分断をつなぎ直す「編集力」こそが、次世代リーダーに必要な教養
編集工学で考えるリベラルアーツの価値

次世代リーダーに求められる問い続ける力、そしてその方法  ~ハイパーコーポレートユニバーシティに学ぶ

11月27日、ベルサール東京日本橋にて「三菱商事と編集工学研究所の取り組み事例から学ぶ これからの時代に求められる次世代リーダーとは」が開催されました。次世代のリーダー育成に課題感を持つ経営層等を対象に、リベラルアーツ(教養)の必要性について、3名のゲストスピーカーがプレゼンテーションを行ないました。本記事では、トリを務めた株式会社編集工学研究所・安藤昭子氏による講演「次世代リーダーに求められる問い続ける力、そしてその方法 ~ハイパーコーポレートユニバーシティに学ぶ」の模様をお送りします。

提供:株式会社リクルートマネジメントソリューションズ

次世代のリーダーに求められる「問い続ける力」と、その方法

安藤昭子氏(以下、安藤):こんにちは、編集工学研究所の安藤と申します。

先ほど藤島さんと和光さん(株式会社リクルートマネジメントソリューションズ 代表取締役社長 藤島敬太郎氏と、三菱商事株式会社 人事部部付部長 兼 ヒューマンリンク株式会社 代表取締役社長の和光貴俊氏による、先の講演を指して)から、リベラルアーツに関して最先端のいろいろな情報を交えてお話しいただきました。

私からは、タイトルにございますように「次世代リーダーに求められる問い続ける力、そしてその方法」というテーマで、お話をさせていただきたいと思います。

弊社では「ハイパーコーポレートユニバーシティ[AIDA]」という塾を運営しています。そこでどんなことをどんな方法で学んでいるかについて、少し織り込みながらお話しできればと思います。

スライドのハンドアウト(手持ち資料)は、みなさんのお手元にはご用意していないので、前を向きながら聞いていただければと思います。それとは別に(自身の手元を指して)こういった3種類の冊子をお手元にはお配りしています。こちらも適宜、中を覗いていただきながら、進めさせていただきます。

私たちは情報を編集しながら生きている

編集工学研究所は世田谷区豪徳寺にオフィスがありまして、そこで日頃仕事をしております。

(スライドを指して)このように四方を本に囲まれたちょっと怪しい空間があるんですが、ここは「本楼(ほんろう)」と呼んでいます。本に、楼閣の楼と書きます。この後のお話とも関係してくるんですけれども、私たちにとって本は、仕事をする上で欠かせない道具でもあります。

ところで、編集工学研究所の「編集工学」とはなにか。先ほど和光さんのお話の中でもご紹介いただきました松岡正剛が、30年前にこの「編集工学」を創始し、編集工学研究所を創設しました。

そもそも編集とはなにかという話ですが、例えば「雑誌を編集する」「映画を編集する」といった、いわゆる職業としての編集という意味にとどまらず、ここではもっと広い意味で編集というものを捉えております。

私たちは常に情報に取り囲まれていて、その情報をなにかしらのかたちで編集しながら生きています。つまり編集とは、人間のあらゆる営みの中にある、と捉えています。

では、その編集の仕組みはどうなっているのか。松岡自身がさまざまな分野の知見を横断しながら編集の仕組みを明らかにし、「工学」的な観点をもって社会に適用できる技術として構築してきたものを「編集工学」と呼んでいます。私たち編集工学研究所は、この目に見えない資産でもある編集工学という方法論を用いながら、企業の課題解決や価値創造のお手伝いをさせていただいたり、学校や自治体の方々とさまざまなプロジェクトをご一緒させていただいたりと、幅広く活動しております。

編集工学研究所のご案内についてはお手元のパンフレットに記載しておりますので、パラパラめくっていただきながら、ここからのお話をお聞きいただければと思います。

知識を得るだけでなく、方法論として手渡していく場

さて、編集工学研究所の運営している「ハイパーコーポレートユニバーシティ[AIDA]」という塾ですが、こちらも弊所の所長である松岡正剛が塾長をしています。

創設の経緯は先ほど和光さんからの楽しいお話の中にもありましたが、私たちが松岡から聞いた話によると、最初は「なんで?」という感じだったらしいです。つまり「どうして僕がビジネスマンになにかを教えないとならないの?」ということだったらしいんですね。

