外の世界を見て、もう1回元の会社に戻れたら……

小林こず恵氏(以下、小林):まずはトークセッションのメンバーでもあり、『4th place lab』発起人でもあるメンバーから簡単に自己紹介をさせていただければと思います。最初に主催企業であるローンディールの原田さんからお願いしてもよいでしょうか?

原田未来氏(以下、原田):みなさんこんばんは。原田と申します。どうぞよろしくお願いいたします。私のプロフィールを簡単にご紹介しておくと、ローンディールという会社をやっています。実は今大学院に通っていて、がんばって勉強しています。

2001年にラクーンという会社に入社をして、13年間勤めました。そのあとカカクコムという会社に転職し、一年半ぐらい経ってローンディールという会社を設立しました。

僕は社会人になってから13年間同じ会社にいたわけなんですけれども、その時に思っていたのが「隣の芝は青いのか?」ということでした。1社目の会社のことは愛着もあってすごく好きだったんですけれども、「じゃあ俺はこのまま、この会社にずっと勤めるのかな」と。

「やっぱり外の世界がどうなっているのか見たいな」「でも会社を辞めるのも嫌だな」と思って、結局僕の場合は転職という選択肢を取るわけなんですけれども。そうして外を見た時にいろんな気付きがあったことから、外を見てもう1回元の会社に戻れたら、やれることが本当はたくさんあったなと。そんな気付きがあって、今は会社を作っているという経緯です。

日本的な人材の流動化を作る「レンタル移籍」

原田:ではその会社で何をやっているか。今日の本題ではないのですが簡単に触れておきますと、「レンタル移籍」という事業をやっています。大企業の方々に一定期間、だいたい1年ぐらい、出向のようなかたちでベンチャー企業に行っていただいて。そこで事業の立ち上げという実践的な経験を積んでいただいて、また大企業に戻って活躍していただくという事業を営んでいます。

今現在、導入いただいている企業さんは50社ほどで、150人弱ぐらいの方がベンチャーで挑戦をしてくれています。

私たちはこの「レンタル移籍」という事業を通じて、日本的な「人材の流動化」を作りたいと思っています。「人材の流動化」というと、以前だと転職という選択肢しかなかったんですけれども、日本の企業に合ったやり方はどんどん人が転職していくことなのかというと、本当はそうではないんじゃないかなと。循環していくようなかたちで、外に出た人がまた帰ってくるというサイクルを作っていけたらいいなと思っていました。それをすごく平たく言うと、「はみだし」ということになるのかなと思っているわけです。

そうやって、自分の周りにいる人たちがどんどん挑戦していく。外に行くきっかけが増えてくると、「あいつができるんだったら俺もやってみようかな」と挑戦していく人が増えていく。そうなったらいいなと思って事業をやっております。また後ほど、いろいろお話ができればと思います。よろしくお願いします。

小林:ありがとうございました。続きまして、小国さんお願いします。

心臓病をきっかけに、「テレビ番組を作らないディレクター」へ

小国士朗氏(以下、小国):こんばんは。小国士朗といいます。これが僕の名刺です。肩書きもなにも書いていないですが、僕はこの名刺を使って仕事をしています。

もともとはNHKで番組制作をしていたディレクターです。『クローズアップ現代』とか『NHKスペシャル』とか『プロフェッショナル 仕事の流儀』といった番組を作っていたんですけれども、33歳の時に突然心臓病になってしまいまして、番組を作ることができなくなってしまいました。そこから僕は「番組を作らないディレクター」と宣言をしまして、番組以外のことをやりはじめました。

どんなことをやったかというと、左上が『プロフェッショナル』が10周年を迎えた時に番組が作った「プロフェッショナル 私の流儀」というアプリです。5分ぐらいで、みなさんが誰でもプロフェッショナルになれるというのをコンセプトに作ったんですけれども。

番組を見てくださったことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、その番組の主人公に自分がなったような気持ちになれるという、動画ジェネレーターアプリです。これが200万ダウンロードくらいされました。

