肝心なのは、リアルかバーチャルかよりも「学ぶ場所」

小宮山利恵子氏(以下、小宮山):では出口先生からも、ニューノーマル時代のオンラインとリアルの学び、その違いについて、少しお話をいただけますでしょうか?

出口治明氏(以下、出口):最初に1つ述べたいのですが、「ニューノーマル」という言葉がすごく人口に膾炙していますが、ワクチンができれば、マスクも手洗いもソーシャルディスタンシングもいらなくなるんですよね。ワクチンができれば、コロナはインフルエンザと同じになる。

だから、ニューノーマルの定義は時間軸で考えなければ意味がないんです。簡単にいえば、「ワクチン前とワクチン後では、まったく違う」ということを述べておきたいのです。

「オンラインとリアル」とか、「バーチャルとリアル」という対立軸がよく指摘されるのですが、僕は「そんなん、たいしたことあらへんで」と思っている。なんでかというと……オンラインって、そんなにすごいもんですか? たしかにZoomはすごいですよ? でも、この原理は電話が発明されたときに、もうできていたわけですよ。遠くの人と話をする。それが進化しただけのことです。

オンラインであれリアルであれ、人間は安全な場所にいていろいろなことを学んでいる。そういう意味では、オンラインの学びは「今まで読んでいた本が、ちょっと精度が高くなったで」くらいの話ですよ。あるいは「画像がきれいになったで」くらいの話。

でも、自らが移動することは、いろいろな偶然が起きる世界に行くわけです。人間は動かない限り、自分の居所にいる限り、例えば職場に行って同じような日常を繰り返しているわけです。でも、そこを離れて未知のところに行くことは、何が起こるかわからないわけです。そこには、本質的な違いがある。

だから僕は学ぶ場所、居所の問題のほうが、オンラインかリアルかという話よりはるかに大きいと考えています。オンラインは単に「本が精巧になったで」「動くで」というくらいの意味しかないんじゃないかと思うんです。あえていえば、そのぐらに考えておいたらいい。

移動することは、人間の自由の根本

出口:人はなんで旅に出るのかといえば、そんなのは考えるだけ無駄だと思います。もともとホモサピエンスはホモモビリタスと言われているように、「動き」の好きな動物なので、「1ヶ所にいろ」といわれたら、みんなが嫌がるという話です。

僕は歴史オタクなんですが、人間が一番嫌なのは土地に縛りつけられることで、主に「動いたらあかん」ということなんです。東アジアでいえば、人間を土地に縛りつけた政権は2つですよね。1つは中国の明です。もう1つは実は江戸時代(江戸幕府)です。

江戸時代に宗門改(注:江戸幕府の行なった、宗教政策および民衆統制政策。民衆の信仰する宗教を調査する制度)がありました。ガス抜きのためにお伊勢参りなどは一部例外的に認められていましたが、移動が禁じられた江戸時代は、たぶん日本の歴史の中では最低の時代だったと思います。

生物学的にいえば、土地に縛りつけられることは、結婚相手が近隣に限られるので、江戸時代の末期は、身長体重が日本の歴史上一番小さくなっているんです。男で155センチメートル、50キロくらいです。それでも江戸時代に生まれ変わりたいですか?

だから「人はなぜ旅をするのだろうか」といえば、それはホモサピエンスの本能ですよね。旅をすることが当たり前で、人間が一番嫌なのは「ここから動いたらあかんで」と、土地に縛りつけられること。

これはちょっと違う話なんですが、子どものころは、カントが書いたように世界連邦ができ、平和な世界ができたらすばらしいと思っていたんですよ。でも今は、世界連邦ができたら地獄だと思います。なぜならどんなにすばらしい政治をやっても、それが嫌な人は逃げ場がなくなるでしょう? 移動することが人間の自由の根本だと思います。

小宮山:出口先生ありがとうございました。オンラインとオフラインというのはそれほど大きな問題ではないということですね(笑)。ありがとうございます。

出口:大きい問題ですよ? 大きい問題ですけれども、見方を変えればそうでもない。そういう見方もあるということです。すべてを「リアルとバーチャル」の対立軸だけで見るというのは、発想を小さくするということがいいたかったのです。

