“何者か”という誰かを追いかけてしまう

尾原和啓氏(以下、尾原):すごいですね。でもそれってある種、言い訳というものがありながらもそうなりたくはない自分というか、ある種の美学というか。その中でこっちを選べた。それはでも、すごいきっかけでしたよね。今さっき、底をうつという言い方をしていましたが。

小橋賢児氏(以下、小橋):そこで、誕生日まで残り……。自分が「男は30から」と思っていた30歳まで残り数ヶ月と。じゃあその30歳までに、自分を立て直すためにちょっとバカな目標がなきゃだめだなと思って。北島康介みたいにすげーいい体になってやる! みたいな。

尾原:(笑)。

小橋:という目標を立てて、東京から茅ヶ崎に引っ越して毎日トレイルラン、山を走るトレーニングしたりとか、海を泳いだりとか。ライフセービングというトレーニングをしたりとかして、30歳のバースデーを「もてなされるもてなせ」というのでやっていこうと。

30歳のときは、もう一文無しだし。先手からちょっといい部屋を借りて、お金もないけど、本当に目の前にやれることしかなかったんですよ。今から何者かになりたいなって、想像もつかない。

尾原:そんなところにいけないから。

小橋:だからまずは体を治すことと、目の前の人たちを喜ばせることというのをまず目標、モチベーションにするしかなかったんです。

尾原:なるほど。選択がそこしかない、でもそこにフォーカスするんだという。

小橋:そうなんです。この本にも書いてあるんですけど、今っていろいろ、ネットだったりあらゆる情報によって、なりたい指標がいっぱいありすぎちゃって。

尾原:そうなんですよ。

小橋:それで、やっぱりなりたい指標というのは、本当の自分の行く道ではもしかしたらないかもしれないのに、あたかも「その人になろう」として追いかけてしまうと、その人と自分の距離に劣等感を感じて苦しくなっちゃうんだと思うんですよね。

山登りをやったことがある人だとわかると思うんですけれども、ずっと山の頂上を見ながら歩いていたら「まだか、まだか……」といって苦しいんですよね。

でも「この山を登ったら気持ちいいだろうな」って感覚だけ持ちながら、本当に目の前の一歩一歩を……今できることは一歩一歩しかないじゃないですか。やっていくと、あるときに究極の集中状態、いわゆるフロー、ゾーン。

尾原:そうですね。ゾーンに入って。

小橋:ゾーンに入って、気づいたらなんか山・肉体を超越した体験をして。さっきまで怖かった浮き石みたいなものを自分と一体化して、触る前にわかってくる。

尾原:そうですね。わかってくるみたいな。もう世界と自分が一体になる感覚みたいな。

小橋:一体になるみたいな。気づいて、パッと振り返ったら、自分でも想像を超える長距離を登っていて「えっ!?」みたいな。そういう可能性の先みたいなものを見たときに「あっ」てなる瞬間って、あると思うんですけれども。

人生ってきっと、今いろんな目の前で、おっしゃるとおりまさに何者かになろうとすると、結局“何者か”という誰かを追いかけちゃうんですよ。

ネットには「あれになりたい」が多すぎる

尾原:そうなんですよね。だからこの本の中にも、何者かになるというか、今の自分じゃない遠くに行くということが新しい自分になるということだとしたら、遠くに行くためのやり方って2種類あるという書き方をしていて。

1つは「あれになりたい、あそこまで行きたい、あそこのあれを達成したい」といっていくやり方があるんだけれど、おっしゃるとおり、これって、インターネットって「あれになりたい」がたくさんありすぎるし。一方で変化の時代って、あれになりたいって目指していたら、たどり着いた頃にはそれってもう古いものになっている可能性とかがけっこう多くて。

また一方で、もう1個の遠くに行くやり方って、まさに今おっしゃったように、なんか自分の中に沸き起こるものがあって。それを夢中になって追いかけていって後ろを向いたら「あれ、俺こんなところに来てたんだ!」みたいな。