でも本当に熱心に通ってきてくださったということで、「じゃあ、小さな塾でも始めようか」ということで始まったのがこの「ハイパーコーポレートユニバーシティ[AIDA]」なんです。

もともと松岡は、1980年代後半に編集工学研究所を作ったときに『知の編集工学』という本を書いていまして、その中で「21世紀は方法の時代になる」と言っています。つまり、「主題はもう出尽くした」と。「平和がいいよね」「環境は大事にしたいよね」「戦争はダメだよね」という主題は出尽くしている。だから「じゃあ、それをどうするんだ?」という方法が、これから必要になると言っているんですね。21世紀を迎えるにあたり、そういうメッセージとともに編集工学をつくりました。

この塾は、単にたくさんモノを知っている方々を呼んできて、その方たちのお話を聞いて、知識を得るといった場ではありません。伝えるべきこと・考えるべきことが、なにかしらの「方法論」となって手渡されていかないと意味がない。そう考えたんですね。そのための大事なコンセプトとして、この「間(あいだ)」を置き、塾名に[AIDA]と入れたそうです。

じゃあ、この[AIDA]とはなんなのか。これはなかなか一言で定義できるものではありません。通っていらっしゃる塾生の方々も、半年間かけて[AIDA]が意味するところを体に刻み込んでいただいているようなものでして、今日はその辺りもお話ししていきたいと思います。

問いが生まれ、それに対する発見が生まれると、新たな問いがまた生まれる

今日のテーマである「問い続ける力」。これはハイパーコーポレートユニバーシティがそういうカリキュラムをもっているとか、課題テーマとして置いているというわけではありません。ただ、今日このお題をいただいて、改めてこの塾の有り様を考えたときに、「塾長が塾生のみなさんになにを渡そうとしているのか」を考えると、まさにこの力なんじゃないかなと思いました。

というのも、この不確実な時代にあって、誰もが道なき道を行かなければいけないというときに、誰かから与えられたお題に回答することだけでは、当然ながら立ち行かなくなっていきます。そのときに、自分自身で問いを作る力が、どうしても必要になってくるんじゃないでしょうか。

自ら問えるということは、それ自体が数珠つなぎになっています。BIG QUESTIONを1個持てばいいというだけではなくて、問いが生まれて、それに対する発見が生まれると、さらに次の問いが生まれてくる。こうやって問い続けていけるエンジンとして、今日のテーマの1つでもあるリベラルアーツが大事になってくるんじゃないかと考えています。

ハイパーコーポレートユニバーシティでは、その問い続ける力を、どのような視点から手渡そうとしているのか。これも特に明示的なカリキュラムやプログラムがあるわけではないんですが、「こういうポイントがあるな」と思うところを5つ、ピックアップしてきました。1つずつお話ししたいと思います。

固定概念というフレームをはずす

まず1つ目が「フレームをはずす」。ハイパーコーポレートユニバーシティでは、半年間の会期の内、1ヶ月に1回のペースで計6回の講義があります。土曜日のお昼に集まっていただいて、夜10時過ぎまでぶっ続けで講義や議論をするんですけれども、初回となる第1講ではだいたい松岡がソロ講義を行ないます。

その後、2〜5回目はさまざまなゲストの方にお越しいただきます。いろいろな世界の一流の方々にお越しいただいてセッションしていただき、最終講ではまた松岡が1人でそれまでの流れを引き取ってソロ講義となります。

その初回の塾長講義では、縦横無尽で高速な講義を最初から遠慮なく飛ばしていくんですが、いらっしゃる塾生の方々から「脳みそがぐちゃぐちゃになりました」という言葉をよくお聞きします。ここで意図していることはおそらく、「フレームをはずす」ということなんですね。私たちは普段、どんな生活をしていても、仕事をしていても、なにかしら既存の思考の枠組みに入っているものです。