NHKって65歳以上にはすごく強いんですけれども、それ未満になると途端にリーチしないんです。この番組も60代独居男性が一番観ているというデータがあったんです。でもこのアプリは本当にみなさんが楽しんで使ってくれて、10代・20代がユーザーの7割でした。番組が持っている情報とか価値とかを、テレビ番組以外でお届けするということをやってきました。

認知症の方がスタッフを務める『注文を間違える料理店』

小国:ほかにも『注文をまちがえる料理店』というのが、NHK在職中の自分にとって世の中に一番広がったプロジェクトでした。これは認知症の状態にある方がホールスタッフを務めるレストランです。注文を取って配膳をするんですけれども、認知症状態にある方がホールスタッフをやっているので、時に間違えちゃうことも、忘れちゃうこともある。

そういった間違いをお客さんも受け入れて、みんなでむしろその間違いを楽しんじゃおうよと。「まちがえちゃったけど、まぁいいか」というのをコンセプトにしたイベント型のレストランで、これが世界150ヶ国くらいに配信されました。

それ以外にも、LGBTQをテーマにしたプロジェクトとか、戦争をテーマにしたプロジェクトとか。あとはNHKの番組をSNS、YouTubeで配信する新しいデジタルプラットフォームサービスを立ち上げるとか、そんなことをやっていました。

この『注文をまちがえる料理店』をやった時に、テレビ番組を作らないディレクターとして「もっともっとこういう道を突き詰めていきたいな」と思い、3年前にNHKを卒業にしました。

卒業してからもいろんなことをやっているんですけれども、左上が「delete C」いうプロジェクトです。Cはcancer、つまり「がん」ですね。cancerの頭文字Cをdeleteで消しましょうということです。実際には、例えばC.C.レモンのCをdeleteしていただいた商品を出してもらいました。

その商品を買うと、売上の一部ががんの治療研究の寄付になるということで、みんなの力でがんを治せる病気にしようというプロジェクトを立ち上げました。

バラバラな仕事に共通する、「Tele-Vision(遠くを映す)」の考え方

小国:あとは2019年のラグビーワールドカップは大変盛り上がりましたけれども、そこで「にわかファン」という言葉がすごく出ました。そういった言葉を生んだ「丸の内15丁目PROJECT.」というプロジェクトをやっていたりとか。

こうやって見ると、僕は本当にバラバラなことをやっているような感じです。共通していることとして、僕は「Tele-Vision」をやっている人間だということです。「Tele-Vision」はテレビの語源ですけれども、「Tele」は遠くにあるもの。「Vision」は映す。これを僕はNHK時代から今までずっと変わらずやっているつもりです。

傍目で見ると、認知症のことをやっていたり、がんのことをやっていたり、ラグビーをやっていたり、アプリをやっていたりイベントをやっていたり、バラバラに見えるかもしれない。でも僕の中ではずっと「Tele-Vision」をやっていると。

遠くにあるものを映す。これはつまり、誰も見たことがない風景とか誰も触れたことがない価値をかたちにして、広く多くの人に届ける。そういうことをずっとやってきましたし、これからもやっていきたいなと思っています。そんな人間です。

今日はこのあとどんな展開になっていくのか、実はよくわかってないですけれども。おそらく(自己紹介の持ち時間)3分は余裕で超えているんですけど、気持ちよくしゃべれたのでいいかなと思っています。よろしく願いします。

小林:小国さん、ありがとうございました。大変気持ちよく聞かせていただきました(笑)。

「組織には属したくないな」という思いで始まったキャリア

小林:濃厚な自己紹介が2つ続いたあとに話しづらいですが、最後に私が自己紹介させていただきます。

あらためまして、小林こず恵と申します。株式会社カラメルという会社を運営しておりまして、主にインタビューやライティング、コンテンツ作りなどを行っております。あとは一般社団法人七夕協会の理事をしておりまして「願いごとや夢で世界をつないでいく」という活動をしております。

