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小島慶子×田中俊之★男らしさナイト★(全6記事)

女性も感染する「有毒な男性性」 社会学者・田中俊之氏と小島慶子氏が語る、ジェンダー論の死角

近年、生き方や働き方の多様化が進むにつれ、議論されることが増えてきた「ジェンダーについて」。中でも「男らしさ」に悩む男性たちの声が、漏れ聞こえてくるようになりました。周囲から受ける「男らしさ」の重圧、知らず知らずのうちに我が身を縛っている「男らしさ」の刷り込み、良かれと思って我が子や部下にかけている「男らしさ」の呪い……。それらへの言及を己に許すことができない男たちが集まって「男らしさとはなんだろう?」を語るのが、本イベント『小島慶子×田中俊之 男らしさナイト』です。こちらのパートでは、育児・介護と男らしさなどについて話します。

軽んじられすぎている、ケアワーク

田中俊之氏(以下、田中):あと、やっぱり小島さんが今おっしゃったことで、本当に極めて重要だと思うのは、ケアワークというものが軽んじられすぎていますよね。これには2つの意味がありまして、1つは、かの著名な経営者の方が言っておられましたが、「誰にでもできる仕事だからさ」というような言い方ですよね。

小島慶子氏(以下、小島):そうですよね。

田中:いや、できるわけがない!(笑)。

小島:(笑)。1度やってみるといい。

田中:4歳の子と風呂入るだけで、死にそうになることがあるんですよ。精神的に。

小島:(笑)。わかる、わかる。仕事が終わって、ハーッと帰ってきて。

田中:ケアは誰にでもできるという話は、信じられません。ですからケアというものは「本来、女性が無償で提供してきたものだからこそ、それに金を払ってやっているんだよ」という発想ですよね。それはもう根本的に変えなきゃなぁと思いますね。

小島:これは2025年問題だとよく言われていますが、2025年になれば、団塊の世代が後期高齢者になるんですね。団塊の世代が一斉に後期高齢者になると、介護リスクが一気に高まる。団塊ジュニア、つまり私から田中さんぐらい。

田中:ちょうど僕ぐらいですよね。

小島:もう少し下ぐらいまでかな。急にある日突然に親の介護が必要になり、介護リスクを抱えたために、働き盛りなのに働き方を変えざるを得なくなる。

これは「ああ、では俺ではなくてカミさんにやらせよう」。ところが妻は絶賛育児中であったり、妻も絶賛介護中であったりもする。もう他にやる人がいなくて「マジで、俺!?」というようなことですよね。

田中:そうですよね。わかりますよ。

小島:そうすると、そもそも男性の働き方をそれまでに柔軟にしておいて、男性がケアワークをすることを当たり前にしておかないと、この2025年以降の大介護時代をそもそも乗り切ることができないということなんです。

これは育児の問題だけではなくて、もっと当事者の数が多い介護の問題にも通じることだと思うんですよ。男らしさの問題というものは。独身の男性の方であれば、もう自分がみるしかないという人もたくさんいるわけですし。

田中:そうですよね。

小島:そうなったら、どうやって仕事と両立するのかと。2025年なんて、あと5年で来てしまうわけですから。

田中:そうですよね。

小島:もう大変よ。時間がありませんから。そうした面からもこの話は大事なんですが。

「有害・有毒な男らしさ」の存在

田中:僕、そこで1点だけ申しあげてもいいですか。そのときに、男の人がまさに今日のすべてのテーマですが「男らしさの病(やまい)」というものがあると思うんですよ。

どういうことかといえば、僕は第1子が生まれたときに「ああ、女の人というのは、6週間から8週間は産褥期だから、僕は2ヶ月間仕事を入れるのをやめよう」と考えたわけですよね。「俺は立派だ」と。

小島:(笑)。

田中:それで、2ヶ月間は仕事を何もやりません。2ヶ月間が終わるときに仕事をババババッと入れていたんですよ。すると、個別なんですよね。人によるから。うちの妻の場合は産後が重くて、3ヶ月、4ヶ月が経ってもまだ大変だったわけですよ。

何が言いたいかといえば2つあって。まずありがちなのが、知識で武装すれば物事には対処できるだろうという勘違い。

今の介護のことだって「知っているよ。介護というものは、こうで、こうで、こうでしょ。こんなふうに備えておけばいいんでしょ」というように想定して、想定外の事態が起こったときにパニックになる。男らしい人は、その状況が崩壊しているにも関わらず、自分の力だけでコントロールをしようとする。

小島:頼らない。頼れない。

田中:頼らない。予想外のことが起きているが、では、これはこうして、こうしてコントロールしようという。

ですから伊藤公雄先生が、本当に男性学を始めたときにおっしゃっていたのが、男性が抱えてしまう傾向として、権力志向・優越志向・所有志向。この3つがいわゆる……今で言うところのあれですよね。toxic masculinity、つまり「有害な男らしさ」というようなことだと思うのですが。それが男の抱える問題だと。

