男性の孤独死が多いのはなぜなのか?
損得を超えた“委ねられる関係”の乏しさ

宮台真司と読み解く「孤独死と自己責任論」——特殊清掃の現場で起きていること #3/5

2019年4月18日、withnewsが主催するイベント、「宮台真司と読み解く『孤独死と自己責任論』——特殊清掃の現場で起きていること」が開催されました。社会学者の宮台真司氏と、『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』を著した菅野久美子氏が、年間3万人が孤独死する日本の現状について語ります。特殊清掃の現場から見える、孤独死の背景とそれにまつわるさまざまな課題とは。本パートでは、家族や地域のつながりについて言及し、自らを「委ねる」ことの重要性について解き明かしていきます。(写真提供:withnews)

お互いを委ねられる関係が、損得を超えた絆を育む

奥山晶二郎氏(以下、奥山):お金のトラブルの話を聞いた時に思ったのが、次の……こちらも関係あるかもしれません。家族との関係が、遺産放棄しちゃうとお金のトラブルがより不透明というか。

菅野久美子氏(以下、菅野):そうですね。相続放棄される方も多いですね。ずっと疎遠だった親族の後始末を、なんで自分たちがしなきゃいけないんだ、と。孤独死者に遺産がないとわかると、親族は露骨に拒絶します。

奥山:この場合、孤独死から見える家族、現代に生きる家族の変化みたいなものはすごく凝縮されて見えるんだなと思って本を読みました。例えば宮台さんは、家族との距離がもう取れなくなっちゃう社会はデフォルトになると思いますか?

超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる

宮台真司氏(以下、宮台):ここが今日のメインテーマだと思います。できるだけ短くしゃべります。家族の問題って、エッグ・チキン・プロブレム(鷄が先か、卵が先か)なんです。いい家族を作ることと、いい恋愛ができることは、とても近い。恋愛結婚にかぎられません。お見合いで一緒に暮らすようになって、そこからだんだん深い愛ができあがっていくことは、昔はよくありました。

結婚みたいな持続的関係だけじゃない。昔の色街では、今でいうとゆきずりなのに、瞬間恋愛的なものを経験できました。数年前までの沖縄の色街もそうでした。性愛的な絆にはいろんな形があるので、若い人たちは思い込まないで聞いてくださいね。

人間関係の中で、自分を委ねたり、委ねてもらったりするって、それ自体が大きな享楽です。すごく幸せを感じるんです。そうした享楽を感じると、人は損得を超えられます。気がつくと、普段の自分ではできないことをしているんです。

そういう損得を越えた経験の積み重ねが、良き家族を作らせ、良き家族の中で育つことが、損得を越えた経験の積み重ねを可能にします。あえて色街の話をしたけれども、別に家族じゃなくてもいいんです。地域社会でもいいんです。良き人間関係の中で育つことで、損得を越える能力が身につくし、そうした人たちが良き人間関係の中で次の世代が育まれるんです。

地域の大人との「斜めの関係」が失われ、孤立している現代の家族

ちなみに、僕が2000年にやったリサーチでも、ロールモデルが大事であることが実証できました。両親が愛し合っていないと思う大学生は、恋人がいる割合が顕著に小さく、しかし性体験の人数は多い。逆に、両親が愛し合っていると思う大学生は、恋人がいる割合が大きく、性体験人数が少ない。

解釈は1つしかありません。愛って不合理なんですね。だって、損得が関係なくなっちゃって、普段の自分じゃない自分になっちゃうわけですから。そんな不合理な関係が、絵空事じゃなくて現実に可能なんだと思えるためには、愛し合っている親とか、愛し合っている先輩たちを、現実に目の前で目撃できなければダメだということです。

映画もロールモデルになりそうな気もするけれども、昨今の若い人たちを見ると「これは映画でしょ?」となっちゃうんですね(笑)。

目の前で愛し合っている人たちを目撃したことがない若い人たちは、自分が自分じゃなくなるような不合理を避けて、リスクを避けようとしちゃうんです。それはとても自然なことです。だから、若い人たちを批判しているんじゃありません。そのことをみなさんにおわかりいただきたいと思います。

ゼミでの挙手による調査に過ぎませんが、90年代半ばからゼロ年代半ばにかけて、両親が愛し合っていると思う割合がどんどん減りました。兄弟の数が少なくなったのもあって、恐らく家族の中で愛のロールモデルを目撃することが難しくなったんです。家族だけじゃなくて地域もそうです。昔は家族が地域の中に埋め込まれていましたが、今は家族が孤立して地域の人間関係を目撃することもなくなりました

そうした昔の昭和的関係性が、この本の中に書いてあります。お醤油を貸し借りすることとか、よその家に遊びにいってご飯を食べてくるとか、よその家の冷蔵庫のアイスを勝手に食べてくるとか。僕らの世代では当たり前のことでした。そういう地域の関係性の中に埋め込まれている家族が普通だったんです。わかります?