ふだん家から出ないような子どもが蝶を追いかけていったら、気づいたら歩いて公園まで来れていたみたいな。そういう2つの歩き方があって。

インターネットのおかげでどうしても前者が強くなっちゃうんだけれども、やっぱり後者の歩き方にどうやってもう1回戻れるか? という。自分の内側から出てくる「ここに行く」というのを一歩一歩やっていると、遠くに行くというところにどうやってもう一回戻ってこれるかというのをすごく……。

小橋:そうですね。まさに本当にそこが同感で。アナログの時代、それこそ昭和の時代って、子どものときに持った「野球選手になりたい」って夢があるとして。大人になっても、野球選手っていう存在自体は変わらないと思うんです。

でももしかしたら僕らが持った今の夢って、大人になったらその職業がなくなってくるかもしれないし。それこそ途中で、YouTuberみたいな職業って、最近現れてきたじゃないですか。

網の目のように変わっていくこの時代において、もちろん目標を持って歩んでいくというのも大事なんですけれども、目標に縛られるがゆえに、途中で転換できないというのはすごく苦しいんじゃないのかと。

だからこの山登りも「この頂上に登りたい」というのは持ってもいいんだけれども、頂上に登って誰かにひけらかそうとか、逆に天候によって頂上に登れないときもあるじゃないですか。でもそこを受け入れてその流れに沿っていくと、帰りに下山していく途中に見た一輪の華に感動するみたいなこともあるし。

尾原:ああ、そうですね。ありますね。

小橋:他にもそうなんですけど、旅をガチガチにスケジュールを決めて、途中でおもしろい人に出会ってもしかしたら……。

尾原:「次の目的地まで、5分後に行かないといけないんで」みたいな感じで行っちゃったら、もったいないですよね。

小橋:そう。だから人生のセレンディピティを楽しめなくなっちゃうのがすごくもったいないなって。だから目標は持ってもいいんですけれども、目標を持ちながらやっぱり、その瞬間、目の前にあることに変化していくとか。

あとは僕は強制的に、お金がなくなりゼロになったことによって、大きな目標なんて今更立てられなかった。それによって、目の前にできること、僕にできること。

尾原:しかなかったから、だからそこにフォーカスできた。

小橋:体を治すことと、本当に友達を喜ばすこと。そこしかできなかった。でも今思えば、その一歩がなかったら、今の自分がないなって思うので。なんかその一歩一歩を作っていきたいなって、すごく思っている。

もう1つの小さなアイデンティティを持つこと

尾原:だからそういう意味で小橋さんって、結果として「おりる」ということがあったから「次に登る」ということができたけど。これからの人たちというのはどう、あえておりるかという話で。

今の言葉ってすごく大事ですよね。目標って、人にとってエネルギー源になるけど、一方で目標に縛られちゃうとだんだん狭くなってくるし。

もっと言うと、目標に自分が乗っ取られちゃうと自分が苦しくなっちゃうという。まさにwant toではじめたはずがhave toに変わってしまう。

have toに支配されちゃうとwant toがなくなっちゃうという。それをどう解き放つかということが一回おりて目の前にあることを大事にする。今もできることをしっかりやるというそのステップということですよね。

小橋:『セカンドID』という、昨年書かせてもらった本があるんですけれども。

セカンドID―「本当の自分」に出会う、これからの時代の生き方
その中で言っているのは、セカンドIDってアイデンティティという意味なんですけれども。

尾原:そうですよね。

小橋:もう1つのアイデンティティという意味ですね。そもそも日本人って同調圧力の中で育って、ある意味、気を遣うことはできるけど、どこか同調圧力によって「気にする」という。人目を気にしながら生きている中で、本当の自分ってものを見い出せていないのに、そもそも「もう1つのアイデンティティって何よ」っていう感じじゃないですか。

だけど僕は、昔みたいに脱サラしていきなり職業を変えるということではなくて、今ある自分という。今、他者から見られているこれが、仮に偽りの自分、本当の自分じゃなかったとしても、その1つはアイデンティティとして持っていていいよと。

