グリーベンチャーズ堤氏が語る、自分の人生の生き方
堤達生氏:みなさんこんにちは。堤です。
(会場から「社長!」の声)
ご声援ありがとうございます(笑)。私はもともと演劇をやっていて、こういう舞台に立つのは非常に慣れているという自信があったんですけれども、いざここでみなさんの前に立つと、めちゃくちゃ緊張してます。はっきり言って、今心臓バクバクで足ガクガクなので、ちゃんと最後まで話し通せるか最初から不安です。
今日は「自分のための人生を生きよう」というテーマでお話しさせていただきたいと思います。なんとなくもうわかってると思うんですけど、ベンチャーキャピタルとまったく関係ない話をさせていただきます(笑)。
(会場笑)
もしベンチャーキャピタリストの話を聞きたい方には大変申し訳ないんですけど、また個別でお話しさせていただければと思います。
人の目を必要以上に意識して生きることの窮屈さ
さて、みなさんは必要以上に周囲の目を気にしているということはないでしょうか? 実は私は大変恥ずかしながら、いつも誰かのために生きようとか、誰かの期待に応えようとか、誰かに認められたいとか、そんなことばかり考えて生きていたんですよね。
そういう生き方をしていたので、常に他者との相対感の中でしか自分の存在を確認出来なかったのですよね。でも、そういうのって、けっこう疲れませんか?
この会場にも、素晴らしく優秀な人達が集まっています。小さい頃から、周囲に期待されて、なんとなく自分自身の役割を決めて、これまで生きてきたみたいなことはありませんか? もちろんそれが悪いと言っているわけではありません。
でも、そんなに周囲の目を気にしていてもね、しょうがないな、窮屈だなと、最近強く思うのです。
周りに合わせ、自分を隠す生き方への違和感
ちょっと恥ずかしい話なんですけど、実は私自身、中学生の頃にいじめに遭ってたんですよね。14歳のときに、半年間くらいクラスの男子全員から口をきいてもらえないみたいな。
そんな感じのいじめを受けていたんですけれども、そういうこともあって、なんとなく自分で自分を偽るというか。殻を被るみたいなことをやってたんですよね。
やはりいじめられるのって嫌なんで、なんとなく自分を周りに合わせるとか、そんなかたちで自分をうまく隠すみたいな生き方をずっとしていたなと思います。
そういうこともあって、おかげさまで高校、大学時代はあまりいじめられることはなかったんですけれども、やはりこういう生き方ってなんか自分らしくないなと思うようになって、違和感をずっと感じて生きてきました。
社会人になっても、なにかしら期待される役割というのがあって、その役割を演じることによって、自分を全面に出すということはなかなかしませんでした。
とある上司の一言が、自分の生き方を変えた
私は今44歳になるんですけれども、40を過ぎたくらいからだんだん「俺の人生これでいいんだっけ?」と思うようになって、本を読んだり、コーチングを受けたり、諸先輩方に話を聞いたり、いろいろ考えるようになったんですね。そこで行き着いたのが、今回のテーマでもある「自分のための人生を生きよう」という言葉でした。
これは前の上司からいただいた言葉なんですけれども、「堤さぁ、そんなにグチャグチャ考えてないで自分のために生きて、自分の好きなようにやればいいんだ」とおっしゃっていただいたんです。
その方はとてもポジションのある方で、非常に自由に生きてる人でした。そんなこともあって、私自身も、自分のための人生を生きることを決意したということになります。
でも、自分のための人生を生きるってどういうことなのか。私が思う自分のための人生というのは、1つには、あらゆる問題は自分自身で選択して解決することができるということ。もう1つが、今というものを徹底的に楽しむということ。そういう生き方が私にとっての“自分のための人生を生きる”ということにしてるんですよね。
これってなんだかめちゃくちゃ個人主義的で、刹那主義的に聞こえるかもしれないですね。でも、今私はこういう生き方のほうが人生が豊かになるんじゃないかなと思います。
後悔しない人生を送るために
みなさんも「本当はしたくないな」と思うことがいっぱいあると思うんですが、そういったなかで「自分の役割はこうだから」という理由でやっていたり、あるいはなにかを守らないといけないから、守るために自分自身が本当にやりたいことを我慢する、ということをやったりですとか。
また将来のことを過度に不安に思い、自分自身が縮こまってしまうみたいなことってないでしょうか? そうやっていろいろなできない理由を考えて、自分自身をそこで納得させてしまう。そんな人生って、つまらないと思うんですよね。
そういうことを言ってると、ひょっとすると誰かを傷つけることになるかもしれないし、自分のポジションも失ってしまうかもしれない。
でもね、本当に思うんですけれども、そんなことばかり気にしてると、結果として自分のための人生を生きられない。そうすると、ずっと後悔するんじゃないかなって思うんですよね。そういうこともあって、僕自身、やはり自分のための人生を生きるということを強く思っています。