こういった思考のフレームを持っているからこそ、毎回ゼロから考えなくても生活できるし、仕事も効率良くこなせる。世の中を混乱せずに見ることができます。でもこのハイパーコーポレートユニバーシティという塾で物事を思索しようというときには、その自明のこととなっている自分のフレームをいったん外してみるということを、大前提の構えにしていただきます。

これはそう簡単なことではありません。新しい知識を学ぶよりも、すでに自分がものにしている知識のフレームをはずすことの方が、実は大変なんです。先程の藤島さんのお話にも、「知の探索」と「知の深化」という2つのベクトルがあったときに、馴染みのある領域を深化させる方向に向かいがちである、というお話がありました。すると結果として、領域を広げていく方向の「知の探索」を怠ることにより、コンピテンシー・トラップ、つまりは中長期的なイノベーションの停滞を招くことになります。馴染みのある問題から処理していくほうへつい向かってしまうことで、どんどん知の範囲や視点がせばまっていく状況です。

めまぐるしく変化する環境の中で新しいことに向かっていかないといけない時代にあって、まずすべきことは「固定観念から出ること」言い換えれば「既存のフレームをはずこと」ではないでしょうか。そのときの方法として非常に大事にしているのが、「[AIDA]=間を見る」ということなんです。

なにかとなにかの間にどんな行き来があるかを考える

ハイパーコーポレートユニバーシティでは、毎年その期を通じてのテーマを掲げるのですが、「なにかとなにかのAIDA」としています。今期は今まさに開催の真っ最中でして、前講では映画監督の押井守さんにお越しいただいたのですが、今期のテーマは「コードとモードのAIDA」です。

一見わかりにくいテーマかもしれませんが、情報を「コード」と「モード」という観点で捉えたときに、我々の創造力や編集力というものがどう見えてくるか、[AIDA]という装置は、そのフィルターともなるものです。ちなみに、その前の期は「電子と意味のAIDA」というテーマで行ないました。最先端のテクノロジーの話を、AIやロボットやVRに携わるさまざまなゲストの方々と一緒に交わした期でしたが、そのときに私たちがすべきことは、テクノロジーに関しての知識を得ることや未来予測をすることではなくて、エレクトロンやエレクトロニクスとしての「電子」と、イマジネーションの中に豊かに去来する「意味」との間にどんな行き来があるんだろうか、といったことを、時には人間とはなにかという視点にまで立ち戻って考えるといったことでした。。

こうして「[AIDA]=間を見る」という方法を通して揺さぶりをかけていくことで、「フレームをはずす」方向に向かっていきます。これは数期前に松岡が塾長講義で話したことなんですけれども、「簡単に『知っている』『知らない』と言うな」という言葉があります。

「『知っている』『知らない』とは、知っていると思いこんでいるとか、知らないと思いこんでいるとか、だいたいはそういうことだ」という話なんですね。例えば、中東情勢を知っていることと、自分の父親のことを知っていることの、その知っている知らない具合は、どれくらい違いますかという問いかけをしています。

「このことはよく知らないし、自分の専門外だからいいや」や「これはちょっと苦手だから距離を置こう」といった、その距離感自体を崩しましょうというのが1つのメッセージでもあります。世界のなにを知っているか、を問題にするのではなく、世界をなにによってどう見るのか、ということに熱心になってほしい、ということです。

フレームをはずすのに使う課題本

こうしてフレームをはずしていった先に、世界をどのように見直したらいいのか。そこで私たちが大切にしていることが、2つ目の「編集力」なんです。先ほど編集工学研究所のお話をさせていただいたときにも触れましたが、情報を取り扱うことすべてを編集と考えます。もっと言えば、人間の営みだけではなくて、例えば生命体自体もそういった編集力によってできているとも言えるわけです。

編集的視点に立って、世の中をもう1回見る。「編集する」とは、一見関係なさそうななにかとなにかをいかにつなげるか、そうすることで新しい考え方や見方をいかに手に入れていくかということです。そして、固定観念というフレームをはずした世界を、今度は自分なりにどうつなげていくのかを問います。そのときの旅の友として活用するのが本なんですね。(スライドを指して)この写真に写っているのは、本楼で行なったハイパーコーポレートユニバーシティの講義風景ですけれども、机に積んであるのは課題本です。

