小4で腎臓病を患い、運動も外食もできなかった

若山陽一郎氏(以下、若山):先ほど、ダンス一筋の人生から挫折をしたというお話をしましたが、そもそもなぜダンサーになりたかったのかというと、サッカー少年だったので、本当はサッカー選手になりたかったんですね。

でも、小学校4年生の10歳の時に腎臓病になって、5年間運動ができなかったんです。1年間入院して、「5年間、食事で塩分を摂ったらいけません」となっちゃって、めっちゃつらかったんです。

何がつらいって、病気がつらいんじゃないんです。友だちと同じことができないのがつらいんです。友だちの家に行って、ポテトチップスが出てきても食べられないんです。お母さんが作ってくれたカレーライスを食べられないんです。外食なんか塩分だらけなので、まずできないんです。

学校に行ったら、体育は全部藤棚の下で見学。走りたくても走れない。そんな状況が続いてたんですが、僕はこの5年間で何を思っていたかというと、「いつかこの病気が治ったら夢を見つけて、その夢に向かって走りたい」と思った。もう、ただそれだけ。

みなさんも想像していただきたいんですけど、ワンちゃんを飼ってる方はいますか? 餌の準備をして、ワンちゃんに「待て」ってやると、うれしそうに待ってるじゃないですか。その「待て」を5年間やるわけですよ。

(5年も「待て」をしたら)その途中で死んじゃうという話は置いといて、5年間「待て」したら、体が震えるほどうずうずするわけです。5年後に「よし! いいよ」ってなった瞬間に、どんな勢いでワンちゃんが餌食べるか、想像できます?

僕は5年間、当たり前のことが当たり前にできなかったから、病気が治った頃には夢を見つけて、その夢に向かって、誰にも邪魔されたくない。誰にも文句を言われたくない。 「とにかく夢に向かって突っ走りたい」と思っていて、病気が治った時に僕と出会わせてくれたのが、ダンスだったんですね。

闘病生活を経て、中高ではダンスに熱中

若山:今思えば、あの病気をしていた5年間が僕の人生を変えるターニングポイントでした。5年間我慢をしたことがきっかけで、ダンスと出会って、何がどうなったのか。

中学校3年生の時にダンスと出会って、「これや!」と。「これから僕の人生は、ダンサーになって、ステージに上がって、スポットライトを浴びて、なんなら芸能人の後ろで踊るんだ」って夢が湧くわけです。

高校生になっていろんなダンスの大会に出て、いろんな大会で優勝しました。なぜ優勝できたかというと、楽しかったんです。がんばってないんです。楽しいから、朝から朝まで踊ってましたね。

だって、5年間「待て」をされてました。その「待て」が解除された僕は、友だちに何を言われようが、親に何を言われようが、寝る暇を削って、もう止まらなかったんですね。だから楽しい。

俗に言うゾーンに入った状態で物事をやっていくと、当たり前にうまくなっていくんですね。

高校を卒業して勢いづいて、僕はこんな髪型になってプロのダンサーを志していくんです。

その先でTRFのバックダンサーになっていくんですが、がんばった記憶は一度もありません。とにかく楽しいから、無我夢中にやっていった結果、物事が進んでいっただけです。

何事も小さなことからコツコツ積み上げる

若山:この時のダンスの経験の中から、社会でものすごく活きる大事なことを5つ覚えました。「楽しんでいる人には勝てんな」ということです。みなさんも経験があると思うんですが、楽しい時って、誰に何を言われても止められないんですよ。

僕もダンスを始めた時にはむちゃくちゃ馬鹿にされたし、親にもむちゃくちゃ否定されました。「そんなことをやっても、将来お金にならないよ」「飯食えないよ」「誰も幸せにできないよ」って言われたんですけど、止められなかったんですね。

その経験があるから、社会人になってもとにかく仕事を楽しむ努力をするんですね。仕事を楽しんだほうがうまくいくということを知っているから、仕事を楽しむ工夫をいっぱいして、仕事がめちゃめちゃ楽しいんです。さすがにちょっとは寝ますけども、今は朝から夜中まで仕事をするんですよ。

