バッシングがエンタメ化する理由

中野信子氏:今回は不倫についてのお話をします。不倫とバッシングについてのお話ですね。身近にそういう人がいるという方もいるかもしれませんし、ニュースでよくそういう話題が上がってくるので頻繁に目にします、という人もいるかなと思うんです。

一度ニュースになると、あたかもピラニアのいる水槽に肉片を落としたがごとく、みんながワッとよってたかって集まってきて、見るに耐えないような悪口をコメントとして書き込んだりとかですね。Twitterもそうなのかな。自分はTwitterをしてないのであんまりマジマジとその様子を見ることはないんですけれども、炎上ということが起きたりしますね。

バッシング祭りとでも言うのか、誰かがなにかルール違反をしたというときに、なんでそれがエンターテインメント化しちゃうのかというのは、とても興味深いなというふうに思っています。

驚くかもしれませんがこれは脳の大事な働きでもあるんです。「自分たちはこういうルールのもとでがんばっているというときに、誰かがそのルールを破った。自分は我慢してやってるのに、誰かがそれを破って得してる」となると「その得をしている人から、なんとしてでもその得を奪わないとルールが保たれない」と思って、そのルールを破った人を叩くことが自分の正義であるというふうに感じちゃうことが増えてくるんですね。

自分が叩く側に回ることでとても満足感が得られるので、あたかも自分は正義の化身であるとでも言わんばかりの態度で「あなたはこういうことをしたから、責められて当然である」というふうにみんな言うわけです。

それが不倫だとしたら「他人の不幸の上に自分の幸せを築くなんて、どういうことなんだ」とか「子どもはどうなるんだ」とか「社会の規範に反する行為を1ミリも見逃しません」というかたちで、みんなとても積極的にバッシングに加担していきますよね。

私はこれは「正義中毒」と呼んでいるんですけれども。本当にジャンキーと言ってもいいくらいみんなとても楽しそうなんですよね。なかなか「冷静になったらどうですか?」と呼びかけることすら難しい。なぜなら「冷静になったらどうですか?」と話しかければ、それだけで「お前もあっち側か」というふうに言われてしまいかねないので。たしなめることすら難しいというのが、現状ではないかと思います。

とはいえ、不倫している人ってそんなにちょっとしかいないのかしら? というと、意外とそうでもないですよね。本当に次から次へとニュースに上がってくるし。めずらしい話ではないんじゃないですかね。よくドラマとか映画とかそういうものの題材にもなりますし。ありふれたものではあると思うんです。それでも叩きたいというのは、なかなか興味深い。

ただ現在は昭和の時代と比べて……まあ昭和の時代もかなり不倫って週刊誌を賑わせてきたと思うんですが、今はもっと目が厳しくなったかなぁと思うんですね。どうしてこんなふうに目が厳しくなったのかということについて、もうちょっと掘り下げてみたいと思うんです。

フリーライダーを許さない人々

不倫をする人というのは、さっき「ルールを乱す人」と言ったんですが。呼び方があるんですね。「フリーライダー」というふうに呼べるんですね。フリーというのはタダと言う意味です。ライダーというのは乗り物に乗る人ですね。

フリーライダーというのは、要するに「タダ乗りする人」という意味です。タダ乗りするというのはどういうことかと言うと、みんなの努力の上にタダ乗りする。みんながルールを保とうと努力しているその上に、おいしいとこ取りをしようとして自分はタダ乗りするということを、フリーライダーと言うんです。

どの動物の社会にも見られます。ズルして得したほうが得が大きいですよね。自分が努力して得をするよりも、ズルして得したほうが自分の利鞘の幅として大きいので。フリーライダーになりたい気持ちというのはどなたも、どの個体も持っているものなんです。

ただフリーライダーのほうが得だということになると、みんながフリーライダーになりたがってしまう。みんながフリーライダーになると何がよくないかというと、誰も努力をして社会の秩序を保とうとしなくなっちゃうということが出てくるので。社会が壊れちゃうんですよね。本当にフリーライダーだけだと、社会が築けない。

ですので、一定の割合以上に増えないようにフリーライダーを減らさないといけないわけです。その減らすというメカニズムを、みんなが1人ひとり持っているんですね。減らすにはどうすればいいか。要するにフリーライダーを叩くということが、それを減らすという機能として働いているというのが現状です。

たしかにバッシングする人たちの様子を見ていると、ちょっと異様に見えることもあると思うんですね。バッシングをしてもぜんぜん自分に見返りもないし「1円も得しないのになんでそんなことするの?」というふうに、バッシングする人のことをまたバッシングする人もいると思うんです。

自分に得はないんだけれども、社会が得をするんですね。バッシングすることによって、フリーライダーの数を減らすことができる。とくに今、今年になって自粛警察という言葉をよく聞く機会が増えたと思うんです。本当に厄介ですよね。例えば、トイレに入って手を洗わないで出たというだけでも、すごくバッシングされそうな世の中ですが。

誰かの目を気にして自分の行動を律するようになるっていう、これもフリーライダーを許さないという視線がもたらす効果の1つかもしれません。窮屈だけれども社会の秩序を乱さないという意味では、一定の役割があるのかなと思います。

こういう人たちの性質のことを「向社会性」と言うんです。社会に向かうと書いて、向社会性。この言葉は聞いたことない人も多いかもしれませんが、反社会性という言葉がありますね。反社会の対義語が向社会性です。