毎回講義と講義の間に課題本をみなさんに提示して、それについてのレポートを書いていただくんです。なので、ハイパーコーポレートユニバーシティではけっこう本を読んでもらいます。お忙しいみなさんですが、時には相当重厚な本も課題として読むことになります。それを読み込んで、かつ前回の講義の感想も書き、次の講義に向けて課題本を通して考えたことをレポートしていただきます。

そういった背景もあり、本の読み方についてのレクチャーも期の早い時期に取り入れます。これはリクルートマネジメントソリューションズさんと一緒に共同開発させていただいていた研修プログラムでも扱っています。

知を習得し、思考を前に進める読書法

編集工学研究所では、以前からご紹介している読書術がありまして。それを私たちは「目次読書」と呼んでいます。つまり「1冊の本を、頭から最後まで一字一句読むことだけが読書ではないですよ」ということをまずお伝えするんです。

本をなんのために読むかと考えるときに、読書を楽しみたいのであれば、好きなように読めばいいんです。しかし、新しい知を獲得したり、自分の思考を前に進めていくために本を使いたい場合は、まず本の骨格を捉えて、その本が言わんとしていることや、著者が疑問に思っていることや発見したことを、ザクザクとつかみ取っていくような読書法が有効です。それを編集工学研究所では、探究型読書「クエストリーディング」と読んで推奨しています。

このクエストリーディングを第1講で塾生のみなさんに体験いただいて、「もうこの読書法で本を読めますよね」という状態にしてから、遠慮なく課題本を出すという構造になっています。「AIDA」という視点を持ちながら、課題図書と講義を積み重ねていただく中で、塾生のみなさんの編集力も徐々に磨かれていくと考えています。

また、編集力のトレーニングに関してですが、編集工学研究所では「イシス編集学校」という学校を運営しています。この中でも編集力を磨くさまざまなプログラムをご提供しています。ハイパーコーポレートユニバーシティでは、編集力のためのプログラムを明示的に設けているわけではないのですが、その組み立てすべての中で、おのずと編集力が鍛えられていくような仕組みになっているのだと思います。その1つの象徴的なものが、けっこうな量の課題本なんですね。

入力情報と出力情報の差異に、想像力の働く余地がある

先ほどの「フレームをはずす」というお話からつながるんですが、編集工学ではよく「わかるとかわる」「かわるとわかる」、その行ったり来たりがずっと続いていく状態が「編集的状態」という言い方をします。なにかがハッとわかった瞬間に見え方が変わって、見え方が変わった瞬間になにかがハッとわかるということですね。

その数珠つなぎをどれだけ起こしていけるかを、ハイパーコーポレートユニバーシティでは課題本をたくさん使いながら、ゲスト講師の方々と一緒にプログラムを組み立てているところです。

「なぜそんなに本にこだわるのか」について、もう1つだけ補足をしておきます。東京大学に言語脳科学者の酒井邦嘉先生という方がいらして、「入力情報と出力情報の差。そこに、想像力がどれだけ働くかの余地がある」と言っていらっしゃるのですね。

これは、入力情報が少なければ少ないほど、想像力で補わなければいけないことを意味しています。同じ情報を伝えるにしても、文字・音声・映像など伝え方はさまざまです。当然ながら、情報ビット数が少ないのは文字ですよね。出力情報の少ない順で言うと「文字でアウトプットする」は少ないけれども、今回私がここでお話ししているように「ボディランゲージも含めてプレゼンテーションをする」なら、もう少し多くなります。

もっと多いのは対話をすることです。相手の反応を見ながら話をするのが、出力情報としてはもっとも多くなります。ハイパーコーポレートユニバーシティではレポートも書いてもらうんですが、宿題についてセッションも行なって、みなさんに対話状態になっていただく要素も取り入れています。つまり、最終的に誰かに聞いてもらうかたちで発表をする前提で、本を読んでもらうということですね。

その少ない入力情報と多い出力情報の間で、想像力を動かす総量を考えると、これは塾長である松岡も言っていることですが、書物は最強のメディアだと言えます。それが本にこだわっている背景の2つ目です。

