マーケティング業界に広がる「熱狂」の渦

高橋遼氏(以下、高橋):みなさん、こんにちは。トライバルメディアハウスの高橋と申します。本日は「熱狂ブランドサミット 2018」にお越しいただきまして、誠にありがとうございます。

熱狂ブランドサミットは、今年で3年目を迎えました。2016年から始めておりまして、先ほどご紹介いただいたとおり、マーケティングの未来を定義する場としてこのようなカンファレンスを開催しております。

今回のテーマは「人」です。マーケティング業界の中では、ある程度「熱狂」あるいは「ファン」という言葉が流通してきた中で、どのように1人の顧客や1人の仲間、社員を変えていくことができるのかということをメインに、今日は4つのプログラムをご用意しております。夜19時までとちょっと長いんですけれども、みなさまよろしくお願いいたします。

まずはじめに自己紹介から入らせていただきますと、私は2010年にトライバルメディアハウスに入社しまして、これまでブランドと顧客の関わりを軸としたマーケティングの支援などを中心にやってきた人間です。

ちょうど今年の2月に『熱狂顧客戦略』という本を翔泳社さんから発売させていただきました。今日はちょっとこの内容も踏まえながら、進めていきたいと思います。

熱狂顧客戦略(MarkeZine BOOKS) 「いいね」の先にある熱が伝わるマーケティング・コミュニケーション

生活をともにしたくなるブランドになれているか

高橋:これは日産のコーポレート市場情報統括本部の高橋(直樹)さん……(僕と)同じ名字なんですけど……その高橋さんという方が「マーケティングはこのような時代の変化を起こしてきた」ということで、「狩猟の時代、農耕の時代を経て、いま宗教の時代に入っている」というお話をされています。

人口が右肩上がりで増えていた「狩猟の時代」においては、マーケティングで新規の顧客をいかに獲得していくのかということが大事だったんですけれども、「農耕の時代」に入って、人口が増えなくなってきた時代においては、今年買ってくれた人に来年また買ってもらうためにはどうすればいいかということが議論されてきました。

そしていまマーケティングは「宗教の時代」に入ったとおっしゃられています。1人の生活者がどんなブランドと生活をともにすればより豊かになれるのかとか、幸せになれるのかといったことが重要な時代に入ってきました、ということです。

それは、いままさに「ブランドがその人にとってどんな存在なのか」が問われている時代に入ってきているのではないかと思います。

これまでは購入をゴールとして、どれだけ購入に向かって効率よくマーケティングを設計していくのかということが、マーケティングにおいてとても重要なポイントだったわけなんですけれども。

そうではなくて、すでに買ってくれてファンになってくれている人たちと、どのようにコミュニケーションをしていくのかということが、いま問われているんじゃないかなと思っています。

つまり、ブランドの輪郭がなにによって作られていくのかが変わってきている、ということがひとつの問題定義です。

「熱狂顧客」から考えるマーケティング

高橋:少し概念っぽくなってしまうんですけれども、ブランドの輪郭がなにによって形作られているのかという議論においては、昔はやっぱり、ブランドって「ブランドのアイデンティティをどうやって作っていくか」「どうやってそれを伝えていくことができるのか」といったことがメインのトピックだったわけなんですね。

しかし、いまはそうではなくて、みなさんがSNSを日常的に使っている中で、ブランドが消費者とどんな信頼で結ばれているのか、ブランドが消費者にどういう価値を提案できているのか、ということが重要なポイントになってきていると思います。

これはみなさん、まさに現場の業務の中で実感されているところなんじゃないかなと思っています。

企業ないしはブランドがどうやって新規の顧客にアプローチをしていくのかということだけではなく、その関係図の中に熱狂顧客という第三者を含めてマーケティングを考えていくのが重要だと改めて思っています。

さらに、熱狂顧客から新規の顧客に対する評判形成だけでなく、熱狂顧客の方々も熱量が高まることによって積極的な推奨につなげていったり、企業と熱狂顧客が関係性を築いていく中でCo-creationを実現していくことが可能になってきています。

逆に、対顧客とのコミュニケーションだけではなくて……我々も2015年くらいから熱狂というコンセプトを業界に提唱していますが、いますごく実感しているのは、社員の方々が熱狂顧客に触れられることによって、その熱狂顧客から刺激を受けて生産性が高まったり、企業に対するエンゲージメントが高まったりと、社内に対する影響というのもすごく大きくなっていると感じています。

