ウィズコロナ時代の社会とテクノロジー

森口明子氏(以下、森口):こんばんは。ヒューマンポテンシャルラボがお贈りするウェビナーシリーズ、「オープンウィズダム」の第5回目のお時間がやってまいりました。私はナビゲーターを務める森口明子と申します。よろしくお願いいたします。

このウェビナーは、「ウィズコロナ」という未曾有のピンチを、個人、そして世界の平和へのチャンスへ変えるべく、人生において大きな変容を果たし、未知なる可能性を追求してきた探求者たちの真意に迫るシリーズです。今、この時を本質的に生きるための洞察を見出していただければと思います。

このプログラムは、あなたがまだ気づいていない未知なる可能性に気づく体験を提供するヒューマンポテンシャルラボが鎌倉山から配信しています。

さっそく、本日のゲストは作家・ジャーナリストの佐々木俊尚さんです。「ウィズコロナ時代の社会とテクノロジー」と題して、テクノロジーが私たちの社会や精神をどう移行させ、さらにコロナ時代の変化によって、どのように加速、あるいは減速するのかについてお話をお聞きします。

お話は、ヒューマンポテンシャルラボ代表の山下悠一を相手役として、対談形式で進めてまいります。代表、山下のプロフィールをサッとご紹介します。外資系コンサルティングファームに十数年勤めたのち、西洋型経営手法に限界を感じドロップアウト。当時書いたブログ記事『僕がアクセンチュアを辞めた理由』が大変話題になりました。

その後、農業、古代叡智、カウンターカルチャーなどの体験を経て、最先端のトランステックを融合するヒューマンポテンシャルラボの創業に至ります。

では次に、ゲストの佐々木俊尚さんのプロフィールです。毎日新聞社などを経て2003年に独立し、テクノロジーから政治、経済、社会、ライフスタイルに至るまで、幅広く取材・執筆・発信。総務省情報通信白書編集委員。著書に『時間とテクノロジー』『そして、暮らしは共同体になる。』『キュレーションの時代』など多数。Twitterのフォロワーは約77万人です。

それでは、対談をスタートしてまいります。悠一さん、佐々木さん、どうぞよろしくお願いいたします。

多拠点生活者の自粛期間の過ごし方

佐々木俊尚氏(以下、佐々木):よろしくお願いします。

山下悠一氏(以下、山下):お願いします。俊尚さん、お久しぶりでございます。

佐々木:こちらこそ、ご無沙汰しています。

山下:今はどちらにいらっしゃるんですか?

佐々木:今は東京ですね。3拠点生活者なんだけど、さすがに緊急事態宣言中は移動するのは良くないかなというので、3月、4月はずっと東京にいます。

山下:最近はけっこう渋谷の方にいらっしゃるんですね。

佐々木:そうですね。

山下:ああ、なるほど。じゃあ、自粛期間は都会にいらっしゃるということですね。

佐々木:緊急事態宣言が明けて一旦解除されたら、そこでもう1回どういうかたちで多拠点生活を展開していくのかというのは、組み立て直そうかなと思っているところです。

山下:3拠点生活がこれからどう変わっていくのかというところも、興味深いです。

みなさん、せっかくなのでZoomの方で、今日、佐々木さんに「こんなこと聞いてみたいな」とか、「どういう関心があってこちらに来たのか」というのがあれば、画面下の「チャット」というところに気軽に書いてください。僕もそこを見ながら俊尚さんにインタビューさせていただこうと思います。

まず、やはりコロナというのが避けて通れない毎日の話題です。いろいろなテクノロジーから暮らしの方まで幅広く見てらっしゃる佐々木さんが、今まであった変化とこれからの変化がどう変わっていくのか、その辺のお考えとか基本的な考え方をまずうかがいたいなと思っています。

一過性の変化とそうでないものを区別する必要性

佐々木:そうですね。コロナの問題って、誰も先行きを見通せなくて難しい問題ではあるんだけど、いずれは終わるわけですよ。別に未来永劫コロナに襲われ続けるということは、過去の感染症を見てもありえないわけです。スペイン風邪にしろ、ペストにしろ、コレラにしろ、いずれも終わったわけなんですね。

でも、終わることによってなんらかの変化が起きる可能性はある。起きる変化、起きうる変化と、でも一過性で終わっていくものを、ちゃんと峻別、区別していくことが大事かなというのは思っているんです。

