プロミュージシャンを目指した大学時代から出版業界へ

安藤哲也氏(以下、安藤):そこで、ここからは僕のこれまでのライフシフトのお話をしたいと思います。別にこれがロールモデルという意味ではありませんよ。僕もぼんやりした青春時代を過ごしてしまいまして、実は大学4年になっても就職活動をしていなかったんですね。なぜかというと、ミュージシャンになりたかったから。

中学生の頃からギターをやってバンドを組んで、大学も明治大学の軽音楽部という、宇崎竜童さんや阿木耀子さんを輩出したサークルの後輩なんです。やっぱり、かなりうまいプレーヤーがいっぱいました。自分もミュージシャンになれるかな? と思ってやっていたのですが、4年生の10月ぐらいに才能がないと気が付きました(笑)。

そこから就職活動をしようと思っても、ほとんど残ってはいないわけですよ。でも、あの頃のマスコミは10月からスタートといった感じでした。音楽の次に好きだったのが本なので、講談社、小学館、マガジンハウスまで全部受けましたが、15社全敗(笑)。

そりゃそうでしょう、なにも勉強していませんでしたからね(笑)。あの頃は、やっぱり出版社の採用倍率はすごく高かったですから。それで、「しょうがない、留年でもするか」なんて思っていたら、翌年2月1日の新聞の求人広告で、あるちっちゃな出版社が「新卒者募集」とあったので、すぐ電話してみると「じゃあ面談に来て」と。行ったらその場で受かっちゃったんです。その会社からすれば9年ぶりの新卒(でした)。

(会場笑)

安藤:前の年に(本が)1個当たったらしくて、人を採らなきゃとなったらしく、その場で入社して3月1日から働いていました。(その会社で)やっていた仕事は出版営業と言って、担当する全国の書店をルートセールスして、自分のところの本を置いてもらっていたんです。

それを2、3ヶ月ぐらいやって、まあそれなりに面白くはあったのですが、「別にこれ、俺じゃなくてもいいや」と気づいちゃいまして(笑)。いろいろと業界の知識はついたので、その半年後には1社目を辞めていました。 2社目は自分の好きな分野の出版に携わりたいと思って、音楽雑誌を出している出版社に行きました。そこでも営業をやってました。

ただ、音楽(関係の)出版社にいると、コンサートの無料招待券などがいっぱいくるんですよ。それで(コンサートに)行って、気が付いたんです。「やっぱり、タダだとつまんねえな」と(笑)。昔、高校時代に、外タレがくると夜中までチケットガイドに並んでね。それで(コンサートに)行くと、やっぱり興奮するじゃないですか。

タダでもらったコンサートチケットやCDは、やっぱりぜんぜんおもしろくないですよ。だから、趣味と実益をいっしょにしたくないとそこを辞めました。3社目は、男性ファッション雑誌(の出版社)に入りました。当時はバブルで、広告売上がすごかったんですよ。月刊誌だったのですが、号あたり2億、多いときは3億ぐらい広告が入る時代で、アルマーニなどが流行っていました。

ポルシェや外国のブランドがぶわーっといるような感じで。当時、僕は29歳で、冬のボーナスに1回200万も出たことがありましたね。でも、そのあとに、バブルがはじけて広告収入が落ちてしまい、目の前でリストラの憂き目に遭う先輩たちを見て、「あ、これからは会社に入って言われたことだけをやっていたんじゃだめだな」と(感じました)。

初めての子どもを授かった書店員時代

とはいえ、手に職がないので、なにかここで違う分野へ入ってみて、少しそこで修行を積んで、その業界のなかでのステータスを取りたいと思いました。そこで、僕は30歳で今度は本屋さんになったんですね。

まったく関係なくはありませんが、本をつくるメーカーから、今度は流通のほうに行ってみた。若い頃はスーパーで販売のバイトなどもしていたので、わりと接客が好きなんですね。本の知識もちょっとあったのでやってみたら、「これはおもしろい!」とハマってしまって、自分でお店を2つ切り盛りしていました。

オーナーではなく雇われ店長でやっていたのですが、そのときに風変わりな町の本屋をつくって、それが評判になりました。30代ぐらいで、はじめて仕事での達成感を持つことができました。その書店時代に2つ目の大きなライフシフトがくるのですが、ここでまさにライフ、35歳で自分の子どもが生まれるんですね。

