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「NFT」の誤解はどこから生まれるのか?(全2記事)

NFTは「マイナー」ではなく「クリエイター」のためのもの 大事なのは「NFT=非中央集権」と思考停止しないこと

2021年あたりから、急にNFTという言葉を聞くようになりました。NFTアートが高値でやり取りされていることから、NFT自体が仮想通貨と勘違いしている人もいるようですが、実際はそうではありません。では、NFTの本質や凄さはどこにあるのでしょうか? NFTの技術的な仕組みとそれが本当にもたらす価値について、一般社団法人ジャパン・コンテンツ・ブロックチェーン・イニシアティブ(JCBI) 代表理事の伊藤佑介氏におうかがいしました。後半はNFTの本質について。前半はこちら

「非中央集権であるべき」という思考停止

ーー実際問題、権威付けというか、どこかが保証しないとオラクル問題が解決しませんとなった時に、これは一方で、先ほどの現実と理想の話になってくると思うのですが、例えばその権威付けをしているところが、場合によっては暴走して、勝手に価値をすごく高めてしまうような、そこのやりたい放題になってしまわないのでしょうか?それこそ、中央集権的に。

伊藤佑介氏(以下、伊藤):いわゆる理想的な自律分散、非中央集権、自己主権が現実的にはそのまま社会実装できないので、一番にブロックチェーンの社会実装を果たした仮想通貨は今どうなっているかみてみましょう。

確かに仮想通貨を所有する人は増えましたが、理想で思い描いたようにみんなが自己主権的にウォレットで仮想通貨を自己管理して所有しているかというと現実はそうではなく、ほとんどの人は仮想通貨取引所さんに代わってウォレットを管理してもらっています。

結局、今の仮想通貨ですらも、仮想通貨のデータ自体は非中央集権になっているのですが、それを管理する主体は仮想通貨取引所さんといういわゆる法人の会社という信頼できる主体がその役割を担っています。理想的な自己主権を実現するためのウォレットが現実的には不便すぎるため、みんなに代わって仮想通貨取引所さんがいい意味で中央集権的に管理してくれているのです。

だからこそみんな、いつものWebサービスで使っているような便利で現実的なID、パスワードを使って、仮想通貨取引所さんのサービスにログインして、快適に仮想通貨の取引ができています。ですので、そこでは現実をクリアするために、「中央集権=便利」といういい意味で中央集権を受け入れているのです。つまり、現実社会はすべてが「中央集権=悪い」という単純なものではないということです。

そしてよく理解しなければいけないのは、仮想通貨ですらも、理想的に非中央集権として存在している部分と、そうではなく現実的にいい意味で中央集権を受け入れている部分の両方があるということです。

ですので、さきほど言った単一の信頼できる主体というのはNFTだけがということではなくて、仮想通貨ですらも一部分はそういうものを受け入れていて、いい意味で中央集権的な管理主体として仮想通貨取引所さんがいる状態になっているのです。

今一度考えるべきことは、はたして本当に、なにか団体や会社や組織のような主体が存在しているものが社会においてすべて悪いのか?ということです。そもそも団体や会社や組織は何かといえば、一人ひとりの個人が責任を持って何かをしようと思って集まっている、個人の集合体です。それにもかかわらず、「団体や会社や組織のような主体は中央集権的であるためすべて悪い」という考え方があるとすると、それは極端すぎると常識的に誰もが思うでしょう。

当然人間は、必要に際して集まって力を合わせてなにかをすることはあります。個人と集団というのは一概に相反するものではなく、実際にはそこには濃淡があります。

濃淡で考えると、何人以上の集まりだったら中央集権で、何人以下の集まりだったら非中央集権なのかということも明確な線引きはありません。ビットコインは誰でもマイナー(採掘者)になれます。そして、今いるマイナーは1万程度です。

では、10,000だったら非中央集権的に運営されていて、5,000だったら中央集権なのでしょうか。確かに、ビットコインのノードが1とか2だったら中央集権的だなと思うのかもしれませんが、「じゃあ100だったら中央集権ではなくなるのかどうか」とか「あるいは1,000からは非中央集権になるのか?」と、誰も単純には白黒つけられません。

そのように、非中央集権、中央集権というものも濃淡のグラデーションがあって、ここまでが中央集権で、ここからが非中央集権などと明確には言えません。私ももともとブロックチェーンの非中央集権という考え方が好きで、そこに惹かれてこの領域をやっていますし、とても理想的な思想でそれは活かすべきだと思っています。ですが、そのすばらしい技術を社会実装して進めていくためには、その進展のフェーズごとに、現実的に対応しなければいけません。

社会を人間が構成していて、私たち自身、1人で生きている人は1人としていない中で、ブロックチェーン技術を使う時には、どこの部分がいい意味で中央集権に、責任を持つ個人が集まる団体にしてもらうのがよくて、どこの部分は非中央集権に、団体ではなく個人が自由にできたほうがいいか、現実的によく考えていくことが社会実装を進めていく上では大切です。