小宮山:そうですね。「二項対立になってしまうと、違う観点が見えなくなってしまう」という話ですね。ありがとうございます。

出口:3次元、4次元、5次元で考えていきましょう。

旅と学びと幸せの関係性

小宮山:ありがとうございます。それでは、最後にみなさまから一言ずついただいて、こちらのパネルは終わりにしようかと思います。

3つ目ですね。みなさまにうかがいたいのは、「旅と学びと幸せをどうやって科学的に検証していきますか? また、どのように関わっていきますか?」ということです。一人ひとりご専門が違いますので、一言ずつお話をいただけたらと思います。

では、まずは前野先生から。「旅と学び」はほかでも聞いたことあるかもしれませんけれども、それに幸福学、「幸せ」が入ってくるということですね。「ビジネスも学問も、『心』をテーマにし始めている」とこの本では書かれています。「心」にすごく注目が集まっていると思うんですが、いかがでしょうか?

無意識がわかれば人生が変わる - 「現実」は4つのメンタルモデルからつくり出される - (ワニプラス)

旅を通じて成長し、よりよい幸せな地球を作っていく

前野隆司氏(以下、前野):最近、一番力を入れているのが「幸せ」の研究です。詳しくは、本やブログを読んでください。

最初の大下さんの話にありました。旅で大切なものは、創造性を高めるイノベーション、レジリエンス、主体性、受容、チャレンジ。いろいろありました。これらが幸せと関係しているんです。すなわち、幸せについては、「創造性が高い人は幸せ」「レジリエンスの高い人は幸せ」「主体性を持って何かをする人は幸せ」。そして「いろんなことを受容する人は幸せ」、「いろんなことにチャレンジする人は幸せ」など、さまざまな研究が世界中で行われているんですよ。

ということは、「旅」と今述べたいろいろな要素と「幸せ」は、相関するに違いないと思うんですね。そもそも「学び」と「幸せ」も相関があるんですよ。結局、いろんなことを学んで成長することを目指すGlowth Mindsetの人は幸せで、Fixed Mindsetといって「もう自分なんか、これでいいんだよ。どうせ自分なんて、こんなもんだから」と学ばない人は、幸福度が低いんです。

というわけで、要するに「幸せ」と「旅」といろんなものの関係は、まだまだ研究する余地があって、それを具体的に研究していきたいと思います。旅は何かを観に行って終わりじゃなくて、やっぱり人と接することです。そうすると、旅に行った人も、そこにいた人も、情報交換の中から何かを学ぶ。そして、何かやりがいを持って新しい世界を作っていく。

今日の基調講演からの流れでもあるように、「人は旅をする生物である」ということは、もっと旅をすることで人類自体が成長して、よりよい幸せな地球を作っていくことです。何の研究をするかはこれからですが、本当にやるべきことだらけのすごく大きなフィールドだと思っています。

小宮山:ありがとうございます。私自身もとっても楽しみです。心理学や心の研究はこれからますます重要になってくるので、そことどうタッグを組めるかということで、本当にワクワクしています。では次に、鮫島先生、お願いいたします。

旅の目的ばかりではなく、プロセスにも着目

鮫島卓氏(以下、鮫島):「旅」と「学び」があって、そこに「幸福」という前野先生の領域が加わるこの協議会の意義とは、「幸せな旅って何だろう?」「感動を生む旅って何だろう?」ということに僕自身はすごく興味を持って、関わっていきたいと思っています。前野先生の本も、この場に立ち会うために何冊か読ませていただいたんです。

前野:ありがとうございます。

鮫島:STAR分析(注:感動経験を、Sense「五感で感じて感動」、Think「頭で考えて〈知見の拡大〉に感動」、Act「動きや変化による〈体験の拡大〉への感動」、Relate「人や物へのつながりに基づく〈関係性の拡大〉への感動」という4つのモジュールから分析する、前野氏独自の手法)などが、旅行の中でどう適用されるのか検証してみたいと考えています。

また、僕自身が関心を持っているのは、旅のプロセスですね。現代の私たちの旅はどうしても「目的」を重視しすぎているのではないか、本来はそこに至るまでの「プロセス」も、すごく大事なんじゃないかと思のです。

