大学生にとって「社長」とはどんな存在?

小林:次は経営者による対談をしたいと思います。では、事前に参加者の皆さんに聞いてみましょう。社長ってどんな存在ですか?

参加者1:絶対に逆らえない存在です。

(場内笑)

小林:ちなみにお父さんは何をやっているんですか?

参加者1:会社員です。

小林:お父さんを見て、こういうお父さんみたいなりたいって思っていますか?

参加者1:帰宅がいつも5時の鐘と同時に帰ってくるので、残業しない会社もいいかなと思っています。

小林:残業しない会社もいいかな。おもしろいですね。公務員ですか?

参加者1:会社員です。

小林:会社員にしては早いですね。ありがとうございます。では、隣に行きましょう。社長にどんなことを聞きたいですか?

参加者2:なんで(会社を)立ち上げたのか、社長ってぱっとなれるイメージじゃないんだけど、どういうきっかけで自分が社長になろうという決意をしたのかを聞きたいです。

小林:他に何か言いたいという人はいますか? 皆さん、僕から目をそらさないで。君は目をそらさないで見つめてくれましたね。

(拍手)

参加者3:5名のうち4名はIVSでお話を聞いたんですけど、チケットストリートの社長の話はとても興味があります。

小林:山本さんに聞きたいんですね。準備が整ったということで、いきます。

Googleからfreee代表に、佐々木大輔氏

小林:さっきプレゼンしていない人が3名いるので、自己紹介を簡単にお願いします。佐々木さん、簡単な経歴と、何をしているかをお願いします。

佐々木:佐々木です。freeeの代表をやっています。僕は5年ぐらいGoogleで中小企業向けのマーケティングをやっていて、その中で日本の中小企業のテクノロジー化が進んでいないところにすごく大きな問題意識を持つようになって、今のビジネスを始めました。

先ほど学生時代にインターンをしていた話をしたのですけど、僕はその後どういったキャリアを歩んだかというと、まず広告代理店の博報堂に就職して、しばらくマーケティングの仕事をしていました。

やっていると、「テレビ広告って本当に効果あるの?」と聞かれても「そういうことに対しては答えちゃいけない!」というのがあって。「だあっ!! って言って売るんだ、広告っていうのは!」というスタイルがちょっと違うなと思って、投資ファンドに入りました。

なぜかというと、投資対効果とかそういうものに向き合える仕事がしたいなという思いがあって。やっているうちに今度は、投資される側も面白そうだなって思って、学生時代に企業でインターンをしていた仲間たちが立ち上げた別のベンチャー企業に入って、そこでCFO、財務の責任者をやっていました。

そのあとにGoogleに入ってということで、僕はそんなに年を取っているわけでもないんですけど、すごくいっぱいの経験をして起業するに至りました。という感じです。宜しくお願いします。

小林:ありがとうございました。

家庭を持ちながら仕事を辞めて起業を決意

小林:では、スマートエデュケーション池谷さんお願いします。

池谷大吾氏(以下、池谷):皆さん、こんにちは。スマートエデュケーションの池谷です。私は今38歳で、起業したのは3年前なので35歳の時ですね。大学院を卒業して日本ヒューレットパッカード、hpという会社ですね、僕は理系だったのでコンピューターメーカーにみんなと一緒に一般的な就職活動をして入社して、5年間システムエンジニアの仕事をやっていました。

5年くらいやっていると仕事ってだんだん覚えてくるんで、当時2005年ごろだったんですけどベンチャーブームで楽天さんとかYahoo! さんとか、サイバーエージェントさんとか、ああいうところが上場したりしていて、自分とあまり年が変わらない人が起業しているのに刺激を受けて、興味があったので話を聞いてみたんです。

そうしたら本当に僕と同じ年の人が起業しているのを見て、その日中に転職を決めて、サイバーエージェントグループにポンと決めて入って8年、10年くらい仕事してきて、ベンチャーで働くのは楽しいなと思いながらも、最終的には自らが藤田さんや三木谷さんにならなきゃいけないなと、起業しないと気がすまなくなってきて。

35歳なので子供が3人いたんですけど突然仕事を辞めておとうちゃんが帰ってきて、「起業するんだ」といったのが3年前です。

今はスマートエデュケーションという子供向けの教育事業をやっているんですけど、3年前は一切教育に興味がなくて、無職だったんです。ただ、食わせないといけないから仕事を探さなければということで、何しようかなと。