ビットコインなどの仮想通貨でさえも仮想通貨取引所さんといういい意味で必要なことをしていくれる主体がいて社会実装がされているのですから、同様にコンテンツのNFTや貿易のNFTでも、もちろんそういった主体が社会実装のために必要な部分があるのは当然のことです。

そしてそれはなぜなら、その主体がしてくれることが、顧客にとって価値があることだからです。仮想通貨取引所さんがウォレットを顧客に代わって管理してくれるのは、それが顧客にとって利便性という価値があるからです。

どの部分は非中央集権にした方がいいのか、一方でどの部分はいい意味で中央集権的に誰かに管理してもらったほうが顧客に価値があるのか、ということを冷静に見極める必要があるのです。

ブロックチェーン技術そのものではなく、その背景にある考え方が受け入れられている

ーー今言った管理してくれる機関ですが、例えば、今多くの人がスマホを持っていて、その上でデジタルコンテンツを扱うようになって、そこでNFTの話が出てきた時、それを管理するのは結局そのスマホを作っているAppleやGoogleなどいわゆるGAFAで、そういうふうに1社が大きく管理する話になるのは、やはり健全じゃないと思いますか? それとも、それでもいいと思いますか?

伊藤:それに関しても、是非論ではなくて、みんながどういう状態を望んでいるかということだと思います。今GoogleやFacebookが仮想通貨やNFTなどのブロックチェーン領域でもインフラ的な存在になることに対して少し違和感を感じているのは、GoogleやFacebookが中央集権的である「株式会社」という存在だからなのではないでしょうか。

中央集権的である株式会社に対して、ブロックチェーン的な自己主権の考えが強い人が違和感を感じるのは、誰もがその法人に意見を反映できる組織構造になっていないからではないかと思います。

GoogleやFacebookのような規模まで社会的な大きなインフラになると、もはや株式会社というよりは、公共的な存在に近いものとなってしまっています。しかし、その株式会社は、組織の構造上、意見を言えるのは持分の多い株主となっています。そのため、それらの社会インフラのようなサービスに対して、株主でなければ意見が言えず、市民の意見が反映されないという状況に対して、違和感を感じる人が世界中で多くなってきているのだと思います。

ですので、GAFAが悪いということではなくて、誰もが意見を反映しやすいほうがみんなが納得できるだろうというニーズが世の中全体に出てきている今、マイニング(採掘)という誰でも自由にオープンに参加できる仕組みを使って、みんなでシステムを共同運営できて、みんなの意見が反映される、ブロックの技術がそのニーズに合っていると感じられているのでしょう。

そのニーズを充足できる技術構成に、GAFAのような株式会社のインフラと違って、ブロックチェーンのインフラはなっていることに、みんなが期待しているのです。

世界中のみんなが何を正しいと思うかというところの問題ですので、必ずしもGAFAだからダメなのではなくて、もしかしたらGAFAのような株式会社であっても、もう少し意見を取り入れられるようになったら、別にブロックチェーンではなくても、みんな信用できると思うようになるかもしれません。

ブロックチェーンという技術がすばらしいということではなくて、大事なのは、ブロックチェーンの背景にある、みんなで運営して納得感がある、という考え方が受け入れられているところなのです。

もしかするとその支持されている考え方をきちんと捉えられれば、ブロックチェーンではなくても、組織運営のあり方や制度で解決できることもあるかもしれません。

ただし、ブロックチェーンの、分散的にみんなで運営しているというフェアネスは、今の時代に合っているので、そういう考え方が受け入れられて、みんなに期待されているのだろうと思います。

ブロックチェーンは将来プラットフォームの違いを気にしなくてもよくなる

ーーブロックチェーンやNFTであったりは、もちろんみんなが使えるようになるといいなと思っています。一方で気になるのは、例えばコンピューターをあまり使えない人や企業がある状況で、ブロックチェーンによって、使える企業と使えない企業、あるいは使える人と使えない人のように社会が分断されることが起き得るのか、それとも最終的には、みんなが知らない間に使っているようなシステムになっていくものなのかというところです。

伊藤:まず大前提として、ブロックチェーンでもインターネットでも、もちろん最初は使えない人がいて、それがだんだん便利になることによって、使ってもらえるようになって普及していくのは、どの技術でも変わらないことだと思います。ですので、ブロックチェーンだから使えない人がいる、いないということはありません。

もう少しブロックチェーンにフォーカスすると、今は少し分断的な要素があります。それは、複数あるブロックチェーンプラットフォームのどれを採用するかという分断です。

「Ethereum」「Polygon」「Flow」などいろいろなブロックチェーンプラットフォームがあって、それぞれのエコシステムの中でNFTが発行されて使われています。自分たちのブロックチェーンプラットフォームの中でより多くのNFTが流通されることで、そのブロックチェーンのプロジェクトの価値が上がるので、各プロジェクトが自陣営に多くの企業を取り込もうとする分断が起こっています。