私自身のキャリアでいうと、社会に出てから15年くらい、長くずっとメディアとか出版の業界におりました。大学時代から「組織には属したくないな」と思っておりまして、大学時代にアルバイトをしていた出版社から仕事をもらって、そのまま就活も就職もせずにいきなりフリーランスの雑誌編集者、ライターとして社会人をスタートしました。

ただ、社会を知らずに社会に出てしまったので、うまく世渡りできずにストレスでダウンしてしまいました。これはいけないと思い、ちゃんと社会の仕組みについて知ろうと26歳の時に初めて会社員になります。そこから9年くらい会社勤めをしまして、最後に働いていた株式会社KADOKAWAでは比較的自由にいろいろやらせてもらっていました。

もともと人を輝かせることに興味があって、雑誌編集もそうなんですけれども、クリエイターを発掘するようなオーディションやコンテストを、自主企画でいろいろと経験をさせてもらいました。

会社員時代に抱いていた思いを込めた「はみだしプロジェクト」

小林:ただ、なかなか会社の方針の中に自分のやりたいことが収まりきれずに、結局は「とびだす」という選択肢を取りました。それが今から3年前です。35歳の時に会社を作って独立して、今に至ります。

その中で原田さんと出会いまして、ローンディール社のメディアでご一緒しているという経緯があります。そんな中で今回の「はみだしプロジェクト」がスタートしました。まさに私自身が会社員時代に抱いていた「こんなことができたらよかった」という思いを込めて作っております。

私はこれまで、小学生から女子高生、大人まで、いろんな夢や思いを持った人を応援する企画やコンテンツ作りを行ってきました。その中で「人生が変わりはじめる瞬間」に立ち会うこともありまして、すごく大事だなと思ったのが、とにかく自分の夢や思いを誰かに伝えてみるということ。

伝えてみると、案外みんなが協力してくれたり、トントンとものごとが進んでいったりするんだなとわかりました。私はこの「誰かに自分の思いを伝える」というのも、1つの「はみだし」なんじゃないのかなと思っていて。

そういう「はみだし」の機会をたくさん作っていけたらいいなと思いながら仕事をしております。ということで、自己紹介は以上になります。ありがとうございます。

なぜ「はみだし」なのか?

小林:ではここから、はみだしの世界へようこそということで、「『はみだし』トークセッション」を行ってまいります。3つのテーマをご用意しました。「なぜ、はみだしなのか?」と、「はみだしにWILLは必要なのか?」「はみだしは世界を変えるのか?」というビッグテーマなんですけれども(笑)。WILLについてはまたあとでご説明させていただきます。

(このイベントの)一番初めに、みなさまから、「会社からはみだしている? はみだしてない?」とアンケートを行いました。「けっこうはみだしているよ」なんて人も多かったんです。私もそうなんですが、はみだしている時は、けっこうはみだしていると気付かないものなんですね(笑)。

あとから振り返って「あれ、はみだしてたな」なんていうことがけっこうあるなと思っていて。実はまだ「はみだしてない」って思っている方も、過去を振り返ってみたら、実ははみだしていたこともあるんじゃないかなぁなんて思うんですね。

このあとのトークセッションで我々のいろんな「はみだし」や、「これってはみだしなの?」みたいな話をしていきますので、みなさんも人生を振り返りながら、「あれはみだしだったのかな」とか考えていただけたらいいかなと思っています。

原田:最初のクエスチョンが「なぜ、はみだしなのか?」。さっそくはじめちゃっていいかなと思うんですけど。

学生起業した会社が潰れ、締め切り2日前にNHKへ応募

小林:そうですね(笑)。その問いに入る前に、せっかくなのでまず小国さんにお聞きしたいんですけれども。小国さんは以前から「はみだしが大事」ということをキーワードとして、いろんなところで発信されていらっしゃると思います。

それこそNHKに入局された頃から、小国さんは当たり前のようにはみだされていたのか、それともなにかきっかけがあって、この「はみだし」がはじまったのか。そのあたりはいかがでしょうか?