その熱狂顧客については、スノーピークさんも「熱狂的な顧客は経営参画顧客である」とおっしゃっていますね。

最近は「ファン株主」みたいなテーマで我々も議論することが多いんですけれども、熱狂的な顧客がより企業の経営に参画していくということが、これから起こってくるんじゃないかなと思っています。

このように「熱狂顧客」というワードでいろいろな関係図を整理していくことによって、新たな打ち手や施策がどんどん生まれてきています。

差別化要因の最後に残るのが「WHO」

高橋:「お客さまは神様である」とは、従来のマーケティングでは当たり前のように唱えられてきた言葉ですけれども、もはやお客さまは神様ではないという前提に立つところから始めていく必要があると思っています。

お客さまは神様ではなくて、仲間だったり同志であると捉えて、彼らと一緒にどうマーケティングを作っていくのかが問われているんじゃないでしょうか。

社内に目を向けてみても、これまで企業は、統一されたメッセージをとにかく多くの顧客にリーチさせていくのが重要な活動だったわけです。

でも、みなさん、いまはたぶんそうではないと思うんですね。顧客と社員の方々、そしてSNSをはじめとしたいろいろな会話の中で、個別のブランド体験が醸成されていくことによって、顧客と企業との絆というのがつながれていく時代なんじゃないかなと思っています。

「企業が生み出すあらゆる差別化要因の中で最後に残るものは『WHO』である」というのは、昨年このブランドサミットに登壇された『北欧、暮らしの道具店』の青木(耕平)社長がお話しされていた言葉で、すごく印象に残っているんですね。

製品も差別化が難しい時代に入っていて、サービスもまた非常に差別化が難しい時代に入ってきている。その中で、最後の差別化要因というのは人であると。WHOであるとおっしゃっていました。

その1人の人が、どのようにマーケティングを変えていくことができるか。そこからが勝負であるとおっしゃっていたように思います。

ひとりの熱狂が未来を変えていく

高橋:我々はマーケティング会社ですので、やはりマーケティングでのご支援がメインになってくるんですけれども、熱狂マーケティングというのは小手先の手法ではなくて、それを前提として熱狂的な社員がそれを支えていかなければいけません。

社員一人ひとりが熱狂的に自分たちの商品を愛するためには、やはり根底にあるコーポレートカルチャーというところを育てていかなければいけない、ないしは強化をしていかなければいけないということが、大前提としてあるんじゃないでしょうか。

なので、マーケティングというのは1つの手法ではなく、経営とセットで考えていく必要があると思っています。

それで、今年のテーマはこのようにさせていただきました。「マーケティングの未来はひとりの熱狂から変えられる」。先ほど申し上げたとおり、我々は3年くらいずっと「熱狂」という言葉を、いろいろなところ、いろいろな場面でお伝えしている中で、いろいろな企業様に共感していただき、ご支援に入らせていただきました。

その中で1つわかったこととしては、こういった前例のない取り組みや新しい取り組みは、社内でも抵抗が強かったりするものなんだということです。

熱狂というコンセプトの中で、我々と一緒に活動させていただいて、ある一定の成果を収めている企業様の共通点は、やはりそれを推進する社員の方の熱量の高さだったりするわけなんです。1人の熱狂が顧客を変えていったり、組織を変えていく熱いドライバーになっているということを感じています。

今回は4つのプログラムをご用意していますけれども、すべてに共通するのは、この1人の熱狂からどうやって未来を変えていくことができるかということです。これを共通のテーマとして、今日は考えていきたいと思っています。

月曜日が待ち遠しいと思っている人はどれくらいいるのか

高橋:従業員エンゲージメントと呼ばれる指標がありまして、熱意を持った社員が全社員の中でどれくらい含まれているのかというものを、グローバルで調査したものがあるんです。アメリカのギャラップという会社が行っています。

(スライドを指して)この「6パーセント」という数字は、日本企業の結果だと言われています。139ヶ国くらいを調査をされていて、日本は132位ということで、ほぼ最下位なわけですね。熱狂的な社員が少ないという調査結果が出ているんです。

我々はこれを変えたいと強く思っています。今日は月曜日ですけれども、月曜日に「ワクワクしながら会社に来る」「楽しいから会社に来る」という人が1人でも増えると、もっともっと日本の企業の未来、ないしは日本の社会の未来というのは変わっていくんじゃないかと考えています。

