人生のフェーズによって変化する「悔しさ」

田中泰延氏(以下、田中):人間、それぞれ自分のポジションで選ばれる・選ばれないがあるわけ。自分がそこにいる時に選ばれないことが悔しいのであって。

僕だって、例えばファストフード店でバイトしてた時は、ポテト係に選ばれないことが悔しいんだよ。「なんで俺には揚げさせてくれないんだ! 俺にはまだ揚げる技能が足りないというのか!」って思う。その時は、それが本当に悔しいの。

会社にいた時は、自分のコピーが選ばれない、企画が選ばれない。大学は落っこちて選ばれない。今は何かと言ったら、会社員をやっていた時には夢にも思わなかったんだけど、「〇〇社がベンチャーキャピタルから3億円調達……悔しい〜!」って、そんなこと、ぜんぜん夢にも思わなかった悔しさなの。

阿部広太郎氏(以下、阿部):そうですよね。今いる環境によって、それぞれの悔しさとか、比較してしまったりする対象が変わっていく。

僕は、スタートアップの企業が「なんとかキャピタルから資金調達をした」というニュースを見ても、「へえ、そうなんだ」としか思わないんですが、ひろのぶさんからするとかなり身近なニュースという感じですよね。

田中:そう。3年前は、誰が何億円調達しようが、俺にはなんの関係もなかったじゃない。

ところが今は、「どこそこの会社が創業2年で、どこそこから3億円借りられました」って言ってたら、くっそ〜って思うわけ。「俺は選ばれないんだ」って思うから。その時、その時のステージで、選ばれる・選ばれないに直面するっていうね。

阿部:本当に不思議です。

多くの人が通り過ぎてきた“体験”を描いた著書

阿部:今回の本(『あの日、選ばれなかった君へ』)も、10代の頃の部活や受験、20代の就職活動、そして仕事でのライフステージで、おそらく多くの方が通り過ぎるところを描いていて。

すごく個人的な経験を書いてはいるんですけど、「ああいうことあったな」「あ〜、わかるな」みたいに、最大公約数的に感じてもらいたいなとは思っていましたね。

田中:あとやっぱり、(今作が)文芸として素敵だなぁと思っていたのは、小説としての表現がいっぱいあって。電池をつなげる話があるじゃない? 

電池をつなげる話をして、この小説の二人称の主人公である「君」が選ばれたことで、電気の回路のようにものごとがつながっていくんだと。その表現が、小説としてすごく良かった。これ、37ページに書いてます。メモしました。

阿部:今、僕は広告の企画書を作ったり、プレゼンをするような仕事をしているんです。自分の原点みたいなところ、最初の始まりってどこかな? と思ったら、中学生の時に理科の授業のレポートを書いて褒められたことがあったんです。

気合を入れて自分でレポートをまとめて、見てもらって、先生から「いいね」と言ってもらえる。クラスメイトから「どんなのだったの?」と聞かれて、人間関係に光が灯っていくみたいな、そういう感覚を得たことがあって。

その表現について、ひろのぶさんに言及していただけてうれしいと思うのと同時に、ダイヤモンド社さんで今回の企画が通ることも、なんだか不思議だなとずっと思っていて。

編集者の亀井さんには、「最初から最後までこんなにも個人的な話で大丈夫なんですかね?」とは話していたんですけど、「自分にとってものすごく特別な1冊になるぞ。読んでくださった方に自分ごと化してもらえるために最後までがんばろう」ということで書いていましたね。

高校受験で味わったまさかの挫折

田中:誰にでも(同じような経験が)あるじゃない。たぶん、読んだ人で胸がキューってなる人もいると思う。俺もそう。

中学、高校、大学受験、就職、そのあと……それぞれの選ばれなかったエピソードが噴出して、思い出すんですよ。俺もいっぱいあるもん。

僕、大阪の豊中高校っていう、わりと「かしこの高校」を受けたんですよ。その時に一番かしこの北野高校というところがあって、そこは一番「かしこ」やから、2番目にかしこのところを受けようと思って、豊中高校を受けて。

