰していたんですが、やがて帰すのが辛くなってきて、「やるしかない」と決心するわけです。
だけど医者はたった1人で、あとは現地人だけ。しかもそれは通訳やドライバーであったりするだけで、その環境の中でやらないといけない。
電気も1日2時間しか来ないので、真っ暗なんですね。スコールが激しく降ると電柱が倒れて、1週間くらい電気がこない。そんな中で、たった1人で手術を始めないといけない。麻酔をはじめとして、電気が来ないので麻酔液が完全に使えないじゃないですか。
そうするとできる麻酔も限られるし、麻酔も血管麻酔と局所麻酔だけでやるんですが、そんなのを1時間以上やり続けると中毒になって、今度は痙攣を起こしたりするわけです。呼吸が止まったりすると、本格的に死ぬ。この中で、たった1人で始めないといけなかったんですね。
その時、僕は仲間をどんどん集めたんですが、まさに「支配的なチーム」でやるかたちを取らざるを得なかったのは現実としてあるんです。医療というのは、ある時に一番低いスペックの人に合うんですよ。その時に、それをリカバリーできるかということですね。
例えば、10人のうち8人がそこそこのレベルでも、その中で低いスペックの者にピタッと患者のタイミングが合った時に人が亡くなったり、傷ついたりする。特に手術する中で起こった時には致命的になるわけですが、これをどう防ぐかを僕なりの方法で言うと、「場を支配する」ことだったんですね。要するに、場をコントロールする。
𠮷岡:僕は外科医ですから、一緒に入る外科医が誰かによって、助手が非常に不安になっていたり、場全体が浮ついていたりすることがあるんです。だけど、一流の外科医と一緒に手術するとそれが起こらなくて、みんな安心して手術するんです。
なぜかと言うと、彼であれ彼女(外科医)がその場を完全にコントロールして支配しているからです。その場の中で、人は安心すると。
それで、僕が一番最初にやらざるを得なかったのは、後ほど出てくる「家庭的なチーム」でもなくて、この「支配的なチーム」を作る作業。なぜやらざるを得なかったかというのは、このあと説明すると出てくるかもしれないですが、単純に言うと僕の実力がなかったんですね。
自分の身の丈よりも高い疾患を相手にしないといけなかった。それが1995年の話なので、インターネットもない時代で、電話もつながらないんですよ。ということは、わずかに持ち込んだ本の中の知識がすべてで、あとは全部自分で考える。
誰にも相談できない環境の中で、たった1人でやり続けないといけなかったというのが僕の始まりなんです。ただ、「そういう環境でやる」と選んだのは僕自身です。怖ければやめればいい。でも、やめれば誰も傷つけないけど、誰も助からないという現実が未来に待っているだけだったので、僕はやるという決断をしたんです。
例えば何かが起こった時に、日本だったら「誰々のせい」とか、いろいろなシステムや医療機械によって救われますが、ない中で始めたのは僕なので、何かが起こった時の責任は僕なんです。
それは今もそうで、例えば若い先生や看護師さんのミスで患者が死んでも、最終的には僕が最終責任者なので、僕のミスなんだと受け取るようにはしていますね。
𠮷岡:実力がないうちは、「支配的なチーム」を作るのが僕のすべてだったんです。それは、リカバリーできないと思ったんですよ。患者が死ねばみんなが泣いて、トラウマになるんです。こんなに小さい子が動かなくなって死んでいく。あるいは、若い医者や看護師のミスで死んでいった場合はトラウマになるんですね。
だから僕としては、そんなトラウマを背負うくらいだったら、今は僕が怒り倒していたほうがいい。僕がいくら憎まれても、人が死ぬよりはいいじゃないですか。どんなに憎まれても嫌われてもいいから、その現実(患者の死)をこの世に再現しない・現さないようにするためにはどうしたらいいかを考え続けてきた時間だったと思いますね。
浅見:ありがとうございます。人の生き死にがかかってらっしゃるので、壮絶さと言いますか、判断の軸が非常に明確だなと思いました。もともと一番最初の時に人が集まらないという環境の中で、「それでも続けなくちゃいけなかった」というのはどういう使命感や思いが表れたのでしょうか?
𠮷岡:例えば、日本は僕がいなくなっても僕の代わりがいるじゃないですか。誰かがやってくれる。だけど向こうで僕がやめたら、その人たちの状況はそのままなんですね。死んでいく人もいれば、傷ついたまま、あるいは生まれ持った奇形のまま生きていく人たちの現実がある。
これは僕が長いこと医療をやっていて、「境地」というかわかったんですが、目の前に現れる出会いとか、目の前に現れる出来事は僕の中ではただの現象であって、扱っているのは自分自身の人生だという思いに辿り着いているんです。
そこに傷ついた人がいる、そこに病気の人がいる。自分はそれをどう思って、どう行動を起こして対応するか。それは「その人の人生」ではなくて「自分の人生」を扱っているんだということに気づいたんですね。
だからたとえ高いハードルであったとしても、「どこまで自分が向かい合うか」ということなんだと悟ったんです。逃げることもできる、避けることもできる、やめることもできる。でも、それは自分の人生に対してそうした態度を取っているだけなので、僕は「逃げない」と決めたんですね。
𠮷岡:たとえそれが今の自分にとって高いハードルであったとしても、3年後にそれが高いハードルかどうかはわからないじゃないですか。今は「できない」と思うかもしれないけど、人間は今の実力で未来を図ってやめちゃうでしょ。そうしたら、やっぱり3年後もできていないですよ。
だから、たとえ今は高いハードルでも、3年後の自分、あるいは1年後の自分ができると信じて前に進めるかどうかで、自分の未来の景色はずいぶん違うし、何よりも自分の人生を信頼できるかどうかに大きく関わってきます。
できる・できないというのは結果の問題だと思っていて、できてもできいなくても、本当はどっちでもいいのかもしれない。例えば患者が来て、一生懸命やっていたら助かる場合もあるじゃないですか。でも、一生懸命やっていて死ぬ人たちもたくさんいるし、自分がミスしても助かる人もいる。そこは結果の問題なんですね。
人生で大切なのはプロセスにあって、そのプロセスで、自分がどういう態度で自分の人生に向かい合っているか。ここだけが未来に持ち越されていくわけです。結果は良いこともあれば悪いこともあるし。一言で言えば、向かい合ってきたのは自分の人生そのものであって、目の前に現れた現象はさまざまです。
スポーツの選手は別のことが現れるし、学者も別のことが現れるし、学生も別のことが現れるかもしれない。でも、僕らの人生はすべての時間で「自分の人生と向き合う作業」をやっているだけなんですね。それに対して、僕はただ真摯に向き合おうというか、「一生懸命向き合っていこう」という決心をしただけだと思います。
浅見:ありがとうございます。
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