社会に対して反というのが反社会性ですけれども、みんなのルールを気にせず自分勝手に振る舞ったり、社内の秩序を保つ人に対して攻撃的に振る舞ったりするようなことを反社会性と言います。

向社会性はこれの反対で、秩序を守ろうとするとか、みんなのことを自分よりも優先する性質だったりするんですね。これが高い人たちの振る舞いとして、実はバッシングというのは典型的なんじゃないかと考えられる。

なぜなら、自分たちは社会を優先しているのに優先してない人がいるってなったら、この人をなんとか自分たちがたしなめて、みんなと同じように振る舞うように、1人だけ得しないように、フリーライダーにならないように自分たちがそういうふうに仕向けなきゃ、という気持ちの高い人たちであるとも言えるんですね。

日本は比較的、こうした向社会性の高い人たちが多くいる環境だろうと考えることができて。この説明はちょっと煩雑になるので、またいつかお話できればいいかなと思うんですが。あるいは、ちょっと宣伝みたいであれですけど(笑)。

アスコムから出ている『人は、なぜ他人を許せないのか?』という本に書いたので。まあ立ち読みでもいいので、読んでもらえたらある程度はわかってもらえると思うんですが。

向社会性が高いということの果たす役割が、社会実験的に実証されたような面もあったのかなと思うんですね。詳しい検証は、また今後のデータを待つことになると思いますが。コロナの感染拡大がある一定のところでちょっとゆるやかになりましたよね。日本の場合は。

これは要素の1つとして、日本人の向社会性の高さというのが現れている部分なのかなと解釈することができると思います。まあ、いろんな要素がほかにもあるとは思うのでこれ一つではないでしょうけれども。

一夫多妻制は、男性にとって格差社会

さて、不倫をする人の話に戻ります。みんなが守っているルールは一夫一婦制ですよね。この一夫一婦制というルールって、本当に妥当なのかどうかということも本当は考えなくちゃいけないものです。

一夫一婦制って、実はそんなに自明のものではないというか。確かに私たちは生まれてから一夫一婦制の社会で生きてるので、これが普通だと思ってるけれども、ぜんぜん普通とは言えないんですね。

例えば平安時代まで戻れば、通い婚をしてたわけですし。1人の男の人がたくさんの女性とお付き合いしてたり、逆に一人の姫がたくさんの男の人とお付き合いして、気に入った人を選ぶというようなこともあったりしたわけですよね。なので一夫一婦だけが正しいというのも、これもじっくり考えなくちゃいけないテーマではあります。自明のものとして考えるのは、ちょっと浅いかなというところですよね。

とくに人間というのは、一夫一婦制にできている脳ではないので。これも加味して考える必要があります。「一夫一婦制にできてない」と言うと、非常に男性が喜ぶことが多くてですね。びっくりするんですけれども(笑)。一夫一婦制にできてないっていうことは「じゃあ一夫多妻か」というふうに、なぜか男性は思うんですね。

一夫多妻にすごくみんな喜ぶんですけれども、単純な算数をしてみればわかるんですが、男の人と女の人は1対1の数でほぼ生まれてきますね。ちょっとだけ男の人が多いけれども、ほぼ1対1。そこで一夫多妻制が実現されるとどうなるかというと、ごくわずかの、お金もあって容姿も良くて家柄・血筋の良いような、そういう一握りの男性だけが一夫多妻になりますよね。

わかりますよね。要するに1対1の数いるんだったら、一夫一婦だったらほぼ1対1の対応だけれども、一夫多妻だと1人の男性に多数の女性が殺到するので、女性の数が圧倒的に足りなくなりますよね。

そうなると「一夫ゼロ妻」の男性がいっぱい増えるってことです。要するに一夫多妻制というのは、男性にとって厳しい格差社会ということなのです。男性にとって、とても大変な社会ということになります。男性がみんな喜ぶのを私はすごく「不思議だなぁ」と思って見ているんですけど、みんなすごい自信があるんだなと思います。それか私の周りにいる男性が、みんな自信がある人たち、ということになるでしょうか。すごいな、うらやましいな、と思います(笑)。

逆もありますね。多夫一妻というかたちもありますけども。これもまた逆にね、女性の格差社会と言うことができるので、なかなか大変だなと思います。

実は最近の研究で、人口の約50パーセントの人が「不倫遺伝子」を持っていることがわかっています。持っていない人に比べて、不倫率とか離婚率とか、あとは未婚率が高くなるということがわかっているんですね。要するに「結婚に向いてない」ということになるんですけれども、結婚に向いてないからといって、ダメな人というわけではなくて。ただ人と共同生活するのにそんなに向いてる人じゃないよ、ということです。

例えばどういうことかというと「自分以外の人に対する親切行動を取りにくい」という特徴があるんですね。例えば、なにか困ってる人がいたとなると、さっと手を差し伸べるタイプの人なのか「自業自得」と考える人なのか(笑)。これはかなり大きな差があって。

冷たい人ではありますが、自分の周りで誰かが苦しんでる時に、それをスルーして自分だけの得を取れるという性質でもあります。なんか酷い人みたいですけれども、生き延びるという意味では、これが大事な素質として機能することがあって、自分を優先することによって、危機的な状況の時には生き延びることができた人たちの子孫、ということなのかもしれません。

人口の50パーセントがこれを持ってるってことは、本当にどっちがいいとも言えないということです。どっちも同じくらいの適応度なので、半々の割合で今存在しているということですね。不倫をする脳のタイプの人が悪いわけではない。それも、一定の得があったということを示しているデータであると思います。