欧米への留学が主流のインドから日本に留学した理由

ジュネジャ・レカ・ラジュ氏(以下、ジュネジャ):亀田製菓の会長 CEOのジュネジャです。よろしくお願いいたします。事業創造大学院大学特別オンラインセミナーに招待いただきまして感謝しております。

今日は、米菓のリーディングカンパニーからグローバル・フード・カンパニーを目指す亀田製菓グループについてお話しします。その前に私がなぜ日本に留学して、どのような時間を過ごし、今の立場になったかについて、キャリアを作る際の参考になるかもしれませんのでお話しさせていただきます。

私はインド生まれで、1984年に大阪大学に留学しました。その当時はインドからの留学生はものすごく少なかったんですね。インド人は英語ができる人が多いので、留学する時は欧米に行っちゃうんです。言葉で苦労しないし、キャリアも作りやすいからです。

ですので、私も多くのインド人と同じように欧米へ留学するプランを考えていたんです。その時に、ある先輩から「いやいや、これからは日本ですよ」と言われました。当時は「メイド・イン・ジャパン」が注目され、これから日本は経済で世界一になるんじゃないかと言われていました。その先輩は日本から帰って来た人で、「日本人はすごくいい人ですよ」と。

私の専門は微生物科学、バイオテックで、その分野も当時日本の先生たちが世界をリードしていました。そういう理由があって、大阪大学に留学することになったんです。事前に日本語を勉強していなかったので言葉がまったくわからず、最初はとにかく何も通じなかった。

食べ物も、インド人は濃い味に慣れているんですけど日本は薄味。刺し身のように魚をそのまま食べてしまうというところも違う。でも、ある先生から「日本で生活するんだったら、とにかく一度口に入れて食べてみなさい」と言われ、挑戦しました。今では私の家でもほとんど和食になっています。

その後、名古屋大学で学位を取得して、三重県に本社がある太陽化学という会社に入社し副社長を務め、その後ロート製薬の副社長を経て、今は亀田製菓の会長 CEOに就いています。

「食感」を表す言葉の多さは日本の特徴

名古屋大学を出てから、アメリカで就職する機会もあったんですが、太陽化学の会長から「新しい研究所を作りました。250人ぐらいの研究員がいるんですけど、一度見学に来ませんか」と声をかけられ、結果、日本に残ることにしました。

今日はイノベーションと人の話をしますけど、その時に会長から言われたことは、「世の中にないものを作れ」「海外、グローバルに通用するものを作れ」ということです。太陽化学は、日本で初めて油と水を混ぜた乳化剤を作った会社です。

食材メーカーでしたから、その時は「食」という漢字を勉強しました。

「食」っておもしろい字で、成り立ちを調べてみると、上に「人」と下に「良」という字を書く。「人を良くする」のが「食」だということを、今もいろんな取材で言っています。

スライドの表示は、インドの食品やメニューに必ず付いているもので、この表示がないと食品を売ることができません。

左側の緑のマークは、ヴィーガン、ベジタリアンの表示で、右側の赤いマークはノンベジタリアンです。動物由来のものが入っていたら右側の表示になります。

日本ではなかなか実感はないんですけど、今ヴィーガンフードは世界ですごく流行っています。インドの人口の半分ぐらいは、赤マークのものは食べられない。緑マークになると、13億人か14億人のインド人が食べられるということです。昔からインドは宗教とかいろんな課題で、「ヴィーガン」や「プラントベース(植物ベース)」は当たり前のコンセプトでした。

私は太陽化学の時代、海外展開をしようとしていろんな資料を翻訳する中で「食感」という言葉がありました。調べてみると日本語には445ぐらい「食感」を表す言葉があって、英語では77ぐらいしかないんですね。フランスはその中間ぐらい。これは食感に関して、海外の国は日本に勝てないということです。

メディアに報じられた「食」からの医薬品開発

私がなぜ日本に来たかということを先ほど少しお話ししましたけど、世界一になれる可能性があったということですね。1980年代後半は、(世界の時価総額)トップ20社のうち15社ぐらいが日本の企業で、経済で世界一になるという状況でした。

今はトップ20社に日本企業は1社も出てこない。50番目にやっとトヨタが出るくらいです。当時は世界一がNTTだったし、いろんな銀行も入っていました。なぜそうなってしまったのか。経済で世界一だった日本がどこで競争力を失ってしまったのか。