冒頭で言ったように、今までの日本は、子どもが生まれたときに男は仕事して母親が家事、育児だったのですが、これからは男性もやったほうがいいんじゃないか? と。つまり、育児というものにコミットしてみることで、自分自身が成長したり、仕事にも好影響が出たり、あるいは人生が豊かになっていくようなイメージが頭にありました。

おっぱいの代わりに用意した100冊の絵本

一人目の子は娘が生まれたのですが、妻のお腹にいるのが娘だとわかった瞬間に、僕、絵本を100冊も買って誕生を待っていたんです。なぜかというと、男は丸腰では(赤ん坊に)向き合えないだろうと。母乳というリーサルウェポンもないし、なにかコミュニケーションツールが必要なんじゃないかと思いました。

本屋をやっていたんで、安く買えるということもあり(笑)、100冊の絵本と本棚まで買って、誕生を待っていました。それで、娘が生後6ヶ月ぐらい経つと首が座っておすわりをするんですね。「今日からだ」と思って、はじめて松谷みよ子さんの『いない いない ばあ』という本を読んだら、娘がキャッキャッと笑ってくれて。それで、もう「キター!」と(笑)。

俺の35年間、この日のためにあったような感じです(笑)。その日から、毎晩欠かさず2冊ずつ娘に絵本を読んできました。それがあるから、今日は仕事を早く終えて帰ろうと。今でいうワークライフバランスを自分で実践するようになったんですね。

義務的にやらされている育児や家事だとそうはなりませんが、絵本を通して(子どもと)コミュニケーションを取ることが、1日のなかでも最高の癒しタイムでした。

あとは、子どもというのはやっぱり、年齢や絵本によって、ぜんぜん反応が違うんですよ。同じ絵本でも、成長していて、脳が発達しているので、どんどん(反応が)変わってくる。それ(子どもの成長)を見るのがすごく楽しくて、ハマってしまいました。

ファザーリングジャパンの誕生

でも、もちろん仕事もしていましたし、趣味でロックバンドもやっていましたから、自分事というのを、切り分けずにやっていました。この子育てをしたことで、3つ目のシフトが起きたのです。

(僕は)保育園、学童の父母会長、小学校のPTA会長をやったりしました。今でも学校で読み聞かせをやったりして地域活動を楽しんできました。そして、「父親であることを楽しもう!」というコンセプトで、ファザーリング・ジャパンという、パパ支援のNPOをつくることができた。

20代の頃は、まさか自分が40代になって転職して、子育て支援のNPOの代表になるなんてぜんぜん思っていませんでしたからね。当時はバブルだったし、転職を繰り返して年収をあげて、キャリアを積んで、最後はお台場あたりの高層マンションで毎晩素敵なワインを飲んでいる、というようなプランでした(笑)。

(会場笑)

安藤:そんなイメージが、僕のキャリアのビジョンだったのですが、ぜんぜん違う方向にいきましたよね。人生とは予期せぬことが起きるんだなと。

それを変えてくれたのは、子どもだったんです。子どもってすごい力を持っているなと思いました。だから「お父さんになったら、せっかくだから(子育てを)やったほうがいい、育児にコミットすることで自分が変身できるチャンスが掴めるかもしれないよ」とパパたちには伝えています。

そういうことで今は、6枚の名刺を持っていろんな活動をしています。けっこう毎日いろんなテーマで仕事が来るので、名刺を切り分けて使っているような状況です。でも、今後もなにが起きるかはわかりませんから(笑)。このまま終わるのもつまらないので、もっと楽しむためにいろんなシフトを目指していきたいです。

だから、こうした新しいみなさんとの出会いを大事にしたいなと思いまして。僕は、ひょっとしたら、この中に僕の人生を変えてくれる人がいるかもしれない、という感じで今日も来ています。

天秤型と寄せ鍋型のワークライフバランス

そのときに心がけたこととしては、やっぱり仕事だけの人生、子育てだけではなくて、ぜんぶをひっくるめて楽しめないかと思ったんですね。これがファザーリング・ジャパンでお父さんたちに提唱している、「寄せ鍋型のワークライフバランス」というもの。ハッピーになるためのバランスの取り方だと思っています。

つまり、今までは仕事か育児かのように、ほとんどの人が二択の天秤型だったんですね。僕も最初はそうだったんです。父親になって3年ぐらいは「子どもに会いたいんだけども、今日は残業があるから無理だ」と帰れなくて悩んでいたり。あるいは、育休なんか取ったら、やっぱりキャリアに傷が付くんじゃないか、というようなありがちな考え方でした。

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