我々は100人くらいの会社ではありますが、この(従業員エンゲージメントの) 数値を日本の中で高めていきたいなという想いでやらせていただいております。

日本の仕事観や働き方みたいなところは、まさに発展途上だと思います。しかし、「会社からこう言われたからこうすべきだ」「こうしなければならない」というMUSTで動くのではなく、「企業のミッションに共感して、ビジョンを実現したいから自分はこういうふうに動く」というWANTの部分でみんながアクションしていけると、もっといい社会ができるんじゃないかなと思っています。

「熱狂」をテーマにした4つのプログラム

高橋:そんな中で、今日は4つのプログラムをやっていくわけなんですけれども。冒頭では、ファクトリエ・山田さんと私で「『メイドインジャパン』で世界を変える、業界を覆したひとりの情熱」の講演を行います。このあと(ファクトリエの)山田さんにご登壇いただいて、お話しいただきたいと思っています。

2つ目が「コミュニティ先進企業から学ぶ! ファンコミュニティの“つくり方”と“活かし方”」ということで、まさにコミュニティマネージャーの現場をやられている方々がどのように顧客とコミュニケーションをしたり、社内を変えていったかというお話をさせていただきます。

3つ目は「『好き』にとことんハマる! 流行を越えたエンフルエンサーの生態とは」ということで、みなさんが日常で、YouTubeやInstagramでご覧になるインフルエンサーの方々に実際に登壇していただいて、特定のプラットフォームの中での熱狂がどのように起こっているのかをご紹介していきます。

最後は楽天大学の仲山さんと弊社代表の池田によるセッション「すべてはひとりの熱狂から始まる  ―熱狂顧客を増やすために明日からあなたができること」です。明日からみなさん個人がどのようなアクションをしていけばいいのかをテーマに、今日の締めくくりとしてお話ししていただきます。

ちょっと長いんですけれども、ぜひ最後までお付き合いいただけると幸いです。

いま着ている服がどこ製かなんて、誰も気にしていない

高橋:さっそくセッションに入っていきます。(登壇者を)お呼びいたしますので、みなさま大きな拍手でお迎えいただけたらと思います。ファクトリエ代表の山田さんです。よろしくお願いいたします。

(会場拍手)

山田敏夫氏(以下、山田):ありがとうございます。みなさん、こんにちは! 今日はお時間をいただき、ありがとうございます。ファクトリエ代表の山田と申します。

僕らは日本製の服を作って売るということをやっています。「日本製の服を作って売る」と言うと、本当に単純なんですが。

(スライドを指して)上に小さくMADE IN JAPANって見えます? 今日この中で日本製の服着てるって人は、どのくらいいらっしゃいますか?

(会場挙手)

山田:奇跡の3人、ありがとうございます。たぶんみなさん、ここ(シャツの裾)をひっくり返したり、ソックスをひっくり返したりすると、日本製を着ているかもしれないですね。でも、みなさん、どこ製かなんてどうでもいいですよね。

洋服を買うときに「これ、トルコ製だから買おう」「バングラデシュで作られているから買おう」って思う人はほとんどいないんですね。なので、どこ製かなんてどうでもいい人が多いんです。だから、僕がやっていることって、多くの人にとってはどうでもいいチャレンジなんです。

じゃあなぜこのどうでもいいチャレンジをやっているのか。また、どうでもいいチャレンジは何を生み出すことにつながっているのかという話を、今日は30分と本当に短いんですが、僕からできればなと思っています。

「作り手の想いで買う」という、新しい軸

山田:僕らのミッションは「語れるもので日々を豊かに」というものです。すごくシンプルに言うと、いま洋服を買うときって大きく2つの軸があります。

1つはファッション性という軸。トレンドやデザインですね。もう1つ、経済性という軸もありまして。なにかと言うと、「プチプラ」「ファストファッション」「コスパがいいね」というものがあるんですね。

僕らは3つ目として、「作り手の想いで買う」という軸を作ろうとしている会社なんです。なので、どこ製かが一番大事で、誰が作ったかまでを僕らは掘ろうとしているんです。

ファッション性やデザインでワクワクする会社があってもいいし、経済性でワクワクさせる会社があってもいい。そんな中で、作り手の想いでワクワクさせようとしているのが僕らです。

ようやく最近、食に関しては「誰が作ったか」とかオーガニック、有機栽培などと言われ始めましたね。美容で言えば、最近オーガニックコスメも出てきたんです。体の中に入れるものから、次は体の表面に塗るものが大事だ、というような。