「ゲーム作ろうかな」とか、ITのテクノロジーのことはだいたいわかっているんでIT系をやるんだけど、何やろうかなと迷っているときに、たまたま当時のうちの長男が僕のiPhoneで遊ぶんですね、すごい可能性があるなと思って。これをテーマで起業しようと思って。

最初アプリを使っていたら、まさに小林さんのIVPさんから資金を得ているのでうちの床も、机もそうですね、うちは壁紙もそうかもしれません。(場内笑)そうやって資金提供いただいてここまでやってきた会社です。よろしくお願いします。

学生時代は役者志望! クラウドワークス代表、吉田浩一郎氏

吉田:クラウドワークスの代表をやっております、吉田と申します。本日はよろしくお願いします。今39歳です。学生時代は演劇を志していて、演劇の契約書で失敗をして半年くらい準備した公演がダメになって、200万円ぐらい借金を背負って、やりたいことって契約とかお金のことを知らないとこんなに大変なことになるんだということで、一念発起して社会に入ろうと。

20代でメーカーの普通の営業マンから、成績が良かったのでイギリス系の外資に入って、そのあとドリコムという会社、ご存知の方どれくらいいますか?あまりいないですね、当時時価総額1000億円ぐらいになったこともある20代の学生起業家の雄みたいな、今も伸びていますけど、ドリコムの役員でベンチャーに入って上場を経験したという。

そのあと、1回自分の手で、100%自分の資本でやってみて、色んな実績を積んだ後、クラウドワークスを創業したという流れになります。うちの会社は本当に学歴とか人材が様々います。

一番上で行くと当然、東大卒の人間が3人ぐらいいて、東大からトヨタ自動車、野村総研、UFJ銀行からうちへ入ってきた人材。そうやって学歴という意味では高卒も二人いてしかもそのうちの一人はGREE(グリー)から転職してきたCTOなんです。

うちはダイバーシティというのを重要視しています。本当に多様な人々が集まる場所でありたいと。なぜかというと、我々のクラウドソーシングというもの自体が会社に所属しないでも働けるということで、最高年齢が85歳、70代の人たちも働いているんです。あと子育て中のママなんかもガンガン働いている、という感じで、多様な働き方をわれわれは推奨する会社でありたいと思ってます。

企業に対してもそういうオンラインで気軽に人材活用できるよということで、日本中の300万社に提案ができるという、そんな大仕事ができるんです。すべての人びととすべての企業に提案ができるそんな会社でございます。今日はよろしくお願いします。

"意識低い系"だった大学生が社長に

山本翔氏(以下、山本):チケットストリートの山本です。事業の概要はさっき話がありましたので。始める前というと学生のころ僕はそんなに意識の高いタイプではなくて、どちらかというとぼんやり生きていたんですけど、夏休みというと、やり終わったゲームを二周やったりして、バイトもしないでなにやっていたのでしょうね。

ぼんやりしていて。音楽サークルに入っていて結構まじめにやっていたんですけど、音楽で食っていくというほどの情熱もなく。そんな中、大学の3年の時にバイトももう少し楽なバイトないかなと探していた時、たまたま何かのホームページで見てモバイルサイトの運用、当時すごく流行っていたモバイルの更新でi-modeとか着メロとかあったと思うんですけど。

僕、今30歳でその時インターンでたまたまひょっこり入って、その中で就活もちょろっとしたんですけど、ベンチャーの雰囲気がすごく馬が合って、非常に良かったんです。

その時10人ぐらいのオフィスで、渋谷の風が。CAモバイルさんの近くだったんですけど、窓から風が入ってきて、みんな爽やかにTシャツで仕事しているみたいなスタイルがすごく馬が合って、最終的には上場するぞ! みたいな感じになって、みんなものすごく死ぬ気で働くぞ! みたいになっていくんですけど。

その会社で一年目の時に、割とハードワークなタイプだったのでほとんど寝ないで仕事していたら、すごく成績が上がって、担当のサイトもものすごい売り上げが伸びて行って、これで天狗になってしまって。社会人にある中二病みたいなのがあるんですけど、なまじちょっとだけできると「これ、俺、学ぶことないんじゃないかな?」みたいな感じになって。