ただそれも、最終的には、異なるブロックチェーンプラットフォーム同士をつなぐインターレジャーという技術が解決してくれるでしょう。インターレジャーとは、ブロックチェーンプラットフォームとブロックチェーンプラットフォームをつないで、例えばEthereum のNFTをPolygonに持ってきて、その時にきちんと、Ethereum 側のNFTが消えてPolygon上にだけ新しいNFTが現れて、NFTが二重に存在すようなことがないように、確実に異なるブロックチェーンプラットフォーム間でNFTを移転する技術です。

今はブロックチェーンプラットフォーム間の分断があったとしても、将来的にはインターネットと同じようにつながっていきます。これからいろいろなブロックチェーンプラットフォームが数多く現れてきますが、その違いを一般の人が意識しなくてもいいように、ブロックチェーンプラットフォームとブロックチェーンプラットフォームをインターレジャーがつないで解決してくれるのではないかと思っています。

繰り返しになりますが、技術を使える人と使えない人の分断はどの技術も同じで利便性の向上によって解消していきます。そして、ブロックチェーンプラットフォーム間の分断は、将来的にはインターレジャーという技術が、ユーザーがどのブロックチェーンプラットフォームを使っているかは意識せずに使えるようにしてくれる見通しが立っているということです。

大事なのは「NFTは誰のためのものか」ということ

ーー先ほどマイニングという言葉が出てきたと思うのですが、このマイニングは掘っていく話だと思うので、すごく電気を使ったり、環境のところではいろいろあったりすると思います。この前たまたまニュースで見かけたのが、森林伐採の話の中で、NFTを環境問題に使いましょうということでした。そういうことを言いながら、一方でマイニングのようにいろいろな環境負荷もあったりします。そこはブロックチェーンとイコールではないと思うのですが、今後マイニングのところは、なにか変わっていくことはあるのでしょうか?

伊藤:変わっていく兆しはすでに表れています。ビットコインの仕組みである「プルーフ・オブ・ワーク」は、フェアネスを実現するための仕組みで、その中でフェアネスを実現するために電力を消費します。

ビットコインでは、マイニングに誰もがマイナーとして参加でき、およそ10分に1回行われる、とある数字を見つける賞金獲得競争ゲームで、一番になった人が賞金のビットコインをもらえます。そして、そのゲームに誰もが自由に参加できるので、誰か一人が牛耳ることなく、たくさんのマイナーが参加しています。

この競争で、10分に1回誰が勝つのか、その勝者を決めるために、電力を大量に消費しています。というのも、フェアネスを実現するために、このゲームでは、くじ引きゲームで単純にクジを引いてみんなが同じ当選確率で公平に一番クジを当てる競争をするのと同様に、全員がまったく同じ単純な処理を自分のサーバー上で繰り返して公平に当選番号を見つける競争をすることをルールとして課しています。そのため、単純な処理をサーバーで多くのマイナーが膨大な回数処理することになるので、結果それが電力をとても消費します。

ビットコインの価格がまだ低かった時は、マイナーの数も少なかったので、電力はそこまで消費されていませんでした。しかし、ビットコインの価値が上がって、たくさんのマイナーが参入するようになってきたため、消費される電力もどんどん増えてきてしまっています。

そこで、電力を大量に消費しなくてもフェアネスが実現できる次の仕組みとして期待されているのが「プルーフ・オブ・ステーク」です。プルーフ・オブ・ワークと同様に誰でもマイニングには参加はできますが、参加条件が違います。プルーフ・オブ・ステークのマイナーには、参加条件として、そのブロックチェーンプラットフォームで発行されている仮想通貨を身代金として預ける、つまりステークすることが求められます。

そしてこの仕組みでは、最初に当選番号を見つけた人ではなくて、身代金の仮想通貨をたくさん預けた人が、たくさんの報酬をもらえます。つまり、もう全員で単純な処理をサーバー上で繰り返し行わなくてもよくて、その代わりに全員が身代金として仮想通貨を差し出すのです。

プルーフ・オブ・ステークでは、仮想通貨を身代金として預けさせて、もしなにか不正をしたら没収される仕組みになっているため、多額な仮想通貨を差し出している人が、データを改ざんして不正を働くメリットをなくして、経済合理性によって改ざんを防いでいます。

多額の仮想通貨を身代金と差し出した人が報酬をもらえるチャンスが増えるようにして、電力の消費は抑えているのですが、お金持ちしか報酬がもらえないとしたらフェアネスがあるとは言えなくなります。そのため、一度報酬をもらった人は、それ以降の一定回数のマイニングでは報酬をもらえなくするなど、フェアネスが担保されるようにするためのいろいろな工夫もされています。

