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2017年11月29日 日馬富士の引退会見(全1記事)
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伊勢ケ浜正也(以下、伊勢ケ浜):本日、横綱・日馬富士、引退届を提出いたしました。早くから、日馬富士が今回の責任を感じて引退したいということは本人から言われておりましたが、ファンのみなさまにいつも楽しんでいただく場所中の間、控えさせていただきました。
私は日馬富士横綱を、16歳という少年の頃から見てきておりますが、稽古で相撲に精進したのみならず、いろんな勉強もし、また難病救済など社会貢献にも目が届く、本当にめずらしいタイプのお相撲さんだと思ってました。
そして、およそ酒癖悪いとか乱暴するとか、そういったところは私自身、見たことも聞いたこともありませんでした。そのため、今回なぜこのようなことになったのか、ただただ不思議というか残念でなりません。
横綱の権威を汚すようなことをした本人が一番悪いんです。他人様のせいにするわけにはいきません。「本当に申し訳ありませんでした」と言うしかありません。ただただ、これまで支えていただいたファンのみなさま、相撲協会のみなさまに、心からお礼とお詫びを申し上げます。本当にすみませんでした。
日馬富士公平(以下、日馬富士):このたび、貴ノ岩関に怪我を負わせたことに対し、横綱としての責任を感じ、本日をもって引退をさせていただきます。
国民のみなさま、相撲ファンのみなさま、相撲協会、伊勢ヶ浜部屋の後援会のみなさま、親方やおかみさんに、大変迷惑をかけたことを心から深くお詫び申し上げます。
司会者:それでは、代表質問をよろしくお願いします。
記者1:それでは、まず代表して質問させていただきます。横綱、引退を決めて、今どんな心境でしょうか?
日馬富士:本当に国民のみなさまに、世間をこんなに騒がし、相撲協会や支えていただいた、いろんな方々に大変迷惑をかけたことを本当に心から申し訳ないなと思っているところです。
記者1:まだ今回の件について、警察の調査や協会の危機管理委員会の調査が進んでいるなかで引退を決めたわけですが、この時期にこの引退を決めたのはどうしてですか?
日馬富士:親方と話して、本当に横綱としてやってはいけないことを自分がやったことと言ったので。場所中だったので、場所をがんばっている力士たちに「最後までがんばっていただきたいな」ということで本日になりました。
記者1:今回の引退を決めるまで、いろんな心の中での動きがあったと思います。どのようなことを考えてこの引退を判断して、いつ最終的に引退を決められたんでしょうか?
日馬富士:このことがマスコミのみなさまに知られて、そのあと親方に事実を話して。横綱として、横綱の名前が傷つかずよう責任を持ちたいということを親方に伝えました。
記者1:師匠におうかがいします。引退を決めるまで横綱とはどんな話をここまでされてきたんですか?
伊勢ケ浜:やった事実はあるわけですから、その責任は横綱としてしっかり取らなきゃいけないということで、いつもそういう話をしてきました。
記者1:今回の事件のこと、そしてこの引退ということを師匠としてはどういうふうに今受け止めていらっしゃるんでしょうか?
伊勢ケ浜:やはり先ほど言ったように、横綱という名前を汚しちゃいけない。やっぱりそれはあってはいけないことなので。その意味では本当に、私の指導不足もありますけど、本人ももっと反省して、これからまたそれを勉強しながら社会貢献なりなんなり、がんばっていければいいんじゃないかなと考えておりますけども。
記者1:横綱、今回のこの一連の事件について、いったいなにがあったのか、これまでの警察の聴取や協会の危機管理委員会の調査で横綱自身がどのようなことを話してこられたのか、言える範囲でけっこうですので、教えてもらえますか?
日馬富士:先輩横綱として、弟弟子が礼儀と礼節がなってないときには、それを正し、直し、教えてあげるのは先輩としての義務だと思っています。
弟弟子を思って叱ったことが、彼を傷つけ、そしてたいへん世間を騒がし、相撲ファン、相撲協会、後援会のみなさまにたいへん迷惑かけることになってしまいました。
記者1:これまで相撲界のさまざまな不祥事がありました。もう2度とこういった不祥事を起こしてはいけないと横綱自身も思ってきたと思います。なぜ今回、このようなことが起きてしまったのでしょうか?
