社会的投資研究所による、コロナ問題のカンファレンス

堀内勉氏:多摩大学の社会的投資研究所の副所長をしております、堀内と申します。遅い時間にみなさん、1,000人近い方にお申込みいただきまして、本当にありがとうございます。

私は、2年前に小林さんたちと社会的投資研究所というものを立ち上げました。去年から本格的に活動開始して、1年ちょっと経ちます。ソーシャルファイナンスの中でも、とくに社会的投資という分野に絞ってカンファレンスをしたり、社会的インパクト評価の外部受託をしたりと、いろいろ活動してきました。

その中で今回のコロナウイルスがあり、社会的投資研究所も最初の1ヶ月ぐらいは活動を停止していました。けれども、やっぱり社会的投資研究所と銘打っている以上、なにかこのコロナの問題に、積極的に情報発信なり関与をしていきたいということで、いろいろ検討しました。

今回、冨山さんが1ヶ月あまりでコロナ問題について、ビジネスの観点から本を書かれたということで、それだったらちょうどいいタイミングなので、冨山さんに講演してもらいながら、安田さん・本田さんにも参加していただいて、少しグローバルなかたちでのコロナのカンファレンスをやろうということで、今日に至ったということでございます。

コロナショック・サバイバル 日本経済復興計画

さっき小林さんからお話いただいたように、最初はこのインパクトサロンは、だいたい50人から、多くても100人ぐらいでやっていました。「今回は冨山さんだから、さすがに200人ぐらい集まるかな」とか言ってたんですけど。

こういうウェビナーのような形式でやると、みなさん物理的な制約がなくなることと、タイムリーだということと、冨山さんの名前だということと……いろんなことが相まって、1,000人近い方にお申し込みいただいて。本当にその反響の大きさに驚いております。本当にみなさん、ありがとうございます。

新型コロナウイルスがもたらすものを3段階で考える

そういうことで、今日はパネルをやらせていただきます。私が導入部分をちょっとお話しさせていただいて、それから冨山さんのプレゼン、本田さんのプレゼン、安田さんのプレゼン、というかたちでつないでいきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

今、画面に私の作った資料が出ていると思いますけど。導入部分として、大きな話から入らせていただきたいと思います。ここにありますように「新型コロナウイルスは我々に何をもたらすのか?」ということです。次のページをちょっと見ていただきますと……。

私の問題意識を1枚にまとめたものが、この2ページ目です。beforeコロナとafterコロナ、もしくは最近はコロナ後というより、コロナと共生していくという感じで「withコロナ」と言われていますけれど、それで何が本当に変わっていくのか、どういうふうにものが変わっていくのかを、3つぐらいのレベルで考えてみたいなと思いました。

一番大きなレベルでは、時代の思想とかパラダイム。こういったものが、大きな問題が起きるとなにか変わるのか、というのがレベル1です。

その次がレベル2で、経済という視点から見て、この資本主義社会や今の我々が拠って立っている経済社会。こういったものの仕組みが変わっていくのか、という段階の問題があると思います。

そして、レベル3が我々の一番身近な問題ですけれども、企業や個人。個人ですと生活ということになりますけれども、そういうものがどう変わっていくのか。この3つぐらいのレベルで、ものを考える必要があるんだろうなと思っています。

冨山さんには今日、レベル2・3あたりを中心にお話しいただくと思いますので、私はレベル1のところを導入部分としてお話しさせていただきたいと思います。

ナチスドイツ台頭の一因は「スペイン風邪」

3ページですが、今までのパンデミックの歴史を少しまとめてみました。ざっくり言うと、中世以降、14世紀のヨーロッパ大陸とアジアで流行ったペストが、ロンドンで17世紀にもう一度流行る。それから19世紀、インドあたりから始まったものがまた世界に広がっていくということで。

14~17世紀あたりは、かなり広範囲ではありますがヨーロッパとかアジアとかいうレベルだったのですが、19世紀のコレラになりますと、世界にこれが広がっていきます。そして、みなさんもよくご存知の20世紀、ちょうど100年前に世界的に流行したスペイン風邪。それから直近で言うと、新型インフルエンザというものがあったと思います。

それで、こういう大きなパンデミックが時代にどういう影響を及ぼすのかということを、ここではスペイン風邪を例にとって書いています。

スペイン風邪は、1918年の第一次世界対戦の終了直前に流行りはじめて、それが一挙に世界に広まったということです。結局このスペイン風邪の流行で、各国とも戦争を継続するのは難しくなって、逆に戦争終結を早めたという点もあります。

そして、第一次世界対戦が終わったあとですね、ヨーロッパから世界の覇権がアメリカにシフトしていく。それからソ連が東の覇権国として台頭してくることになります。

スペイン風邪の大きな影響は、「ナチスドイツ・全体主義の台頭」ということになると思います。大恐慌から経済が崩壊して、ナチスドイツにつながっていく。それが第二次世界大戦につながっていきます。

この赤字で書いてあるところに、コメントがあります。もちろん、これだけが原因ではないのですが、当時のアメリカのウィルソン大統領がスペイン風邪になりました。パリ講和会議で、とくにフランスのクレマンソー首相が「とにかくドイツを徹底的にやっつけろ」と強硬に主張していて、ウィルソン大統領はそれに反対していたんです。

