元は裏側にあった「プロセスエコノミー」が、表側に見えてきた、

尾原和啓氏(以下、尾原):こんにちは。10分対談、Whateverの川村さんです。もう4回目の登場ですね。ありがとうございます。

川村真司氏(以下、川村):よろしくお願いします。今回は僕からラブコールをさせていただきました。『プロセスエコノミー』がすばらしい本でしたので。

尾原:いかがでございました?

川村:モヤっと感じていたことをきちんと体系化しつつ、余すところなく完全に言語化しているなって。それが感動だった。個々の章もすばらしくまとまっているんですけど、全体の構成から内容の幅までちゃんとしている。

そこに至る歴史や、なぜこれからプロセスエコノミー(完成品である「アウトプット」よりも、制作過程である「プロセス」に価値が移り始めている今の時代は「完成品ではなく制作過程を売るほうがいい」という考え)が盛んになっていくか、大事になっていくか? という部分から、未来の美しい可能性まで提示しつつ、最後にはちゃんと警鐘も鳴らしている。やっぱり「プロセスが目的になっちゃうとまずい」というところまで、ちゃんと書いてあるんで。これが最初にして完全版というか(笑)。

尾原:いやいや(笑)。

川村:すばらしい本だなと。

尾原:実はプロセスエコノミー的なものって、昔からあって。今までは完成品のアウトプットエコノミーが、太陽としてさんさんと照らしていたから、裏側にある月としてのプロセスエコノミーがあまり見えなかっただけで。

完成品であるアウトプットエコノミーが、ネットとメイカーズムーブメントの発達によってすぐにパクられて、高止まりで差別化ができなくなってしまった。それで、良いものを出しても儲からない時代になった時に、結果的に裏側にあったプロセスエコノミーが表側に見えてきた、という話だと思っています。

「プロセスエコノミー」という言葉の衝撃

川村:本当におっしゃるとおり。だからその旗を立てたという。本書にも書かれていますけど、ルーツをたどると、やっぱりけんすうさん(古川健介氏)による「プロセスエコノミー」という名付けの強さがありますよね。

尾原:そうそう、もうその言葉がヤバい!

川村:僕、ツイートのタイムラインで見てたんですが、その言葉が出てきた瞬間「うわ、けんすうさんこれヤバい!」と思わず声に出してました。

尾原:「やられた!」ですよね。

川村:「悔しい、そのフレーズ!」って思って。そういう名前があるだけで、やっぱりすべてがまとまるんですよね。「あれもプロセスエコノミーだった、これもそうだった」と急に道がつながっていく……。

尾原:ぱーって開けるようなね。モーゼの十戒じゃないですけど。

川村:そうなんです。それがすごいなと。こういう現象を僕「必殺技システム」って呼んでるんです。なんでもないパンチでも、名前を付けると急に物語な要になっていく。

尾原:「力道山チョップ!」って言った瞬間に、単なるチョップがすごいものになって、みんな「くるぞ!」みたいな。

川村:そうです、そうです。ただの速いパンチだけど「北斗百裂拳!」とか言うと。

尾原:「マシンガンジャブ」とか「北斗百裂拳」って言うと(笑)。

川村:もっとすごいものに感じて「北斗神拳」っていう物語が見えてくる、みたいな(笑)。それに類する感じで、やっぱりこの「プロセスエコノミー」という言葉の衝撃はかなりありましたね。自分もクリエイター側の視点から、かなりそれを言語化できていないけど、意識して活動いたなって思い起こされたんですよね。それで急にすべてが自分の中でもつながった。

尾原:カチャカチャって、ジグソーパズルみたいにね。

アウトプットそのものの中に、作り方が練り込まれている

川村:そうなんですよ。毎回僕は新しいものを作る時に「むしろ作り方を新しくするほうが近道だ」って話していて。「作り方を作る」みたいな感じで、いつも語っていたんです。そういう時に、やっぱり新しい作り方をしているから「作り方自体もエンターテインメントになる」っていう言い方程度はしていたんですよ。

尾原:あぁ、確かにエンターテインメントになるんですよね。だって「ピタゴラ装置」なんてまさに。

川村:そうですね、プロセスを想像できるからアウトプットがよりおもしろいとか、自分でも真似できるとか。それもやっぱり、プロセスエコノミーという枠組みの下にぶらさがるんですよね。