例えば、今、みんなものすごく不安を感じていたりとか、恐れを抱いていたりとか、中にはパニックになったりとか、「自粛警察」なんていって営業している店を怒って回っている人がいますけど、そういう不安や恐怖はだぶん一過性なんですよね。

その先どうなるのか。例えば、移動自粛。さっき3拠点生活ができないという話をしました。でも、移動ができないというのはいつまでも続くわけではなくて、日本だと下手すると来月から、もしくはひょっとしたら1年か2年くらい移動ができたりできなかったりというのが繰り返されるかもしれないけれども、いずれは移動が自由になるのは間違いないでしょう。

心理的な距離は近いまま、物理的な距離は広がっていく

佐々木:一方で何が変わるものなのかということを、僕はここで考えたいなと思っています。おそらく今、個人的にここじゃないかなと思っているのは2つあるんです。1つは、社会的な距離の問題。

山下:「ソーシャルディスタンス」というやつですね。

佐々木:「ソーシャルディスタンス」という言い方をしていますよね。あれ、社会的距離というと、まるで人間関係が途切れるみたいに思われるから良くないので、WHOなんかは「ソーシャルディスタンス」じゃなくて「フィジカルディスタンス」。

山下:ああ、なるほど。

佐々木:「物理的距離と言い換えましょう」と言っているんですね。2009年、今から11年前に『仕事するのにオフィスはいらない』という本を出したことがあるんですね。「ノマドワーキングのすすめ」というサブタイトルが付いていて、おそらく日本で最初にノマド的なワークスタイルについて書いた本じゃないかなと思うんですね。

仕事するのにオフィスはいらない (光文社新書)

この本の中で書いたのは、「ノマド」って、今の言葉で言うとリモートワークなわけです。オフィスを持たずに、例えば自宅や近所の公園、あるいはどこかの田舎のリゾート地とか、近所の喫茶店などで仕事をしていく。

そうなると、自分1人しかいないんだけれど、そこで会社の同僚などと距離が遠くなるのかというと、そんなことはない。これからどんどん進化していく情報通信のテクノロジーによって、心理的な距離は近いまま、物理的な距離だけをどんどん遠くできるようになってくるんじゃないかなということを当時書いたんですよ。

山下:うん。

佐々木:思い出すと、あれから10年以上経って、クラウドのサービス、Webのサービスがどんどん進化し、インターネットの回線もモバイルの回線もどんどん普及して、ついに今年から5Gなんかも始まる。ますます距離を近づけるためのテクノロジーが進化してきているよねと。

ということを考えれば、今回の社会距離戦略は「道を歩くときはなるべく2メートルの距離を取りましょう」とか、「密接・密集・密閉のところに行かないようにしましょう」みたいに、「物理的な距離はなるべく取りましょう」ということを言われている。

テクノロジーの進化が物理的な距離感をなくしていく

佐々木:一方で心の距離や絆というものは、逆説的に、以前よりもますます人と人の間が近くなる可能性があるんじゃないかなと思うんですね。

さらに、テクノロジーの話を加えてくると、同時に今、コロナとは関係なしに、例えば自動運転のテクノロジーだったりとか、あるいはARとかVRみたいな空間を操るテクノロジーだったりとかがどんどん進化してきています。そうなると、田舎にいることのデメリットって前よりもどんどん小さくなってきているわけですよね。

例えば、ミーティングをやるときも、今だったらZoomは微妙に遅延があって、お互い空気感がわかりにくくて、相槌も打ちにくいからちょっとやりにくいなと思うんだけど、これがもう少し進化して5Gとかで通信できるようになると、5Gは今の4Gと比べて遅延がほとんどないわけです。そうすると、普通にネット経由で、今こうやってやり取りしていても相槌打ったり、「うんうん」と頷いてもそんなに違和感がなくなるはず。

さらに、ARとかVRのテクノロジーが進化してきて、お互いの体が単なるPCとかスマホの画面上の自画像だけではなくて、例えば目の前で立体で表示されるアバターになったり。

さらにそれがアバターだけじゃなくて、リアルの人物の状況そのままインターネットのバーチャルな空間の中に表示できる、再現できるかたちになってくると、ますます会っている状態が物理的な距離が遠いかどうかというのは、もやはどうでも良くなっていくかなと。

