人の脳は「美しさ」をどう認知している?

中野信子氏:美を認知する脳機能領域はどこか、という研究をセミール・ゼキという人が指揮してやっています。

この人は視覚認知から美の認知にずっと興味を持って、長らく研究されている人です。この人を知らなかったら、芸術脳を研究しているとはちょっと言えないかもしれない。知らなかったらモグリというくらいの人です。

さて、ゼキの研究では、「美しい」の程度を被験者たちに点数化してもらい、平均点の高かった絵を「美しい絵」として提示して、fMRIで被験者の脳の活動を測っています。

このとき活性化が見られたのは、内側眼窩前頭皮質という場所です。長いので、mOFCと略しますが、medial orbitofrontal cortexの略称ですね。この部分はどうやら「美しい」を認知したときに活性化する脳機能領域と言えるようだ、という結果になりました。

さらに別の実験をご紹介します。ちょっと前の研究になりますけれど、これは「美しい」と大勢に評価された人の写真を見せられたときに、どこが活性化しているか、を調べたものです。

考えてみれば、けっこう残酷な実験かもしれませんね。学生さんに、人の写真を見せて、絵の時と同じように点数で評価させるんです。「この人の顔は7点」「この人の顔は4点」というように。

その点数の平均が高い人、低い人、両方出てきますが、点数の高い人を見せられたときには、いったいどこが反応したでしょうか。実は、絵の時とはちょっと違ったんです。

同じ領域も活性化してはいました。先ほどと同じように、mOFC(medial orbitofrontal cortex)ですね。

そして、この領域に加えて、mPFCとPost Cingulateも活性化していました。mPFCはmedial prefrontal cortexの略で、日本語では内側前頭前皮質と言います。Cingulate Cortexというのは、左脳と右脳の境目の部分にある皮質の一部です。その領域の後ろのほうが活性化していることがわかった。

どうも、「美しい」の種類によって変化がある領域とない領域というのがあるようだ、そして、共通する領域と、それを修飾しているような領域があるようだ、というのがこれらの研究から導かれる内容でした。

情報が味覚を変えてしまう「ペプシパラドクス」

ペプシパラドクスって知ってますかね? ペプシコーラとコカコーラって、違う飲み物だけれど、コップに入れると似ていますよね。液体の状態では色も似ていて、見た目では区別がつきにくい。この2つの飲み物をラベルなしの状態で、ブラインドテイスティングしてもらいます。そして「どっちが好きですか?」と聞きます。

そうすると、その実験では、ほんのちょっとだけですが「ペプシのほうがおいしかった」と答える人のほうが多かったんです。その一方で、ラベルを見せて、どちらがどちらなのかわかる状態で飲んでもらうと、「自分はコカ・コーラのほうが好きです」と答えた人数の方が多くなったのです。つまり、非常に大雑把に言えば「ラベルはコカ・コーラが好き。味はペプシが好き」というわけです。

それでは、このブラインドテイスティングのときには、どこが活性化していたのでしょうか? ブラインドテイスティングのときには、mOFCが活性化しました。「美しい絵」の実験で抽出されてきた領域ですね。

ではコカ・コーラのほう。このときは、Hippocampus、海馬と、もう1つ、Dorsolateral prefrontal cortexが活性化していました。日本語では背外側前頭前野というところで、DLPFCと略して呼ばれることが多いです。いわゆる「知能の領域」です。理性といってもいいかもしれない。

要するに、記憶と知性が感覚を書き換えてしまうんです。情報が味を変えてしまう。私たちの味覚では、「舌が味を感じている」のではなくて、「脳が情報を味わっている」んです。

「こっちのほうがおいしいはずだ」「情報と矛盾するなら、自分の感覚のほうが間違っているのだ」と、いつも感覚を上書きしている。これを後押しするのがそのブランドの力です。

ブランド品と街頭アンケートの回答率

ブランドの認知の話は非常に興味深いし、きっとこれからのみなさんの人生に役に立つでしょうから、お話ししておきます。ブランド好きっていう人います?

(会場挙手)

中野:そうでもない(笑)。私はブランドを気にしないわっていう人は?

(会場挙手)

中野:ああ、学生さんだったらこっちのほうが多いのかな。この大学はみなさん小綺麗にしてらっしゃるから、ちょっと意外な印象でしたが……。確かに若いとなかなか自分ではブランドのものを買いにくいようなところもあるしね。

じゃあ、将来役に立つかもしれないということでお話をします。単刀直入に、ブランドのロゴが付いている服と、付いていない服で、それぞれを着ている人に対してなにがどう違ったか、という実験の話です。

ショッピングモールや道を歩いているときや、駅の前などで、アンケートを頼まれたことなんてありませんか? 大学祭などでも時々あると思うけど、「アンケートにご協力ください!」っていう。それに対して、アンケートに協力してくれる人の割合って、そう高くはないですよね。けっこうみんな冷たいもので、割と素通りしてしまうと思うんです。

そういうバイトをやったことがある人もいますか? もしやったことあれば、素通りされた経験があるかと思います。けっこうみんな答えてくれないよね。いや、可愛い女の子がやれば答えてくれるかもしれないけれども……。

