学校に行く一番の目的

温間隆志氏(以下、温間):続いての質問をお願いします。

質問者:ありがとうございます。本当に今日、先生のお話を聞いて、出来事よりも受け取り方が大きく幸せに影響するということを実感しました。

衛藤信之氏(以下、衛藤):正解です。

質問者:「挨拶をする」とかいろいろ事例も出ていたんですが、今の小学生の子どもたちに教育じゃないですけど、これから先を生きる上で何か気をつけること、要領などありましたらお話いただければと思います。

衛藤:「これが絶対」ということではないですけど、学校に行く一番の目的を考えた時に、どれだけ知識を集積させるか。学ばせるかではなくて、大人になった時に、どれだけサバイバルな環境でもうまくやっていけるようにするかだと思います。

要するに、会社に入ったら嫌な人たちもいっぱいいるし、結婚した相手が、ゲームでいうボスキャラみたいに、最強にやりにくいこともあり得るわけですね。僕は子どもたちに、「そうなった時にその都度最悪だと思わないために、学校時代に面倒くさい人とかかわっておくことは大事だよ」という話をするんですね。

大事なことは、やりにくい子とか意地悪な子と関わった子は、大人になってから強い子になると思うんですね。

学校は「いじめをなくそう」とか、体罰的なものも禁止だとか、それ自体は悪くないと思うんですね。僕は各論は悪くないと思うんですけど、総論的にいうと間違いだと思っています。

子どもにサバイブする力をつけさせる親の接し方

完全にストレスをなくしてしまうと、ひ弱な人間ができてしまうというのが1つあります。そういう意味では、親御さんたちが「そんな友だちがいるの? 最悪ね」と言って、色をつけないことが大事だと思うんですね。

「そういう子たちと、どうやったらうまくやれると思う? つらかったらお父さん、お母さんが聞くからね。でもその中で、あなたはどういうかたちで活躍するのか。

あなたはヒーロー・ヒロインよね。ヒーロー・ヒロインは、必ずやりにくい人たちと出会う。その時に、どうやってそういう人たちとうまくやってきたかを学んだ子が、最終的にヒーロー・ヒロインになるのよ」と。

親がどれだけ子どもにドラマを伝えられるかが鍵ですね。親が勝手に色をつけて、「そんな子どもがいるの? 最悪じゃない。お母さんが言ってあげる」とか「お母さんが言いに行くわ」となってしまうとモンスターペアレンツになってしまいます。

逆にいえば、「子どもの傷つきをなくす」という部分は正解なんですよね。でも全体をトータルした時に、今会社に入ったら、ちょっとしたことですぐ潰れてしまうとか、やる気がないというのは、まさに部分は正解だけど、総論で間違っているということではないかなと思います。

そういう意味では、教育者が目的をしっかりと持つことですよね。要するに、小中学校、高校もそうですけど、知識の集積のためであれば、ネットで十分だと思うんですよ。

ただ、面倒くさい人間とどうやってうまくやっていくかが大事です。それがつらい時に、「それ最悪」じゃなくて、「サポートしてあげるからがんばりな」と、親がどれだけドラマを構築できるか。僕は親の想像力とか援護射撃の力だと思います。

質問者:ありがとうございます。ストンと落ちました。

「これさえあれば何とかやっていける」というものを見つける

質問者:実は1年くらい前に先生のことをYouTubeで知って、ずっとファンで、今日直接お話しできるのはとても光栄です。

衛藤:こちらこそ光栄です。

質問者:なので先生のエッセンスが少し私の中にも入っているんですけど......。

衛藤:ありがとうございます。どうぞどうぞ。

質問者:先生が、幸せを見つけやすくするために考えていることや行動は、具体的にございますか?