私は今もメイド・イン・ジャパン、日本で作ったものは世界一だと思っています。日本人は器用で、ものづくりに対してはすごく敏感。だから今、たくさんの外国人が日本に来るし、世界中で日本食、和食がブームですよね。やはり日本人は器用です。おいしいものを作れる。

私の太陽化学での最初の仕事は、卵を焼くことでした。生まれたての卵は温めると孵化をして鶏になります。21日間で生命に変わりますが、私は卵の成分の変化を毎日毎日見ていました。

タンパク質とか脂質とか炭水化物が、生命に変わるというのはすごいことですよね。私たちは栄養が大事と言っていますが、逆に栄養素から生命に変わっている。

「じゃあ卵には生命に役立つすべてが入っているんじゃないか」というところから研究をスタートし、生命に役立ついろんなものを取り出しました。1つはシアル酸という物質で、今インフルエンザウイルスの薬になっています。

入社した時は役職はなかったんですが、食から医薬品を開発したことで新聞に載りまして、「これは何かをしてくれるんじゃないか」ということで係長になりました。

次はお茶ですね。お茶の生産量は1番は静岡、2番は鹿児島で、三重県は日本で3番目の産地です。当時の私は栄西先生を知らなかったんですけど、1211年に出た『喫茶養生記』にお茶は「養生の仙薬」「延齢の妙術」と書いてある。「お茶を飲むと長生きしますよ」と。

動物試験や人の試験もやっていないのにそういうことを書いているということで、お茶の研究をスタートし、お茶の成分であるカテキンを世界で初めて抽出しました。その後、テアニンというアミノ酸を多く含む物質もお茶にしかないと発表しました。

次から次と新しいものを世界中に出していって、(役職も)課長代理になり、5~6年で取締役になり、その後代表取締役副社長になりました。

世界に通用する「新しいもの」を作る

何を言いたいかというと、自分の自慢ではありません。外国人留学生も含めてみんなにアドバイスしたいのは、イノベーションです。新しいものを作る。世界に通用するものを作る。私はその時は200ぐらい論文を発表し、135ぐらいで特許を取りました。そういう誰もやらないことを、見て触ってチャレンジするということ。

ただ、サイエンスだけでは事業化できないし、マーケティング予算もあまりなかったので、自分で世界中の展示会に出て、いろんな賞を獲りました。マーケティングと言うか広報ですね。技術で賞を獲って宣伝に活かしました。

そこでキャリアを積み、食品畑からロート製薬に入社しました。食品の仕事に十分満足していたんですけど。ロート製薬の会長にお会いして、「今から新しい挑戦をしませんか?」と言われ、まったく違う製薬の会社に入社しました。化粧品のObagi、肌ラボ、そして目薬の会社です。

その時は副社長として入社しました。すごく自分自身も挑戦だったし、業界も変わり、BtoBからBtoCにチャネルも変わった。そしてたぶん日本で初めての最高健康責任者、Chief Health Officerになりました。インド人の取締役就任も上場企業において初めてと言われました。

とにかく新しい挑戦をする。ロート製薬では「健康経営」という考えを進めていったんですけど、この話をすると亀田製菓の話ができなくなるので、これから当社のことを紹介させていただきます。

1億人だけではなく、80億人に届けられる商品作り

亀田製菓は、戦後の食料難の時代に、創業者が「男性はどぶろくで気晴らしができるが、女性や子供には楽しみといえるものがない」。「生活に喜びと潤いをお届けしたい」という想いでお菓子の製造を開始し、「消費者に感動を与え、生活に喜び・潤いをお届けするというところからスタートして、今もこの道を歩み続けています。

亀田製菓には日本の国民的なお菓子と言われる「亀田の柿の種」や「ハッピーターン」がありますが、そこからどういう挑戦をしているかについてお話しさせていただきます。

1957年に亀田製菓を設立し、1966年に「ピーナッツ入り柿の種」を販売しました。その10年後の1976年に「ハッピーターン」という商品が生まれました。第一次オイルショックの影響で、日本中が不景気な状態だった時期に、文字通り幸せ(ハッピー)がお客さまに戻って来る(ターン)ように、願いをこめて発売しました。

