機械にアブダクション(仮説的推論)はできるのか?

安藤昭子氏(以下、安藤):私からのアブダクションについての基本的なお話については、このあたりまでとさせていただきまあす。

今日は予告していましたように、ゲストをお呼びしています。「機械にアブダクションはできるのか?」。そんなことを、人工知能研究の観点から考えてみようという試みです。

オフィス用品でお馴染みのアスクルという会社で、先端テクノロジーを手がけるチームで人工知能を研究されている、小池和弘さんをお呼びしています。拍手でお迎えください。どうぞ!

(会場拍手)

小池和弘氏(以下、小池):こちらこそありがとうございます。

安藤:小池さんはアスクルの主席研究員でいらっしゃいます。今日はお手元にパンフレットもありますけど、「イシス編集学校」という、編集工学研究所がやっている編集力をきたえるための学校で師範もされていて、編集工学を伝える側の人としてもご活動していただいています。お話に入る前に、小池さんが普段アスクルでどんなことをされているか、少しかいつまんで教えていただけますか?

小池:そうですね、先端テクノロジーというのは、まだわりとできたばっかりの組織です。1年ようやく経ったかぐらいの組織なんです。AIとか、ロボティクスとか、IoTといった、いわゆる先端テクノロジーのR&D(研究開発)をやってます。私は特に、AIとIoTをやっています。

安藤:はい、ありがとうございます。今日は、アブダクションを考えるにあたって、人工知能(AI)の研究の最前線では、このアブダクションって、どうとらえられるのか。一言でいえば、今日のサブタイトルにもなっている「ひらめき」とか「直観」、「飛躍的な仮説って、AIでできるようになるんですか?」というような話を、その道のプロをお呼びしてお聞きしたいなと思って、お声がけしました。

小池:お声がけありがとうございます。なんですけれども、大変なお題をいただいちゃったなと思いまして。安請け合いしてちょっとだけ後悔しています。

コンピューターに飛躍的な理論を考えさせるのは難しい?

安藤:アブダクションというのは、人工知能の研究の世界でもチラホラ聞かれるようになってますよね。

小池:そうですね。ただ、私が普段やっているAIと、アブダクションを人工知能でやろうとしている人たちとは、やっぱりちょっと違うと思っています。

今、私が主にやっているのはいわゆる機械学習で、ディープラーニングが多いです。ディープラーニングの延長線上にアブダクションはないかもしれないですね。ディープラーニングって、ある領域に特化された「特化型AI」といわれるものです。

安藤:これ(スライド)ですね。

小池:そうですね。大きくAIをわけると、(スライド)下の方のナローAIといわれる特化型AI、人工知能といわれている領域と、左の上の方にあるような、AGIですね。汎用人工知能といわれているものがあります。

全脳アーキテクチャーとか、全脳エミュレーションといった、もう人間の脳そのものを人工的につくってしまおう、という研究をされてるいらっしゃる方がいます。

アブダクションがもしできるとしたら、そっちの方かなという気がしています。要するに、シンギュラリティとかですね。このままいくと、『ターミネーター』のスカイネットみたいなのが出てきちゃうじゃないか、というような心配は、(スライド)左上のような話で。

コンピューターが創発(そうはつ)をするとか、飛躍的な理論を考えるというようなことは、下では起きにくいのかなと思っています。一方で、ちょっとだけ可能性を感じているのは、例えばAlphaGoみたいな。

機械学習なんだけども、例えば強化学習のような方法を使う。そのAlphaGoが、AlphaGo Zeroという、まったく基本的な碁のルールだけを教えて、あとは自分同士で対局をなん回もなん回もなん万回もなん千万回もやった結果、遂に最初のAlphaGoに勝ってしまうという。そういうことが起きてくる。

その過程で、定石(じょうせき)のようなものを生みだしていく、というようなことを見るとですね。あながちそのナローAIって、アブダクションできないと言い切れないかもな、と思います。

創発の機能は解明されていない

安藤:アブダクションって結局、人間の思考の働きとしてもメカニズムとしては解明されてないわけですよね。

先程から盛んに「アブダクションは個人的な原体験とか好奇心とかそういうものが駆動していくんですよ」というお話をしましたけれども、そこってもうメカニズムって話じゃないですよね。

小池:そうですね。メカニズムという話でいうと、例えばディープラーニングって、ニューラルネットで構成されています。コンピューター上につくられたアーキテクチャーなんですけども。それってもともとは、人間のニューロ細胞を真似してるものなんですね。完全に模倣しているわけではないんですけども、最初のアイデアは、人間のニューロ細胞だったんです。