あとは、コツコツの大切さ。ダンスってめちゃめちゃ地味なんですよ。本番は派手ですけど、本番の前日まではむちゃくちゃ地味な練習なんですね。

例えば、体にウェーブを通すのって、いきなりウェーブが通るわけじゃなく、最初はこの動きから始まるわけです。これをずっと練習するんですね。

これができるようになったら、この後はこの動きを体に染み込ませていくわけです。これができるようになったら、次はこっち。こんなことを練習でやっていくと、体中どこにでもウェーブが通るようになっていく。

ダンスを辞めてもう20年ぐらい経ってますけど、積み重ねでマスターしたことって体から抜けないんですね。

突貫工事でぱっぱっと建てた家って、数十年で壊れるじゃないですか。でも、一生懸命重たい石を積み上げたピラミッドは何千年も残るじゃないですか。まさにそれと一緒で、コツコツやることの大切さをダンスで学びました。

仕事をする時も、いきなり大きなことはやらないです。必ずちっちゃなことから、ツコツ積み上げていって、強くしていくんですね。

ダンスで結果を出し、両親の態度にも変化が

若山:あとは、人間関係がすごく大事だと思いました。ダンスも、うまかったらいい仕事がもらえるわけじゃないんです。人柄が良くて、人脈が多くて、コミュニケーション能力が高いと、いろんないい仕事がたくさんやってくるんですね。

僕はダンスの時にはそれが叶えられなかったので、すごく後悔したんです。だから、「社会の中でいい人間関係を作っていこう」「人から気に入ってもらえるような人柄でいよう」ということを意識して、今日まで来ました。

あとは、自分が変わることの大切さ。僕、ダンスを始めた時にめちゃめちゃ馬鹿にされたんです。まず、お父さんがなんて言ったかと言うと、「お前、そんなんで飯食えんぞ。今すぐやめろ」。

お母さんがなんて言ったかと言うと、「そんなアメリカ人みたいなことやめて~」って(笑)。「そんな変な格好しないで」「もう家に帰ってこないで」「あんたは橋の下で拾ってきた子だよ」って、リアルに言われたんですね。

でも、僕がTRFのバックダンサーになった時にお父さんがなんて言ったかというと、びっくりしますよ。「さすが、お前は俺の子だな」って言ったんです。「えっ」と思って。

「やっぱりDNAってあるな」「お前は俺によく似て、なんでもコツコツやったらうまく活かすタイプなんだ。やっぱり俺の子だぁ」なんて言って、自分の手柄にするわけですよ。

お母さんは、「今度、陽一郎がテレビに出るんです」って、親戚中に自慢の電話をして回ってるんですね。「大人、怖いな」って思ったんですが、言うことを変えることがダメなんじゃなくて、自分の出す結果さえ変えたら、言うことを変えてもらえるんだと思ったんです。

他人から否定されることはチャンスでもある

若山:ごみ回収業者になった時も、同じように周りからめちゃめちゃ非難を受けたんです。「お前、人のごみを拾って飯食っとるんか」「汚え仕事しとんな」「そんな仕事、誰もようやらんぞ」と、15年前にごみ回収業者になる時に散々言われたんです。

だけど今はどうなったかというと、人からめちゃめちゃ褒められるんです。「いい仕事をしてますね」「すばらしい仕事ですね」「SDGs」「サステナブル」「エコ」「今の時代にぴったりなお仕事をされてますね」「先見の明がありましたね」とか、すごく言われます。

何が言いたいかというと、結果が出るまで諦めなければ、人はどうにでも言うことを変えてくれるということを、僕はダンスの中で学びました。

あとは、結果よりも過程が大切ということです。要はプロセスですね。当然、結果を出すことを意識することは重要なんですが、大事なのは出した結果ではなく、結果を出そうと思って取り組んだ時に起きる出来事。その過程・道のりが一番重要だってことですね。

出した結果が宝物ではないんです。宝物は、その道のりにいっぱい転がってるんですね。僕はダンサーとしては成功しませんでしたが、10年間ダンスを一生懸命やったプロセスの中に、人生を変える宝物がいっぱい詰まっていた。そのお土産を持って社会に出たから、社会の中で一味も二味も違う成功を遂げられたのかなと思っています。

変わったこと、突拍子もないこと、昨日の自分と違う考え方になって何かを発言すると、周りの人はそれに反応していろいろ言ってくるんですよ。でも、僕の中ではそれがチャンスの鐘だと思ってるんですね。