亀田製菓は米から作ったお菓子である米菓市場で、国内で約40パーセントのシェアを持っています。

私が講演する時、「亀田製菓を知らない人は手を挙げてください」と言うと、ほとんどいません。「亀田製菓の商品を食べたことがない人は手を挙げてください」と言っても、ほぼ手を挙げません。2022年にそんな会社のCEO 会長になったことを本当に誇りに思っています。

先ほど日本にはおよそ445もの食感を表す言葉があると言いましたけど、米からあられ、せんべいを作るというのは日本発の技術で、あんなにおいしいお菓子を作るというのは世界でどこにもないんですね。

アメリカではコーヒーを作ってスターバックスになり、ハンバーガーを作ってマクドナルドになる。ケンタッキーフライドチキンもそうですね。チキンを唐揚げにして世界中に持っていく。

やはり仕組みを作ることが重要ですね。アメリカ人はそれがすごくうまいんです。「日本でこんなおいしいものを作る仕組みを持っているのに、なぜ私たちは世界でそういう会社になれない?」「1億人だけじゃなくて、80億人に届けられる商品を作りましょう」と今みんなに言っています。

今はグループ会社が18社あって、従業員は(スライドの)ここは3,776人と書いているんですけど、持分法適用会社等を含むとグループ全体では5,000人以上となります。

国内にも10社ぐらいあって、アメリカ、中国、インド、ベトナム、カンボジア、タイと、世界中に米菓、食品の会社を持っています。

「私たちは何をやる?」のかというと、目指す姿は「グローバル・フード・カンパニー」です。そして「Better For You」。あられ、せんべいの製菓業から「Better For You」の食品業になるということです。

「Better For You」は、やはり先ほど言ったおいしさや感動は当たり前で、それにプラス健康ですね。体に良いものを作るということです。また、環境に優しいものを作る。今、アメリカを含む世界中で、オーガニックやグルテンフリー、「フードロスをゼロに」とかヴィーガンとかいろんなことが言われています。

私たちの中期目標は、2030年度までに「国内菓子系食品大手水準の企業価値」を目指すこと、そして「国内米菓とそれ以外の事業構成比を50:50」にすることです。

社員を大事にする理由

3つの事業セグメントに分けていますが、左側が、国内米菓ですね。米菓は先ほど言ったように1957年からずっとやってきている基幹事業です。

今は健康軸の商品も展開しており、「亀田の柿の種」も「ハッピーターン」も減塩タイプを販売しています。子どもの最初のお菓子と言われている「ハイハイン」も野菜を配合したり、乳酸菌を配合したりしています。おいしさ、感動、健康を軸に商品を展開しています。

一番右側は海外事業で、上に「Mary's Gone Crackers」と書いているんですけど、オーガニック、グルテンフリーの商品を展開しています。米が持ついろんな力はまだ世界に知られていない。小麦の不耐性は多くみられて、セリアック病など小麦を食べれない人がいますが、米を食べられないという人はかなり少ないです。

真ん中は、米から米菓だけじゃなくて食品を作ろうということで、米粉パン。米や大豆などいろんなものを入れた代替肉ですね。そして米を中心とした「長期保存食」も作っています。災害食ですね。28品目アレルゲンフリーで宇宙食にもなっています。中央左側は米から取ったお米由来の植物性乳酸菌です。

(次のスライドは)先ほど言いましたように、3つのセグメントをどう伸ばしていくかについて書いています。

私のCEOのミッションとしての大事なキーワードがあります。まず人です。いい人財がいて、会社が成長するということですね。社員を大事にしますよと。

ステークホルダーはたくさんいます。投資家も銀行もそうですし、お客さまもそうです。いろんな面でいろんなステークホルダーに協力してもらっている。もちろんお客さまはファーストですけど、でも私が一番大事にしないといけないと思っているのは自分の社員です。

社員がものを作るし、社員が販売する。だから社員にやりがいがなかったら、何を言っていてもたぶんうまくいかないと思います。

CEOになってからはマスクでなかなか社員の顔を見られないとか、海外の社員とモニター越しでしか対話をできないなど苦労がありました。直近ではエネルギーコストや原材料が高騰したり、円安で円が150円まで上がってしまって。そうすると、いいことはあまり起こらないし、利益に対しても影響がある。

でも、私はピンチはチャンスだと思っています。改革するための最高のチャンスかもしれません。消費者の生活スタイルも変わってきていますから。