見直されるべき、日本が持っている方法論

次は、「歴史的現在に立つ」です。私たちは大きな流れの中のごく1点に過ぎないという見方を、たまに思い出したほうがいいと思うんですね。目の前の出来事に対してどう対処しなきゃいけないかで、つい頭がいっぱいになってしまいますが、そんなときにこそ思い出したいことです。

こうした過去と現在をつないで見るような見方を松岡は「歴史的現在」と言っていますが、今の自分を文明ごと考えるという視点が、リーダーの視野においては大事になるんじゃないかと思います。このように、自らの存在を一度大きな時間軸の中で捉え直すのも、ハイパーコーポレートユニバーシティで大切にしていることです。

先ほど和光さんからも非常に示唆に富むお話をいただきましたけれども、「日本流を自覚する」というのが重要なんですね。もともとハイパーコーポレートユニバーシティが始まるときに、リクルート(当時)さんと三菱商事さんから松岡に「日本をテーマにやってください」とリクエストをいただいたことが下敷きになっているのもあるんですね。

グローバル社会における自分自身について考えるときに、「自分が寄って立つこの国の文化は、いったいどういうものなのか」という視点を持つのが大事、ということは言うまでもありません。加えて、日本が持ってきた方法論そのものが、複雑で曖昧で変わりやすいこの世界の中でこそ見直されるべきものではないか、という視点も、もうひとつあると思います。

あわせ・かさね・きそい・そろえ

松岡は「日本という方法」としてこうした日本の姿や面影や方法を描いてきました。そこにはたくさんの見方がありますが、ハイパーコーポレートユニバーシティのテーマとなっている[AIDA]の観点と関連してひとつご紹介してみると、日本にはたくさんの情報を分けて取り扱っていく際の手法として、「あわせ・かさね・きそい・そろえ」という方法があるんです。

これはたくさんある情報を勝ち抜き戦で勝敗を決めていくような、いわゆるトーナメント方式ではありません。まずはいったん全部「あわせて」みる。次にそれらを「かさねて」みる。その中で「きそい」が起こって、最終的に全部コレクションをされる。これは「そろう」という状態ですね。これは例えば、かるたやメンコとった遊びにも表れていますね。

中世では貝合せ(かいあわせ)や歌合せ(うたあわせ)といった「あわせ」ることによる遊びが流行しましたが、こういった遊びには、この「あわせ・かさね・きそい・そろえ」という方法が取られてきました。

その感覚は、今も例えば「ポケモンカード」や「ポケモンGO」、あるいは紅白歌合戦やAKB総選挙といったものにも残っています。日本の遊びの方法として、またたくさんの情報を取り扱うときの編集感覚として、私たちの身体の中に埋め込まれているものではないかと思います。

ダブったり漏れたりしているところに意味を見出す精神

とはいえ、現代に生きる私たちはやっぱりグローバルルールに則って考えることが多くあります。ロジカル・シンキングが主流になる中では、例えばたくさんの情報を扱う際に、情報を分けて考えるMECEのような方法を取ることがありますね。つまり漏れなく、ダブりなくという考え方で情報を捉えようとします。

ヌケモレを徹底的に避けるレームワークというのは、もちろん1つのツールとしては大切なんですけれども、日本の方法論の場合、ダブっているところをこそ面白がったり、漏れている中になにか大切なものがあるといったように、ヌケモレになにかの意味を見出す精神が、日本では脈々と私たちの感覚の中に埋め込まれているのだと思います。

今のお話は、「[AIDA]=間」というコンセプトにつながっている話です。ことさら日本文化についての授業のようなものはありませんが、「[AIDA]を考える」というスタンス事態が、今のあわせ、かさねのお話にあるように、日本という方法を使って世界を見ることにつながるのだろうと思います。

(スライドを指して)ちなみに、こちら写真は舘鼻則孝さんというアーティストの作品群です。大学の卒業制作で、花魁の高下駄をメタファーにした踵のない靴を作られたんですね。その靴の情報を世界中の出版社やファッション業界に向けてメールを送ったところ、3通だけ返事が来た。そのうちの1通が、レディ・ガガのスタイリストだったと。