お父さんじゃない自分とか、会社員である自分とか。あと、本当はもっとしゃべりたいんだけどしゃべれない自分とか。周りから見るとそういう自分が仮にあったとしても、それは1つのアイデンティティとしておいておきましょうよと。

それとは違う、もう1つの小さなアイデンティティを持つことによって、そこのきっかけから、気づくともう一つの自分に繋がっていくことがあるんじゃないかっていうのが。それこそコミュニティに入るということもそうですしね。

ふだんは自分の周りに行くとこういうキャラクターだけど、コミュニティにいると、ちょっと違う自分を出せるとか。そこで出会った一言によって、なんか自分が導かれていくみたいなことがあるじゃないですか。

そうやって、少しずつもう1つの自分を持つことによって変わっていく、なんか本当の自分につながっていく道みたいなものが、僕はセカンドIDというか、もう1つのIDを持とうみたいな。

それで言うと、僕はもともと俳優だったんですけれども、俳優がイベントのプロデューサーをやったりとか、お父さんになったことによってキッズパーク(PuChu!)を作ってみたりとか。

その1つ1つ、職業になっていくと大きく見えるんですけれども。でも実際、僕は今のイベントのプロデューサーになったのって、振り返るとあのときに自分の誕生日をやった……。友達とか先輩を楽しませるために、誕生日をやったことだったよなとか。

尾原:そこに新しい自分の中のアイデンティティがあって、そこを貫いたらULTRAまでいっちゃったし。お父さんという中で、子どもとの関係性の中にまた別のアイデンティティが生まれたら、それがキッズパークまでいっちゃったし。

小橋氏が考える「一日一想定外」

小橋:なので僕はよくトークイベントで言うんですけど、なりたいものを探すより、自分の枠から外れることによってなにか新しい本当の自分につながるきっかけがあるんじゃないか、っていう……。

尾原:そうですよね。

小橋:もちろんいきなりバーニングマンとかインドに行けたらすごいんですけど、誰もが行けるわけじゃないじゃないですか。

尾原:(笑)。僕らみたいな頭のおかしい人じゃないと、突然行かないですからね(笑)。

小橋:まあ「一日一想定外」みたいなことを言っていて。

尾原:おもしろいですね。はい。なるほど。

小橋:例えば、ふだん会社の帰り道に、いつも見ているけど行ったことがないスナックに突然入ってみるわけですね。

尾原:ちょっと小さい想定外を作るわけですね。

小橋:なので、ちっちゃくていいんですよね。それはめちゃくちゃアウェーじゃないですか。けど、そこに意味を持たせなくてもいいんですけど、たまたま隣に座ったおじさんが話していてた話がちょっと耳に入って。なんか自分では聞き慣れないスポーツの話をしていて。

それを、なんかちょっとおもしろそうだなって家に帰ってから調べてみて。そこになんかサークルがあるからちょっと入ってみようかなみたいな、小さなきっかけから入ってみて。

尾原:新しい。

小橋:でも、そのスポーツをやってみたけど別にそれに意味を見い出さなくてもよくて。そのスポーツ自体が、なんら自分には大して影響がなかったと。だけれどもそのスポーツクラブであった人から聞いた、またなにかみたいな。

尾原:小さい想定外が小さい想定外につながっていく、みたいな。

小橋:でも、そうやっていくうちにだんだんその人のつながりでの出会いとかによって、人って変わっていっているときがあると思うんですよ。

尾原:そうですよね。

小橋:振り返ったら「あのとき、一日一想定外で行ったスナックだったわ」みたいな。

尾原:すごくおもしろい。

小橋:ことってあるんですけど、人ってそこに気づかないじゃないですか。

尾原:そうですね。最初は気づかないですからね。そこのスナックが、目の前を毎日通っているにもかかわらず、開けてみようと思わないですもんね。

小橋:僕、人が変わるときって、なにか自分で小さな行動でもいいんで、いつもとは違う行動、または捉え方をしたときと。もう1つは物理的に予期せぬ出来事というか、自分にとって不条理な出来事に遭遇した時。

