特殊清掃の現場を取材するなかで生まれてきた思い

宮台真司氏(以下、宮台):もう時間がないかな。こちらからお聞きしたいことがあるんですが。

菅野久美子氏(以下、菅野):はい。

宮台:真鍋厚さんの奥さんが菅野久美子さんだという話を最初にうかがった時、「ええっ⁉︎ いったいどんな人と結婚してるんだ⁉︎」と思って、あるトークイベントでお会いしてみたら、「あれ、普通の人だな?」と(笑)。

菅野:(笑)。

宮台:本にも書いてあるように、すごくハードな取材じゃないですか。

超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる

菅野:はい、そうですね。

宮台:なんでそれができるんですか? 普通の人にはできないような気がするんですが。

菅野:なんでですかね……。やっぱり、孤独死の現場ってすごく過酷です。ゴミ屋敷が多くて、尿を何百本もペットボトルに溜めている人とかもいて、言葉に言い表せないほどの凄まじい臭いと、暑さで失神しそうになったこともあります。

でも、「なんでこうなったんだろう?」というその人の人生を追っていくと、自分の生きづらさがすごくリンクするところが多いんですよ。特殊清掃の現場に入ると、特殊な精神状態になってしまうんですよね。

(会場笑)

菅野:確かに、臭いだけでなくて、虫も大量発生しているんです。ウジとかハエや、ゴキブリがはい回っている。だけど、取材を重ねていくうちに、そんな現場の表層だけでなく、亡くなられた方の人生の軌跡を伝えたいという衝動に駆られた。もっと、亡くなった故人のことを知りたいという衝動の方が先にくるんです。

あと、本に出てくる業者さんが人間性豊かな方が多いので、そういう方に精神的に支えられながら、現場に入っていますね。私一人では、気が滅入って、とても現場に入ることすらできなかったと思います。

生きづらさを抱えながら、人はなぜ生きるのか

宮台:そこもすごく印象的です。僕はそういうところで作業ができる特殊清掃の方々って、むしろ感情を殺した、あるいは、あまり感情が働かないような無機質的な方が多いのかなと思ってたら、全然違いますよね。

菅野:そうですね。

宮台:それもけっこう衝撃でした。

菅野:衝撃でしたか(笑)。

宮台:菅野さんの佇まいと文章との間のギャップと同じようなものを、特殊清掃の方にも感じるんですね。これはみなさん読んで考えていただきましょう。実際、菅野さんには、すばらしい旦那さんがいらっしゃる。

菅野:いやいやいや(笑)。

宮台:どうしてこれで生きづらいんだ? これで生きづらいなら、他のやつはどうなるんだよ~。

(会場笑)

宮台:と思うくらい、生きづらさって、端(はた)から分からないじゃないですか。

菅野:そうですね。

宮台:それでいったら、僕も生きづらいから、あれこれあがいていろんなことをやってきたんです。そこでうかがいますが、「生きづらさ」という言葉が何回か出てくるんですが、生きづらさとは何なのかが、実は書かれていないんですよね。それがこの本(『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』)のいいところの一つなんですね。ここにいらっしゃるくらいのエネルギーのある方は、もちろん生きづらいと思う。

嗜癖とか虐待とか何か特定の生きづらさを抱えているのではないかと憶測すると、そうじゃない。だとすると、生きづらさとは何なんだろう? そのことを、みなさんに考えていただきたいし、僕もいつも考えています。だから映画批評家をやったりもしています。実際、生きていていいことって1割くらいしかない。むしろ1割あればいいほうです。じゃあ、何で生きているんだろう。

菅野:(笑)。

トラブルを一緒に乗り越えてきたという「同志感覚」

宮台:恋愛とかって、昭和的な感覚だと、ある程度はトラブルを繰り返してきているのがいいとされてもきた。その理由を考えると、「それでも何とかやってきたよね」という同志感覚があるように思います。「よくこれで別れないね!」とか「これだけ痴話喧嘩してもまだ一緒にいる俺たちってなんなんだろう」みたいな。それって変な共同体感覚ですが、大切です。『嫌われ松子』的な現象が起こっているとも言えます。

そこに見られるのは、「これだけひどいことばかりなのに、まだ一緒にいるってことは、やっぱり俺たちは愛し合っているんじゃないか」という再帰的解釈です。

いいことがあるから一緒にいるんじゃなく、「これだけひどいことがいっぱいあるのに、まだ一緒にいるってことは、もしかして意味があるんじゃないか」という感じですね。実際、みなさんの多くがそうやって生きているんじゃないかと思うんです。