人間の脳って、そのハードウエアで、それこそニュートンの万有引力の理論みたいなものを、生み出したわけですよね。ですので、そういった意味で、「なぜそんなことができてしまうのか?」というのは、ほんとわかんないわけです。

安藤:はあ、やっぱりこのへんの汎用人工知能の最先端の研究の方たちにしましても、その脳のネットワークが、「なんでそういう仮説を生めるのか?」というところは、わかっていないということなんですね。

小池:そうですね、結局「人間の脳がどう機能して、創発みたいなものができるのだろうか?」というのはわかっていないと思います。

安藤:なるほど。理化学研究所でAGI等の研究をされている高橋恒一さんは「第五の科学」として「人工知能駆動型科学」ということを言われていますが、そこにいたるためにあとひとつ欠けたピースとして「アブダクション」をあげていらっしゃいますね。帰納的な推論で得られた法則をどうやって演繹的予測の出発点となる仮説に結びつけるか、そこをつなぐ「アブダクション」が、次の研究のフォーカスになっている、とお話されている記事を見ました。

小池:ええ、そうですよね。

安藤:じゃあまだ人工知能がアブダクションを実装するのは、少し遠いんですかね。

小池:未来がどうなるかというのが、実はよくわからないんです。もしかしたら、全脳アーキテクチャーなんかは、そのロードマップの中に出てきたりして、着実に進歩していく気が、ちょっとしています。もしかしたらその過程で「アブダクティブななにか」が、出てこないとも限らない、という気がします。

「AI」と「IA」の歴史

安藤:なるほど。今の人工知能のお話ですが、人工知能全般に関しての、今までのブームがあったじゃないですか。それで今、どんな時点にいるか、を少し振り返りながら先に進めたいんですが。これ(スライド)を説明していただいていいですか? 

小池:「コンピューターがどんなふうに進化してきたのか」を、簡単に書いてみました。

コンピューターが生まれたころって、大きく2つの派がありました。1つが上に書いてある「IA(アイエー)」。要するにコンピューターって「人の知的活動を支援するツールだよ」と考えている人たちですね。もう一方が「AI(エーアイ)」ですね。「人の知性をとにかくコンピューターで人工的につくれるんだ」と考えている人たち。

この(IAの)人たちは、最初は、IA=インテリジェンスアンプリファイア、つまり「知性の増幅」というものを行なっていました。そういう人たちは、けっこう早くからいろんな成果をどんどん出していくんですね。

例えば、パーソナルコンピューターに繋げるマウスの発明とか、ビットマップディスプレイの発明とか。そういったモノは結局、アラン・ケイのダイナブック構想になり、それを見たビル・ゲイツとかスティーブ・ジョブズが、Windowsとか Mac(Macintosh)をつくっていくわけです。いろんな成果をどんどん出してきた。

一方で、AI(エーアイ)の人たちは、ブームはあったんですけども、その当時コンピューティングパワーって、まだまだそんなに高くなかったので、期待外れに終わってしまいます。なんだできないのか、みたいな感じで、AIの冬の時代といわれてる時代がすぐ来てしまいました。

そういうのが実は、これまでに3回ありました。今は第3次ブームといわれて、もはやブームなのかという感じもするんですけども、とにかくそういう波が3回来たんです。実は私はその第2次ブームのころちょうど社会人になって、最初にやったプロジェクトがAIのプロジェクトだったんですね。

演繹型のエキスパートシステムとは

小池:相当年配の方じゃないと知らないと思うんですけども、ICOT(アイコット)という第5世代コンピュータープロジェクトを、当時の通産省、今の経産省が音頭を取って、国家プロジェクトとしてやってたんです。ディープラーニングを中心にしたAIとはちょっと違うんですけどね。どちらかというと今日の「演繹」的な話です。演繹型の推論でエキスパートシステムとか、そんなことをやってたんです。

安藤:その演繹型のエキスパートシステムというのは、どんなものなんですか?

