2024.12.10
“放置系”なのにサイバー攻撃を監視・検知、「統合ログ管理ツール」とは 最先端のログ管理体制を実現する方法
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宮田大介氏(以下、宮田):あ、質問が来ていますね。新参者の米光さんが周りから認められるようになるきっかけ等の出来事があったら教えてください。
米光一成氏(以下、米光):認められていたのでしょうか……。本当に、言い合いとか喧嘩しながら進めていたので……認められたのがいつなのか分からないです(笑)。
宮田:最初から最後まで熱く、「これが絶対だろう!」という感じだったのですかね。仲間も、上下関係なく。
米光:そうですね。認め合うというよりは、最初から認め合っていた。ゲーム好きで、ゲーム作りたい! という気持ちだったので、もしかしたら最初からそういう環境だったのかもしれません。
宮田:なるほど。それはすごく面白い環境というか、やりがいのある環境でやってきたというわけですね。
米光:そうですね。変な人たちで、プログラマとか天才なんです。天才すぎておかしい人多いというか……。そういうところでは認め合っているけど、人としてはそうでもないかも、という……(笑)。
宮田:クリエイターとしては認め合っている、という(笑)。
米光:はい。すごいと思っているしリスペクトしています。
宮田:はい、ありがとうございます。それでは歴史の針をもう少し進めて……スティングさんという新しい会社に移籍したのですよね……。
ゲーム業界に入った経緯、最初の会社、コンパイルでの環境、そしてぷよぷよ誕生まで第一部で聞くことができました! ぷよぷよが予想外の状況下で生まれていましたね……。
では移籍後の会社でのお話を主にレポしていきたいと思います!
宮田:それでは歴史の針をもう少し進めて……ぷよぷよリリース後ということで、10人位の規模のコンパイルさんが100人規模になっていったのですよね。
米光さんも、どんどん認められるようになっていったのですが、そこで残るよりは新しいステップに進む事を選び、スティングさんという新しい会社に移籍したのですよね。スティングさんも丁度立ち上がったばかりで……。
米光:あ、立ち上がって数年経っていたのですけど、もうちょっと人数増やしていこうみたいなタイミングで。それでもまあ、20人位でしたね。
宮田:同期が作った会社で……誘われて入社した感じですよね。コンパイルさんがどんどん成長しているタイミングでどうして、より小さい会社に移動しよう、となったのですか?
米光:どんどん大きくなっていく中で、作りたいものを作りにくくなっていた。社長の会社を大きくしていく方針と、僕が思うゲームを作りやすい環境がズレていたのです。
でも会社はやっぱり社長のものだから、もっと人数増やしてもっとシステマティックに! という感じで進んでいる中、スティングの方は、今すぐは無理だけど何年後かに米光が作りたいゲームを作らせてやる、と言ってくれたので、行きましょう、と。
宮田:なるほど。規模的にもコンパイルさんに入った感じの状況ですね。100人、200人というよりは少人数で、言いたい事言い合って、ぶつかって作っていく環境を求めていたのですかね。
米光:会社の規模が大きくなっても、チームごとにカラーがあって、ある程度の裁量を与えるとか、いろいろな方法があると思うのですが、そのへんで会社の方針とズレてきちゃったので……。
宮田:なるほど、それでスティングさんに……。でも、入った当初はやりたいこともあるけど、とりあえずは下請けという感じでしたよね。そこで働きながら、次のヒストリアポイントという所で、米光さんもう一つの大作「BAROQUE」。
知っている方は知っていると思うのですが……若い人は知らないかな?是非調べてみて欲しいです。「ぷよぷよ」の柔らかい世界観とは正反対の世界観のゲームですね。
米光:そうですね。まあでも、それは最初に社長が言っていた「好きなものを作らせてやるから」というタイミングが来たので「作りたいもの作ろう!」と振り切りましたね。
もちろん沢山の人に遊んでもらうつもりで作りましたけど、マーケティング的に正しくというよりは、この作品を全人類遊んでくれた方がみんなの人生が良くなる、という感じの気合いで作っていたので、普段だったら「そんなの売れねえよ」と言われてしまうことをスティングの社長はやらせてくれて、本当に良くしてもらえました。
宮田:そこまで強い思いがパッとあったからこそ、今でも続く、そして熱狂的なファンが付いている作品が生まれたのでしょうね。周りの意見とか聞いていたらそこまですごい作品にはならなかったと思いますか?
米光:ならなかったと思います。「BAROQUE」は、独特すぎて、作ってるときに、分からない人には分からないって何度も言われました。いろいろな資料や、方向性が似ている作品を観てもらったりして、丁寧に説明したりもして大変でしたね。
一方で、ぱっと分かる人は分かっちゃうんですよ。こういうのやりたかった! って言ってくれる。だから映像制作やキャラクターデザインの人は、世界観を共有できた人としか組んでない。
なので、そこからは意見の対立とかすれ違いはまったくない。一緒に悩んで作り上げるという方向性になっていった。悩んだり、助け合ったり、分かってもらえない人には伝える努力をしたり、大変でした。
宮田:じゃあ結構難産なタイトルだったのですね。でもこれを機にスティングさんも結構規模が大きくなって、100人位になりましたね。
米光:あ、スティングというよりはゲーム業界全体が……ですね。PS2が出るちょっと前位のタイミングだったので、小さな規模のゲームを作りにくくなったのですよ。ハリウッド映画的なタイトルか、シリーズものじゃないと出せない、みたいな雰囲気があった時期。
大きく、たくさん売れることが分かりやすく予想できるものじゃなきゃダメだみたいな方向になっていったので、辛くなってきた。あと「BAROQUE」作っていた間もスタッフがどんどん増えていって、これ以上スタッフが増えると「BAROQUE」みたいなものはもう作れなくなるな、と感じていました。
宮田:なるほど。そこで次のヒストリーポイントになるのですが、スティングさんを飛び出してフリーになられたのですね。
米光:そもそも会社というものに会わない(笑)。大学の時は普通の会社無理と思ったけど、変な会社でも無理じゃん、という感じになったので、一人でフリーになってやっていく方が良いのかな、と思って。
宮田:それに、フリーになったのも大規模タイトルに入るというよりは、さっきも言ったように小規模タイトルに関わるためですよね?