僕なりにもう少し丁寧に考えて……。丁寧に考えると言うと、伊藤先生に失礼ですね。すみません。

小島:(笑)。

田中:僕なりにもう少し咀嚼して言えば、権力というものは、やっぱり僕は“状況のコントロール”だと思うんですよね。権力というものは、社会学の定義では、他人の意思に反して自分の意思を押しつける力というものですが。それができると、状況をコントロールすることができるわけですよ。例えば僕は教師ですから、学生に座っていろということを強制することもできるわけですよね。これをしたいわけですよね。

でも、先ほども言ったように、コントロールができないことが、まさに育児や介護だと思うんですよ。

小島:そうですね。

田中:計算ができない。優越というのは、要するに社会的地位を競争によって達成すること。ですから、それはなんでもいいんですよ。プロスポーツ選手になるでも、社長になるでも官僚になるでも、なんでもいいのですが。このことと、ケアというものは、何の関係もないんですよ。

小島:うん。

田中:競争に勝って、学歴社会の勝者になったとして、それとケアができるかといえばまったく関係がないどころか、対極ですから。すごく戸惑いますよね。

おそらく、最後の所有というのは「いや、でも金があるからこれでなんとかしよう」というようなことになると思いますが。でも関係性がきちんとしていない中で「お金だけで」なんて、実はケアというものはそんな話じゃないんですよね。

小島:そうですよね。その所有欲という意味で言うと、関係そのものをそこまで……。

田中:そうですね。それもありますね。

小島:子どもを自分の所有物だと思ってしまったり、自分のケアを必要としている人を自分の所有物だと思ってしまうと、そこに結果として、ハラスメントが発生する。非常に不健全な人間関係にもなりかねません。

田中:ですからそうした視点は、今はインターネット界隈で有毒な男らしさということで言われていますけど。

小島:トキシック・マスキュリニティ、有毒な男らしさ。

田中:はい。今の流行り言葉で、イギリスやアメリカでは本なども出ていがますが、ただそこの意味はだいたいにおいてそうしたことだろうと。

それは専修大学の河野真太郎先生というイギリス文学を専門とする方が「あれはみんな有害な男らしさと訳するが、“有毒”のほうがいい」ととおっしゃっています。どうしてかといえば、害があるのは、自分にとってもそうですから。

有害だと言ってしまうと、こちらが加害者で、人に迷惑をかけているという話しかありませんが、有毒と言えば人にも迷惑がかかるし、自分にも毒だという言い方ができるから。

小島:本来はトキシック(toxic)の意味で言うと、有毒ですもんね。

田中:そうですね。ですから有毒な男性性と訳したほうがいいんじゃないかというようにおっしゃっています。

小島:自分自身もそうですよね。

田中:ですから、権力・所有・優越というのは、もう伊藤先生がそんなことを言って20年~30年は経ちましたが、改めて考えてみてもなるほどなぁと。

「有毒な男性性」に感染する女性

小島:私の場合は41歳から大黒柱になったんですが、それまでは23歳の新卒からずっと、男性と同じ待遇で15年間、人の何倍も稼ぐ高給取りのサラリーマンをやってきました。

要するに自分は男性と対等で、サラリーマン社会の中では勝ち組だという、だいぶイヤな感じになっていたわけですよね。けれども、それは本人は自覚していなかった。

けれども、夫が無職になって自分が大黒柱になったときに、まさに私の中からトキシック・マスキュリニティが、まぁ、後から後から湧いてきたわけですよ。誰のおかげで食えてると思ってんだ的な、最悪の発想が。

ですからそれは、その人が女性であるか男性であるかということには限らないと思うんですよね。

田中:そうですよね。わかります。

小島:もちろん男性のほうが、男らしさをいわば押しつけられがちというか、自明のこととして生きていかなくてはいけないから、多くの男性に見られる特徴ではあります。

でも、実はそれこそ、雇用均等法以降もそうですが、女性と男性が同じように、しかも男性用のマッチョに設計された労働市場に出て行く中で、女性の中にもそうした特色が、マスキュリニティが標準装備されてしまっているにもかかわらず、意外とそれに対しては女性は無自覚なんですよね。

その矛先を自分にも、それからパートナーにも向けていたりする。無自覚であるがゆえに、さらにそこにフェミニズムがかけ算になったりすると、場合によっっては結果としてものすごい男いじめになります。

田中:(笑)。

小島:本当にミサンドリー(男性嫌悪)の塊になってしまう。自分が何に怒っているのか、その怒りのエネルギーが何に変換されいるかを冷静に見極めないと、暴力性を帯びることもあるんだと。大黒柱体験で私は発見してしまったのですね。