そうした地域の中に家族があれば、ことさらに「愛ある家族!」である必要もありませんでした。たとえ両親がそれほど愛し合っていなくても、親が子を抱え込んでいなかったので、害を受けにくかったんです。同じことで、親が子どもを抱え込んでコントロールしようとしても、子どもがすり抜けられたんですね。

ところが、地域が空洞化してくると、親ではない地域の大人との「斜めの関係」が消えて、孤立した家族の中で、親が子どもを抱え込むようになります。日本はいまだに性別役割分業というか性差別が激しいので、母親の多くが、できなかった自己実現を子どもに託して、所有物のようにコントロールしようとします。夫婦愛の不全の埋め合わせでもあります。

日本では、お金がない女とお金がある男が結婚する

ちなみに、昔のデータとの比較はできないんですが、最近のデータでいうと、女はお金があれば結婚しません。1,250万円以上の人は6割以上が結婚しません。金がない女が結婚するんです。男は逆に、金があれば結婚できるが、金がなければ結婚できません。

「金があれば結婚しない、金がないので結婚する女」と「金がないので結婚できない、金があるから結婚できる男」が夫婦になっているんです。そこから分かるように、日本の夫婦は他の国に比べて「愛よりも金」です。

それもあって、日本の高校生たちはアメリカや中国の子どもたちと比べて、「家族と暮らしていて楽しい」と答える割合は半分以下です。もう1つのデータは、自分に自信があると答える高校生の割合は、アメリカや中国は8割で、日本は8パーセントです。

なにが起こっているかわかるじゃないですか。親が「愛と正しさに生きていれば、ちゃんと立派に生きられるぞ!」と教えていないということです。かわりに「勉強しないと負け組になるぞ!」みたいなことを教えているわけです。

だから、愛のロールモデルを親から学んだことがない。僕ら社会学者は、統計的な正規分布を前提にして、勝ち組は社会の5パーセントしかいないと考えますが、親に「勉強しないと負け組だぞ!」と言われたら、子どもの95パーセントは教室の中での自分を見て自信がなくなる。自分に自信がない人は不安だから、不安を埋め合わせようとするという神経症的な傾きが出てくる。

恋愛などの人間関係では、相手の喜怒哀楽を自分の喜怒哀楽にするという「同感の営み」よりも、不安の埋め合わせという「自己中の営み」になりがちです。僕の世代から言うと、ここにおられるみなさんの世代はまだいいとして、いまの大学生の自称恋愛は悲惨で、見るに堪えません。ほとんどが神経症的で、当事者たちの言葉でいえばメンヘラ的です。

人間関係が希薄だと人は不安になる

奥山:またおーちゃんの話になっちゃいますけど(笑)。おーちゃん、妹さんのエピソードもすごく印象的です。いま宮台さんがおっしゃられた、損得を超えた関係という意味でいうと、妹さんが婚約を諦める場面がありますよね。その辺、補足とともに重さをどう捉えていいかをお聞きしたいなと思いました。

菅野:そうですね。ここに出てくるおーちゃんは、三姉妹の長女です。すごく心が温かい妹さんがいらっしゃって、失踪した姉をずっと探し続けているんです。妹さんは、ちょうどそのときに婚約していた男性がいたんですが、お姉さんがゴミ屋敷であることが判明してから婚約を破棄して、おーちゃんと向き合う決意をされたんです。すごくお美しい妹さんなんですけど。

奥山:今の宮台さんの話を聞いていると、その良き家族はすごくこんがらがった形でいきなり凝縮されて妹さんに現れて、これはどう受け止めたらいいんだろうと。

宮台:妹さんは、まともであろうとしたのだと思います。お姉さんに対して本来果たすべき義務を果たさなかった自分が、結婚して幸せになるなんていうことは、まともな人間としてするべきじゃないだろうと、思ったのでしょう。「まともな人間でありたい、クズな人間ではありたくない」という意欲が、昭和的で貴重です。いまどき人間関係においてまともでありたいと思う人なんて、どれだけいるのでしょう?