そういう意味での人間関係の生きづらさが誰にでもあるんです。そこがちょっと認識の仕方がズレるだけで、少しのアンラッキーで関係が崩れる方向にいくんですね。僕も90年代末に崩れることがありましたから、実感できます。

その意味で、Close to the edgeというか、みなさんけっこう崖っぷちで生きておられるのだなあという感じがします。菅野さんの本を読むと、崖っぷち感をあらためて共有できます。だから、めちゃめちゃモヤモヤします。

(会場笑)

奥山晶二郎氏(以下、奥山):自分ごとにせざるを得ない、すごい極限状態の描写です。なぜか自分ごとに見えてくる、すごく不思議な本なので、ぜひお読みでない方は(笑)。すみません、時間が……。ただただ宮台さんの話がおもしろすぎて、こんな時間になっちゃいました。会場からの質問を1、2問くらい受けられるかなと思います。

もし「ぜひ訊いてみたい!」という方がおられたら、挙手をお願いできたらと思います。いかがでしょうか? じゃあ、最初に。

高齢者以上に支援が届かない、現役世代の孤独死事情

質問者1:本日はありがとうございました。私はケアマネージャーを12年ほどやっていまして、高齢者のありようや孤独などを見てきました。今回のお話でいろいろ考えさせられることがあって、ためになりました。お尋ねしたいことは、将来の孤独死予備軍と言える、50代の引きこもりの息子さんについてです。私が担当しているケースで、80代の親御さんと50代の息子さんの「8050問題」というのがあります。

一度就職して、退職して、20年くらい引きこもっているんです。いつも2階にいらっしゃって、一度だけ下に降りてきた時に挨拶をしたくらいです。返事はありません。こちらとしては親御さんの相談に乗ったり、親御さんを通じて「自分は気にしているよ」というアピールを個人的にしつつ、個人でできることには限りがあるので、行政にも動いてもらおうかなと思っています。

どうしたらいいのかということを地域包括支援センターに聞いたら、「保健所に電話しろ」と言われたので、保健所に電話したんですね。そうしたら「本人がその気になったら来なさい」と言われたんです。「働く気になったら」と言われて、「ああ、訪問とかはしてくれないんだな」と思いました。

行政に支援システムがない場合というのは、どこに対してどういうアプローチをしていったら、それを変えられるのか。もしなにかアドバイスもあれば教えていただきたいと思います。

奥山:これは具体的なところでいうと、菅野さんなんかはどうですか?

菅野:私もずっと現役世代の孤独死というのはテーマにしています。最近中高年の引きこもりのデータがようやく出て、あまりにもリンクするところが多すぎて、びっくりしたんです。孤独死の取材をしていても、高齢者は見守りがあったり、介護保険があったりと手厚いんですけれども、(現役世代については)アドバイスするのはすごく難しいというか、完全に忘れ去られていると感じるんですよね。

現役世代は孤立してしまうと完全に存在そのものが見落とされている、ブラックボックスのような状況なので、私は孤独死の定義をぜひ国で作って、実態を把握してほしいなというのはあります。宮台先生はどうですか?

孤独死は20代から始まっている

宮台:ただ、ケースがあまりにも多いでしょう。今は孤独死が20代から始まっちゃってるから、その可能性がある人というと……僕はいま都立大で教えていて、地方から来て一人暮らししている学生たちを眺めるにつけて、冗談じゃなく、かなりの人たちが突然死しても誰も訪れてくれない可能性があると思っています。

30〜40年前と違うのは、若い人たちがうつ状態に陥りやすいことです。すると連絡が取れない状態が、1日、2日、数日続くことが、めずらしくないんです。

それが僕のゼミ生だったら、他のゼミ生に「見に行け!」と言って(笑)、見に行かせるけれど、誰も見に行かなければ、場合によってはうつではなくて孤独死の可能性があるんじゃないかと思っています。それぐらいの規模で予備軍がいることを考えると、今のところ行政が最大限カバーできるのは近親者からの訴えがあった場合だけだから、危険の全体を行政がなんとかできるとはとても思えないですよね。

ただ、菅野さんがオンラインで書かれているように、「私も可能性がある」というふうに若い人たちからたくさんの反響があることは、いい材料だと考えていいと思うんです。

「自分もなり得るんだ」と思っておられる方々が、行政の相談窓口にアクセスできて、それで行政がちゃんと対処してくれるようになればいいな、と思います。行政が何度かLINEで連絡を試みて、返事がない場合には職員が訪れるようになれば、理想的ですが。

自殺の問題、あるいは自殺の原因であるうつの対策の問題と同じで、周りに気に掛けてくれる人たちがいて、相談させたり受診させたりできればいいのですが、そうでない場合、本人が自発的に行政などにアクセスしない限り発見できないだろうと思います。