僕はコンテンツベースでしかうまく説明できていなかったんですけど、それをきちんとエコシステムとして説明できている。僕はただ「見たことない作品になるから」みたいな発想から、変な作り方をしてる。例えば自分の精子をスキャンして、モーションキャプチャーして、精子が踊るアニメーションを作ったりしてたんですけど(笑)。

尾原:(笑)。

川村:精子バンクに行ったりとか。僕、一時期ずっと、必ずそういうメイキングビデオを作品と一緒に公開してたんですよ。ちょっとこじらせてプロセスを意識しすぎていた感はあるんですけど、そのぐらいやっぱりここ(制作のプロセス)にも価値があると思っていて。実際、最終的なアウトプットと同数ぐらいの視聴回数があったりもして。

尾原:それもそうだし、例えば『日々の音色』みたいに、アウトプットとしてのミュージックビデオのすばらしさもあるけど、メイキングがついてるからほかの人もやりたくなる。

川村:そうですよね、過程がわかるから。あの場合はメイキングの動画自体はそんなに出してなかったんですけど、作り方自体にプロセスを感じさせるというか。

尾原:はい、はい。「ピタゴラ装置」も『日々の音色』も。『日々の音色』はSkypeで画面分割していろいろみんなでやりますっていう、もうアウトプットそのものの中に作り方が練り込まれている。

川村:そうですね。そういう作り方もコンテンツの一部っていうパターンもあると思うんです。(プロセスエコノミーとは)何かっていうと、やっぱりプロセスがちゃんと価値を足しているってこと。僕はずっとプロセスエコノミーという体系の中で、その手のひらの中で、やってたんだなって。だけどその手のひらの名前がわからなかったものを……。

尾原:名前がついてなかったものを、けんすうさんが「プロセスエコノミー」って言った瞬間に「あー!」みたいな(笑)。「持ってかれた!」じゃないけど(笑)。

川村:全部その言葉でいけちゃうんだな、みたいな。PatreonとかKickstarter(クリエイターやアーティストを支援するプラットフォーム)とかクラウドファンディングとかも、その文脈の中にむしろ格納される。それほどすごく強いフレーズ。

見てると「Why」が立ち上がる?

尾原:そうですよね。それ、すごくわかる。実はけんすうさんが言っているプロセスエコノミーとはどちらかと言うと、純粋にクリエイターを応援したいから、作っているプロセスそのものに課金できるような仕組みを設けるもの。

ユーザーもプロセスを楽しむと、クリエイターの人が「生活のため」とか「自分、人気作家なのに次の作品出てへんやん」みたいな、変なプレッシャーで次のアウトプットをねじ曲げることがなくなる。

けんすうさんは「作っているプロセス自体を応援されると、クリエイターは安心して自分らしい作品を次々に作れるようになる」っていう文脈でおっしゃったんですけど。

川村さんがおっしゃるように、僕はそれ(けんすうさんの言葉)を聞いた時に「これもプロセスエコノミー、あれもプロセスエコノミー」って思って。それで「じゃあこれ本にしようよ」ってけんすうさんに持ちかけたら「尾原さんが書いたほうがそういうふうに膨らませるから」って言ってくれて。それで書かせてもらったんですよね。

川村:なるほど。すばらしいコラボレーションですね。けんすうさんがおっしゃっていた、その一面だけじゃないんですよね。それ(ユーザーがプロセスを楽しむこと)も大事だし、実はすごく尊いことですけど、実はもっと広範に、ブランディングなどにもプロセスエコノミーが使用できると。

尾原:おっしゃるとおり。あとは「持たざる者こそがより自分らしさを輝かすために、プロセスエコノミーって使えるよ」みたいな個人の話もしたり。

それから大手のメーカーが完成品では差別化できなくて、結局は価格競争に乗っているけど、実は日本ほど職人芸がある国はないわけで。実は「モノ作り大国・日本」の裏側に囲みをして、プロセスエコノミーを立ち上がらせればいいじゃないか、みたいな話だったり。本当に対象を広げて(けんすうさんに)話をしたんですよね。

今、川村さんの話を聞いて思ったのは、やっぱり「ピタゴラ装置」もそうだし「日々の音色」もそうだし、川村さんの作品ってアウトプットの中にプロセスが練り込まれている。なんだけど、見てるとやっぱり「Why」が立ち上がるというか。

「ピタゴラ装置」だったら「こんなに組み合わせてここまでいけるんだ」という、子どもの工作の楽しさみたいなものが立ち上がってきたりする。例えば「日々の音色」だと、みんなが一緒にコラボすることで何かを祝っているとか、いろんな違う人同士が同じことをやろうとしてることのハーモニーだったり(が立ち上がってくる)。