しかも、たまたま僕の世代の時はわりと子どもが少なくて、倍率が1.01とかなんですよ。全受験生に対して、24人しか落ちないわけ。「落ちるわけない」と思うじゃん。だから、受験に行った帰りにアメリカンフットボールの入部届を出して。受験の帰りですよ! 試験が終わったあと。

阿部:早いですね(笑)。

田中:「お前、もう入部」「わかりました。入部」と言って、その日に受験の道具が入ったリュックを背負ったまま10キロ走らされて。

阿部:まだ受かってないけど(笑)。

田中:腹筋と腕立てをさせられて。でも、24人しか落ちないんだから、当然入部だと思うじゃないですか。そしたら…選ばれたんですよ、「ベスト24」に。

阿部:(笑)。

田中:あの10キロの走りと腹筋と腕立ては何やったんや? みたいな。

阿部:わ……。「まさか自分がそっちのほうにいくとは」っていう、まさかですよね。

田中:落ちると思ってたら、あの10キロはタクシー乗ってたよ。なんでそんな自分で走らなあかんねん。

阿部:そうですよねぇ。

言い方次第で、過去は捉え直せる

田中:何十年もその話をしてるんですけど、「ベスト24」って言ってるんですよ。つまり、24人が選ばれなかったでしょ。でも、それだけ少なかったら、むしろベストみたいな気がするわけ。「選び抜かれた24人」みたいな。

阿部:本当にそうですね。

田中:俺、今その24人で集まりたいもん。

阿部:同窓会したいですね。

田中:「俺たち24人、落ちたよな。ベスト24。どんな人生やった?」って、53歳になった今聞きたいですね。みんな相当悔しかったと思うよ。

阿部:選ばれなかったことを「ベスト〇〇」というふうに名付けると、なんだか感じ方が変わりますね。

田中:そうでしょ(笑)。ベスト24、いまだに言ってるもん。

阿部:読んでいる時に(自分の過去の出来事を)思い出していただけることが、僕もうれしくて。

第3章で「キャプテンに選ばれなくても」という話を書いていて。これは、「チームのキャプテンになりたいです」と会議で手を挙げて、「お前はやめたほうがいい」って先輩から言われるという話なんです(笑)。

自分で書いている時に思い出してしんどくもなったんですが、それがあったからこそ今につながっているな、と思えることもあるんですよね。

相手の言葉を正面から受け止めすぎない

田中:これを読んでると、阿部さんってさ、「お前、それ向いてないからやめたほうがいい」って、本当に毎回いろんな人に言われるの!

アメフトでキャプテンになりたいって言ったら、「お前、向いてないからやめたほうがいい」。国立大学に行く……「お前、向いてないからやめたほうがいい」。広告代理店……「お前、向いてないからやめたほうがいい」。クリエーティブ……「お前、向いてないからやめたほうがいい」。毎回言われるのね!

阿部:本当に、毎回そういうふうに激励の声をかけてくださる方がいて、摩擦を恐れずにここまで来ました(笑)。

田中:でも、みなさんもそうだと思うけど、いろんな仕事でも「僕、これやりたいんです」って言ったら、絶対に誰かは「いや、お前はそれ向いてないと思う」って言いますよね。

阿部:言うんですよね。言っているほうは、絶対に確信なんかないと思うんです。ひろのぶさんが以前ツイートされていたんですけど、8割、9割の多くのことは、ジェラシー、嫉妬が起因しているのかなと。

そういう気持ちや感情で言ってくることも多いと思うので、あまりそれを正面から受け止めすぎないほうがいいんじゃないかなと思います。

向いてないと言われても“なにくそ精神”でトライ

田中:「それ、向いてない」って言ってくるよね。俺も毎回言われるもん。今も毎日言われるのは「経営者向いてない」(笑)。

阿部:そんなことないですよね。ひろのぶさんが「ひろのぶと株式会社」を立ち上げる時に、多くの投資家の方からかなりの金額を集めたり、FUNDINNOというところで数十分間で何千万の出資を受けたりとか。