じゃあこれからは「纏うものも大切にしていこうね」という時代がくると。みんながどうでもいいと思っていることをやるのが、僕らベンチャーなので。誰もがどうでもいいと思っているところが、時代が変わったときに変わる。僕らは「それが当たり前」のマーケットを作れたらなと思っています。

ビジョンは「世界一のクラフトマンシップの伝え手となる」です。僕らは伝え手なんですね。作り手でもないですし、ただの売り手でもない。「伝え手である」というのが僕らのビジョンです。

日本には本物のブランドがない

山田:簡単に自己紹介をさせていただきますと、僕は熊本の婦人服屋の息子でして。ちょうど去年が創業100年だったんですね。店の上に住んでいましたので、いつも部活がない日は店番をさせられていて。

よかったなと思うのが、日本製の仕立てのいい服に囲まれて生まれ育ったことだったんです。さっき高橋さんが言っていた「個の時代における、個の強さ」を感じるんですよね。それはなぜかと言うと、店の周りにイオンとかいろいろなものができても、母親と父親が商売をやっている店はいまだに生きているんですね。つまり、「あなたから買いたい」があるわけですね。それを強烈に痛感して育ちました。

この少年が、10年後にフランスに留学して「GUCCI」というお店で働きます。留学した初日、空港から市内に行く途中でスリに遭って、一文無しになって働かざるを得なくて、唯一拾ってくれたのがGUCCIだったんですね。GUCCIの地下のストック整理として僕は入ったんです。

このときに僕は人生を変える転機にぶち当たりました。「なんで日本には本物のブランドがないんだ?」って言われたんです。だから「いやいや、あるよ」と。僕はまだ20歳でしたから、いろいろな日本のブランドをあげていったんですね。

そうしたら「それって全部日本製か?」って聞かれたんですね。僕は「日本製かはわからないけど、そんなのブランドに関係ないでしょ?」って言ったんです。

そのGUCCIの仲間と一緒にご飯を食べているときに、HERMESとかLOUIS VUITTONとか別のブランドの人たちが来て、彼らは工房研修に行くという話を聞いたんですね。

なぜかと言うと、「ブランドは本当のものづくりからしか生まれない」っていうのが彼らの想いなんです。HERMESもGUCCIもLOUIS VUITTONも、もともとは工房だったんです。なので、僕もほかの工房見学に行かせてもらったんです。

表面さえうまく整えればブランドになってしまう

山田:HERMESはフランス国内に3,000人も職人がいるんですね。1人の職人が1個のバッグを丸縫いするんです。分業制じゃないんですね。

中には作った職人のコードが刻印されているので、それを見れば誰が作ったか分かるんですね。しかも1個作るのに20時間かかるので、1週間に1個か2個しか作れないんですね。でも、それでいいって言うんです。

彼らは当たり前に、ものづくりという土台が一番重要だと言っていたんです。僕はみなさんと同じように、どこ製かなんてまったく気にしていなかったんですね。なので、日本のものづくりから世界一のバッグを作りたいと思ったのは、僕が20歳のときでした。

でもその当時、結局もうほとんどが「MADE IN CHINA」などの海外製になっていて。ヨーロッパに負けないくらいの織りとか袖とか歴史があったものが、どんどんなくなっていっていたんですね。

そのときに流行っていたのは「どんな雑誌に載るか」「誰がブログに書くか」というような、いまのインスタ映えみたいなことですよね。表面さえうまく整えれば、ブランドになれるんだっていう考えですよね。でも本物のブランドは違った。それで、ものづくりをしていきたいと思ったのが20歳のときでした。

シャツの行商から事業をスタート

山田:本社はいま熊本にあって、今日の夜も熊本に戻ります。アパートの1室で資本金50万円で会社を始めました。週末はバイトをしながらやっていました。

いろいろな工場に行って、「インターネットで工場から直接売りましょう」「野菜の産直みたいなことをやりましょう」と言っていたんですが、携帯の電波も入らないような田舎にあるので、みんな「怪しい」とか言って嫌がるんですね。

僕が一番堪えたのは、一応スーツを着て工場を回っていたときに、田んぼの真ん中で、「スーツを着た怪しい男性が町内を歩いているのでみなさん気をつけてください」という町内放送が流れたんです。