小池:エキスパートシステムというのは、言葉の通り、さっきの話でいうと専門家の知識を大前提、小前提としていっぱい入れるわけです。

「じゃあこのときはどうなの?」と聞くと、ちゃんと専門家の知識として答えを出してくれる。演繹を使って推論してくれるというモノなんです。なので、前提をたくさん入れなきゃいけない。とにかくたくさん入れなきゃいけない。それがけっこうボトルネックになって、第2次ブームの限界になってしまったんですけども。前提って、入れても入れてもまだ足りないという。

安藤:そうですよね。世界を記述するようなことですよね。お日様は東から昇って西に沈む、みたいなことからも全部含めて入れていくわけですよね。

小池:そうです。「常識」みたいなところも含めて入れてこうとすると、どこまで書けばいいのか、ともうわからなくなります。

安藤:それをじゃあ途中で、「あ、コレ無理だわ」と思ったということですか?

小池:だんだんみんな気づき始めました。そうですね、しぼんでしまったと。私もそのころ、いろんな専門家にインタビューに行って、専門家の知識を引き出すということをしていました。

そのころ、ナレッジエンジニアというようなことをいわれていました。人のナレッジを形式化してコンピューターに入れ込む、みたいな。今のSEのナレッジ版みたいなのがあって、そんなことをやってました。もう、聞けども聞けどもわからない、みたいなことがやっぱりあったんですね。

安藤:コンピューターは演繹的なことは大前提、小前提さえあれば、プロセスとしては得意なんですよね。

小池:そうですね。形式的にグイグイやるのが演繹なので、とにかく大前提、小前提さえあれば、ひたすら演繹を繰り返して最後に結論を出すということですね。

ひらめきがどこから来るのかはわかっていない

安藤:なるほど。さっきもロジカルシンキングって、演繹を中心に組み立てられているというお話しをしましたけども。なんとなく、コンピューターが得意としていることを、人の頭がやろうとしてきたというのが、ロジカルシンキングの方向なのかなと思うんですが。

今回のテーマのアブダクションとか、アナロジーとか。そっちは、恐らくコンピューターが得意としていることと逆のことなですよね。

小池:恐らくそうですね。それこそ「ひらめき」とか「直観」みたいなことですね。どこから来るのかは、ほんとによくわからない。それこそ個人的な原体験とか、あるいは環境からくる情報で反応するとかですね。いろいろあると思うんですけども。

安藤:なるほど。先ほどのディープラーニングのところをもう少しお聞きしたいんですけども。ディープラーニングが出てきたことによって、2回目の冬に入っていたAIが、ばぁーっと第3次ブームかといわれるまでいったわけじゃないですか。

これって相当なことができるわけですよね。なんだけれども、ここから仮説が生まれない。というのは、すごく難しい質問だと思うんですけれども……なにが無いから生まれないんですかね?

小池:……また難しい質問を(笑)。

(会場笑)

ぶつけてきますねえ……そうですね、なんでしょうね……。

まず1つはやっぱり「飛躍」ですよね。ディープラーニングって、例えば、教師あり学習みたいなものを考えるという。

「昨日は雨だった」「今日も雨だった」「明日も雨だろう」みたいな。ある意味、帰納推論に近いようなのが、非常に得意なんですよ。いろんな事例から、一般規則を導き出す、と。

ディープラーニングって、いかに教師データと実際のデータの誤差を小さくする予想線を引くか、という。簡単にいうと、そういうことなんです。そうすると結局、ちょっと外れてる誤差とか異常値みたいなのは、わりと紛れていってしまって、なかなか、そこに注目するということはしないんですね。

安藤:あーなるほど、なるほど。

小池:これは誤差ではないかもしれないんだけど、その誤差をなるべく小さくする予測をする。誤差とか異常値みたいなのに注目するということをしないんで、そういう意味でなかなか「飛躍」がしにくいんじゃないかと。

驚ける人工知能、驚けるコンピューターの実現がブレイクスルーになる

安藤:今の技術とかコンピューターのパワーとか、今進んでいる研究の理論とかでは、異常時に注目することをし始めちゃうと、全体が成り立たなくなるんですかね?

小池:そうですね、まあ通常の業務で、異常値とか誤差ばかりに注目していると、だいたい成果が出なくて怒られるんですね(笑)。

安藤:(笑)。まあそうですね。うまくやらないとね。

小池:そうです。はい。

安藤:「驚くべき事実C」ってアブダクションでお話ししていたところですけども、この「驚く」というのが、やっぱりこれだけ進化した人工知能といえど、難しいんでしょうね。

小池:そうなんです。まず「驚けるか?」というところですね。これ、人間でも難しいと思うんです。やっぱり、なにか見過ごしてしまって、ある現象に対して驚くって、なかなかないと思うんですね。