日馬富士:今も言いましたが、弟弟子を思って叱ったことが、彼にとって、礼儀と礼節をちゃんとしていけると考えながら、がんばっていけるんじゃないかなって思って、行き過ぎたことになってしまいました。
記者1:横綱は常々「お客さんを喜ばせる相撲を取りたい」と語ってきました。ファンに対してはどんな思いですか?
日馬富士:16歳で母船から離れて海を渡って父船である日本にやってきて、親方、おかみさんの下で、相撲、そして人様に迷惑かけぬように、人としてちゃんと生きる道を教えていただきながら育ちました。
相撲を通じて縁があった方々、そして私を支え、応援していただいたファンのおかげさまで第70代横綱になることができました。
私は日本を愛しています。日本の国民も愛しています。ファンのみなさまに心からお詫びを申し上げて、心から感謝を申し上げたいです。
記者1:16歳で日本に来て相撲界に入りました。横綱にとって相撲の世界というのはどんなところでしたか?
日馬富士:私は相撲を愛しています。大好きです。そして相撲取りというのは、ただ強いだけではなく、人として相撲を通じて国民のみなさまに感動と勇気、相撲を通じて社会になにかできることを一生懸命やっていくこと。
親方、女将さんから学びながら、相撲を通じてみんなに希望を与えることを考えて自分にできるだけのことをやってきました。そういう意味では私にとっての相撲は丸い土俵の中でただ戦って強いわけではなく、相撲を通じて人々に感動、勇気、希望を与えることが相撲なのかなと思います。
記者1:およそ17年間の相撲人生でしたが、どんな思い出がありますか?
日馬富士:相手がいての相撲なので今まで戦ってきたライバル、相手たちにも感謝ですし。相撲を通じて縁があって出会った方々の支えのもと、親方の教えのもとで、女将さんに支えていただいて今まで来たので素晴らしい17年間でした。
記者1:ちょうど5年前の九州場所で新横綱、横綱に昇進しました。横綱とはどういうものでしたか?
日馬富士:僕が上がったときにも言いましたが、横綱としてみんなの基本と見本になる。そして横綱の名前に傷がつかないように精進して一生懸命がんばりますと言いました。
一生懸命、横綱として土俵に上がり、そしてお客さんに楽しんでいただける喜んでいただける相撲だけを考えて横綱としての責任を果たしました。
記者1:たくさんの相撲を土俵上でとってきましたけれども、どの相撲が一番思い出に残っていますか?
日馬富士:たくさんの思い出があります。この場を通じて一緒に戦ってきた力士の仲間たちに本当に申し訳ないと伝えたいです。
今思い出に残っているたくさんの相撲の中では、初土俵で序ノ口で優勝したことが、初心を忘れちゃダメなのでそのことがいつも思い出の中にありながらその気持ちを忘れずに今までがんばってきました。
記者1:師匠にうかがいます。入門時90キロにも満たない少年を受け入れて横綱まで育ててきましたが、日馬富士関の土俵人生は師匠から見てどんな土俵人生だったと思いますか?
伊勢ケ浜:とにかく稽古、稽古ですね。「どこが痛い」「あそこ痛い」って思っても、弱音を吐かずにずっとがんばり続けて今日までやってきたんじゃないですかね。その相撲を見てもらうことでみなさんに喜んでもらえたんじゃないかなと思います。
記者1:横綱、先ほどの師匠の涙はどういうふうに受け止めましたか?
日馬富士:今から10年前に父を15で亡くして、そして僕のお父さんであり師匠であり、僕の憧れの師匠でもあり、いつも「親方、女将さんに恩返ししていきたいな」「女将さんに喜んでいただきたいな」「親方に評価していただきたいな」という気持ちが、「いい息子でいたいな」という気持ちが強かったです。
この17年間積み上げてきた僕の生き方が最後にこんなに世間を騒がせたことを、本当に親方に申し訳ないという気持ちでいっぱいです。これからも自分なりに恩返しして、相撲の名前が傷つかないようにちゃんとした生き方をして恩返ししていきたいなと思います。
記者1:今回のことがなければ、引退後も業界に残って大相撲を支えていこうという思いはありましたか?