衛藤:ベースを探すということかなぁ。(石川)啄木じゃないけど、「友がみな われよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て妻としたしむ」という詩があったと思うのですが、「周りのみんながえらく見えて、すごいなと思った時に、最後の最後までわかってくれる人は誰なんだろう?」というのを持っておくことかなと僕は思うんです。

それが僕にとっては妻なわけですよね。「たぶん妻だけは一緒にいてくれるんだろうなぁ」というね。周りがすごくえらく見えたり、「すごいな」と思ったり、「自分は価値がないな」とか、「自分なんて実は本当は何者でもないダメな人間じゃないかな」と思う時って、僕がカウンセリングしていると、みんなにあるんですね。

どんなに成功していてもあるし、どんなに周りから見たらすごく充実しているように見えても、「これでよかったのかな」とか、「方向性、間違っていないかな」という、自分の生き方に自信がなくなる瞬間がある。

だけど、1人だけでも、「すべてを失ってでも一緒にいようね」と言ってくれる人に出会っている。僕にとっては妻です。それは僕にとっての最終的な救命胴衣というか、それを持っていると、「あぁ、ここに帰ってきて妻とごはん食べたり、『今日さ』という会話が幸せよね」となります。

「これさえあれば何とかやっていける」というものを見つけておくのが一番強いかもしれないですね。もちろん、妻もいつか去っていくわけですよ。死は同時に来ないので、どちらが去るかわからないですけど、やっぱりその覚悟もしておかないといけない。

先ほど言ったように、自分のサポーターは自分なので、僕は妻との思い出を、妻もまた僕との思い出を持って、どちらが先に去るとしても、「やっぱり楽しい人生だったよね」と言えるような生き方をしようねという話を、妻とはよくしています。

「そんなに成功しなくてもいいし、ごはんが食べれたらいいよね」と。自分たちの子どもが成功しようがしまいが、それは彼らの問題なので関係ない。彼らを通して僕らが成功したいとか、彼らのアレで自分を評価したいと思っていないので、僕らは僕らで完結しています。

「ベースを持つ」とは何か?

衛藤:そういう意味では、僕にとって、幸せを見つけるためのベースを持っておくというのは、そういうことかもしれないと思うんですよね。それをいつも意識していますね。最終的には逃げ場です。友だちでもいいんですよ。「あの親友だけは、自分が何者であっても愛してくれるな」と。つらい時に、そこに視点を向けることですよね。

一時的にバッと寄ってくる人はいっぱいいます。でもそれは波が去っていくように、うまくいかなかったらみんな去っていくので、「最終的にこの人だけは自分のことをわかってくれるよな」という人が、1人でもいてくれればいいと思います。

それすらもないのであれば、自分の体・手足に視点を向ける。この足はいつも自分を遠くまで連れて行ってくれるし、この手は自分の必要なものを自分に近づけてくれるし、この内臓はつらいことを頭でいっぱい考えている時も、きちんと新陳代謝を繰り返して、明日生きる準備をしてくれている。そう考えると、最終的なお供は自分ということですよね。

だから、ベースを持つというのであったら、そういうところを意識しておくことが大事かもしれません。

質問者:「ベースを持つ」ですね。ありがとうございます。

衛藤:そうですね。基盤ですからね。

温間:ありがとうございました。

目指すべきは「ザ・ベスト」ではなく「マイベスト」

質問者:仕事とか、「べき主義」とか、モットーとか、向上心という意味で考えたりしちゃう面があります。「気楽に」と「成長」の両面がある中で、プロセスという、結果の途中も大事だと学ばせていただきました。その日々の積み重ねの中で、自己点数をつけたほうがいいのかなと思いました。

衛藤:自己点数?