小国:僕がNHKに入ったのが2003年で、その年が超就職氷河期だったんです。だから、公務員になるか起業するかみたいな雰囲気で。一方で起業ブームも若干あって、僕は大学3年の頃に起業していたんですね。

だけど社長が金を持って逃げちゃって、会社が潰れちゃったんですよ(笑)。そうこうしているうちに、どうやら就活というのがあるらしいと。就活する気は本当にまったくなかったので、どうしようと思って企業を探したら、NHKだけ蓋が開いていたんです。

小林:そんなことがあるんですね(笑)。

小国:はい。それでエントリーシートの締切が2日後で。僕はNHKで観ていたのが『おかあさんといっしょ』で終わっていたんですけど。でもドキュメンタリーがあるというのはすごく知っていて、僕は(フジテレビの)『ザ・ノンフィクション』がすごく好きだったので、それは興味があったんですね。

NHKのドキュメントと『ザ・ノンフィクション』って似ている感じなのかなと思って受けたんです。受かるんですけど、その時に僕はNHKをまったくわからないもんだから、はみだすもなにも、とにかくその水に浸かろうと。「NHKってなんなんだろう」「テレビ番組ってなんなんだろう」とか。そこで「Tele-Vision」という語源にたどり着くんです。

「はみだす」きっかけは、心臓病で仕事を断ちきられたこと

小国:「僕が今からする仕事ってなんなのだろう?」と調べたら、「Tele-Vision」と書いてあったので、「あ、これをやったらいいんだ」と思って愚直にやっていたんですね。とにかく遠くにあるものを映せばいいんだからと。例えばエベレストとかマリアナ海溝とか宇宙とかもそうだと思うんですけど。

もっといろんな社会課題もTele、つまり遠くにあるものだろうし。人の心も、企業のインサイドも遠くにあるものだろうから、そういう「遠くにあるものを映そう」とやっていたので、とにかくめちゃくちゃNHKに染まりまくって、ズブズブに入り込んでました。「誰よりも良い番組を作りたいな」と。まったく観ていないところからいっているので、ハマるとすごいんです。

遠くにあるもののややこしい話を、こんなにわかりやすく、深くおもしろく作るというのは「すげぇな」と思って、そこを追求していました。だから僕は「はみだす」とか一切考えていなかったんですけど。

「はみだす」のきっかけとして一番大きかったのは心臓病を患ったことですね。すごく楽しくてやりがいのあった仕事を、僕の場合いきなり強制的に断ち切られてしまったんです。

それでも生きていかなきゃいけないといった時に、ちょうど同じタイミングで電通さんとNHKの間で「交換留学をしましょう」みたいな、企業留学の話が立ち上がったんです。それで「小国はどうなの?」と言われて、「行きたいです」と言いました。僕はもう番組を作れませんし、手を挙げて企業留学したんです。それが僕の初めての、すごく強烈な「はみだし」体験だと思います。

「NHKの小国にはなりたくない」とずっと思っていた

小林:なるほど。事前にお伺いした話では、小国さんは「NHKの小国」ではなくて「小国がNHKにいる」という考え方を、入局当時から持っていたということなんですけれども、もうすでに発想は入局された時からはみだしていたんじゃないかなと思って(笑)。はみだすきっかけになったアクションとしては、今お話してくださった電通さんへの企業留学なんですかね。

小国:そうですね。もともと「NHKの小国にはなりたくない」とずっと思っていました。それはたぶん自分が起業で失敗して、そこで突っ張っている部分もあったんだと思うんですよ。「誰もが知っている大企業に入って会社に染まる自分なんて、イケてないぜ」とを思いたかったし、それでも生きていけるようになりたいと本当に思っていたんです。

そうは思っていたけど、やっぱりすごい大組織だったし、それはそれですごく良い環境ですばらしい場所だったので。そこからは別に「はみだしてやるぜ」とか「とびだしてやるぜ」みたいなことはまったくなかったです。

小林:そうなんですね。ありがとうございます。続きはまたあとでお聞きします。