日馬富士:相撲があっての私なので相撲界に恩返しをして生きていきたいなという気持ちはありました。
記者1:最後になりますが、今後も日馬富士関の人生は続いていくわけですけれども、今後どのような人生を歩んでいこうと思ってらっしゃいますか?
日馬富士:親方、女将さんの17年間の教えのもとで相撲で学んだことを生かして、人様に迷惑をかけないようにちゃんとした生き方をしてがんばっていくつもりでいます。
記者1:代表質問は以上です。
司会者:それでは各社でご質問がある方は挙手、社名とお名前よろしくお願いします。
記者2:読売テレビのハシモトと申します。横綱にお聞きします。先ほど自分の暴力について弟弟子を思ってやったことだと話されました。今貴ノ岩関に対して思うことはなにかあるでしょうか?
日馬富士:貴ノ岩関に怪我を負わせて、心もたぶん傷ついていると思います。これから礼儀と礼節を忘れずちゃんとした生き方をして、がんばっていただきたいです。
記者3:『ゴゴスマ』という番組をやっているのオクダイラと申します。横綱と親方に、1つずつ、うかがいたいんですが。
今回の件、いち相撲ファンとしても、たいへん残念に思っております。横綱は九州場所を立ち去るまでは、土俵に上がっていました。そのときはどんな気持ちだったのでしょうか?
日馬富士:普通に相撲に集中して、がんばっていました。こうやって新聞に出ることになるというのも、そのときはわからなかったので。次の日、26日に彼が僕のところに謝りにきて。
そのときに「こうやって叱ってくれるお兄さんがいることに、感謝しろよ」「気をつけて、がんばれよ」って言って、握手して別れたわけですから。そのことが、こうやって大きくなっているってことを知りませんでした。
記者3:我々、報道陣も、被害者とされる貴ノ岩関と直接会ったり、話を聞いていないのでわからないんですけれども。こういった事態のほかの解決方法、事態収拾の仕方が別にあった可能性というのは、どうなんでしょうか?
伊勢ケ浜:それはみなさんが、どういうふうに思うかということ、私はやっぱり要するに、関取を指導して、それが行き過ぎてしまったと。
その行き過ぎてしまった部分に対しては、やはり横綱として、その権威というか。横綱の名を汚したんじゃないかなと私は思います。ですからその責任は絶対にとらなきゃいけないんじゃないかと思っています。
記者3 :ありがとうございます。
記者4:NHKの『ニュースウォッチ9』のクリハラと申します。よろしくお願いします。親方と横綱、それぞれ1個ずつ聞かせてください。まず、師匠なんですけれども、公益財団法人の理事でもいらっしゃいますが、今回の件、これまでの対応を振り返って、ご自分自身でどのように評価をされますか?
伊勢ケ浜:私ですか? 私は全部、筋道をとおして、きちんとやってきました。それだけです。
記者4:「対応が遅れた」というような声もあるんですけれども、それについてはいかがでしょうか?
伊勢ケ浜:何への対応ですか?
記者4:(貴ノ岩の)退院など、報告についてです。
伊勢ケ浜:私は知ってすぐに謝罪をしました。電話でもしました。私は「謝罪に行く」といって、断られたときもありましたけど。そういったことはきちんと、やっておりました。
記者4:横綱に1つ聞きますけれども。今回起こしてしまったことの重大さ、重さというのは、今どのように認識していらっしゃいますでしょうか?
日馬富士:今回のことで、「彼のためになる」、そして「僕は正しいことをしている」という気持ちが強過ぎたと。いき過ぎることがあるんだなと思いました。……それだけです。
記者5:今回の件に関して、お酒が1つの理由と報道にありますけれども。ご自身ではお酒を飲んでいるときの性格について、ご自身でどのように認識をされていらっしゃいますでしょうか? また自分自身の認識に対して、過去どのように言われたり、ということがありましたでしょうか?
日馬富士:私は今までお酒を飲んで、何かの事件を起こしたことはありません。それは自分がどうのこうのということより、隣の人とか、一緒にいる人が評価してくれることなので。私自身は、お酒を飲んで人を傷つけたり、暴れたり、酒癖が悪いと言われたことは今まで一度もないです。
記者5:これからどのようにお酒と向き合っていきたい、というのはあるんでしょうか?