ところが、ウィルソン大統領がスペイン風邪になりまして、かなり症状が悪かったようで、結局フランス、それからイギリスにも引っ張られるようなかたちでドイツに巨額の賠償義務を課しました。それがとてもドイツが立ち直れないぐらいの賠償金で、ナチスドイツの台頭を許すことになります。こうした歴史が1つのポイントとしてあります。

宗教や思想を揺るがした、リスボンの大震災

次のページを見ていただきますと、リスボンの大震災。これはパンデミックではないのですが、日本の東日本大震災と同じように「大きな災害が宗教や思想にどういう影響を与えたか」という例として、よく取り上げられるものです。

リスボン大震災に関していろんな文献が出ていますので、細かくはそちらをご参考いただければと思います。1755年の11月1日という「聖者」の日……二十歳になった成人の日じゃなくて、いわゆるセイントの「聖人」ですね。ですから、キリスト教徒にとってはすごく重大な日だったんです。

この日、ポルトガルのリスボンでマグニチュード推定9という地震が起きて、10万人ぐらいが亡くなりました。当時は地震の発生のメカニズムがわかっていなかったので、地震は神罰だと受け取られていました。

そこで、この繁栄していて敬虔なカトリック国であるポルトガルが、なぜ神罰を受けるのかというのが、神学的に説明できないという非常に大きな難問に突き当たります。

例えばヴォルテールが、「これはひどいんじゃないか、神の慈悲深さというものはないんじゃないか」と言って批判する。そうすると、今度はそれに対して、ルソーが「いやいやそうじゃないんですよ。やっぱり神様は全体として善を為しているんですよ」というようなことを言って、これが論争になります。

それから、『国富論』で有名なアダム・スミスも、おそらくこの地震を例にとって、「人間の共感」をテーマにした『道徳感情論』という本を書いています。リスボン大震災はもう250年前の話ですけれども、こういうふうに、いろいろな宗教、それから思想家の論争を巻き起こしたという歴史があります。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏らが説く、グローバルな信頼と団結

そして、今回の件ですが、5ページ。これはご存知のように、今いろいろな思想家・哲学家、それから政治家、それから例えばエリザベス女王なども含めて、いろいろな方がコメントされています。

いち早く出たのが、イタリアの小説家のジョルダーノさんという方が書いた、『コロナの時代の僕ら』という本です。けっこうベストセラーになっているのですが、「パンデミックが明らかにした共同体」というようなことを言っています。

ここに書いてあるのは、共同体というのは、自分の周りや町や国といったレベルのものだけじゃない。「パンデミックの時代の共同体は、人類全体のことなんですよ」ということを書いています。

コロナの時代の僕ら

じゃあ我々はどうしてこんな状況に陥ってしまったのか。それから、この後どんなふうにやり直したいのか。そういうことをきちんと考えてみようよ、ということを書いています。これが1つの例です。

それから次のページは、みなさんもよくご存知だと思いますけど、『サピエンス全史』を書いた、イスラエルのユヴァル・ノア・ハラリです。彼が立て続けに『Financial Times』『The Guardian』あたりに論文を投稿しています。そのポイントをまとめたのがこのページです。

「グローバルな危機で、我々にとって今後、多くの短期的な緊急措置が生活の一部になる」。それから「国境の恒久的な閉鎖によって自分を守るのは不可能である」。そして、「人間同士の信頼の欠如が表に出てきている」。とくに「アメリカが世界のリーダーの座を降りて、孤立主義が鮮明になってきている」。逆に「EUが信頼回復するいい機会だ」と、ハラリは言っています。

ハラリの最大のポイントは、この資料の下半分にあるように「人類にとっての選択肢は何か」ということで、「全体主義的な監視か、それとも国民の権利の拡大か」ということです。要は国家によって監視されて、それでコントロールされる社会になるのか、それとも国民が知る権利を拡大して、自分たちで自主的に行動をとっていくのか、ということです。

それから、もう1つが「ナショナリズムに基づく孤立や不和か、それともグローバルな団結か」ということで、とにかく今はグローバルな信頼と団結を呼びかけようというのが、ハラリの発言の趣旨です。

「社会」や「共同体」が改めて問われる時代

最後になりますが、イギリスのボリス・ジョンソン首相がコロナウイルスに感染して、入院する前の3月29日に、「コロナウイルスによる危機は、『社会』というものはあるのだということを示した」ということを言っています。「There really is such a thing as society」と言ったんですね。

なぜこういうふうに言ったかというと、1980年代に同じ保守党のサッチャー首相が、いわゆるサッチャリズムということで、新自由主義的な改革をしました。そのとき彼女が「『社会』というものはないんだよ」、「There is no such thing as society」と言いまして。そして、「社会はない。あるのは家族と国家だけだ」というように。その新自由主義的な政策が、今日につながってるということです。

そこに今また揺り戻しが来ていて、ボリス・ジョンソン首相が「『社会』というのはあるんだ。サッチャーが言っていたのは違うんだよ」と言っている状況の中で、これから社会はどう変わっていくのかということです。

本当に社会というのはあるのかないのか、ハラリが言ってたように、共同体とは何なのか。こういったことが今問われているんだろうな、と思います。

私の導入部分はここまででして、こうした中で企業人、それから個人は、これからどのようにやっていけばいいのかということを、冨山さんと安田さんと本田さんと、議論させていただきたいと思っております。私のほうからは以上です。