多くの人たちは人間関係が希薄です。希薄とは損得を越えられないことです。人間関係が希薄だと、人は不安になります。不安な人は、不安をショボイやり方で埋め合わせます。「できるだけいいねボタン集めたいな」「できるだけポジション取りたいな」「できるだけちゃんとしているところを見せたいな」とか。

恋愛ワークショップをやると、男のほとんどがデートにおいて示す態度が、「自分がちゃんと振る舞えるところを見せたい」というものです。でも、女は相手が完璧に振舞うことなんて、これっぽっちも求めていません。「自分の気持ちをどれだけ汲み取る力があるんだろう?」ということだけでしょう。

なのに男は、「計画通りにお洒落なデートができなきゃいけない」みたいにコントロール系のヘタレになりやすい。女はフュージョン系の振る舞いを望んでるのにね。計画通りのデートをするコントロール力に自信がない場合は、なにをするにも、女に「なに食べる?」「なに見る?」尋ねて、女をウンザリさせるわけです。

(一同笑)

男性のほうが孤独死が多く、発見に時間がかかるのはなぜか?

宮台:あるいは、自分はナンパ系だと自称する男も、SNSで女の趣味にアタリをつけて、女が好きな映画や音楽に一生懸命に話題を合わせるわけです。それで女をワンダーランドに連れて行けるでしょうか。女だって、今まで知らないことを知りたいし、今まで知らないところに連れていってもらいたい。決まってるじゃありませんか。なんでそんなことがわからないんだろう。

「相手の好みはこうだからうまく合わせよう」とか「自分はカッコよく見えてるかな?」とか、そんなことばかりなんです。要は、自信がなくて不安だから、自分が自分をちゃんとコントロールできているかに、神経症的にこだわるんです。でも、必要なのはそんなことではなくて、相手の心を感じるかどうかということだけです。

「自分は相手の心を感じているだろうか?」ということが、「自分はまともだろうか?」という問いの意味です。でも、「自分は相手の心を感じているだろうか?=自分はまともだろうか?」という問いは今の若い人からはほとんど消えています。

菅野:ちょっとお伺いしたいことがあります。私の調査では、孤独死は男性が圧倒的に多い。遺体が発見されるまでも、女性は約6日で見つかるのが、男性は12日以上かかってしまうということが起きています。宮台先生は、女性に比べて、男性が孤独死が多く、さらに見つかりづらいというという現状をどう捉えたらいいと思われますか?

宮台:一緒にいるだけで楽しいといった損得を越えた関係が、女に比べて乏しいからです。今申し上げたような相手の心に寄り添う力、あるいはさっき申し上げたような、自分を委ねる力、つまりコントロールを放棄してフュージョンする力が、特に日本の場合、男が女よりも圧倒的に劣るからです。

こうした男女差は、恋愛ワークショップをやればすぐ分かります。社会的性別役割が大きくて、男の大半は「人や状況をコントロールできてなんぼだ」と育っているんです。さっき「勝ち組になれ」という親の育て方の話をしましたが、コントロールできるものが大きくなることが勝ち組の意味だと思ん込んでいる。だから、相手のために欲望を我慢するのではなく、自分のポジションを上げるために我慢する。クズですね。

男がこうした神経症的な「不安を埋め合わせる」だけの営みから、自力で更生することはできません。女から、あるいは人から手を差し伸べられた時にだけ、治るチャンスが与えられます。僕がいろんなワークショップで経験してきたことです。

「俺一人でいいもん」という言葉の粉飾決算

人間関係が希薄になって、そのぶん不安になって、一生懸命に不安を埋め合わせようとしているのが、いまどきの若い人たちです。具体的にどうやって不安を埋めるかというと、言葉による粉飾決算です。「日本はスゲエ」だったり、「孤独に死ぬのもいいものだ」だったり、「一生一人なのもいいものだ」だったり。