それをさらに機械にやらせるってどうやるんだろう、みたいなことです。そこは1つの壁だと思いますね。

安藤:じゃあ、逆にいうとAIがなにかに「アレ?」と思うようになっちゃったら、これってさっき言ってたシンギュラリティというような話が、飛躍的に進んじゃうようなトリガーかもしれないですね。

小池:そうですね。「驚けるコンピューター」が出てきたら、もしかしたら結構なブレイクスルーになるような気がしますね。

安藤:あーそうですね。そうすると、「人間がなにかをみて“アレ?”と思うのはなんだろう?」と思いますね。

小池:そうですよね、不思議なんですよね。

猫の写真を判別できるようになったGoogleの力

安藤:ここでも小池さんが演繹のアブダクションで、AIと重ねながらまとめてくださっているところがあるんですけども、これは今までのAIのブームと、先ほどちょっと話も出ましたが、重なるところがあるんですかね?

小池:そうですね。若干無理やりに寄せてみたところはあるんですけども。先ほどのお話の通り、演繹推論というのは、第2次ブームのときにやってた、わりとエキスパートシステム的な話です。

ひたすら前提を入れていかなきゃいけないところが、ネックになってしまいました、というお話です。帰納推論は、ディープラーニングの学習にちょっと近いのかなと。というようなところで、合わせてみたんですけれども。

じゃあ、「仮想的推論(アブダクション)はできるのか?」ということなんですけども。まずそういう意味でいうと「驚けるのか?」「人工知能が驚くか?」ですよね。

「飛躍ができるのか?」「仮説が立てられるのか?」といった、これからブレイクスルーしていかなきゃいけない課題は、けっこうまだあるなといったところですね。

安藤:そうですね。こういうところを考えいくと、Googleが猫の写真を判定できるようになったというあの話題は、人間にとっては当然のことなんだけれども、コンピューターの世界からすると、それは相当なジャンプなわけですよね。

小池:そうですね、ディープラーニングの能力というか、できそうなことというのは第1次ブームのころからだいたい予想はされていたんです。けれども、やっぱりコンピューティングパワーがまだまだ足りなかったこともあって、実現にはいたらなかったんですけども。

それが昨今ビッグデータや、クラウドでコンピューティングリソースを安く簡単に調達できることもあって、ブレイクスルーがあったと。あと冬の時代を耐え抜いたグループというのは、やっぱり注目に値すると思っています。

猫はシンボルである

安藤:今のGoogleの猫の話ですが、少し補足していただくと、あれって何がわかったんですか?

小池:YouTubeの動画像を、大量にディープラーニングのインプットととして入れていったら、あるノードが「尖った耳のモフモフっとしたモノ」を認識したんですって。そして、「それを人間は猫と呼ぶ」というような、あるノードが見つかったと。

今までの機械学習って、特徴を人間が入れてあげなきゃいけなかった。「猫というのは耳が三角で、ヒゲがあって、モフモフとしていて」みたいな。そういうモノを画像の中からみつけなさい、というようなことをやってたんです。

ディープラーニングはそれをしないでいいんです。特徴を人間が設定しなくていい、というところがすごい。

安藤:なるほど。じゃあそれは「人間が猫と呼んでいる」という情報自体をどっかから持ってきて、「これを猫と認識する」という。

小池:実は「猫」ってシンボルです。シンボルとモフモフっとした概念を結びつけるというのは、これまた別の問題です。「モフモフ」は認識したけど「それを猫と呼ぶ」というのは、シンボルグラウンディング問題といって、これはまた難しい。ずっとAIの大問題といわれている。実際難しいと思います。

安藤:ふーむ、シンボルグラウンディング。今日さんざん登場したチャールズ・パースも、この記号論をもともとやっていた人ですけれども、シンボルとイコンとイデックスという3つの種類の記号で世界を認識しようと試みました。

そこから100年たった現在のAIの世界でも、「シンボルをどう認識するか?」というのが、やっぱり難しい問題として残っていると。

小池:…と思います。やっぱり第2次ブームのときは、記号論理の世界だったんですね。つまり「記号で推論する」という方法でした。

今は、記号推論ではなくて「パターンから特徴を抽出する」という方法ですので、方法としてぜんぜん違うんです。けれども、やっぱり記号推論、記号論理も組み合わせていかないと難しいんじゃないかなと、僕は思います。