質問者:「自分は今日よくできた」とか「これくらいでよいのか」ということです。

衛藤:僕は生きているだけですばらしいと思っています。やりにくい人たちと接しているわけですから、基本的には生きているだけでも立派だと思います。点数をつけられる余裕があればつければいいと思いますけど、誰に見てもらう点数なのかということです。

そういう意味では「自分がよくがんばったな」という最大値で、自分をよく褒められる人は点数をつけてもよいと思います。

僕が嫌いなのは、「7割褒めて3割けなす」とかです。僕は褒める時には惜しみなく褒めようと思っているので、「今もう7褒めたので、本当はもう1つ褒めたいことがあるけど、今日はこのへんで」みたいなのは大嫌いなんですよ(笑)。

「ご祝儀をあげる時には快く」というのと同じように、自分に対しても「よくやった」ということを褒めておく。

それと先ほどの質問で、「こういうことを気になさっているんじゃないかな?」と思ったことがあるので、言ってもいいですか?

質問者:はい。

衛藤:「好きに生きろ」というのと「目標を立てる」こと。「好きに生きると自分がだらしなくなっちゃうし、目標を立てると自分がそれに疲れ果ててしまう葛藤もある」という話もされかけていたのでお話しします。

目標を目指してやるのはすごく大事なんだけど、「それは誰に見せる目標なのか?」ということなんですね。

「やりたくてやる」という、内から出てきた目標ならば、たぶんそれで挫折しても、「やりたくてやったんだからな」となります。でも、人に認めてもらうための目標とか、人に評価されるための目標とか、人に認めてもらうための点数ならば、それはやがて自分を苦しめる結果になります。それは自己研鑽どころか、自分を追い込んでしまうんです。

僕は努力する必要があると思うんです。ただ、それは「マイベスト」です。やれる範囲でやって、どこかで目標に到達したら、「ザ・ベスト」です。

完璧な目標を設定して「やらねばならない」と思うと、100か0でいえば、20がんばったところは評価しないで、80がんばれなかったところに焦点が当たってしまいます。

20がんばった自分でもよかったと言える人を、「セルフラブ」というんですけど、自分を評価できる人は、たぶん80もいつかこなせると思いますね。100に近づけると思うんですけど、「目標を立てろ」と言った時に、その20も誰かに認められる20だったら、そんな目標は立てないほうがいいかなと思います。

大谷翔平選手は「やせ我慢」でがんばっているわけではない

衛藤:アブラハム・マズローという人は、成功している人たちは、仕事と遊びの境界がわからないと言っているのですね。すごい成功者を研究しているマズロー博士が、本当に成功している人というのは、周りからしたらすごく努力しているように見えるんだけど、本人は楽しくてしょうがないと言っています。

「不眠不休じゃないですか?」「そこまでしなくても。それを変えられたらどうですか?」と。「いや、これをやりたいんだ。これだけをしときたいんだ」と。普通の人が見たら、「やっぱりあそこまで目標を立ててやらないといけないんだよな」というように見えます。

がんばっている人たちの目標に自分を合わせようとすると、それはたぶん苦しみになります。実際に大谷選手も、ほとんど恋愛もしないで、「自分がどれだけホームランを飛ばせるか」「どれだけいいピッチングができるか」を考えています。

大谷選手を貶めようと思って、アメリカでハニートラップみたいに、きれいな女性ばかりをあてがっても見向きもしないそうです。それは、「私は女の人に興味があるけど、ホームランを打たねばならない」という、「心頭滅却すれば火もまた涼し」みたいな、やせ我慢でがんばっているわけじゃないんですよね。

大谷選手は、試合が終わってから誰に誘われても飲みに行かない。人が嫌いなのではないんです。要するに大谷選手にとっては、最高のパフォーマンスをするのが、自分の力仕事であり遊びだという感じですよね。

そういう意味では、「やりたくてやる」という目標の立て方はどんどんやられてもいいけど、「誰かに言われた目標のためにがんばらないといけない」は、その目標の基準の立て方がズレているので、やがて自分を苦しめます。

そういう無理をしていた人が、自己啓発セミナーで「好きなことをやればいいんだよ。無理しなくていいんだよ」と言われると、「そうか」と言って甘い言葉にごまかされて、好きなことをやって仕事を辞めて、人生を棒に振るみたいなこともいっぱい起こるので、そのへんは気をつけてくださいということです。

質問者:ありがとうございます。

「幸せになる」じゃなくて、「幸せなんだ」

温間:時間になったのですが、最後の質問なのでいいですか?