そのストーリーを見ると、こんなにも求心力のある経営者の方はいないですし、「向いている」とすごく思います。

田中:でも、今でも毎日「向いてない」って言われる。ただ、やっぱりその時に、「あなたはそうおっしゃるかもしれないけれども、何年か後に向いてたって証明しますよ」って、ちょっと思うじゃない。それは大事だよね。

阿部:大事ですよね。「自分で成し遂げてみせる。証明してみせる。なにくそ!」っていう気持ちでやっていたのはありましたね。

田中:いっぱいありますよ。今日は別に、俺の悲しかったことを告白する会でお金をもらおうってわけじゃないんですけどね。

阿部:「あの時はああ思っていたけど、ちょっと考え方が変わったな」とか、まさに新しい自分に生まれ変わったり、自分のターニングポイントになった時の話を、ひろのぶさんにうかがいたくて。

その時々の不安や葛藤とか、さっきあった「『ベスト〇〇』って呼んでみよう」という名付けは、さっそく今日から使えますよね。

田中:「今日から使えるベスト〇〇」、ビジネス書みたいな感じですね。「落ちた時こそベスト〇〇」(笑)。

阿部:ベスト〇〇(笑)。そういう話をたくさんうかがいたいなと思っていたので、ぜひ、ひろのぶさんのエピソードをうかがっていけたらうれしいです。

高校時代、憧れの女性から告げられた衝撃の事実

田中:ものすごく生っぽい話ですけど、僕が最初に「選ばれなかった〜!」という衝撃を受けたのは、高校卒業くらいの頃かな。すごく憧れていた同級生の女の人がいて、選ばれなかったどころか、選ばれていなかったという衝撃。

高3の時にその子に呼び出されたんですよ。「何? 何の話?」と思って、すごくドキドキするじゃないですか。「2人で会いたい」と言うから、「え!? これ相思相愛的なサムシング!?」って思うじゃない。

阿部:思います。

田中:「田中君、聞いて。林君っているでしょ」と。……実名出しちゃったけど(笑)。まあ、林さんいっぱいいるからいいか。「おぉ、林がどうしたん? それで、俺に何か話があるの?」と聞いたら、「私、林君の子どもがお腹にいるの」って。これ、ショックじゃない!? 

阿部:ショックというか……段階をすっ飛ばして進んじゃってますよね。

田中:俺の心の中では、「林君のことが好きだから仲を取り持ってくれ」くらいのことだと思ってた。違う。選ばれなかったどころじゃなく、相当前から選ばれてなかったうえに、蚊帳の外だった。そして、なぜか事後処理役には選ばれた。この悲しい選ばれ方と選ばれなさ(笑)。

阿部:それはびっくりですし、その時ひろのぶさんはどういうリアクションをされたんですか?

田中:いや、頭真っ白になりますよね。2人のことが、うわぁ〜って、こうなるじゃない。……あ、安心してください。そのあと、林君とその人はちゃんと結婚して、今は子どもも大きくなってます。ただその時は、もう何も言えない。とにかく、家に帰って布団かぶって泣くしかないよね。

阿部:そうですよね。その衝撃は、ちょっと人生で忘れられない話ですね。

“俺には才能がないのか?”と思うことがつらい

田中:人生って、選ばれるかどうかの岐路に立って「さあ、ここで勝負! 選ばれた! 選ばれなかった!」っていうのもあるけど、それ以前にずっと遡って選ばれていなかったこともあるんよね。これはデカいなと思って。

阿部:気づいた時には、選考の対象にもなっていなかったという。確かに、そういうふうに話が勝手に進んじゃっていて、自分は置いてけぼりみたいなのはあるかもしれないですね。

田中:ある。あとは、やっぱり会社に入ってからかな。当然これは職能の問題だから、選ばれる・選ばれないは命です。マクドナルドのポテト係に選ばれなかったのと同じようなことが、もっとスケールでかくやってくるわけですよね。

「俺には技能がないのか?」と。技能ならまだいいよね。「才能がないのか?」と思うのがつらいんだよね。

阿部:その話は、ぜひうかがいたかったです。ひろのぶさんは配属がクリエーティブ局で、広告制作の文章を書いたりする部署にいて。「自分がどこまでできるのか」とか、自分と周りを比較してしまったりすることは、駆け出しの頃はけっこうあったんですか?