やっぱりアウトプットなのにプロセスが中にすごく練りこまれていて、しかも「Why」が立ち上がってくるっていう気が、勝手にしているんですけど。

川村:いや、ありがたいです。

尾原:もちろん、僕が川村さんを好きすぎるからかもしれませんけど。

「やってみたい」と思わせるコンテンツにある、強い魅力

川村:(笑)。でも意識していないこともないなと思います。僕はやっぱり伝えたいメッセージとかストーリーに、きちんとそぐう手法を使うようにしている。プロセスエコノミーの手法を使うことが可能なコンテンツの時はそうすることで、ストーリーテリング自体も強くなると思っているので。

『日々の音色』でいうと「つながり」みたいなところを伝えたいので、Webカメラを使ってつながるっていう手法自体がメッセージになっている。そういうところはやっぱりすごく意識しますし。あともう1個は、さっき言っていた「新しい作り方をすればいい」っていう反面、まったく新しいものを見せられても、みんな想像力が追いつかなくてそこで思考や想像が止まってしまうので。

尾原:確かに、確かに。なるほどね。

川村:共感とも言えるんですけど、すごくても、まったくわかんないから。ただポカーンと作っているところを傍観しているだけになる。

尾原:まったく新しいテクノロジーだと畏怖はするけど、ちょっと自分ごとから離れちゃうっていうところ、ありますね。

川村:それはそれですばらしいんですけどね。僕はどちらかというと、みんなが見知っているものや日用品を使って「こんな風に組み合わせたら、あんなすげぇ装置作れんのかよ」というのがやりたい。Webカメラのような毎日見てるものなんだけど「こんな使い方あったのかよ」とかね。

「僕でもできそう。でもこのクオリティは作れるかわかんない。でもなんかやってみたい」。その「やってみたい」っていうところまでたどり着けると、コンテンツとして相当強い魅力を持っていると思う。

だから、プロセスエコノミーでもありつつ、そのプロセスをお金に変えるってことじゃないですけど、それをチャームの1つに加えるというか。

尾原:それもそうだし、参画したくなる隙間とか(が大事)。最近、この『プロセスエコノミー』の本を書いたあとに、『ストーリーとしての競争戦略』の著者である楠木建さんとお話しした時に、実はプロセスエコノミーにおいて大事なものは、ストーリーを完成させたもので渡すのではなく、ユーザー側が勝手に組み上げるような適度な隙間だ、と。創造したくなるような材料を置いておく。こういうのを國分(功一郎)さんが「中動態」という言い方をしている。

要は情報を全部浴びさせられる「受動」でもなく、自分がやりたいように全部やる「主動」でもなく、ある程度のものを受け取るんだけれど、そこへ最後にシュートするために自分が駆け込んでしまうような間。この「中動態」の設計が大事、みたいなことを言ってて。

川村:そこまで人をウズウズさせられたら勝ち。共感どころじゃなくて走り出してる。それは本の中にも書いてありますよね。「バーベキュー型」とか「ジグソーパズル型」じゃなく「レゴ型」みたいなものにも言及している。この仕組みでこんなに作れるって見せられたら「えっ、じゃあ俺だったらこれ作りたいから、ちょっとやらせてよ」みたいなことになる。

川村氏のプロセスエコノミー的作品「積紙(つみし)」

尾原:そういう意味で、最近の川村さんは、プロセスエコノミー的な作品で言うと何かあります?

川村:実はまさに最近、「積紙(つみし)」っていうおもちゃを作ったんですよ。

尾原:「積紙」。ヤバい、知らん。

川村:コクヨさんと廣栄紙工さんとの共同開発で、紙のレイヤーでできた積み木なんです。紙のレイヤーなので、小口同士をブスッと刺してくっつけられるんですよ。だからこれまでの積むだけの作り方じゃなくて、ぶっ刺して変な形ができるっていう。それこそクラウドファンディングでお金を募って作ったんですが、モノとしてもけっこうレゴに近いというか、作れる形の可能性は無限大です。

尾原:なるほどね。(タブレットで「積紙」の画像を確認しつつ)これ横にも積めるっていう。これは確かにいろんな……あっ、なるほどね。(横に積んでいる画像を見せて)こういうふうに蛇腹っぽく刺せるから、横でもいけるってことですね。