これから先も、プルーフ・オブ・なんとかというほかのものが生まれて、仮想通貨の電力消費とフェアネスのバランスを図りながら、変遷していくでしょう。

一方コンテンツのNFTを発行するブロックチェーンに対しても、今まさにこの電力消費について疑問が投げかけられています。

なぜなら、文化や社会を重んじるクリエイターは、自分たちのコンテンツ領域の取り組みで使われるテクノロジーが、地球環境を破壊することに強く問題意識を感じているからです。

コンテンツ領域にかかわる人が何を求めているのか、ということは、とても重要なことです。NFTに対してクリエイターから、「私たちは文化的なコンテンツ事業をして世界を幸せにしています。その私たちが使うものが地球環境を破壊するというのは、それとは矛盾しています」、「私たちが発行するコンテンツは、決して金融領域のものではないので、仮想通貨と同等の大量な電力をかけてまで、高い対改ざん性で守るべきなのかと言ったら、そうは思いません」というような声があがっており、そういった声に対して真摯に向き合っていくべきです。

これも先ほどお話しした、ビットコインで取引型サービスを提供しているからといって、よく考えることもなく、NFTでも取引型サービスを提供してしまい、きちんと利用型というニーズを捉えていないのと同じで、金融業界で使われているブロックチェーンが、そのままコンテンツ業界で受け入れられるとは限らないということを理解しなければなりません。

電力を消費してまでの対改ざん性を求めてないクリエイターに対して、今のブロックチェーンが現実的にどう応えられるのかが、今問われています。

ことば遊びではない、インターネットの本質

ーー今、クリエイターというかコンテンツの話も非常におもしろいなと思っていたところですが、そこになってくるとWeb3という言葉が最近出始めてきて、これは、まさにコンテンツのところかなと思います。Web 2.0の時も若干バズワード的に聞いていた部分もあったので、このWeb3はどうなのかなと思いますが、どうなっていくのか、なにか思ったりすることはありますか?

伊藤:正直ことば遊びのように思えて、Web3という言葉自体には、あまり個人的にはフォーカスしていません。Web 1.0から2.0、3.0になる中で、3.0のことを分散型Webという話を聞き及ぶこともありますが、それも先ほどの濃淡の話と同じで、どの程度だと分散化しているといえるのかということです。GAFAのような企業が、一気に世界中の人が使う社会インフラ的なコミュニケーションツールになり、分散化と逆の集中化が極端に起こったことで、その揺り戻しで分散化の声が上がってきているのだと思います。

しかし、よく言われる話ですが、そもそもインターネットの初期は、いわゆるピア・ツー・ピアという分散化の概念がもともとあって、実際に「Winny」のように、パソコン同士が通信するソフトがその時代にはありました。

そこからWeb1.0、2.0になったのは、ピア・ツー・ピアでパソコン間でデータを送るのがあまりに不便で非効率なため、やはり1つのWebサーバーに集約されたほうが便利だし効率的なので、みんながそれを望んで使うようになったからです。

ですが、あまりに集約し過ぎたので、今度は解体したいということになっているのだと思います。つまり、新しいことが起こっているというよりは、揺り戻しが起こっているにすぎないのです。Web2.0になってとても便利になりましたが、一方であまりにアンフェアになり、その結果、大統領経験者ですらも、一企業がアカウントを止めたら情報を発信できなくなるほど中央集権的になったため、それはちょっといき過ぎだろうということで、また戻していこうとしている状態なのでしょう。

つまり、Web1.0、Web2.0、Web3.0と一方向に進んでいるのではなくて、むしろ、Web1.0、Web2.0、Web 0.5と逆方向に戻り始めたとも言えるかもしれません。一番大切なのは、分散化やWeb3.0という思想や理想ではなく、分散化した結果、みんなが使いたいと思うような、フェアで多様なサービスが生まれることなのです。

当たり前のことですが、今私たちが実際に生きている資本主義社会の中では、思想や理想ではなく、社会のみんなに求められるものが残るという現実に向き合わなければなりません。

最初の話に戻りますが、ビットコインが投資家に求められるような新しい金融取引手段を提供したことに価値があるのと同様に、NFTも真にコンテンツファンに求められるような新しい利用体験を提供していくべきです。

そして、NFTという技術がなければ体験できなかったような、複数の会社のサービスを横断してファンがコンテンツを楽しんで利用できるサービスを作って、その価値あるユーザー体験に対してファンから正当な対価をもらうことこそが、コンテンツ業界がNFTによって起こすべきイノベーションであると考えて、一般社団法人JCBIという「場」で、日本のコンテンツ企業で一丸となって、その実現に向けた共創に今まさに邁進しています。

ーーありがとうございました。

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