だからブレイクスルーは、従来の技術との組み合わせみたいなことを、考えていったほうがいいのかなとは思っています。

推論の力は、生きようとする力と結びつく

安藤:うーん、なるほど。お聞きすればするほど、人の頭の中にある、ある不思議な思いつきだったり、ひらめきだったりというのは、これはなんなのかな、と思いますよね。

小池:そうですね、やればやるほど人間はすごいと。

安藤:いやあ、そうですよね。今日みなさんに、あえて「AIとアブダクション」という、一見ちょっと違う話を、後半で小池さんにいらしていただいて混ぜてみました。

チャールズ・パースは本能的な洞察力という言い方をしましたけど、生き物の本能として持ってる人間の力を、たぶん私たちはもうちょっと信じていいんだろうなと。

小池:そうですね。結局のところ、じゃあ僕らの学習能力とか、推論の能力って、なんのためにあるかというと、たどっていくと「サバイバル」とか「生きようとする力」とか、そういうところに結びつくんだ、と思っているんです。

そうするとやっぱり、「直観」とか「ひらめき」って、おろそかにできないなと本当に思うんです。それを繰り返した結果が我々だと考えると、もしかすると、我々のひらめきというものが、生存の確率を高めている可能性はじゅうぶんあると思います。

安藤:コンピューターがある時期、さっきのグラフでいうと40年代から、コンピューターの性能ががーっと上がってきて、大抵のことをしてくれる、という世界に私たちは生きている。

かつその中で、ビジネスの世界でもロジカルシンキングとビジネスフレームワークがあって、それをうまく使いこなせれば、競争に勝っていくことができる。そういう流れの中で、整合性がとれる、もしくは合理的に考えられることが非常に大事なこととして、訓練されてきたわけじゃないですか。教育全体がそうだと思います。

さっきは原体験とか好奇心とかという言い方をしましたけれども、そもそも自分の中にしかないものを持ち出さなくても、普段の活動ができるようなツールやフォーマットを使ってきてるわけですよね。

けれどもこうして、アブダクションが注目を集めたり、さっきもお話ししましたけども、世の中の環境が変わって、これだけ先が読み通しにくい世界に突入していく中で、もう一度自分の中にあるイマジネーションを持ち出し直すって大事なことですよね。

帰納と演繹では、もう生き残れないかもしれない

小池:そう思います。いろんな世界で予測不可能なことが起きています。特に気象、自然現象ですね。今年の夏は特にそう感じましたけども。こういうことが起きていて、今までの演繹とか帰納では生き残れないかもしれないというのは、みんな本能的に感じている可能性がありますからね。

同じようなことが政治でも経済でも起きているわけです。これからやっぱりアブダクションが注目されていくというのは、そういうこともあるんじゃないかと思います。

安藤:なるほど、そうですね。今日も冒頭に少しお話ししたんですけど、まだまだアブダクションて言葉自体は、今日お聞きしてもパラパラっと手があがったぐらいだったんで、広まってはいないと思うんです。

けど、このあと1~2年、2~3年の間に「それがないとね」という状態には、確実になってくるだろうと思うんですよね。AIが実装するのが早いか。私たちがもう一度そういった能力を持ち出し直せるのが早いか、というのは、あるかもしれないですけどね。

小池:そうですね。

安藤:なので、小池さんがずーっとお付き合いしてくださっているイシス編集学校では、編集力のトレーニングをするわけです。その中でコアのものとして大事にしているのって、アナロジーとかアブダクションとか、本来なら私たちが基本的に持っている「思考の飛躍力」というか、そのあたりを大事にしようとしている学校でもあります。

そういう私たちの編集力のメカニズムをひも解いていくことも、今後ますます大事になってくるんじゃないかと思います。

小池:そうですね、それは強く思います。やっぱり言葉とか会話というのは、思考のツールとしてすごく大事だと思っています。

「これは妄想だけど」から話し始めるというテクニック

小池:会社とかでいろいろディスカッションしていても、「飛躍のあるいいアイデア」ってなかなか生まれにくいんです。最近あることに気がついたんですけども、「この言葉が出てくると、比較的飛躍のある話が続くことがある」というキーワードがあります。

それは、「これは妄想だけど」です。

安藤:あー、大事ですね。

小池:(笑)。日本人だからなのかもしれないんですけど、やっぱり突飛なアイデアとか、あまり普通じゃないアイデアを言うのって、ちょっと恥ずかしいので。そういう、謙遜的なキーワードを言ってから言う、と。