川村:そうそう。雑誌の『ジャンプ』と『ジャンプ』をページを噛み合わせるように刺すと抜けなくなるじゃないですか。ああいう感じで。

尾原:トランプのカードをバラバラってこうやって、キュッと。

川村:まさに。

尾原:はぁー、おもしろい。

川村:ちょっと見たことのない積木の接合の仕方だったんで、これはおもしろいと思って。もともとはアワード(KOKUYO DESIGN AWARD 2020)に出ていた作品(FROM TREE TO FOREST)の接合方法がおもしろいと思ったのがきっかけだったんですよ。

これ(接合しあって自立している筆記具の画像を指して)ファイナリストには選ばれたのですが、受賞は逃してしまったんです。正直、ペンとしてのデザインとしてはよくわかんないけど、そのくっつけ方はすごくおもしろいと思ったんです。

尾原:このペンが1本1本だと立たないんだけど、複数つなぐとまるで、木が森になるように自立する。

川村:そういうテーマ(2020年のテーマは「♡」)だったんですね。ただちょっとペンにすると「重くて書きづらい」など色々問題があったので、じゃあ上の部分だけでおもちゃにしよう、というところから提案して。この元のデザイナーの方も巻き込んで作っていった。これ単体では完結していないんだけど、やっぱり完成したものを見ると「どうやってこの形になってんだろう?」と。

尾原:そうですよね。結果「どうやって作ったんだろう?」って思いますもんね、この横に積んでいる形にしても。

川村:万人受けかどうかはわかんないんですけど「俺もちょっとそれやってみたい」みたいな、まさしく「中動態」というか。

尾原:そうですね。適度な、みんなが作りたくなるバーベキュー的な隙間が。バルタン星人作りたくなりますよね、これ見たら(笑)。

川村:そうそう、すごい変なのが作れると思います(笑)。それで、やっぱりクラウドファンディングなんで、当然コミュニティを巻き込まないといけないので。そのプロセスの話は、またちょっとずつお話しさせてもらいます。実際、クラファンはうまくいって、結局ゴールの2、3倍くらいのお金が手に入りました。

尾原:おっ、おめでとうございます。

川村:でも赤字なんですけど(笑)。

尾原:(笑)。

川村:それはさておき成功させていただいたので、今後もそのワークショップをやったり、本当に人気だったらもしかしたらもうちょっと数作れるかな、とか。

尾原:そうですね、工業的にもうちょっとやるかもしれないし。

川村:今は大阪で、完全に手作りみたいな世界なんで(笑)。かなりエグい作り方してるんですけど。こういった試みはやっぱりおもしろいな、と。通常の依頼や受注があって、それに応えるかたちのコミッションワークとはやっぱり違う。

自分たちでアイデアを出して、かつマニュファクチュアリングも行う。「廣栄紙工」さんっていう大阪の紙の会社さんを巻き込んで、3社(コクヨ、廣栄紙工、Whatever Inc.)で作ったんです。そういう作り方のプロセスも、1社でどうこうというよりちょっとコミュナルな感じというか。

尾原:それぞれがパラレルに自分たちの得意なことを持ち寄って。

川村:出資し合いつつ、売上は折半して。

生きる理由が「モノを作ること」

尾原:そういうものが、なんでそんなに川村さんのところでコンスタントに立ち上がってくるんですか?

川村:好きなんですね(笑)。

尾原:(笑)。

川村:生きる理由が「モノを作ること」みたいになっているので。趣味であり仕事であり……仕事だとはあんまり思っていないんでしょうね。誰もわざわざ作ろうと思わないけど、世の中にあったらいいなとか、見てみたいなって思うものを、自分の隙間を見つけては作っていくのが好きなので。

尾原:でもコクヨさんも、一応は商業的な会社じゃないですか。

川村:本当、超一流の企業さんですよね。

尾原:コクヨのノートといえば、あんな安い値段でなんでそんな丈夫なん? っていう。「役に立つ」を極めれり、みたいな会社が……こんな積紙のような「絶対に最初は儲からんやろ!」みたいなことに、なんで付き合ってくれるんですか?