構造的に、男性がそうした価値観を体現しているし、有毒な男性性の当事者はもちろんほとんどが男性ではありますが。今この時代で言うと、女性の一部には、実はその有毒な男性性に感染してしまっている私のような女性もいるんだ、ということを前提にですね……。

田中:いえいえ。

小島:そう考えないと、女性が女性を理解する上でも、現代のジェンダーを考える上でも死角ができる。

田中:いや、それは極めて大事な視点ですよね。一般の方は男は男らしく、女は女らしくと思っていますが、それとは別なんですよね。男らしさ女らしさというものは。

小島:そうなんですよね。例えば、社会的な役割の中でそれを身につけてしまっている。では、なぜその役割の中で身につけざるを得なかったのかと構造を見ていくと、やっぱりそこには既存の女らしさや男らしさを元に設計された構造があったりということが見えてくるんです。

知らない間に、「男はこう、女はこう」というように、当たり前のこととして、それを学習してしまうんですよね。それは「男の子はこうよ」「女の子はこうよ」という言葉だけではなく、さまざまな非言語ベースのメッセージを受け取る中で醸成されてしまうのですよね。

40代の独身男性の生きづらさ

小島:ですからそこに着目して、桐朋小学校ですごく積極的にジェンダーに関する授業をご自身でさまざま工夫して実践していらっしゃる、星野俊樹さん。星野さんは私のオンラインサロンの会員になってくださって、知り合いになったのですが、知り合ってみると実は共通の知人がいっぱいいたということが判明した方です。今日、ここにいらしていただきました。

では、どんな動機で取り組みを始めたのか、実際にどんな授業を行っているのか、子どもたちの反応はどうなのか、などなど伺えればと思います。では、星野俊樹さんです。よろしくお願いいたします。

(会場拍手)

小島:『バズフィードジャパン』でも記事になっているので、ぜひそちらも検索してご覧になっていただきたいのですが。そもそも星野さんはどうして小学校で子どもたちにジェンダーのことを教えようと思われたんですか。

星野俊樹氏(以下、星野):私自身が今、42歳で独身なのですが、40代の独身男性の生きづらさに起因するところが多いと思っています。

学校というものは、いわゆる社会の普通、スタンダードといわれる人たちが集まる場所ですよね。親もスタンダード、子どもも、まあシスジェンダーというような感じで……それが前提とされている社会なのですね。

その中で教員として働いていると「やっぱり教育者は結婚して子育ても経験してこそ、一人前だよね」というような。そうした無言の圧力があり、実際に言われたこともあるんです(笑)。

小島:どうしてですか。「先生は結婚していないし、子どももいないからわからないでしょ」というような?

星野:面談のときですね。今、この年齢になってからは、あからさまにそうしたことは言われなくなったけれども、若かった頃などは……若いと言っても30代前半ぐらいなんですけど「結婚もしていないし、子育てもしていない先生に言われたくない」みたいなことは保護者に言われたことはあります。

小島:そうだったんですか。

星野:今の職場ではありませんが、やっぱり同僚の先生に、ぜんぜん悪気はないと思いますが「一人前の教師になるためには、結婚して子どもを持たなきゃいけないのよ。そこで一皮むけるのよ」というようなことをやっぱり言われるとね……しんどいですし。

あと、最初の保護者会などで、自分のことを自己紹介するじゃないですか。そのときにみなさん「2児の父です」とか「2児の母です」というようなことを言うんですよね。

自分がいわゆるスタンダードじゃないからなのかもしれませんが「そこでどうして2児の父・母って言う必要ある?」「それ、いる情報?」みたいに心の中でいちいちツッコミをいれていた(笑)。

2児の父であることが、まあ1児でもいいんですが、子どもを持っていることが、1つの人間性における信頼度を保証する記号のように使われている気がしました。そこにすごく違和感があったんですよね。

小島:今はどうか知りませんが、一昔前の銀行員などは「結婚していないと顧客に信用されないから、お前も結婚しろ」などと上司に言われたり。余計なお世話だと思うけれど、そうした時代があったとも言いますよね。とくに男性の銀行員はね。

星野:そう。やっぱりそこが根っこにある。だから、同僚の男性の先生に「独身子なしの男性教員に対するあたりがキツくてしんどい」と弱音をよく吐いていたんです。

するとその同僚の男性が「いや、星野さん。こうしたジェンダーやセクシャリティーみたいな人間のあり方こそ、教育でこれからは伝えていかなければいけないし、そういうことは子どもだけではなくて親にもやっぱり伝えたいですよね」というようなことを言ってくれて、背中を押してくれたんですよね。

小島:いい先生ですよね。

星野:本当に。それがそもそものきっかけで。バズフィードの記事は、私が3、4年ぐらい前に、5、6年生を担任したときの実践が記事になったものです。

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