一年目で、社員になって10か月くらいで別の会社に行って。その時の基準も自分にやりたいことがあったんで、それをやらせてくれる会社っていうことで、同じような境遇の会社に入って5年ぐらいバリバリ働きました。

そのなかで色々な事業、公式サイトだったりモバイルだったりアプリだったり、ソーシャルゲーム作ったり、中国で出会い系みたいなサービスを作ったりとか、そういうのをやっていく中で、目標がなく死ぬ気で売り上げを作ることに途中で疲れてきて、飽きてしまって。

だからミッションって大事で、何のために作るかというのは大事だって新卒の説明会でもしています。僕がぼんやりとしているときに小林さんと出会ったことに感謝していて、SNSとかのコメント欄で「しょうもないこと言って幸せですか?」みたいなことを差し込んできて、僕は答えに詰まるみたいな。

そうしたやり取りを経て、チケットストリートという事業をたまたま前の会社にいた時のスピンオフ的な事業として最初始めたんですけど、前の会社とのシナジーがないので資本関係を解消して、オーナリングもとってやっていこうと始めました。純粋に一から起業したというよりは、新規事業の一環としてチケットストリートを始めて、起業して今に至ります。よろしくお願いします。

小林:ありがとうございます。大学時代ゲームしかやっていなかったような人が、なんと社長ですよ。それも売り上げを稼ぐのに飽きたと言って社長になっているんで、すごいことだと思いませんか。

スポーツクラブのトレーナーから起業へ。FiNC代表溝口勇児氏

小林:溝口さんは座っている姿勢がきれいですね。事業の説明はさっきされたので、自己紹介をどうぞ。

溝口:そうですね。僕はベンチャーの中でも結構特殊なキャリアじゃないかなと思います。まず僕がどういう家庭環境だったかというと、おやじは孤児院生まれで、両親とか親戚が一人もいないんですね。孤児だったので。母は高校退学していて、相当悪かったみたいな。

私は19歳の時にできちゃった婚で生まれた子でして、3歳の時に父とは喧嘩して別れて、一度だけお会いしたことがあるんですけど、それ以来貧乏な生活を余儀なくされて。母は高校を退学させられたものですから親戚一同から勘当されていて、僕は親戚が母の妹と、兄貴しかいなくてお年玉も毎年3000円以上もらったことがなくて、そんな環境で育ったというのがあります。

中学とか高校からガンガン働いていて今29歳ですけど、多分もう16、7年くらい働いています。そういった、ある種のサラブレットみたいな血を引いていますから(笑)。

中高ではあまり大きな声では言えないような悪いこともしてきました。そんな環境で育ってきた人間です。大学進学というのは考えたこともなくって、高校生の時に佐川急便に就職が決まっていたんですけど、あまりにも面白くなさそうで、前職のスポーツクラブに入社して、17歳の時からトレーナーとして仕事していました。

もともとプロのスポーツ選手になりたいなというのもあったんですけど、せめてプロのスポーツ選手のトレーナーになろうと思って。結構大胆に踏み込む性格だったので、19、20、21歳のときにプロ野球選手とプロバスケットボール選手と契約して一緒に仕事をしてきました。これが非常に日陰なんです。相手は年収何億円とかもらっている人たちなんで。同世代なんですけど。

そうなると自分がこのままでいいのかなと思えて来て、経営の方にどんどんシフトしてきたんです。24歳ぐらいの時に、自分の中では大きな挫折があって、今のままじゃだめだと。力がなければ助けたい人を助けたいときに助けられないという、自由じゃないんです。

力を得るためには起業して頑張ろうと。どうせ起業するならちゃんとケツ決めようと。ですから私はそれから3年で、生まれてから10000日目に会社を登記したんです。人生って30000日って言われていて、だいたい81歳なんですよ。だから三分の一で登記して、そこから10000日は起業家として頑張っていこうと。

どうせ起業するなら、自分が12年間携わってきたフィットネス、ヘルスケアの分野でやろうと。自分が一番になれる分野で戦おうと。今まさに天の時で、この領域で頑張っていこうと起業した次第です。そんな人間です。よろしくお願いします。

小林:ありがとうございます。今、自己紹介を聞いて「俺も起業したい」と思った人はどれくらい増えますか? きた! ○○君、さすが僕の隣の家に住んでいる人ですね。