米光:大きいものばかり作ろうとしてるけど、小さくて面白いものを僕は作りたかった。でも、業界的にはMMORPGみたいな大規模なのが流行っていて……出すならドンと出してよ! と言われても、そうじゃなくてもっと尖った、小さいゲームを作りたいんだ……と提案していたのですけど、中々通らなかったのですよね。
宮田:あ、じゃあ結構企画提案しながら……このフリーの時に結構色々やられていた感じですよね。
米光:そうですね。ライターをやったり、Tシャツをデザインして売ったり……。ネットでものを売る、ということが丁度やり始められていた頃なので、ちょっと面白くて……6、7月は結構売れたのですよ。これはいけるわ! Tシャツ屋なるわ! となるじゃないですか。
9月に入って、ガクッと売れなくなったのですよ。冬になるとみんなTシャツ買わなくなって、長袖売るんですけど、全然売れなくて。あとは結構発送ミスがあったので、向かないな〜と思って辞めました(笑)。でも、ネットが面白くなってきたのでそれにチャレンジできたのは良かったと思います。
宮田:なるほど。それで、今でいうモバイルゲーム等も企画して、監修みたいな感じで入って……。ここのタイミングでアナログゲームにも手を出し始めましたよね?
米光:元々好きで、おまけで付けたりしていた位なので。立命館大学で「ゲームの作り方」みたいな講義をしていて、ゲームの講座なので別にコンピュータゲームに限らなくていいなと考えて、コンピュータゲームでもアナログゲームでも、ゲームならなんでもいいよってことにしたので、自分でもアナログゲームやリアル謎解きゲームとかを作ってみたんですよ。
宮田:ははぁ、なるほど。そこで「はぁって言うゲーム」等が生まれたのですね。やはり全体的に大規模感というよりは小粒でピリリと作れる環境を意識している感じですか?
米光:はい……。社会性がないのでしょうね。大規模ゲームを作りたい時もあるのですよ。色々考えて、あ、これは人数集めて大きいプロジェクトにしないと、この感じのゲームは実現できないな、という時はあります。
宮田:社会性だけじゃなく、規模が大きくなるとどうしても一人一人の裁量が狭くなってしまうじゃないですか。
米光:そうですね。それと規模を大きくしていくと、どうしても丸くなっていくのですよ。届けるためにこれはやめようかな、とか。
宮田:そうですね。モバイルゲーム市場も結構今は10億とかの予算になってくるので…昔は、それこそ尖ったタイトルもいっぱいあったのですが、今はどんどん丸くなっていると言うか……。お金がかかってくるのでそう言うのしか出せないみたいな雰囲気がありますよね。
米光:お金かけなければ良いのですよ……(笑)。
宮田:それは実際あると思っています(笑)。尖ったまま突っ切る、というのも良いと思う。お金をかけて、沢山の人が関わってくると、どうしてもやりにくくなってしまうので……。
そういった所から米光さんはコンパイルさんから始まって、スティングさんでもうちょっと攻めれる会社に移って、ゲーム業界全体の市場が大きくなってきた所でフリーになって、自分でコンパクトに作れるモバイルとかアナログゲーム等に注力して……自分がクリエイティビティを発揮できる場所に自分で移っていったのかな、と僕は話を聞いていて思いました。
米光:それは、あるのかもしれませんね。土台そのものを決められると辛い。この規模で、これだけの予算で、と言われるとそういうのを出すのだけど、自分の作りたいものからズレていくのは、やっていて辛い。
宮田:もの作りとビジネスの境ではないですけど…クリエイターの皆さんが抱えていそうな悩みですよね。少人数で面白いと思えるものを作る環境に移って、移って、今に至る。百均でボードゲームやカードゲームを出す、というのは今でさえも会社ではあまりできなさそうですよね。
米光:そうですね。ダイソーさんは大きな会社ですけれど、作る所は僕一人でやって、売る所はダイソーさんがやってくれる、みたいな感じなので。大きい所がダメとか大きい所が嫌だ、という訳ではなく、最初に作り始める段階での大人数が嫌なのですよね。
最初の企画会議で10人とか20人とかいると辛い。それだけいたら新しいチャレンジに反対する人がいるんですよ。まあ、そりゃ当然のことで……「無謀な冒険だけど面白いからやろう」ってこっちは言ってるようなものなんですから。それは10人とかでいっちゃダメでね、10人とか20人とかになったら安心なパックツアーで行くほうがいい。しょうがねーな、少数精鋭で道作っとくから、後から来やがれ、ってもんですよ。
宮田:そこは結構真理な部分もあると思います。「ぷよぷよ」も「BAROQUE」も最初の段階では「もうこれ絶対すごく面白い!」という訳ではなかったですものね。
米光:はい。「ぷよぷよ」はもう勝手にやれ! という環境にしてくれたから、プログラマと僕と、ちょこちょこデザイナーさんが顔を出してくれる、みたいな感じで3人で進めていたので、ある種上からの声がなかったのは良かったな、と。
宮田:面白い話ですね……。米光さんはなるべく少人数で最初のタネは作った方が面白いものは作れる、少なくとも自分の作りたいものはそういった環境の方が作れる、と感じてキャリアを歩んできている、クリエイターとして活躍し続けている印象ですね。
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