田中:毎日ですよね。まず、僕らはクリエーティブに配属されると「広告賞を獲れよ」って言われる。

阿部:言われますね。

田中:そんな簡単に獲れるんだったら、金で解決するなら俺は払うけど(笑)。そういうわけにはいかないじゃない。

阿部:そうですね(笑)。

田中:トライするじゃない。で、落ちるじゃない。でも、同期で獲ったりするやつがいるじゃない。「あ、これは向いてない」と思うし。

24年勤めた電通、最後まで「挫折感」があった

田中:あと、僕が会社ですごくショックを受けたのは、デキる人のグループっているんです。スクールカーストじゃないけど、会社にもあるんです。

広告制作でスターと言われる人たちがいて、デキる人同士は「お前ら、飲みに行こうぜ」と言ってて、「僕もいいですか?」って聞いたら、「お前は10年早い」って。これはキツいよね。

阿部:キツいですねぇ。

田中:「あぁ、10年早いんだ……」と思って。でも、同期は行ってるわけ。そんなこといっぱいあったよ。

阿部:えぇ〜。それは……今だとアウトですよね。

田中:今だとアウト(笑)。でも、「10年早い」ってはっきり言われたな。会社名は言わないけど、35年前の電通では。

(会場笑)

田中:でもね、それは良かったことだと思ってるのよ。7年目くらいでなにかの広告の賞を獲った時に、その先輩に「おい、田中。飲みに行くぞ」って言われた時には、10年を7年にしてやったぜと思ったもん。

阿部:3年短縮しましたね。

田中:そう。自分で3年短縮した! と思ったもんね。

阿部:ひろのぶさんも、自分なりにできることを積み上げていかれたということですよね。

田中:やるしかないですよね。今日ここに、僕を広告界のスターとして認識している人は誰もいないと思いますけど、その認識は……正解です。

阿部:いやいや(笑)。

田中:24年間勤めたけど、やっぱりそんなに得意ではなかった。最後まで挫折感があるんだよね。

20年以上クリエーティブに向き合い続けた

阿部:今、新入社員の方から「コピーライターになりたいです」「クリエーティブ局に行きたいです」という相談をいただいていて。その気持ちがある限りトライしてほしいし、がんばってほしいし、応援していると言うようにしていて。

僕からすると、ひろのぶさんが20数年間ずっと広告クリエーティブの仕事と向き合い続けたことって、まさに鉄人というか。すごいと思うんです。

ひろのぶさんからすると挫折感があったというのは、ちょっとびっくりで。葛藤があったということなんですよね。

田中:あるある。向いてない話の究極として、なぜか24年間ずっとクリエーティブ局で制作をやっていたんだけど、ずっと僕の上司だった……名前は言わないけど、中治信博さんという人は、新入社員の時からずっと僕のこと「ヒロくん」呼ばわりなんですよ。

40歳過ぎても、やっぱり子ども扱いなのね。辞める直前、46歳の時点まで「う〜ん、ヒロくんは広告向いてないと思うで」って、ずっと言われ続けたから。

阿部:向いてないけどできていたというか。ひろのぶさんは、広告を作ったり、ずっと企画をされていたじゃないですか。それはすごいですよね。「向いてない」と言われるけどできている。

田中:う〜ん。でも、自分では納得いってないもんね。電通で広告制作・コピーライターを24年やってましたって言ったら、「代表作って何?」「みんなが知ってる広告だと何?」って今でも聞かれる。

そう聞かれたら、「いや〜。そんなこと言われてましても」みたいに思うもんね。いまだに挫折体験ですよ。24年間まとめて挫折体験。