まあそんなアンケートへのご協力実験において、アンケートを求める人がブランドのロゴ付きの服を着ている場合と、ブランドのロゴなしの服を着ている場合で、実験ではアンケートに答えてくれる人の割合が変わったというのです。

洋服のブランドロゴの有無で、人の行動が変わる

どれくらい変わるか? ノーブランドの服を着ている場合、約14パーセントの人が答えてくれました。7人に1人くらいという計算になりますか。むしろこれでも多いと感じるかもしれませんね。場所や、土地柄にもよるでしょうし、答える人の年代にも左右されるかもしれない。

一方で、ブランドのロゴがついている服の場合は、なんと52パーセントの人が答えてくれたのです。2人に1人以上です。ちょっと不思議ですよね。なんでこんなことが起こるのか。

他にも似たような実験があります。この実験では、今度は寄付金を募るんです。「心臓病で苦しんでいる子がいます、手術の費用が不足しているので寄付をお願いします」というような。

そのとき、ノーブランドの服とブランドの服を着ている場合とで、寄付の額がどれくらい違うか? なんとブランドの服を着ている場合には、着ていない場合の2倍の寄付金を集めることができたのです。不思議に思いませんか? ブランドの服を着ている人はきっとお金持ちだろうから、寄付金を出す人は、よりためらいそうな感じがしませんか。けれども、ノーブランドの服を着ている場合よりも2倍の額を集めることができた。

裕福な相手により多くを与える「独裁者ゲーム」

どうしてこういうことが起きるのか? 支払う側の立場からそれをより詳細に調べようという実験も行われています。この研究では、被験者に「独裁者ゲーム」というタスクをやってもらいます。ずいぶんな名前ですが、どういう課題かというと、リソースをどう配分するか、というシンプルなタスクなんです。

2人で行うのですが、リソースの配分権を片方のプレーヤーだけが持っている。リソースというのは、端的に言えばお金です。この実験では20ドルで、1ドル札20枚でした。

このうち相手に対して何枚を分け与えるのか。多くの場合は2~3割程度を相手に与えることがわかっています。ちなみに、この割合が実はその人のステイタスによってちょっと違うということも知られていて、学歴が高い人ほど自分の取り分を多くするという傾向があります……。

さて、この独裁者ゲームをやらせて、相手がノーブランドの服を着ているときと、ブランドの服を着ているとき、それぞれに対して、いくら分け与えるかを見ます。すると、ノーブランドの服を着ている人に対しては、20パーセント程度。けれども、ブランドの服を着ている人に対しては、平均で25パーセントを与えた。わずかかもしれないけれど明確に差がついたのです。

「相手がより裕福なとき、より多くを与える」というのは、ちょっと変な結果に見えますよね。ただ、変な結果のようだけれど、実際のシチュエーションをリアルに想像してみてほしいんです。態度が堂々としていて、身なりもよく、いかにも裕福そうな相手に対して、人間というのはより協力的になるんじゃないでしょうか?

逆に、おどおどしていて、着ているものも毛玉だらけのセーターにジャージ、薄汚れてぼろぼろの靴を履いている、というような相手に対しては、無意識に軽んじてしまうのでは? そういうシーンを、これまでいくらでも目にしてきたんじゃないでしょうか。

「いや、自分の周りには人を身なりで判断するような人間はいない」ときれいごとをいう人は、着古したジャージで大企業に面接に行ってごらんなさい。起業するというなら、ボロボロのシャツで銀行に融資をしてもらいに行ってごらんなさい。確実に身なりで判断されるということが身に沁みてわかるでしょう。

相手が誰でも知っている高価なブランドの服を着ている、というのは、社会経済的地位を測ることのできる最もわかりやすい指標を身に着けている、ということなのです。より社会において大きな力を持っている可能性があるということを示す。

人間の脳は価値を測ることができない

人間の脳というのは、価値を測ることができないんです。長さというような単純な尺度ですら、すでに長さのわかっているものさしと比べなくてはわからない。それに、同調圧力のもとでは、明らかに違う長さのものでさえ、同じに見えてしまうくらい、脳はいい加減な判断しかできないんです。

「人間の価値」なんていう、基準のよくわからないあいまいなものならなおさらです。だから、相手に価値を示すために、私たちは装うんですよね? 中身を磨くのなんて当たり前です。学生なんだから今はなおさらそうでしょう。

その上で、相手に価値を知ってもらうために、その価値を相手に見える形で、わかりやすく示さなければなりません。どんなに価値があると自分で思っていたとしても、知ってもらえなければどうにもならない。

どうでもいい相手の前ではどうでもいい格好をするかもしれませんけれど。相手が重要な人物で、その協力や評価が欲しい場合は、そうじゃないでしょう。身なりを整え、髪を整え、そして相手に、見てわかるように自分の価値を示す努力をするはずです。

それが面倒な人は、それを面倒くさがった分だけ、せっかくの価値を伝えられず、自分が損をすることになるでしょう。誰にも、何のメリットもないのに、わざわざあなたの価値を、あなたに代わって示す暇なんてありませんからね。