周りから否定されたり、批判されたりするようなことに取り組んでみるといいんじゃないのかなと思います。

世界一周1人旅で得られたこと

若山:2010年から2011年にかけて、20ヶ国以上、37地域、地球をぐるっと回る旅をしたんですが、世界一周しながらダンスを踊ってきた動画があるので休憩がてら見てください。

【動画再生】

なぜ世界一周1人旅に行ったのかというと、自信がなかったから自分を変えたいと思ったんです。

あと、世界一周1人旅に行ったらモテるんじゃねえのか? なんて思って。まだ世界一周1人旅に行ってない時に、「世界一周1人旅に行きました」みたいな人と出会うと、なんかかっこよく見えたんです(笑)。

僕はそういう人に対してちやほやしちゃったので、僕も世界一周1人旅へ行ったら、ちやほやされるんじゃないのかなぁなんて思って(笑)。実はそんな大した目的もなく行ったんですが、旅をしている中で、人生が変わる出会い、きっかけ、予想もしなかった出来事がいっぱい起きていきます。

まず、僕は今まで正解を追い求めて生きてきた節があったんですね。でも、日本を出た瞬間に、日本の常識や価値観が全部通用しなかったんですよ。世界にはいろんなルール・常識・価値観がいっぱいあって、いい意味で何が正解かわからなくなったんですね。

ということは、もう正解を求めるのはやめようと思ったんです。なぜなら正解はないから。だって、僕の人生も何が正解かわからないですよ。借金したり、病気をしたり、(ダンサーの夢を諦めて)不用品回収業になっちゃったことだけを切り取ると失敗ですし。

人はその都度「失敗だ、失敗だ」って言うけど、今振り返ってみると、あれのおかげで人生が良くなってきているので、僕からすると全部正解なんですね。なんとなくわかりますか? なので、世界はいい意味で正解がないことを教えてくれました。

過去の体験が数年後に活きることもある

若山:地球を一周していろんなものを見たんです。本当に、ただ見た。この頭の中に、いろんな映像や景色、いろんな人の顔がいっぱい入ってるんですよ。

それがすぐに生活に活きることはないんですが、そこから12年経って、その頃に蓄えたいろんなものの見方が、今の仕事でものすごく活きてきている瞬間がいっぱいあるんですね。

センスってあるじゃないですか。これは僕の言葉じゃないんですが、ハイパーメディアクリエイターの高城剛さんが「センスは移動距離で決まる」というお話をされてたんですね。まさにそうだなと思って。

だから、成功してる人って、だいたい移動距離が無駄に多いんですよ。いろんなところに行ってる人が多いなと感じるので、無駄だと思うかもしれないんですが、とにかく行ってみる・やってみるということは、移動距離を稼ぐことになります。

何かプラスになるような出来事がすぐにはないかもしれないけど、そこで見たものが人生において活きる瞬間が必ずあると、僕は自分の体験の中から思います。今日、みなさんがここに来てみたのは、大変いいことだと思います。

世界一周の経験が今の仕事に活きた場面

若山:何か質問はありますか? 今のお話の中でも、感想でもいいし、もし質問したい方がいらっしゃったらどうでしょうか。あ、どうぞ。

質問者2:世界一周の経験をしたことが、具体的にお仕事でどう役に立っているのかを聞きたいなと思います。

若山:素敵な質問をありがとうございます。今、不用品回収業から発展して、アンティーク家具屋さんやリサイクルショップをやってるんですね。

また後で僕のやっているリサイクルショップの写真を見せたいと思うんですが、他のリサイクルショップと僕たちは、圧倒的にやり方や展開の仕方が違うんですね。

なぜかというと、僕が海外を回っていた時に、アンティークショップやヴィンテージショップとか、古いものを大切にする生き方をしている文化にたくさん触れてきたんです。その時は、リサイクルショップをやるなんて想像していませんでしたよ。

見たもの、触れてきたもの、感じてきた文化が、5年後にリサイクルショップをやる時にものすごく活きたんですよ。

要は、「こんなリサイクルショップ日本にはないよね」という次世代のリサイクルショップをオープンしたことによって、全国から人がうわーっと押し寄せてくるような人気店になったんです。

それはまさに、他にない感性でリサイクルショップを展開したから。(世界一周の経験が仕事で活きた経験の)1つが、まずはそういったことかなと思います。