衛藤:ぜんぜん。最後の質問をお願いします。

質問者:今日は貴重なお話ありがとうございました。

衛藤:とんでもございません。

質問者:最初のお話で出てきた「江戸時代」みたいな話です。昔はパワハラとか仕事のノルマとか大変な職場だったのが、今やそういったノルマもなくて、やさしい上司の周りに部下がいる状況になってきたところで、どうしても他の人の欠点が見えてしまって、イラっとする自分がいるんですね。

「昔と比べたら天国でしかないはずなのに」といったことを考えていて、自分も少し成長しなければと考えているところなのですが、幸せに慣れてしまうことへの解決策で、人に会うということでしたが、何かおすすめの出会い方や、人と会う考え方などあれば教えてください。

衛藤:僕の教室に来てください。

質問者:あぁ、そうですね。ありがとうございます。

衛藤:最高の答えだと思います(笑)。違いますよ、冗談です。でも、本当にステキな人がけっこう来ているので、それは本当におすすめします。

それと、「幸せになる」じゃなくて、「幸せなんだ」と言ったほうがいいかもしれないですよね。

非常にいい職場で、怖い上司もいなくて、逆に自分が立場が上になって、部下とか後輩の目につくところが見えてくるんだったら、目標として、「その人たちにどうやって気持ちよく動いてもらうか」ということですね。

「昔、自分がパワハラで嫌だったような上司にはならないぞ」「その上司に出会えたのも、もしかしたら今のための準備だったのかもしれない」と。だったら、物の言い方とかを考える。

そして、その人を変えるよりも、モデリングです。後ろ姿で人を育てるというか、「〇〇さんみたいになりたいんですよね」「どうしたらあなたみたいな生き方ができるんですか?」「なんで、あんなにうまく人とかかわれるんですか? 教えてくださいよ」と言われて、マネされるような自分になるのが次の課題かもしれないですよね。

自分の目の上のたんこぶというか、ストレスは取れたけど、今度は下のできない子とうまくやっていく。

部下や後輩に自分の失敗を語る

衛藤:よくあるのが、「自分たちの時代はそうではなかった」みたいなことです。それを押しつけてしまわないで、自分がモデルとして、「彼らのモデルになって、力じゃなく、取り入れたくなるようなリーダーシップ、先輩業を演じていく。

それを次の課題にすると少し楽になって、「自分も君らの時は、よく失敗したからね」と、彼らに語ってあげる。自分の失敗をいっぱい語ってあげることも、僕はすごく大事な要素かなと思いますね。

僕も、この講座で「両親の離婚とかいろいろあったけど、その受け取り方を自分はどう変えたか」という話をしたわけです。それって多くの人に役立つわけですよね。失敗はすごく大事な要素なので、失敗を単純に失敗とするのではなくて、「彼らが変わろうとするプロセスに入っている。僕は目の上のたんこぶがなくなったので、今度は彼らをサポートする。どうやったら気持ちよくサポートできるか」。

それを学べるところがあるとしたら、僕の教室でも学べるので、またいらっしゃってください。ということです(笑)。最後は宣伝させていただきました。

質問者:ありがとうございました。すごく参考になりました。実践してみます。

衛藤:ありがとうございます。

温間:ステキな質問ありがとうございました。

衛藤:ありがとうございました。みなさん、本当にすばらしい質問ありがとうございました。

温間:あっという間に終わってしまった90分でした。本当にすばらしい時間を提供いただきありがとうございました。

衛藤:それでは私はこれで失礼いたします。またみなさん、どこかでお会いしましょう。さようなら。ありがとうございました。

温間:ありがとうございました。