昔だったら、今よりずっと豊かな人間関係の中で育ったので、自分のまわりにそうした御託を言う人がいたら、必ず「ああ、こいつは自分を正当化してるな、かわいそうに」となったところです。そういうものを見てきたからこそ、自分もそういうみっともない御託は言わないわけです。ところが、今の若い子はそうはならないということです。まじでガチで、「俺一人でいいもん」と言いはじめるんです。

それが、言葉による粉飾決算、つまり言葉を使った神経症的な不安の埋め合わせです。不安を回避するための認知的な整合化を達成する方向で、言葉の配置をするわけです。例えば、不安なヘタレが「日本はスゲエ(から自分は大丈夫)」とほざくのが、ウヨ豚です。男には昔からよくあることです。丸山眞男は日本的ファシズムの起源を「劣等感に駆られた没落有力者層の似非インテリ」に求めたのも、それです。

今は「没落有力者層の似非インテリ」に限らず、どんな男もそうなっています。昔はさっき話したみたいに人間関係の中で修正されたけれど、今は修正されないからです。だから、とりわけ男は「言葉の自動機械」になっているケースが多い。男ほどではないけども、女にも増えています。

ところで、人間関係の希薄さだけではなく、それに関連する別の背景もあります。ウヨ豚にせよ、糞フェミにせよ、「この人は言葉の自動機械だな」と思ったら、家族関係を聞くと、虐待が出てくるケースが多いんです。暴力による虐待だけではなく、むしろ言葉による虐待がものすごく重要です。どうして日本だけ、(自分に)自信のある子が8パーセントで、アメリカや中国の10分の1なのか、を考えれば思い半ばに過ぎます。

これも言葉なんですね。勝ち組・負け組にこだわる親の言葉によって、尊厳を傷つけられているのです。言葉で尊厳を傷つけられた人間は、言葉で自分を守ろうとするので、神経症的な「言葉の自動機械」になることで、かろうじて前に進むようになるのですね。

真実に目を向ける痛みに耐える方法

仮に、僕が菅野さんのことを「言葉の自動機械」だなと思ったら、菅野さんの家族の話を聞き出す。すると、「親による言葉の虐待を受けてきたのだな」と分かる。その場合には必ず、菅野さんの過去の恋愛が言葉で粉飾決算されているんです。

男が完全にクズで、菅野さんは物扱いされているんだけれど、菅野さん自身は「あれは愛だったんだ」とか「あれも幸せだったんだ」とか、言葉で粉飾決算してしまうわけです。精神分析は、その粉飾的なラベルを引き剥がして、真実がどうだったのかを気づかせるんです。でも、それって激しい痛みがあるんです。

「私は単に物扱いされていたのか。馬鹿を見ていたんだ。じゃああの3年間はなんだったの?」と、すごく痛むので、独力ではできないんですよ。友人や家族にもできない。精神分析医にそれができるのは、ラポールがある場合だけです。父親的な愛を施療者に抱くことで、かろうじて委ねを通じて耐えられるわけです。

と、精神分析の教科書には書いてありますが、ラポールという言い方は人畜無害化であって、本当のところは恋愛だと思ったほうがいい。だからフロイトも、自分のクライアントを愛人にしちゃった。ユングもそうです。

他方、アドラーはモテなかったから、そういうフロイトやユングのラベルの引き剥がしの手法は使えないので、かわりに未来の希望によるプライミング(引き込み)という手法を使うようになった……、というのが僕の説です。何にも書いてはありません。聞き捨ててください。

(会場笑)

宮台:いずれにしても、女の人はジェンダー(社会的性別役割)もあって、誰かを愛して信頼すると、その人にすべてを委ねられることが、男よりもずっと多い。そういうふうに委ねられることで、言葉のラベルを引き剥がす痛みに耐えられるんですね。

でも、これを男が男に対してやるのは難しく、実際にはダイアディック・モデルといって、同性愛者を除くと男と女のペアを使うことが有効になります。男から委ねを引き出せるのは女であるケースが多いからです。事実、僕は最初の奥さんによって、ナンパマシーンのクズだったのを、治してもらいました。

(会場笑)

彼女は、初対面の僕を見て「この人は心の病気で、かわいそうだ」と思ったそうです。彼女はカウンセリングを深く勉強していたので、ある種のショック療法を含めた荒療治で、僕を治してくれました。そんなことを荒療治でやってくれる女なんて普通はいません。

(会場笑)

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