川村:(笑)。コクヨさんとは何度かこういう共同開発の機会を持たせていただいて。今回もすんなりやってくれるかと思ったら、さすがにこれは最初「わからん」みたいな話もあったんです。

尾原:そうですよね、ちょっとね(笑)。

川村:だからサンプルを作って、やっぱり実物の持つパワーや、意外と作ったらなんかおもしろい、っていうのを見ていただいて。

あと、このあたりコクヨさんはすばらしいなと思ったんですけど「クラウドファンディングなどのコミュニティビルディングの知見があまりないので、このプロジェクトを通してそういうのを経験できるという視点では非常に有意義だ」と。まさしくプロセスエコノミーの学びの機会として賛同していただけて。

尾原:さっき言ったコラボレーティブな、コミュナルなものをラーニングしたいと。1つのたき火があったら、そこでみんながバーベキューを始めるかのような。そんなプロジェクトの仕方そのものが、コクヨさんにとってもたぶん魅力的で。そのプロセスを自分たちの体に通していると、次に何かが生まれるかもしれないと。

川村:まさしく、そういうメリットを感じていただけて。やっぱり主幹商品でさすがにそれはできないので、スペシャルプロジェクトというか。「気の狂ったクリエイターがなんか言ってるから、とりあえず一緒にやってみよう」みたいな感じでやれるほうが、やりやすいっていう(笑)。

「ともに生き生きと生きる」コンヴィヴィアリティ

尾原:対談そろそろ締めなきゃいけないんですけど(笑)。それで言うと最近、落合陽一さんがすごく「コンヴィヴィアリティ(自立共生)」にハマってるんですよ。

川村:またそのフレーズがね、緒方(壽人)さんの本(『コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ』)で復活して。

尾原:そうそう。緒方さんはどちらかというと、テクノロジーが進みすぎて人間が支配されつつあるから、現在はテクノロジーと人間との距離が(コンヴィヴィアルじゃないと言っている)。

スティーブ・ジョブズって、パソコンを作る時に「心の自転車だ」って言ったんですね。自転車って、自分の身体の延長のように移動距離を遠くにさせるじゃないですか。それと一緒でパソコンっていうのは、自分の身体のような感覚のまま、心も情報も遠くまで行かせることができる……っていう文脈で、(緒方さんは)コンヴィヴィアリティって言ってはるんですけど。

(一方)落合さんの(ハマってる)コンヴィヴィアリティは、「モノが持っている魔力」のような文脈なんです。「ともに生き生きと生きる」というのがもともとのコンヴィヴィアリティの意味なんですけど、じゃあどうして「ともに生き生き」したくなるのか? という話。

例えば、たき火。なぜか僕たちってたき火を前にすると、こんな感じで座ってしまう。なぜか一人ともなく「俺ってさぁ……」みたいな告白をしたくなる(笑)。そういうモノの魔力ってあるじゃないですか。

落合陽一さんが今取りつかれているのは、デジタル8KやVRが進んでくると、そろそろデジタルでコンヴィヴィアリティを作れるんじゃないか? っていうことなんです。でも一方で今の話を聞くと、モノの中にもコラボレーティブなものが含まれてると思った。

川村:ありますね。だからデジタルはおもしろいし、まだやられていないんで起こるべきだとは思いつつも、アナログの世界でもまだやっぱり(やれることが)あるとは思うんですね。

尾原:だからモノの中に織り込まれた、ともに生き生きと生きるコンヴィヴィアリティだったり、モノの中に練り込まれたプロセスエコノミーみたいなものを探究するとおもろいな、っていうところで対談を終わらせなきゃいけないんですけど。

「South by Southwest」(テキサス州オースティンで開催される音楽、映画、インタラクティブの見本市)で、3年連続基調講演やってて……ほら、川村さんも本当は。

川村:そう、去年行って講演するはずだったんだ。(中止になって)ダメだったんです。

尾原:そうそう。あれで落合さん、デジタル・コンヴィヴィアリティの話をしていて。

川村:デジタルの民藝の話もされたりとか。

尾原:そうそう。民藝なんていうのは、また話すと長くなるんですけど(笑)。やっぱりローカルの文脈と、一回性、その時その場の、大量生産ではない一回性の中で生まれるものですよね。

川村:手作りの中にプロセスエコノミー的な感じがありますよね。

尾原:そうなんですよ。その方面のプロセスエコノミーってほとんど本に書いていないので、探りたくなりますよね。

川村:まだまだ書けるってことですね。

尾原:そうですね。本当に今回もありがとうございました。

川村:いえいえ、こちらこそ。

尾原:対談で話が広がって、また次の連鎖が続いていくっていうところが本当におもしろくて、いつもありがたいです。

川村:こちらこそです。

尾原:どうもでございます。