例えば、「実は旅行する前から旅行が始まっている」と考えると、感情の振れや心理も、実は旅行している最中だけじゃなくて、旅行の前から幸せに感じていたり、感情の昂りがあるんじゃないかと思います。そう考えると、旅前、旅行中、そして旅行が終わったあとも、人びとの感動にもいろんな効果をもたらしているのではないかと考えています。

旅の中で、いかに偶発性や想定外を起こすか

鮫島:あとは、移動の仕方そのものにも関心があります。例えば先ほど、「信仰の旅から定住社会以降の旅が始まった」という話をしましたが、プロセス自体をもう少し大切にしたほうがいいなと思っています。

人類の文明社会はどうしても「より遠くに速く行く」方向に向かっています。だけれども、例えば新幹線じゃなくて鈍行で行くとか、車で行くところをあえて歩いていくことでもどんな変化が見えるかを考えています。

なぜそういう話をするかと言うと、起業家が海外の旅行先で「ビジネスの種」を見つけて新しい新規事業を起こすケースは非常に多いんですけれども、僕がやった調査で「ビジネスの種」は旅行の目的地にあるわけじゃなくて、実はついでに立ち寄った場所や関心の外にあった偶発的な出来事から事業化したケースが非常に多いことに気づきました。

その意味で言うと、「意図された偶発性」や「意図された想定外」をどうやって旅の中に無理なく内包していくかという、非常に難しい課題に挑戦するのが、実は今回の取り組みなのかなと思っています。

あとは、今回たくさんの視聴者の方がいらっしゃると思うんですけれども、一緒になってやっていただける方も、ぜひ参加してほしいと思っています。

小宮山:鮫島先生、ありがとうございます。最後に、出口先生から一言、お話をいただければと思います。

旅は「社会常識」という制約から、人間を自由にするもの

出口:僕はもう、言いたいことはほとんど言ってしまった感があるんですが、旅についても、例えばグレタ・トゥーンベリさんは飛行機を使いませんよね? 実は自分のいろんな主義主張や考え方、生き方によって、旅も変わってきます。ですから、本当にいろんな選択肢があって「人間は何を目指して生きているのか」ということを考えれば、いろんな制約から解放されます。そのことが、たぶん人間の幸せになるんだと。

みなさんは何十キロもある社会常識の鎧兜を被っているわけですよ。重いし、暑いし、面倒くさいじゃないですか。僕は断捨離といっているんですが、そのいろんな制約をどんどん捨てて解放され、いろんな制約から自由になることが、たぶん人間の幸せなんだと思っているのです。

人間をがんじがらめにしているいろいろな制約の中で、一番しんどいのはやっぱり社会常識なんですよね。社会常識にとらわれていると、人間というのは、なかなか気づきを得ることができない。そういう意味で、一番気づきが得られるのは、自らが慣れ親しんだ居所から移動することですよ。

それがおそらく根源的な話だと思います。もっといえば、僕は「宇宙を説明する一番わかりやすい理論」はアインシュタインの相対性理論だと思いますが、同じように「人間社会を一番説明する理論」はダーウィンの自然淘汰、進化論だと思いますね。

ダーウィンのエッセンスは「運」もしくは「偶然」と、「適応」です。定住していたら、たぶん「運」や「偶然」に出会う確率が低くなる。でも、移動していれば「運」や「偶然」に出会う確率がおそらく高まるので、そのたびごとに、人間は「適応」しなきゃいけない。

しんどいけれど、それは結局、楽しいんですよ。前野先生がいわれた「旅をする人は幸せだ」「学ぶことは幸せだ」というのはたぶん、いろんな偶然に出会って適応することがやっぱり楽しいということじゃないですかね。そう考えています。

あとは、そういう仮説のエビデンスを見つける場ということで、この協議会で、我々のメンバーだけではなくみなさんにも入っていただいて、オープンな勉強会にしてみんなで高めあっていければ、すごく楽しいと思います。ワクワク、ドキドキする会にしましょう。楽しくなければ勉強する意味がないし、楽しくなければ人生ではない。僕はそう思っています。

小宮山:出口先生、ありがとうございました。まだまだみなさんのお話をうかがいたいんですけれど、時間が来てしまいました。これでパネルは終わりにしたいと思います。ご登壇いただいたみなさま、そしてご視聴いただいたみなさまありがとうございました。