安藤:なるほどね。

小池:意外とそのあとに続く話が面白かったりする。

安藤:私たちもよく企業さんでワークショップをしたり、ファシリテーションをしたりするときに、それを使うんですよ。

言いにくかったら、「これちょっと妄想なんですけど」と言ってみてください、というのをやるんですね。さっきスライドにも「飛躍的な仮説力をはばむもの」というので、いくつか、出させていただきましたけども。

そのあたりでお話しした「安全な環境をつくる」というのは、発想を飛躍させる上でとても大事なんですよね。その環境全体が安全じゃないかもしれないときに、「これ妄想なんだけどね」と言うと、一瞬でそこが安全な環境になるという。

小池:それはありますね。

安藤:そうですね。これはちょっとしたテクニックとして使っていただけるといいと思います。

「なぜ?」繰り返すことの有効性

あと、編集工学研究所でいろいろな企画を組み立てたり、発想していく時に「そもそもなんで?」ということは、ちょこちょこ自分たちに問いかけるように使っているんです。

今日のアブダクションの項も、お話をまとめながら、それを自分で思っていました。アブダクションって結局、さっきは大いなる法則という言い方をしましたが「なにかの背後にあるそれさえ説明がつけば、全部説明つくじゃん」というようなものを探していくという推論だと思うんです。

その「なにかの背後にある大いなる法則」を導きやすい言葉というのが、あると思うんです。そのひとつが「それってそもそもなんで?」を繰り返していくというのが、これはけっこう単純な話だけど有効だと思っています。

小池:そうですね。

安藤:小池さんが言われたように、言葉って思考をあとから連れてくるツールとして大きいですよね。

小池:そうそう、すごく大事だと思います。

安藤:なので、今日お話ししたようなアブダクションの構造というか、カラクリというのを、「驚くべき事実C」があり、そこに「説明仮説H」がある、ということが別に頭に入っていなくても、ちょっとした今みたいな言葉が、次の発想を連れてきてくれる。

このようなテクニックを少し頭に入れるだけで、なにか仮説が生まれやすくなるかなーと思います。もうお時間が少しになっちゃったんですけども、せっかくなので、なにか質問とかコメントとか、おありの方いらっしゃったらどうぞ。

アブダクションは方法論にできるか

質問者1:R&Dをやっております。今日はありがとうございました。

先ほどのAlphaGoと将棋の件で、人間を超えたような打ち手がどんどん出てきています。私自身、それはアブダクションではないかと思っていて。人間が気づかないところで、ルールベースではない手を考えて打ってくというのは、やっぱり人間の知能を超えているかなと。ただ、それをルールベースに落としていくと、恐らくアブダクションじゃなくて、普通のルールベース上の話です。ニュートンの話もおそらくそう。

合っているかわかりませんけど、言いたかったのは、今「AI対人間」となってますけども、将来は人間のアブダクションを支援するような、創発の可能性を広げるような、そういうAIとの関わりはできないのかな、とか。

たぶん原体験って、人生の中では時間が限られているので。人間の脳を刺激するような、そういう支援ができないかなというのが、ちょっと疑問であり相談なんです。

安藤:いいですね。これは大事なポイントですね。

小池:そうですね。私も、似たようなことはずっと考えています。イシス編集学校と関わるようになってから、特にそう思うようになったんですけど。

イシス編集学校が行なっている編集工学というのは、要するにエンジニアリングなんですよね。エンジニアリングということは、方法論として訓練すれば誰でも使えるようになる、ということなんです。

だから、「アブダクションもそうできるんじゃないか? それを支援するようなコンピューターのツールができるんじゃないか?」と実はずっと思っています。

構想はずっとしているんですけど、なかなか実現にいたらないですね。まだまだ編集学校で修行しないといけないことも多いんですけど、やっぱりさっき言っていただいたように、いろんなキーワードでいろんなものを引き出すというのは、これは1つヒントになるかな、と考えています。

安藤:ありがとうございます。

質問者1:はい、ありがとうございました。

安藤:はい。そうなんですよね。「AI対人間」という書き方をしましたけれども、アブダクションとかアナロジーみたいな能力こそ、より飛躍できるようなお手伝いをコンピューターがしてくれるといいなあ、というのは、私もすごく思うところです。

小池:そうですね。それを考えると編集学校のお題って、飛躍をするための「型」とかを、実はけっこう学んでいるんですね。あれをなんとかコンピューター化できればと。

安藤:あーもう、それぜひお願いしたい。

小池:はい。あ、はいじゃない(笑)。

(会場笑)