「怖いな、誰だろう」と思って周りを見渡したら、田んぼでスーツを着ているやつって僕しかいないんです。工場の扉をピシャって閉められたり、鍵をかけられたり。みんなが開けてくれないんです。

そういうこともありながら、ようやく熊本の同郷の工場が初めてやってくれたのがシャツだったんですね。シャツ400枚で20箱。それが僕の1Kの部屋に届いて。

楽天にもないですし、AmazonにもYahoo! JAPANにも売っていない。いまもなんですがFactelier (ファクトリエ) っていうECしかないんですね。

それでなにが起こるかと言うと、アクセス数(UU数)が1から増えないんです。僕しか見ていないんです。どうやらなきゃいけないかって、400枚も在庫があるので、結局スーツケースにシャツを詰め込んで行商をしていたんですね。

アパレルの国産比率は、もう2.4パーセントしかない

山田:社員1人の時期が2年半続くんですが、スタートして1,000日間は社員が僕1人だったんです。週末はバイトをしながら行商をしていました。

アパレル業界の方が少ないかもしれないので少しだけご説明すると、もともと洋服って輸出産業だったんですね。日本が日中戦争や日露戦争で勝てたのって、生糸を輸出していたからですね。お蚕さんがいて、富岡製糸場があって。

なので、国産比率って100パーセントを超えていたんです。国産比率というのは日本市場における日本製の割合ですね。それが1990年になったら50パーセントになったんですね。

せっかくみなさんと30分間一緒にいるので、一緒に進めていきたいんですが、1990年に50パーセントだった比率は、いま何パーセントくらいだと思いますか? 「25パーセント」「10パーセント」「5パーセント切ってる」の3択でいきましょう。

じゃあ25パーセントくらいだと思う人?

(会場挙手)

ありがとうございます。10パーセントくらいだと思う人?

(会場挙手)

ありがとうございます。5パーセント切ってる(と思う人)?

(会場挙手)

「5パーセント切ってる」が一番多い……。ありがとうございます。悲しいかな、おっしゃるとおりです。実は去年で言うと、2.4パーセントだったんです。

なので、1990年に社員が100人いた会社だと、もう5人しかいないですね。95人減ってしまっているイメージです。

人間国宝のほとんどが“食えていない"という現実

山田:そんな斜陽産業で、僕が「日本製の服やりたい」と言って一番反対したのは両親だったんですね。「やめなさい、大変だから」と。めちゃくちゃ進歩の早いスマホの時代に、黒電話を作るとかポケベルを作るようなものなんですね。時代の流れと真逆なことをやろうとしている。

ただ、僕は20歳のときにやりたいと思った夢があったので。なんとかやりたいと思ったから、僕はこの斜陽産業に飛び込んだんですね。

1990年から2014年までの間に、日本からものづくりの人たちがどのくらい消えたか。だいたい800万人も消えたんですね。でも、800万人消えたって誰も気づかないです。

それはなぜかと言うと、誰が作ったかなんてどうでもよかったから。

例えば「大島紬」という着物が奄美大島にあるんですけど、日本三大紬の1つなんです。大島紬で一番腕のいいおばあちゃんの月給がいくらかと言うと、だいたい12〜13万円なんですね。たった12〜13万円です。

日本でいま、人間国宝と言われる重要無形文化財の方が115人いらっしゃるんですけど、そのほとんどが本職では“食えてない”んですね。一応、人間国宝になると国から20万円くらい支給されるんですけど、それはほとんど材料費に回る。漆を買ったり、土を買ったり、そういうものに充ててしまっている。なので、作る人がどんどん……ご存知の通り、日本のものづくりってほとんど下請けがやっていますからね。

大きなメーカーでも、自分たちの自社工場で全部作っているわけじゃなくて、下請け工場が作っていることが多いんですね。(ただ、低価格の発注が多かったり、コストカットの憂き目にあってしまっているので、)下請けの人たちは赤字で、若手が採用できなくて意欲が低下するという、負のスパイラルに陥ってしまうんです。

別に洋服だけじゃなくて、林業もそうですし、水産業も農業も同じです。あらゆる作り手の人たちがこの負のサイクルにある。僕らは洋服の分野において、この負のスパイラルをちゃぶ台をひっくり返して、工場が儲かって若手が採用できて意欲にあふれている状況を、いま作り出せてきているんですね。

じゃあ、絶対に触ってはいけなかったこの斜陽産業をどうやってV字回復させていっているのか。それを今日はちょっとだけお話しできたらなと思います。