移動するのも、自動運転とかが普及して、今のように電車を乗り継いだり、行った先で「車はどうするんだ。レンタカーを借りるか」ということを考えなくてもよくなってくると、移動や距離がある問題は、今後どんどんテクノロジーによって解決していくかなと。

多くの日本人が「通勤しなくてもいいんだ」と気づいた

佐々木:今回のコロナによって、我々はもはや「距離なんて遠くても仕事はできるじゃん」ということを、日本では「通勤しなくてもいいんだ」と最後に気付いたわけですよね。

もちろんすべての人が通勤しなくてよくなるわけではない。大事なインフラ産業に携わっている人たちは、今でも通勤しなくちゃいけないんですけど、一方で、「リモートワークでできる仕事はたくさんあるし、会議もときどきできちゃうよね」と。数日前にTwitterをやっていたら、誰かのリプライで「私はこの緊急事態宣言がずっと続いてほしい」と言っている人がいた。

山下:(笑)。

佐々木:なぜかと言うと、「家でリモートワークして通勤しなくて済むのがこんなに楽だと思わなかったから、もう通勤したくない。満員電車に乗りたくない」という人がいらっしゃるんですよ。その気持ちはちょっとわかる気がする。

そこの心理的なハードルを乗り越えた先に、物理的距離を取りつつ、社会的距離はもっと近づけるという時代が本格的にやってくるのかなという感じがしますね。

人々は昔から一極集中と分散を繰り返していた

山下:デジタルトランスフォーメーションと言われていますけど、そういった新しいテクノロジーが東京に一極集中するのではなく、もっと田舎の方に人が住んで分散型になっていったほうがいいんじゃないかというのは、この10年くらいずっと言っていたと思います。そういったものも、これによって加速するんじゃないかと考えていらっしゃる。

佐々木:そうですね。歴史的に見ると、都市に住むのか、田園地帯や郊外に住むのかというのは、実は何度も何度も揺れ動いているんですよ。例えば、中世の世界は日本だろうがヨーロッパだろうが、みんな田舎に住んでいた。大半は農村に住んでいたわけですよ。都市住民なんてごく一部にしかいなかった。

でも、産業革命が起きて工場ができるようになった。工場が作られて、そこに労働者をたくさん集めなくちゃいけなくなってくると、都市にどんどんどんどん人が集められるわけですね。

日本でも例えば、太平洋戦争の以前はみんな農村に住んでいて、当時農業人口は3,000万人くらいいたわけなんです。これが、戦争が終わった時に高度成長が始まって、どんどん都市に工場が作られる。そうすると、みんな集団就職とかあるいは大学進学などで、すごい勢いで民族大移動が起きて、都市に住むようになったわけです。

イギリスなどでもそうだったわけですよね。産業革命が起きたイギリスでは、農村から都市に人口が移動し、それが逆に都市を過密にし、すごく劣悪な住環境が生まれてしまった。ちなみに、今、我々マンションとか集合住宅に住んでいますけれど、中世に集合住宅なんてなかったんですよね。みんな一戸建てに住んでいた。

集合住宅ができたのは、実は産業革命の後だと言われています。要するに都市でたくさん出てきた工場労働者たちを、いかに快適に住まわせるかというので、雑魚寝じゃなくてちゃんとした一人ひとりに1戸ずつ部屋を与えて、「そこに専業主婦の奥さんも一緒に住めるといいよね」というかたちで、今のようなかたちのマンションや団地が生まれてきたんですね。

都会は住む場所か、仕事や遊びに行く場所か

佐々木:ところが、都市があまりにも過密になってしまったおかげで、みんな都会が住みにくくなって、20世紀に入ると車が普及してきたんです。

山下:うん。

佐々木:自動車が発明されたのが19世紀のまったく終わりくらいです。20世紀、とくに戦争が終わるくらいの頃から、すごい勢いでモータリゼーションが起きて、みんなすぐ車を使うようになった。そうすると郊外に住んで、都市に通う。買い物や通勤は車で行なうようなライフスタイルが起きてくるんですね。これが「郊外化」と言われる。

20世紀の後半はずっと、都市から郊外へ人が逃げ出す時代だったんですね。じゃあそれは日本でずっと続いたのかというとそんなことはなくて、例えばバブルの頃。1990年代くらいに都心の東京の家賃がものすごく高くなったので、みんな東京に住めなくなって、家を買ってすごく遠くに引っ越したわけですよ。