レディ・ガガがその靴を履いたことで世界的に有名になって、今は日本よりもむしろ海外で、舘鼻さんの作品を買われている方がたくさんいらっしゃいます。舘鼻さんは、日本をモチーフにした作品を世界に発表し続けている方ですが、ある時、ハイパーコーポレートユニバーシティの場に舘鼻さんが作品をごそっと持ってきてくださって、ご自身の制作について日本文化の話を含めながら、お話ししてくださったことがありました。

コンテンツよりも、知を探求する姿勢に刺激を受ける

そして5つ目です。「既知より未知を多くする」と書いてありますね。これは松岡がよく言っていることでもあるんですけれども、「既知を3割、未知を7割に保っておく」ということがあります。これは先ほどの「『知っている』『知らない』を言うな」という話とも関連してきますが、知らないことが自分を狭める理由になるのではなく、「知らないことが見つかったから、次の好奇心が出てきた」「次に向かおうと思える」といったように、そこに向かうこと自体に、とても意味があるんですね。

ハイパーコーポレートユニバーシティに来ていただいたゲストの方をはじめ、その世界において超一流でいつづけている方のスタンスの中には、必ずといっていいほどこれがあるんです。

自分がなにを知っているかではなく、なにを知らないか、なにを知りたいのかをエンジンに前に進もうとする。その学ぶ姿勢そのものに学んでいると言っていいと思います。

以前、宇宙物理学者の佐藤勝彦さんという方がゲストでいらしてくださって、宇宙の話をたくさんしていただきました。そのときに、「先生はどうしてそんなに勉強し続けられるのか」とお聞きしました。すると、「知とは球体みたいなものですよ」と答えられたんですね。つまり「球体には表面積があるでしょう? その表面積が『知らないこと』なんですよ」と。「自分は『知らないこと』を増やしたい。『知らないこと』を増やすためには、球体である『知っていること』を増やしていくしかない。だから勉強する」と話されたんです。

これはおそらく学者や研究者だけではなく、アーティストやクリエイターやアスリートなど、一流と言われる方たちが持っている、既知と未知のバランス感覚だと思うんですね。これには非常に学ぶところがあると思います。

ハイパーコーポレートユニバーシティの塾生のみなさんもなにに刺激を受けているかと言うと、コンテンツそのものはもちろん、そのコンテンツが出てくる源となっている、こういった探求する姿勢に刺激を受けているんじゃないかなと思います。

ここまでの5つのポイントがぐるぐるとつながり合いながら、問い続ける力を塾生のみなさんに問い続けているのが、ハイパーコーポレートユニバーシティなのだと思います。そして、ハイパーコーポレートユニバーシティを構成する要素として編集工学があります。

編集工学の考え方・手法などをいろいろ組み込みながら、プログラムを構成しているわけです。今日は編集工学研究所のご案内も兼ねながら、編集工学の考え方についてお話をしていきたいんですが、この編集工学自体が、新たな問いを生む装置でもあると思っています。

生命現象は非線形でしか表せない

メソッドとしての「編集工学」というお話に入る前に、編集工学研究所のスローガンでもある、私たちが非常に大切にしていることについてお話しします。

(スライドを指して)「生命に学ぶ、歴史を展く、文化と遊ぶ」とここにありますが、この3つの言葉を、私たちは普段仕事をするときに傍らに置くようにしているんです。「この3つに自分たちは向かえているか?」ということを自問しながら、仕事をするようにしています。

1つずつ見ていきましょう。まず「生命に学ぶ」とはどういうことかですが、先ほど「編集はあらゆるところに埋め込まれている」というお話をしました。情報の本質を捉えるにあたって、生命というものほど適したモデルはないだろうと考えています。生命という現象にこそ、情報編集の本質があると言ってもいいと思います。

「生きている」という状態は、個々の要素の寄せ集めだけでは現れてきません。構成要素の和から生まれてこない、「生きている」という現象。つまりはなにかが創発してきて、生きているという状態が生まれています。その創発してくるところに、情報の本質があるんじゃないかという見方をするんですね。