投資先の人たちに質問を投げかけてみた結果
こう思うのは自分だけなのかなと思ったので、投資先の20社くらいの方々にいろいろヒアリングをしてみました。上場企業の経営者やMAでイグジットした経営者、また未上場企業のシードステージからレイターステージの起業家の方々に「自分のための人生を生きてますか?」と聞いたんですね。
もちろんその会社のコンディションによっても違うと思いますし、また起業家という仕事の特徴が出ているのかもしれないですけど、多くの起業家の方が「自分と他者は一体であってそれを区別できない、なので、それも含めて自分のための人生を生きているんだ」という回答が多かったです。
もう少し詳しく見てみますと、「自分と会社、もしくはその仲間というのは一体であって、自分の今のエゴは大したことない」と。我慢すればより大きな事を為すことができる、為すことができるんだったらそれのほうがいいと。みなさんそういうふうにおっしゃるんですね。
逆にNOという回答の方々は、会社のコンディションがいまいちよくなくて、そういったなかでは、自分のための人生というよりも今は会社のため、ステークホルダーのためにとにかくなんとかしなきゃいけない、という回答の方が多かったです。YESの方は、イグジットしていたり、一定の成果を出している方が多かったです。
もちろん、たったの20人の意見なのでこれだけで、すべてが決まるわけではないです。もっとたくさんの意見があれば、また違った傾向が出てくるかもしれないんですけれども、大筋ではこんな傾向が出るんじゃないかなと思っています。
覚悟には2種類ある
今の話をちょっと簡単にまとめてみると、こんなふうに言い表すことができるんじゃないかなと思います。
起業家の方は、最初は経済的成功や社会的地位なども含め、大きな自己目標のために自分のエゴを犠牲にして圧倒的なパフォーマンスを出す。その後、一定レベルをクリアすると、自分のエゴを追求して、より高次元の目標や目的を実現しようとする。こう言い換えられるんじゃないかと思っています。
実はこの間、IVSでもみなさんご存知のカッチャマンこと勝屋さんとこういった話をしたんですよね。そうすると勝屋さんから非常にすばらしい言葉をいただきました。実際はこれは勝屋さんの奥様の言葉らしいんですけれども、それがこちらになります。
「覚悟には2つの覚悟がある。1、何かを為すことの覚悟。2、自分の人生を生きることの覚悟」。
同じ覚悟でもまったく違うものだと。「2は1に紐付くけど、1は2に紐付かない。そして1だけでは限界がくる」といったことをおっしゃっていたんですね。
私はこの言葉を受けてガーンと頭を殴られたような気分になりました。
40歳で感じた限界
私自身、これまで自分の人生すべてを、このベンチャーキャピタルという仕事に懸けてきました。とくに私の場合、ベンチャーキャピタルファンドのオーナーとして、当然一緒に戦っているスタートアップの成功を支えるため、もしくは我々のファンドに出資をしてくださっているLPの方々のリターンを最大化するために、とにかくプライベートもなにも関係なく、自分の時間のすべてを使ってきました。
先ほどのアンケートの起業家と同様に、何かを為すためにはそういったことが必要だと思ってきたんですよね。そうすることによって、会社はもちろん社員、そして家族も幸せになれるとずっと信じて、そうやってきました。
それはそれでぜんぜん間違いではなかったと思ってます。ただ、勝屋さんの言葉にあるように、それだけではやはり限界がくるんですよね。
というのは、40歳を過ぎたくらいから、いろいろと自分の中で葛藤があり、「この限界感って何なんだろう」と思っていたんです。これまで何かを為すために一生懸命すべてのものを捧げてきたんですけど、なんか心が満たされないなと。まさに限界がきたんだなと思いました。
だからこそ、何かを為すことの覚悟だけじゃなく、自分の人生を生きることの覚悟というものを持とうと考えたんです。
自信は、何かを為すことから得られるという事実
ここにいらっしゃる起業家、経営者の方々は、みなさんそれなりに名なり功なりを上げた人たちが多いと思いますし、そういったものを目指している人たちもたくさんいると思います。つまり、何かを為すことの覚悟というものは、みなさん十二分にお持ちの方だと思うんですよね。
でも、それだけを追求しているといつか限界が来るかもしれないなと僕自身は思っています。そのときに一旦立ち止まって、自分のための人生というものを考えてやってほしいなと思うんです。
一方で難しいのは、僕自身もそうだったんですけれども、やはり何かを為さないと自信というものはなかなかつかないというのも事実であって。
そういう意味で、とくに若い人がとにかく何かを為すことに意識がいきがちでも仕方がないなと思います。ただ、覚えておいてほしいのは、やはりいつか自分のための人生というものが、そういう道があるんだよということを覚えておいてほしいなと思います。