例えば、それが東京でいうと八王子だったり、あるいは埼玉の所沢や大宮などに家を買った。すごい勢いで「スプロール現象(都市が無秩序に拡大してゆく現象)」、あるいはドーナツ化(中心市街地の人口が減少し、郊外の人口が増加する人口移動現象)で、どんどん街が広がってくるということが起きた。

これが21世紀に入ってどうなっているかというと、みなさんご存知のように東京では都心回帰が起きているんです。もう「八王子からバスで15分、さらにそこから歩いて5分の新興住宅街から都心に通うのはけっこう大変なので、だったら親の家を出て、都心のタワーマンションとか買いましょう」という動きが起きて、どんどん都心回帰が起きている。

それと同時に、「都市」というものの意味が変わってきているみたいなんですね。20世紀の半ばから後半ぐらいは、例えば東京の街は、一方で「住みにくいコンクリートジャングル」みたいな殺伐としたところであると。もしくは、それこそ新宿とか六本木とかああいう花の都みたいなイメージで、あまり人の住む場所というイメージじゃなかったわけですよ。

どっちかというと、憧れて遊びに行く場所だった。でも、住まなきゃいけないと「けっこう人間もみんな冷たくてつらいよね」という感じだったんだけど、21世紀の東京の街ってそんなイメージはもはやないですよね。

山下:うん。

ウィズコロナ時代には、ミニマルな生活は難しくなる

佐々木:例えば、東京で最近人気のある街というと、それこそ代々木上原だったりとか、西荻窪だったりとか、どちらかというと「居心地が良くて住みよい街というのが楽しい都会の生活だよね」と言われてきている。

だから、「ちょっと感じのいいカフェやビストロがあって、個人商店がたくさんあって、緑も多い、気持ちよい街に住みましょう」というのが21世紀のトレンドになっているわけです。

こういう中で、ミニマリストみたいなのが出てきたわけですよね。家がすごく狭くてワンルームで、家具もなにもないんだけど、でも家の中は寝るだけだと。「私たちが住む場所、生活する場所は家の中じゃなくて街そのものである」という考え方なわけですね。

「近所の気持ちいいカフェがうちのダイニングです」とか、あるいは「私のキッチンは近所のコンビニやスーパーです」みたいな、「街で暮らす」というのが21世紀のトレンドだったんですよ。僕はこれが今回のコロナで、もう1回転換する可能性があるかなと思っているんですね。

山下:うん。

佐々木:だって、ミニマリストの友だちが多いので批判したくないんだけど、あれって、すごく高度な物流があるからこそ成立する生活なわけですよね。

山下:アウトソースしてるわけですもんね。

佐々木:そうなんですよね。結局、コンビニに商品がなければコンビニをキッチンにはできないし、カフェが閉まっちゃったらダイニングはなくなっちゃうわけだから。

アフターコロナは、プレッパーや郊外回帰が加速する可能性

佐々木:そうすると、今やミニマリストよりも最近は話題になっている「プレッパー」という。

山下:「プレッパー」。

佐々木:準備する人、備蓄する人、というイメージです。ある程度なにが起きても即応可能な体制を整えて、自給自足じゃないんだけど自分の中で全部充足するような生き方のほうが、実はコロナ時代だと安心なんじゃないかという動きが出てきているわけですよね。

そういう逆転があったり、さっき言ったように、自動運転やクラウドサービスの普及だったり、あるいはAR、VRなどがどんどん出てくると、もはやその都市に必ずしも固執しなくても、どこか郊外とか、あるいは田園地帯とかを転々としながらでも、21世紀初頭にあったような気持ちいいコージーな都市生活みたいなものが維持できる。

実はそちらの方が、コロナのような緊急事態が起きて、フィジカルディスタンスを取らなきゃいけない時代においては、けっこう生きやすいんじゃないか。

だって、田舎だったらフィジカルディスタンスなんて別に考えなくても、もともとそんなに近くに人がいないですから。移動も車だし満員電車も乗らないし、と考えると、この一定期間の不安とか恐怖が終わったあとには、もう1回、僕は郊外とか田園への回帰が始まるんじゃないかと思っています。