生きているという生命の現象は、非線形でしか表せません。線形な捉え方では表せないだろうというところに、「生命に学ぶ」意義があるかなと考えています。

「非線形科学の本質はメタファー(隠喩)に似ている」と、蔵本由紀さんという複雑系の科学者の方がおっしゃっています。松岡が「千夜千冊」で要約してまとめ、紹介していますが、非線形科学とは、今お話ししたような創発ですとか相転移、ゆらぎといったものを扱えるんですね。

つながりを見出すアナロジカル・シンキング

このメタファー、つまり比喩についてですが、蔵本さんが例えておっしゃっているのが「氷山の一角」や「玉虫色」といった言葉です。これは2つともメタファーですね。「氷山の一角である状況」をわざわざ定義しなくても誰もが理解できる。これが、なにかに例えて理解するということです。これはなにをしているかと言うと、一見関係ないものを、ある事象に当てはめて考えてみることによって、私たちはなにかを忽然と理解するということです。

それが、非線形科学や生命における創発、相転移の現象にとても似ているということを、蔵本さんは言っているわけです。ほかにもさまざまな見方がありますが、こういった生命にみられる情報の不思議というか、神秘と言えるもの自体を、私たちの思考方法の中に取り入れていきたいと。それが、(スライドを指して)ここに書いてあるアナロジカル・シンキングという思考法です。

先ほど、ロジカル・シンキングのお話は少ししましたが、それはそれでもちろん大切なものですけれども、最近とくに重要性を増し得ているのはアナロジーです。これはなにかとなにかの似ているところを見出すということです。

「リベラルアーツをなぜ学ぶ必要があるのか?」と関係するのですが、先達がやってきたことを頭に入れておくことによって、「あ、今起こっている現象は◯◯と似ているな」と気づき、考える力にするためにリベラルアーツがあるんだと、先ほどの和光さんのお話にもありました。複雑さが増していく社会にあって、このようにアナロジーで考えることが非常に有効になってくると思います。

見るべきもの、学ぶべきものは歴史の中にある

次に「歴史を展(ひら)く」です。先ほどの藤島さんからのお話の中にも「過去から解放されるため、選択肢を増やすために、歴史を学ぶんだ」という話がありました。これはまさに、先ほどの「歴史的現在に立つ」というところでもあります。

岡倉天心は「われわれは、われわれの歴史のなかに、われわれの未来の秘密が横たはつてゐるといふことを本能的に知る」と、『東洋の理想』という本で書いています。これは『茶の本』の少し前ですね。たしか1903年だと思いますけれども、西洋化の波が押し寄せてくる中で、岡倉天心はこの『東洋の理想』を英語で書き、ロンドンの出版社から出しました。その中でこういうことを言っているんですね。

「本能的に知る」というところがポイントだと思っています。歴史の中にこそ、見るべきもの、学ぶべきものがあるということを、自分たちは本当はわかっているんだということです。

これはもしかすると「セルフ・アウェアネス」につながってくるんじゃないかと思います。自分は何者なのかを、「歴史的現在に立って」見るというかたちで、組み合わせて考えていただくといいのかなと思います。

経済と文化は切り離せない

最後は「文化と遊ぶ」です。(スライドを指して)「経済と文化を切り離さない」と書いてありますね。先ほどの講演でも「好み」とか「数寄」という言葉が出てきましたね。文化を扱うときには、当然ながら私たちの「好み」「数寄」といった内面にある嗜好性は本来切り離せないはずなんです。

「だって好きなんだもん」がまかり通ってしまうような、そういった営みの中で作られてくるのが文化だと思うんですね。そのことと、私たちが普段ハンドリングしていると思っている経済とが、ある時点から切り離されてきたのではないか。これはおそらく、長い人類の歴史から見たらここ100年くらいの特異な状況なのかもしれないです。

(スライドを指して)背景にある絵は18世紀のコーヒーハウスの絵です。ロンドンのコーヒーハウスでは、コーヒーを飲みに集まってきた紳士たちがディスカッションをする中で、そのときにはまだなかったジャーナリズムや広告という概念などが生まれてきました。ディスカッションした内容をある人がメディアにまとめて、なにかを知らせたい人がそこにお金を払ってお知らせを出すのですね。こうして広告というものが生まれていきました。