それこそ病気とかリストラに遭ったとか。僕で言うと、さっき言った病気とお金がなくなったことなんですね。でもその自分の予定外・想定外のことによって外されることによっておきる。でもこの両方とも、それをどう捉えるかでその人の未来って実は導かれていくわけじゃないですか。

尾原:そうですね。おもしろい。今の話を聞いておもしろいなと思ったのが、小さな想定外を入れていくというのもおもしろいんだけれども、途中で言われた「アウェー」って大事な言葉だなと思って。要は小さな想定外があると、小さなアウェーになるわけですよね。

小橋:ああ、そうそう。

尾原:アウェーになると人間って居心地が悪くなる、居心地を探したくなるから。そうすると無理やり共通点を探していく中で、自分の別の内側にあるものの中での共通点を探して、新しいIDが生まれてくるかもしれないし。

一方で、今言われたように小さなアウェーの中で自分に好きなこととか自分が関心を持てることを探そうとすると、外側の中に新しい自分の可能性見つかるかもしれないし。

なんか小さいアウェーを作っていくことを習慣的にやっていると、結果的にいろんなセカンドIDの種みたいなものにつながっていくみたいなのかな? と思ったのと。

やってみることによって、変わっていく感覚

尾原:あともう1つ。小さな想定外と言われたときに思い出したのが、石川善樹さんという、ちょっと、これまた頭のおかしな人がいて。その人は「Well-being」っていう全員がずっと幸せであり続ける状態ですね。「Well-doing」じゃなくて「Well-being」だから。

(Well-being)を探究している人なんですけれども、この人が「Well-being」になっていくために、大事な習慣として「ToDoリストじゃなくてToFeelリストを作れ」と言っていて。

それはいったい何かというと「最近泣いていないから、号泣するぐらい泣くというのを今日はやってみよう」とか「腰が抜けるぐらい驚くということをやってみたい」とか「なんか疲れたという感情を最近は感じてないから、疲れたって言ってみたい」とか、ToFeelを書くんですね。

これって何かというと、やっぱり感情って人間の脳みそって慣れるための生き物だから、感情を起こすためには、ふだん慣れていないことをしないと感情って動かないんですよね。

小橋:そうですよね。

尾原:これってまさに、小さな想定外をどう作るかという話で。このToFeelリストを作るという話と、小さな想定外ってすごい掛け算になるなと思って聞いていましたね。

小橋:まさに、僕もけっこう好きな言葉で“中道”という言葉があるんですけれども。これは仏教からきている言葉なんですけど、両極を知るから本当に真ん中の道がわかるみたいな言葉で。

自分にとっての世界って、いわゆるこれが世界だと思っている、例えば友達とか周りとか。もちろん今、自分が見ているインターネットとかつながっているところも。

でもこれって、どこかの片側から見たらただの極でしかない。反対側の極でしかない。

尾原:そうですね。別で見ると。

小橋:それこそインドとかに行ったらぜんぜん違う話、違うコミュニティ。

尾原:そうですね。また、あって。

小橋:でもその今の自分が一番いる極の中で、自分の考え方とか確固たるものを持ってしまっていると、ぜんぜん違うところに身を置くと、その自分が持っていた中心みたいなものがだんだんズレていって。その極と極の間になっていく、みたいなのがあるじゃないですか。

でもなんかそれって、もちろんインドとかそういうところに行ければ「物理的に行ける人だけのものでしょ」って思いがちなんですけれども、実はもっと身近にあって。

例えば苦手だと思っている人と、さっきいったまさにアウェーですよね。しゃべって対話してみるとか。あと最近、ぜんぜん杯を交わしていなかった父親と杯を交わしてみるとか。

尾原:うん、うん。

小橋:恥ずかしいし、ちょっと怖いんだけど、やってみることによって自分の感覚が変わっていくみたいなことってあるじゃないですか。

尾原:そうですよね。

小橋:けっこうそういうところを、まさにたぶん石川善樹さんが言ってるような(ことに)、僕も近いんですけれど。そういうのはけっこう意図的に自分でやっていますね。