日馬富士:「お酒を飲んだから」だけの事件ではないので、これは……。
記者6:福岡放送のマツイと申します。横綱にお話をうかがいたいんですけれども。今回いき過ぎた自分の指導があったというお話をされていましたが。
これまでにもそのような指導をしていたことがあったのか? もしくは相撲界でも、そのような指導というのは見たことがあるのか? そのあたりをうかがいたいです。
日馬富士:今までこういう指導をしたことはありません。えー、すみません、あとは……。
記者6:周りでもこういった指導というのを目にすることは、今までありましたか?
日馬富士:いや、ないです。土俵の上で、稽古場で教えていくことなので。
記者6:TBS『あさチャン』のスミナと申します。お二方におうかがいします。まず横綱に。幕下・安馬の時代からずっとファンでした。日馬富士関、本当は辞めたくはないんじゃないですか? 悔いが残ってるんじゃないですか? いかがですか?
日馬富士:やっぱり横綱として、やってはいけないことを……してしまったので。横綱らしく責任をもって。責任をもつのは横綱なので、今はこれをこうしたいな、どうしたいなというのは、ないです。
記者6:次に師匠におうかがいします。師匠の現役時代、あるいは学生相撲のときから、「悪しき上下関係」というのをとくに好まない方だったというふうに記憶しております。
その親方のもので、こういったモンゴルの、指導者のもとでの上下関係というか、そういったことが問題になってしまった。そのことは、親方の相撲道から、どのように見ていらっしゃいますか?
伊勢ケ浜:もう冒頭で述べているんですが、なぜこうなったか、というのが不思議でしょうがありません。それ以上に言いようがないです。
記者7:テレビ朝日『報道ステーション』のトミカワと申します。新入幕を果たしたのも、大関昇進を遂げたのも、横綱として初土俵に上がったのが、この九州場所でした。この九州場所で引退という決断をするということになった。このことについては、どんな心境ですか?
日馬富士:17年前、平成12年の9月に日本に来て、初めて見たのが九州場所なので。本当に縁起のいい場所で。そして最初の親方に、そして奥さまにたいへん可愛がっていただいていました。本当に九州は大好きです。そして太宰府の神さまも心から信じています。
記者7:その九州場所で引退を決めたということについては?
伊勢ケ浜:決めたというか、そうなったんじゃないですか? それを今言ってるのは、質問がちょっとおかしいんじゃないですか?
記者7:2020年の東京オリンピックまで横綱を続けたいという思いがあったように記憶しています。それが今回、引退することになってしまった。
この一連の騒動のなかで、いろんな思い、葛藤があったと思うんですが、本当のところ、どの段階で引退を決意されたんでしょうか?
伊勢ケ浜:それもさっき述べたじゃないですか。私たちは話をしたわけですから。それをさっき述べたんだから。同じ質問をこう繰り返すのは……。
もっと、みなさん聞きたいことがあると思うんで、同じような質問ではなくて。もう代わってください。話をちゃんとしないといけないので。
記者7:はい、わかりました。すみません、じゃあ最後の質問に。「私は相撲のことが大好きだ」「相撲があっての私だ」とおっしゃっていました。今後、角界になにか相撲に関わっていきたい思いはありますか?
伊勢ケ浜:(日馬富士に向かって)ダメってことでいいよ。(司会者に向かって)ほかの人に質問をして。今日引退したばっかりだから、それは出ないよ。
伊勢ケ浜:ちょっといいですか? 今の質問に対して。あの捜査もまだ続いていますので、そういったことに関しては答えられないです。
今までの指導についてもさっき述べてますので。ちょっと質問が同じような感じになってきていますので、もしほかでなにか違う質問があったら、言ってみたらどうでしょうか?
記者9:フジテレビ『めざましテレビ』のナガシマと申します。九州場所の優勝インタビューで、白鵬関が、日馬富士関と貴ノ岩関を「もう一度、土俵に上げてあげたい」というお話がありました。それについて横綱はどう感じていらっしゃいますか?
日馬富士:今も言いましたが、相手に怪我を負わせたこと、横綱として……。責任をもつのは横綱なので。でも、その気持ちはうれしかったです。
司会者:それでは記者会見を終わらせていただきます。ありがとうございました。
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