同じように保険や郵便のシステムが生まれていったりしたように、こういう文化的な営みの中から新しい経済活動が生まれています。このように「経済と文化ってもともと一緒だったよね」ということをたまに思い出してみるのも、ハイパーコーポレートユニバーシティの中で大事にしていることです。

これを松岡は、1980年代後半に書いた『知の編集工学』などで、このように言っています。

「私は、明日の日本には、これまでの真似事とはまったく別のパラダイムを導入するしかないと思っている。そのパラダイムには、まず、〈情報化〉と〈編集化〉を切り離さないこと、すなわち技術をハードとソフトに切り離さないこと、ついでは経済と文化を切り離さないことと決めてかかることではないかとおもう」と。

[AIDA]というコンセプトも、ここに1つ、非常に大事なポイントがあると思っているんです。30人くらいいらしてくださる塾生の方々は、みなさん日々前線で活躍されているビジネスパーソンの方たちです。その方たちをお迎えして、日常の感覚から解放されたところで体験を共有する中で、「やっぱり経済と文化の間って切り離せないよね」と実感を持っていただき、持ち帰っていただくのがとても大事なことと思っています。

分断されたものをつなぎ直すお手伝いが、ハイパーコーポレートユニバーシティの役割

それではまとめに入っていきます。結局のところ、ハイパーコーポレートユニバーシティで編集工学研究所がなにをしているかと言うと、分断されてしまったものを問い直して、つなぎ直すお手伝いをしているんだと思うんです。

これは例えば「アメリカの社会が分断されている」とか「格差が広がっている」といった、目に見える大きな分断だけではありません。先ほどお話ししたような、自分と世界も知らず知らずのうちに分断されているかもしれないし、「国語・算数・理科・社会という分断って、頭の中でも分かれていますか?」ということでもあると思います。そういうさまざまな分断を問い直して、つなぎ直すことが、いま特に必要になっているのだろうと思います。

次世代リーダーが持つべき21世紀の「教養」には、この分断されたものを問い直してつなぎ直すための「編集力」が、やっぱり必要なんだと思うんです。

「編集」を一言で言うとすれば、AとBという異なる情報の「あいだ」に関係線を引いて、分断されたものをつなぎ直して、そこに新しい価値を発見していくことだと捉えています。

「編集力」とは、頭の中でばらばらになっているものを、リンクを張るように、つなぎ直していく行為でもあると思います。

これを「Linking Network」という言い方でよく表現するんですが、編集とはこのネットワークを拡張していく行為でもあります。そうすると、だんだん世界がつながって見えてきます。これこそが「教養」の正体なんじゃないかなと思います。

情報から知識へ、知識は知恵に、知恵は知性へ

例えば本1冊も、自分の外部にあるときは情報です。情報を頭の中に取り込むと、知識になります。その知識を活用していくと知恵になっていきます。その知恵がつながって、知性になっていく。つまり「Linking Network」とは、知性の表れだと言ってもいいかと思います。

「知性とは“つながり”である」と言ってもいいですね。これはぐるっと最初の話に戻るんですけれども、“つながり”とはなにかしらの問いがあるところにしか生まれないものだとです。漠然と情報を受け取っているところでは、つながりは生まれてこない。主体的に問うことを通して、世界は途端につながって見えるんですね。そのことを半年にわたって体験していただく場所が、ハイパーコーポレートユニバーシティなのだろうと思います。

私からのお話はここまでですが、編集工学研究所はそういった「問い続ける」こと、なにかとなにかをつないでいくこと、先ほどオーセンティック・リーダーシップという話もありましたけれども、企業の本来の姿に立ち返っていくことのお手伝いをしています。

自分自身のスタンスで世界を見直すことについて、個人のみならず企業や学校や自治体などに対しても、さまざまな方法でサポートをさせてもらってます。具体的にどんな活動をしているのかは、冒頭でご案内しました会社案内の中にございますので、ご興味があればぜひご覧になってみてください。「問い続ける力」というお話を通して、編集工学研究所が日頃大切にしていることについても、今日はいろいろとお話をさせていただきました。本日はどうもありがとうございました。

(会場拍手)

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