足りないのは「身体性」の獲得

安藤:よろしかったらほかに。どうぞそちら。じゃあ前の方から。

質問者2:かなり昔に、星新一さんの『ショートショート』で、第2次ブームのようにやたらとデータを詰め込んでという行為をして、結末をちょっと忘れちゃったんですけど、その果てには神になるかならないか、という話があったと思います。

当時のコンピューターと今のを比べたら格段に違うわけですから、同じことをトライしても、また違った結果が出るんじゃないですかね。

小池:そうですね、その可能性は捨てきれないと思います。だけど、結局第2次ブームのころは「いかに人から知識を引き出すか」というところは人間がやっていたんですね。

そこが、ちゃんとコンピューターで引き出せるようなことができると、もしかしたら今のコンピューティングパワーを使ってぶん回せば、いい線いくんじゃないかという気はちょっとします。

質問者2:それってGoogleがまさにやっていますね。

小池:そうですね。なので、もしかしたらブレイクスルーはGoogleという可能性が、ないとは言えないと思います。

安藤:だってサンプルになるデータの集まり方だって、日常会話から位置情報まで、ありとあらゆる情報がクラウドに入っていて、それを今のPCのスペックでぶん回せば、と考えるとね。

小池:たぶんちょっと足りないなと思っているのは、身体性ってよくいわれるんですけど、つまり知性って頭で考えていることだけじゃないですよね。さっきのアフォーダンスなんかそうなんですけど。

やっぱり環境に合わせて、私たちの身体というのは、いろいろ対応するような動きをします。その身体性みたいなものをどうやって獲得していくか、というのがけっこう大きんじゃないかなと思っています。

安藤:なるほどなるほど。

質問者2:ありがとうございます。

小池:ありがとうございました。

それが真であれば、必ず驚くべき事実が生まれる

安藤:はい、じゃあ後ろの方。

質問者3:小池さんの作っていただいたシートでは、「まず事実があってそこから仮説をつくる」、そして「それは当然だということを継承する」という、この2つがあってのアブダクションだと思うんですけど。

つまり、なにか仮説をたてるひらめきだけではなくて、「それが真であれば、必ず驚くべき事実が生まれる」と。つまり、仮説から驚くべき事実への演繹推論がされているわけですよ。ですから、アブダクションができるようになることについて、個人的には、ひらめきについては、現状の帰納推論。だからディープラーニングでも、もしかしたらうまくできるかもしれない。

いっぱいアイデアはでてくるかもしれない。でもそれは当然だということの継承については、帰納推論ではなくて、演繹推論の思考も取り込まなくちゃいけない。なので、昔のエキスパートシステムのような、演繹推論の部分も取り込んでこそ、AIでアブダクションができるようになるといえると考えたんですけども、いかがでしょう?

小池:おっしゃる通りだと思います。前半の安藤さんのお話の時にもあったと思うんですけど、まず仮説推論があります。そこでひらめきが得られたとしても、それでそこで仮説がたてられたとしても、いくつか仮説は出てくると思うんです。

その中で、どれだったら一番シンプルにそれを説明できて、それが当然だと考えられるのか、というのは、やっぱり演繹、帰納というのを繰り返す必要があると思うんです。そこはもう、おっしゃる通りだと思います。

ですので、アブダクションだけが独立してあるということではなくて、やっぱり組み合わせだろうと思います。

安藤:そうすると、今の方からコメントいただいたことも考え合わせると、一時期、もう無理じゃん、となったエキスパートシステムも、もしかしたら違う用途としてもう一回復活してなにかに使われるということもありますか?

小池:それはじゅうぶんあると思います。やっぱり第2次ブームのころに、記号論理をずーっとやっていた人たちにとっては、どっかで復活のチャンスを狙っているんじゃないか、と思います。

厳密に導出された結論が正しいか検証できるのは、たぶん演繹だけ

安藤:なるほど、面白いですね。じゃああとお1人だけ、もしもいらっしゃたら。あ、じゃあどうぞ。

質問者4:どうもありがとうございました。ちょうどこの絵(スライド)が出てるので、この絵のことでおうかがいしたいんですけども。

「思いつきと仮説の違いがなにか?」というところです。この絵でこれが強化されていくことによって、ますます間違ったものが正しく見えてくる、ということがじゅうぶん起こりうると思うんですね。

ちょうど今日、アブダクションでなんか思いつくことがあるかという話があった時に、例として、うちに帰ったらカミさんが「どうも犬を飼っている家庭は全部幸せに見える」と。

(登壇者笑)

「隣の家もそうだ。あそこの家もそうだ。だから犬を飼おう。そうしたらウチの家は幸せになれる」と言ったとしますよね。

そうすると一見もっともらしいわけだし、どんどん機能強化されていくわけですね。それで、犬を飼っている人を見た時に、幸せそうに見えてくるから、ますますもってカミさんの中でそのルールが強化されていって、楽しいものになっていくわけです。

ところが当然反例が出せるわけです。犬を飼っていても不幸な家はあるし、犬を飼ってなくても幸せな家もある。「そもそも幸せがなにか?」という定義もあるんですけど。

そういう話がある時に、この(スライド図の)ルールというか、この法則、プロセスがなぜ正しいのか、というのが、もしかしたらこれが機能しない場合があるんじゃないか、というのがあるんじゃないかって気がするんですけど、そのあたりはどうお考えになりますか?

小池:これは難しい問題です。厳密に導出された結論が正しいかどうか検証できるのって、たぶん演繹だけだと思うんですね。形式的にも正しいし、それも検証もできるということ。だから厳密な論理学者はきっと、推論は演繹だけだと主張すると思うんです。

そこに帰納という蓋然的なもの、ある確率で起こるかもしれないという規則、そういった確率を含んだものとかを導出するわけですよね。あるいは仮説、ちょっと飛躍のあるようなものが混じってくると、途端に、今おっしゃったことが容易に起こりうると思っています。そこをどうするかですよね。

どう整理して、正しい解、まあ正しいという言い方も危険なので言いにくいんですけども、どう目的に沿ったものを出せるのかは、本当に難しいと思います。なので、特に仮説的推論、アブダクションみたいなものはなかなかコンピューターでは扱いにくい、というのはそういうところもあるんだと思います。

「サンプル数でいうと2じゃないですか?」と、ちゃんと突っ込むことの重要性

安藤:そうですね。間違った仮説が強化されていくというのは、それはもう、私たちの中にもよくあることだと思うんですけどね。

小池:そうですね。よく出るのは「風が吹けば桶屋が儲かる」と。これ演繹的にいえば、形式的には正しいんですけども、最終的に出た結果というのは、完全に私たちの経験とかけ離れたものになっているわけですよね。

だから演繹って、形式的に正しいから、どこまでも遠くにいってしまうわけですよね。そこを気をつけないといけない、と思っています。

安藤:恐らく、チャールズ・パースが探求とか創造のプロセスで、アブダクションを最初にもってきましょう、と言ってるのも……帰納的に見て、「あの家も犬を飼ってて幸せ。この家も犬を飼ってて幸せ」と組み合わせて、「だから幸せ」。

知ってるところだけで強化していくと、固定観念になっていくわけですよね。それをどっかで崩すタイミングというのも、アブダクションというのは役割として持っていると思うんですね。なので、これをグルグルってことだと思っています。

小池:そうですね。よく会社で会話をしていても、さっきの幸せ犬の話のような事例はよくあります。「昨日こういうのを見た」「今日もこういうのを見た」「だからこうに違いない」ということを、ときどきいう人がいるんです。

でもそれって「サンプル数でいうと2じゃないですか?」みたいな。

(会場笑)

そんな突っ込みを、ちゃんとしないといけないと思うんです。

非常に少ないサンプル数から、「桶屋」の話みたいな飛躍が、やっぱりあるはずなんです。そこをちゃーんと聞いてないと、あっという間に変なところへ連れていかれてしまう。これは要注意ですね。

安藤:恐らく、思い切った仮説を立てるんだけれども、それを検証していく方法論というのも片方の手で持っていて……と。これはビジネスパーソンのみなさんであれば、初歩的にされていることだとは思います。

仮説と検証というのを、行ったり来たりというのは、大前提だと思うんですけども、その時に、極力その仮説というのを、ぽーんっと飛ばすというのが、いよいよこの先の世界を生きていく上で、今まで以上に重要になってくるんじゃないか、というのが今日のお話でしたね。

もう時間が過ぎてしまったんで、このあたりにしようかと思います。今日は私一人でアブダクションの話をするというのがどうにも心細くって、それで小池さんにお声がけして応援してください、といらしていただいたんですけども、やっぱり最後にお話しいただいてよかったです。

小池:ありがとうございます。

安藤:改めまして、小池和弘さんでした。ありがとうございました。

(会場拍手)